[タイトル写真:千葉県富津市・富津岬展望塔(lupin0333/photoAC)]
[3]同期・2期生という存在
本稿では、「同期・2期生」という側面から、北野日奈子の歩みを振り返っていく。2022年7月17日、奇しくも(というほどのことではないと思うが)北野の26歳の誕生日に山崎怜奈がグループを卒業し、乃木坂46に現役で所属している2期生メンバーは鈴木絢音ひとりのみとなった。北野が卒業を決めたと考えられる2021年1月末ごろにはまだ、すでに卒業を発表していた堀未央奈を含めて8人の2期生が所属していたことを改めて思い返すと、「あっという間にみんな卒業してしまった」という素朴な感覚に突き当たる。
以降では、「北野が卒業を決めたという時期以降のことを起点に彼女のことを述べていく」という本シリーズのコンセプトをもとに、この堀の卒業前夜の時期を起点に、北野の「2期生」としての歩みを振り返っていきたい。
「その手でつかんだ光 (乃木坂46・北野日奈子の“3320日”とそれから)」目次 ・[1]家族への信頼と愛情 |
「堀北コンビ」の“相方”・堀未央奈の卒業
堀未央奈がグループからの卒業を発表したのは2020年11月27日、自身初のソロ曲「冷たい水の中」のMVのなかでのことであった。堀の誕生日である10月15日になぞらえて20時15分(午後10時15分)に唐突に公開されたそのMVは、堀のひとり語りで始められた。「アイドルとして、8割は全力でやり切ったという思いと、2割は……なんだろう。ちょっと悔い、じゃないですけど。うーん……なんだろう、でもなんか、こんなときだから感傷的になっているのかも」。コンテンポラリーダンスと切なげなメロディの歌唱を視聴しながら、YouTubeのシークバーが進んでいくのを横目に見て、「時間よ進んでくれるな」と思って手が震えたことを覚えている。
時期としては、2週間前の11月13日に26thシングルの発売と表題曲のタイトルが告知され、11月15日には選抜発表が放送された(「乃木坂工事中」#284)直後であった。シングルの発売は2021年1月27日で、表題曲「僕は僕を好きになる」のMVの公開も2021年1月8日のことであった。MVの公開としてはずいぶんと早いタイミングであったが、この2020年11月27日は、7thシングル「バレッタ」の発売から7年、という区切りの日でもあった。
いまさら語るまでもなく、堀未央奈は乃木坂46・2期生の象徴的存在であった。いまでは恒例行事のようになっている新メンバーのセンター抜擢の元祖であり、グループのセンターを経たのちにアンダーを経験した歴代唯一のメンバーでもある。そうした「2期生」の立ち位置からくる苛烈な経験をしながらも、再度フロントに立ってグループの顔となり、さらに2期生へのエンパワーメントもメンバーとしてのキャリアを通じて欠かさなかった。
「2期生ってみんな違うじゃん、状況が。ずっと違ってたじゃん。だからさ、気持ちの熱量がムラあったじゃん、それぞれで。そのとき(編註:「乃木坂世界旅」での堀・北野でのニューカレドニアロケ)に、10代の頃いろいろあったよねって話をして……(中略)……考えてみたら、2期生のなかでも未央奈がずっと代表でさ、いろんなこと決めてくれてたり、引っ張ってくれたけど、いっつも『2期生みんなで』だったよね。……(中略)……寂しいね。」
(2021年3月29日「乃木坂工事中」#302、北野日奈子)
そんな堀と北野は、同期であり同い年。2期生としては堀に続く8thシングルで選抜入りを経験したメンバーでもあった北野は、当初より堀と最も近いといっていい立場であったし、何年もの時間を経て強い紐帯が生まれていくことにもなる。1年も遡らない時期にはまだ、北野は「私たち2人がもっともっと成長して、乃木坂46を引っ張っていくような存在に、いつかなりたい」(『アップトゥボーイ』2020年2月号 p.39)とも語っていたが、堀は「お芝居にも興味があるので、25歳までには辞めようかなっていうのはずっと思ってて」(2021年3月28日「乃木坂工事中」#302)としており、「自分もいつか卒業を考える日がくるのかなと想像しても、腑に落ちる理由がない」と感じていた(『EX大衆』2020年12月号 p.16)という当時の北野とは、いくぶんグループ活動に関するスピード感が異なっていた部分はあったのかもしれない。
北野はこの26thシングルの期間をアンダーメンバーとして活動した。北野は「最後の活動が一緒じゃなくてごめんね」(北野日奈子公式ブログ 2020年12月22日「一番好きなものを離さないで」)とも綴ったが、堀にとってのグループ活動の最終盤には、グループ全体での「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2021年2月23日)に加えて、堀の卒業コンサートとして2期生ライブ(3月28日)も開催され、この前日には「乃木坂46堀未央奈卒業&2期生ライブ前日記念!『緊急生特番!2期生8人だけ!』」がABEMAで配信、当日深夜の「乃木坂工事中」#302では「堀未央奈 卒業記念やり残しSP」として「2期生ハウス」の企画が放送されるなど、「2期生」のまとまりが強調される場面も多かった。
ここから北野の卒業コンサート(2022年3月24日)までがほぼ1年。その間に、2期生としては伊藤純奈、渡辺みり愛、寺田蘭世、新内眞衣がグループを卒業し、4月末の北野の卒業を経たのち、冒頭でも述べたように7月17日には山崎怜奈も卒業し、現役の2期生メンバーは鈴木絢音ひとりとなっている。あの時期が2期生にとって最後の打ち上げ花火だった、みたいな言い方は、ファンの立場からはことさらにしたくないが、その先頭を走ってきた堀の卒業に際して象徴的なシーンをつくることができたのは幸せなことであっただろうし、長い時間をグループでともに過ごしてきた彼女たちにとってはひとつの勲章でもあったといえるかもしれない。
それぞれ違ったスタートライン
堀の卒業コンサートとなった「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」が行われた2021年3月28日は、2期生オーディションの最終審査・合格発表からちょうど8年という日取りでもあった。この日は「2期生の日」と呼ばれ、メンバーは集まって祝ったりもしているようだが、合格発表のタイミングでプロフィールなどが公表されたわけでもなく、1期生による「16人のプリンシパル deux」の東京公演(2013年5月3-12日)のなかでひとりずつお披露目されるという形がとられた。1期生および3期生は合格発表の直後に記者会見でメンバーがお披露目される形であったため、これらと対照的なデビューであったととらえられていた時期が長かっただろうか1。メンバー本人によっても、「みんなが一緒のスタートラインじゃなかった」(伊藤かりん、『日経エンタテインメント!』2016年2月号 p.67)などと表現されている。
「スタートライン」が揃っていなかったというのはお披露目の形式に限ったものではなく、「お見立て会」などの期別のイベントも2期生は経験しておらず、これにあたる場は2013年8月4日の6thシングル全国握手会(千葉・幕張メッセ)での初ステージであるが2、このときは米徳京花が学業で欠席しているほか、相楽伊織は学業のためまだ活動を開始しておらず参加していない。ほか、2期生に関してのみ導入されていた「研究生」の制度があり、堀・北野・相楽はそれぞれの初選抜入りのタイミング(堀は7th、北野は8th、相楽は11th)で、年長組の新内眞衣・伊藤かりんはアンダーメンバーに合流(新内は8th、かりんは10th)するという形で個別に「正規メンバー昇格」とされ、個別に1期生のなかに入っていくような形がとられた(伊藤純奈・佐々木琴子・鈴木絢音・寺田蘭世・山崎怜奈・渡辺みり愛は2015年2月22日の「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」内でのアナウンスをもって正規メンバー昇格、これをもって研究生制度は終了)。また、この過程のなかで西川七海・矢田里沙子・米徳京花は「活動辞退」という形で正規メンバー昇格を待たずにグループを離れており、かつ西川七海の活動辞退は2014年3月22日付、相楽伊織の活動開始(「研究生に復帰」とされた)は2014年6月14日付で公表されており、2期生オーディションを経て乃木坂46のメンバーとなった14人が、表だっての活動を全員揃って行っていた期間は存在しないのである3。あるいは、いわゆる「2期生曲」があてがわれたのも2ndアルバム所収の「かき氷の片想い」が最初であり、活動開始から3年を経てのリリースであった。
こうした点については北野ももちろん自覚的で、上で伊藤かりんの発言を引用した『日経エンタテインメント!』2016年2月号では、以下のようなやりとりをしている(当該記事は北野とかりん、および新内・堀の4人での座談会の体裁である)。
伊藤 夢ということだったら、やっぱり2期生の楽曲が欲しいよね。
堀 あ、それ本当に思う。なんか2期生の“負けないぞ”という強い気持ちが込められていたらいいかなって。
新内 私はまだOL兼任ということを生かしきれてないなと感じているので、OLさん向けにもっと発信して、乃木坂46に注目するようになってもらいたいです。
北野 ひとつのことをみんなで作り上げたいよね。2期生全員で作り上げたことって、ステージデビューした最初のライブしかないんですよ。なので、何でもいいから気持ちをひとつにしてみたい。それも近いうちに!(『日経エンタテインメント!』2016年2月号 p.68)
そして何より、「一緒のスタートラインじゃなかった」ことの象徴な出来事は、堀の7thシングルでのセンター抜擢であっただろう。先にも少し触れたが、3期生では大園桃子・与田祐希、4期生では遠藤さくら(そしてその両隣のフロントメンバーとして賀喜遥香・筒井あやめ)、5期生では中西アルノと、恒例行事の感すらある新メンバーからの初選抜をセンター抜擢の形で行うやり方も、このときは相当の衝撃をもって受け取られ、4thシングルでの秋元真夏の福神メンバーとしての選抜入り・活動復帰と並んで、グループの歴史に残る大事件としてのちのちまで語られることとなった。5thシングルまでの5作は一貫して生駒里奈がセンターを務めていたので、グループとして表題曲のセンターは「3代目」。AKB48であれば前田敦子、SKE48であれば松井珠理奈、NMB48であれば山本彩と、「不動のセンター」をグループの顔とするカルチャーがあったなかで、6thシングルで白石麻衣がセンターとされたときも「センターが代わる」こと自体が一大トピックとされたような時代感であった。4thシングルでの秋元と同様にスタジオ見学中に呼び込まれ、後輩の堀がセンターとなったことに関しては、選抜発表の最後には、乃木坂46運営委員会から「今回の選抜発表 皆さん驚かれた事と思います」「今はまだ何も無いセンターを担う2期生・堀未央奈を皆さんが力を合わせて育てて下さい」と1期生に向けて異例のメッセージが送られるなど、現在よりも相当に苛烈であった選抜発表の様相を思わせる出来事もあった4。
もちろん、この抜擢は同期である2期生にも衝撃を与えることになる。篠本634『乃木坂46物語』における当該のシーンでは、当時のことを語ったメンバーの言葉がいくつか記されている。寺田蘭世は「たぶん人生で一番泣きました。」「未央奈を責める話じゃないんです。それはわかっていたけど、心がどうにもならなかったんです……。」とし、佐々木琴子は「泣きました。仲が良かったからこそ、置いていかれちゃうって気持ちも強かったし。」とした(すべて同書p.175)。
しかし、センターというポジションは強烈であったものの、2期生をひとつの集団としてとらえれば、「ファーストペンギン」のような存在は必要であったはずだ。佐々木は、上に引用した発言に続けて「でも、うれしい気持ちもあって。……当時の2期生って、ファンの方の間で『1期生だけで乃木坂46は完成してる。2期生って必要なの?』って思われてる気がしていたんです。だから『2期生の代表として、見返してほしい!』って思っていました。」(同前)とも語っている。また、もう少し後の時期には、寺田を含めた2期生がこのときのことを改めて振り返り、このようなことを語ってもいる。
——2期生の加入早々、堀さんが選抜センターに選ばれました。
相楽 私はそのときまだ活動していなかったので、テレビで知ったんです。それがどれだけすごいことで、どれだけの重圧かも分かっていなくて、ただ驚いたという感じでした。
寺田 私は、よくお泊まりやご飯会をしていて近い存在だからこそ、悔しいという思いがあったのも事実です。でも、最初から未央奈は良い意味で人と違ってたし、「妥当だな」と納得せざるを得ない存在感がありました。身近で見ていた私たちが一番分かってましたし。
山崎 トップバッターとして誰かがポンと前に出されるようなこともあると思ってはいました。でも、実際に自分たちの中でそれがあると「いてもいなくてもいいのかな……」って不安になる自分もいて。
堀 みんなが逆に気を使ってうれていることが分かっていたので、嬉しい反面申し訳なくて。いろんな気持ちにさせちゃったと思います。(『月刊エンタメ』2016年8月号 p.19)
その後の堀の活躍は語るまでもないし、先にも少し触れたようにすべてが順調だったというわけではもちろんないが、2期生の先頭に立って道を切り開いたメンバーとしての側面は、年月を経るにつれてより強調されるようになったという印象がある。
「私、未央奈が初めて選抜になった時の映像、いまだに見るんです。鳥肌立ちますよね。先輩たちの中に震えながら入っていって、雨に降られても風に吹かれても耐えてきたのが未央奈なんです。2期生の開拓者になってくれたんです。いつだったか、スタッフさんが『日奈子と未央奈の仲って実際のところどうなの?』って聞いてきたんです。『全世界の人が未央奈を否定しても、私は絶対味方でいます』と答えました」(北野日奈子)
(『BRODY』2019年6月号 p.63)
その堀に続く形で、北野は彼女のスタートラインから駆け出していくことになった。8thシングル「気づいたら片想い」で、3列目での選抜入りを果たす。総体としての「2期生」の歴史が、うねりながら動き出そうとしていた。
「つないでいく」こと
北野はこのときのポジションについて、「自分で勝ち取ったわけではなくて、用意してもらった椅子に座っただけ」(『月刊エンタメ』2016年8月号 p.20)、「8枚目の時は、与えられた椅子だったと思うんですよ」(『CD&DLでーた』2016年7→8月号 付録ポスターブック)と語る。選抜メンバー以外の活動がまだきわめて限られていた(個人での仕事がまだ少なかったのはもちろんだが、選抜発表の時点ではアンダーライブすら始まる前の時期であった)状況にあって、「椅子を与える」ことは必要だったと思うし、10thシングルの時点でグループに所属していた1期生は、このときをもって全員一度は選抜を経験しており、それは北野に限った話ではない。特に、経験や認知度に1期生と隔たりのあった2期生には、いっそう必要なことだったといえるかもしれない。
この時期の北野はダンスに苦手意識があり、2期生でのレッスンでは佐々木琴子とともに「劣等生」であったという(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)。キャリアを積み重ねてそれは克服していくものの、8thシングル期には上達できないままであったのだという。「椅子を与えられた」という語り方は、北野が上記以外にも自身について繰り返し用いてきたという印象があるが、ダンスに苦しみ、落ち込んだまま終わってしまったという悔しい経験が、特に彼女をそのように語らせたのかもしれない(「ダンスに苦しんだ」ということ自体も、座長を務めた武蔵野の森総合スポーツプラザでのアンダーライブなど、のちの時期にクローズアップされることもあった)。
——でも、選抜に入るのは早かったですよね。
北野 はい。未央奈に続いて2番目でした。私、いつもニコニコしていたから、「明るくていいね。声も大きいし」ってダンスの先生からも褒められていました。その明るさがファンの皆さんから認めていただけたのかもしれません。
でも、踊れないという自覚はあるから、選抜に入っても困ることばかりでした。先輩たちも私がダンスができないことを知っているし。「選抜に入れて嬉しい!」じゃなくて、「とにかくダンスをなんとかしなきゃ……」と思う毎日でした。(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)
北野は9thシングルでは選抜から外れ、9th・10thシングルでは2期生の選抜入りは堀のみとなる。11thシングルでは相楽伊織が選抜に加わるが、12thシングルでは堀・相楽ともにアンダーに移る。このときは新内眞衣が2期生として唯一の選抜メンバーとなったが、13thシングルでは新内も外れ、2期生全員がアンダーメンバーとなった。
「選抜の座をつなげられなかった」というようなことを、北野(あるいは新内)は繰り返し口にしてきた。特に堀の卒業以降の時期は、それぞれの2期生メンバーが自身と「2期生」のキャリアを総括するような場面も多く、北野も堀の卒業コンサートでは「みんなでは一緒に活動はあまりできなかったけど」、伊藤純奈と渡辺みり愛の最後のライブであった「アンダーライブ2021」(2021年5月26日)では「未央奈の次に選抜に入って、それをつなげられなかった」と改めて口にしていたが、北野のそうした発言はかなり前からのものである。
——それでも北野さんは『気付いたら片想い』(原文ママ)で選抜に選ばれました。
北野 それも自分で勝ち取ったわけじゃなくて、用意してもらった椅子に座っただけ。選抜に入っても何もできずに、呆気なく終わりました。
——悔しい思いしか残っていないと。
北野 私が結果を残していたら、その次のシングルでも2期生がもっと選抜になっていたと思うんですよ。「北野にできたんだから、他の2期生にもやらせてみよう」って。でも、私があまりに何もできなくて、その椅子を失くしてしまったんじゃないかって……。
かりん ぜんぜんそんなことない。単に私たちの実力がなかっただけだよ。(『月刊エンタメ』2016年8月号 p.20)
2期生にとっては間違いなく悔しい記憶となったこの時期だが、この頃には加入のとき以来くらいに「2期生」のくくりでのメディア露出が多くなっていたようにも思う。ここまで何度か引用してきた『月刊エンタメ』2016年8月号では2期生全員が3グループに分かれて座談会形式で取材を受けたものであるし(これは15thシングルの選抜発表より後のもので少々時期が後になるが)、『日経エンタテインメント!』2016年2月号も、「2期生座談会」として伊藤かりん・北野・新内・堀が対談したものである(グループ全体が扱われたうちの一部ではあるが)。『Top Yell』2015年11月号では「2期生の逆襲が今、始まる!!」として、13thシングルでの「選抜入りゼロ」を切り口とした取材が組まれる(参加メンバーは北野・佐々木・山崎)など、トピックとして正面から扱われることもあった。
北野 やっぱり13枚目で誰一人選抜に入れなかったというのは大事件だったよね。15年2月に全員が正規メンバーに昇格して、やっと本格的にスタートラインに立てて、アンダーライブ4thシーズン(15年10月)でも2期生の存在感を見せられていただけに。
堀 うん、すごくく悔しかった。ただ誰かが“お試し枠”で入れられるぐらいなら、この結果を受け入れてみんなで実力をつけて、そろって選抜に入って認めてもらうほうがいいかなと思っていて。私個人としては、やっぱり最初のポジションが上過ぎで、今が自分の身の丈に合った位置だと思う。もう1度上に行けるようにしっかり自分と向き合いたいよね。
伊藤 今、未央奈が言った通り、みんなが一緒のスタートラインじゃなかったんだよね。それぞれ違う悩みを持っていて理解し合えなかったのが、ある意味同じ立場になって悩みを共有できるようになった。15年は2期生が仲良くなれて強くなれた1年でもあったんじゃないかなって。(『日経エンタテインメント!』2016年2月号 p.67)
『アップトゥボーイ』2016年2月号では2期生全員がグラビアに登場する企画が打たれ、全メンバーが登場した『B.L.T.』2016年2月号では2期生全員でのグラビアおよび座談会が掲載。『FLASHスペシャルグラビアBEST 2016年新春特大号』(2015年12月25日発売)でも2期生のクローズアップ特集が組まれた。「乃木坂工事中」でも、2015年4月の番組リニューアルスタート当初に「2期生掘り下げ中」のコーナーが設けられ、選抜未経験の2期生が掘り下げられていたが、2015年11月29日の#32では2期生全員の特集回(「堀未央奈プレゼン企画 2期生の良いところもっと知って欲しい!!」)が放送されている。
この時期は、グループが全体として大きくなっていくなかで、アンダーメンバーが「アンダー(メンバー)」としてメディア露出することも多くなっていたように思う。『週刊ヤングジャンプ』2015年19号(2015年4月9日発売)のようにアンダーメンバー全員が登場するものもあれば、同2015年48号(2015年10月29日発売)のようにサンクエトワールの5人を称して「アンダーメンバー」とされたような例もあったが、ともあれ「アンダーメンバー」が、のちの時期の「3期生」「4期生」のように、「もうひとつの、新しい乃木坂」のようなイメージで扱われるような向きがいくぶんあった。それはおそらくこの年の終わりにアンダーライブが日本武道館公演にまでたどり着いたことと軌を一にする動きで、13thシングルの体制で臨まれたこの公演に当時の2期生が全員参加したことは、彼女たちに一体感をもたらすことにもなったようだ。
——しかし、『今、話したい誰かがいる』では2期生からの選抜がゼロという状況となりました。
かりん うん。それまでは2期生の連帯ってあまり意識しなかったし。
北野 一緒にアンダーライブを作り上げたりする中で、2期生をもっと好きになりました。
かりん あの時期はみんな「これじゃ2期生はダメだ」と焦りを感じていて。特に日奈子がそうなんですけど、自覚が生まれたと思います。(『月刊エンタメ』2016年8月号 p.20)
一方で、少なくとも北野についていえば、2期生でスクラムを組んで進んでいくというよりは、「これじゃ2期生はダメだ」という状況をふまえてレベルアップしつつ、自らのポジションを上げることを目指してしていくという「野心」ともいえるものを表出するようになっていた部分もある。前稿でも扱ったところだが、この時期の北野はアンダーフロントでの経験をふまえて「選抜に入りたい」と改めて口にするようになり、「ポジション」と戦う姿勢を最も明確にしていた。「2期生」という存在を大切にしながらも、自分は「真ん中」を目指す。改めてこの時期の北野の語りを追ってみると、そんな複雑さが垣間見えた。
そうした意識改革が、彼女に鮮やかな成長をもたらしたのだろう。最新シングル「今、話したい誰かがいる」のカップリングでは、5人組の新ユニット、サンクエトワールの一員として「大人への近道」を歌い、MVでは印象的な表情を見せている。戸惑いに満ちながらも、さまざまな新たな挑戦を乗り越えた彼女は今、自ら獲得した自信を持って、力強く宣言する。
「これまではずっと濁していて、言ってこなかったんですけど、来年は選抜に入ることはもちろん、福神に入りたいと思っています。2期生の二番手って言われることも腑に落ちていないし、もう2期生っていくくくりも取り払いたいんです。そうじゃないと、乃木坂もいつまでも変わらない。自分の中での将来の夢というか、目指しているところは、乃木坂の真ん中です。もっと前の景色を見たいし、乃木坂を引っ張っていける人になりたいですね」
(『UPDATE girls』Vol.002[2015年11月27日発売]p.39)
また、この頃か、あるいはもう少し後の時期の心境について、北野は後年、このようにも語っている。
「気持ちに大きく変化があった時期です。それまでの私は2期生という括りを強く感じて活動していました。6人が昇格した時だって、誰よりも泣きました。でも、どうしても足並みがそろわないんだなと感じてしまったんです。だから、『ハルジオン』の時期は、私は一人でいるようにしました。ゆっくり考える時間がほしかったんです。その結果、2期生という括りから自由になろうと思ったんです。2期生がもっと先輩の刺激にならないといけないのに、そう思っている同期が意外と少ないことに気づいたからです。自分はもっと前に出たい。だったら、一人でやるしかない。そう思うようになりました」(北野日奈子)
(『BRODY』2017年10月号 p.64)
「末っ子」ではなくなる
3期生の加入は2016年の夏であるから時期としてはもう少し後のことになるが、この時期におけるもうひとつの大きなトピックとして、欅坂46の結成があった。現在に至るまでのの経緯を追っていくと、乃木坂46と欅坂46/櫻坂46(およびけやき坂46/日向坂46)にはそこまで大々的なかかわりがあったとはいえないように思うが5、当初欅坂46(オーディション時点では鳥居坂46)は2015年2月22日の「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」で「乃木坂46 新プロジェクト」の「1期生募集」として告知されたというところから始まったので、もう少しAKB48グループにおける姉妹グループ関係のようなものがイメージされるような向きもあっただろうか6。「新プロジェクト」は「ボーダー組」6人の正規メンバー昇格とひとまとめに告知するという形でもあったし7、オーディションを経たのちの欅坂46の結成は2015年8月21日で、結成日を乃木坂46と重ねるという形がとられた8。両グループの関係は、現在のわれわれの感覚よりもかなり近いものととらえられていたように思うし、また、そうすることをプロデュース側も想定していたのではないだろうか9。
そうした空気感も反映してか、乃木坂46のメンバーも(特に欅坂46の結成前後から、デビューシングル「サイレントマジョリティー」がスマッシュヒットし、一定のグループカラーがつくくらいの時期まで)欅坂46についてインタビューなどで聞かれる場面が多々あり、特に2期生は「初めての後輩」のような切り口からコメントを求められる場面も散見された。もちろん北野も、その例外ではない。
【2期生的に欅坂46って一体どんな存在なの?】
かりん「2期生といえば、2月の西武ドームでのコンサートで6人が研究生から昇格したよね」。
寺田「それによって流れが変わった気がする。2期生としても個人としても」。
新内「そうだよね。晴れて2期生全員が正規メンバーになれたのは大きかったよね。あの日のかりんの喜びようといえばすごかったよね。過去の人生できっと最高スピードで昇格した6人のところに駆け寄って(笑)」。
かりん「6人より私たちのほうが喜んでたよね(笑)。その西武ドームで新プロジェクトの発足が発表されたよね。今にして思えば、それが欅坂46のことだったんだけど、未央奈はどう思った?」。
堀「3期生じゃないんだ……って思ったのが正直なところかな」。
北野「てっきり3期生がそろそろ入ってくるものとばかり思っていたから」。
堀「少し焦りが生まれたよね」。
かりん「そうだよね。高山一実さんとお見立て会へ行ったんだけど、初々しすぎて、私は普通にファンになった(笑)。緊張でガッチガチだったから、この子たちを応援したいなって」。
堀「でも、ファンの人が流れてしまうんじゃないかって不安なんだよね」。
かりん「それは、2期生が加入した時に1期生さんが感じたことと同じだから」。
堀「そっか。私たちは応援して下さるファンの方を大事にしないといけないってことだね。うん、わかった!」(『B.L.T.』2016年2月号 p.40-41)
乃木坂46にもいつか世代交代の時期が来ると思うので、そのときには私がグループを引っ張っていけるような存在になりたい。次世代を担うメンバーになれるように、頑張ります。
新しくできた欅坂46は、私にとっては後輩になるんですかね。でも私は「先輩についていきます!」と言っているほうが好きで、自分が先輩になるのは苦手なんです。多分、先輩にはなりきれないので、お互いに存在を刺激し合って、私たちも負けないように頑張りたいです。乃木坂46に今度、3期生が入ってくるのかは分かりませんが、先輩を取られたくないので、ずっと後輩でいたいですね(笑)。(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2016』[2015年12月3日発売])
しかし繰り返しになるが、欅坂46のメンバーが乃木坂46のシーンに立ち現れてくるような場面はほとんどみられず、2期生は「後輩」の立場を約1年間保つことになる。2期生が全員正規メンバーとして歩き出し、改めてクローズアップされる場面が設けられるようになったのも、全員がアンダーメンバーとなり、「嫉妬の権利」で初めて揃って同じ楽曲に参加したのも10、そして揃って武道館でのアンダーライブのステージを踏んだのも、すべてこの時期に起こったことだ。
それぞれに活躍の場を広げてきている2期生たち。一方で強みだったフレッシュさにおいては、「坂道シリーズ」の新グループである欅坂46の誕生でアピールポイントには挙げにくい状況に。
【2期生はみんな個性が強い】
伊藤 そう、今度の春で3年になるんでフレッシュさはもう1ミリも残ってないと思うんですよね。11月に『乃木坂工事中』で2期生が体力測定をやったけど、『欅って、書けない?』(テレ東)でも同じ時期に体力測定の企画だった。2年半経っても新しいグループと同じことしている。それだけ私たちには経験値が足りないんだなって。頑張れるところで頑張らないと、あっちのほうが新しいグループとして経験の場が多いのでアッという間に抜かれちゃう。
北野 本当にそうだよね。
堀 妹分なのかライバルなのかどういうグループかはまだ分からないけど、やっぱり先に入ったからにはお手本を見せたいと思うし。
北野 2期生はよく言えば個性が強い。先輩たちだと“清楚”っていう言葉がぴったりだと思うけど。(『日経エンタテインメント!』2016年2月号 p.68)
グループ全体としても、2年目の明治神宮野球場公演を成功させ、紅白歌合戦への初出演も果たすことができた。グループがいくつものメルクマールを駆け抜けていくなかで、2期生全員がアンダーメンバーであった13thシングルのフォーメーションでは、齋藤飛鳥が初めて福神メンバーとなり、アンダーの後列からポジションを上げ続けた衛藤美彩はフロントにたどり着いていた(それを北野は「アンダーメンバーの希望」であるとも語っている[『BUBKA』2016年3月号 p.34])。フロントラインから離れたポジションで、しかし確実に自らの熱と実力を高めることができる時期があったことは、2期生にとって、北野にとって、大きかったのではなかったかと思う11。
14thシングルでは堀が選抜に復帰し、それに続く15thシングルでは北野が選抜に返り咲いた。結果として、2期生にとっても風穴のようなものが見え始めたタイミングで、3期生はグループに迎えられる形となった。
「3期生」が照射した「2期生」の枠組み
とはいえ、3期生は前述のように「オーディション合格・即お披露目」の形であったので、実際にファンの前で活動を始めるまでには少し間があった。2016年12月10日の「3期生『お見立て会』」が最初のステージで、会場は日本武道館。「Merry Xmas Show 2016」の選抜単独公演・アンダー単独公演が交互に計4日間行われたあとの日程であり、最初から先輩メンバーと同じ会場、しかもそれが日本武道館、という大々的な形で、3期生は世に出てくることになった。
(ここからしばらく筆者の印象のみで書くことをご容赦いただきたいのだが、)「不遇の2期」という、どことなく流通している言い回しがある。この言い方そのものは、2019年6月23日の「乃木坂工事中」#212において、2週にわたって放送された企画「改めて知って欲しい! 2期生のいいところ」の総括にあたる部分で、2期生の活動初期のエピソードに対して3期生が神妙な様子でいたことに対して齋藤飛鳥が「不遇の2期みたいに言われてるときの3期生の微妙な顔が……」と評した場面がテロップになって言い回しとして定着したように思う。「それを笑って言える関係性が力であり宝」のように設楽統がさすがのまとめ方をして番組は終わるのだが、「不遇の2期」はそれ以来なんとなくキャッチーなフレーズとしてひとり歩きしてきたように思う(特に、2019年10月6日の「乃木坂工事中」#227[「乃木坂46 秋の四つ巴対決」]冒頭で、2期生チームに対して設楽が「『不遇の2期』頑張って、こういうときに」とエールを送った流れのあたりで、公然と言われるようにもなったのだろうか)。
ただ、この3期生のデビューの時期あたりから、「2期生は不遇」みたいなことが急激によく言われるようになったような、そんなふうなとらえ方を筆者はしている(それ以前にも、そういう言われ方をされることは多かったのだろうが)。それまでの時期は1期生と2期生しかグループにおらず、そのなかで1期生が前に出るのはキャリアや経験値からして自然であるといってしまうこともできたし、齋藤飛鳥や星野みなみあたりの1期生の年下組に、堀を筆頭とする2期生をなんとなくひとまとめにして「次世代」のように称することが多く、それはどことなく「時期がくれば次の世代がくる」ということを含意したような言い方でもある。一方で「不遇」のように特にまとめられがちなのは「アンダーメンバー」のくくりであった。確かにその場所に多くの2期生メンバーがいたということでもあるのだが、この時期の16thシングルで新内と北野が3列目で選抜入りしており、ある程度状況は改善していたともいえる。堀は8thシングル以来の福神のポジションにあって、さらに齋藤飛鳥とのユニット曲「あの教室」をあてがわれており、むしろ勢いがあるくらいであった(次作からはほぼフロントに定着することになる)。
そのなかで2期生にこのような評価が生まれてきたのは、3期生が最初から大きな舞台に立つことになったからにほかならないだろう。「恵まれすぎている」のような、古参ファンのやっかみもだいぶ含まれていただろうか(そうした印象をひっくり返すパワーがあったのが、大園桃子のあのたたずまいでもあったのだが)。年が明けると3期生による「3人のプリンシパル」(2017年2月2-12日)があり、「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」では2日目と3日目(2017年2月21-22日)に「3期生ブロック」が設けられた。2017年3月22日発売の17thシングルには3期生楽曲「三番目の風」が収録され、この曲にはMVも制作されている(「かき氷の片想い」にはMVがなく、2期生楽曲として最初にMVが制作されたのは18thシングル所収の「ライブ神」)。「NOGIBINGO!8」(2017年4月10日-6月19日)は、シーズンまるごと3期生フィーチャーであった。グループとして積み重ねられてきたことを反映した舞台が用意され、それを享受できたという意味では、確かに3期生は恵まれた立場だっただろう。
ただ、何度でもおさえ直しておかなければならないのは、確かに独特の厳しい経験をしてきたとはいえ、当時もそれ以降の時期も、2期生自身が「不遇」と開き直って、何かを諦めたり同情を求めたりするようなところから生まれた「不遇の2期」というフレーズではない、ということだ。むしろ、このタイミングで一連のそれを「不遇」と称してしまうと糸がプツンと切れてしまうような、そんな緊張感が当時の彼女たちにはあったように思う(北野と2期生にとっての「先輩」「後輩」という存在については、また別の記事で書こうと思っている)。
そのような時期に放たれたのが、このとき選抜未経験で初のアンダーセンターを務めた寺田蘭世の、「Merry Xmas Show 2016」最終日(2016年12月9日)での「炎のスピーチ」でもあった(リンク先の記事では、寺田が3期生の加入に刺激を受けたことが背景にある、と示唆するような書き方をされている)。ただ、その「炎」も、どちらかというとアンダーメンバー総体を背負ったものになっていくという構造があった。新内や北野はどちらかというと「選抜に食らいつく」ことにエネルギーを傾けるような時期でもあったし、「2期生」としてまとまって活動することは、引き続きほぼなかったといってよかった。あるいは、当時センター曲がないことがコンプレックスになっていた北野は、そんな寺田のことを複雑なまなざしで見ていたことを明かしている(選抜単独公演の1人1曲プロデュース企画で、「蘭世の刺激になれば」という想いもあって「ボーダー」を選曲した、というエピソードからつながる文脈である)。
——『ボーダー』と『ブランコ』のセンター曲がある寺田さんに対して、北野さんはセンター曲がない。そんなコンプレックスもあるんですか?
北野 蘭世がセンター曲を持ってることはうらやましいと思ってます。いまの私は選抜の3列目にいることが求められてると思って消化したんですけど、やっぱりアンダーライブは素直に観に行けなかった(笑)。
——行かなかったんですね。
北野 いろんなことに心がさまよってるので、アンダーライブを観たら落ち込みそうで。
——そんないろんな想いが『ボーダー』から感じることができてよかったですよ。
新内 日奈子はこの曲を選ぶだろうと思ってたよ。『ボーダー』をセンターで歌ったことは、彼女にとって大きな経験になったと思います。
北野 「彼女にとっては」って。評論家みたい(笑)。(『月刊エンタメ』2017年2月号 p.14)
あるいは3期生というフレッシュな後輩を迎えて、1期生には「後輩というより盟友」のように扱われる場面も時を経るごとに増えていくという立場にあって、「2期生」としてあえてまとまる時期でもなかったのかもしれない。先輩後輩の壁を取り払って、自由な翼で羽ばたいていくこと、自由な風の吹くグループにすること。「真ん中っ子」の北野は、そうした点に使命を感じてもいたようだ。
一緒にインタビューを受けているときに先輩たちは「自由に発言していいんだよ。みんなで乃木坂46なんだから」とフォローしてくださいます。だけど、やっぱりどこか「私なんて」と遠慮していた自分がいるんです。
でも、それは「2期生だから」と勝手に壁を作っていた自分がいたからなんですよね。言いたいことをきちんと言って、周囲の期待を上回る活躍をしなければいけない。そんな危機感が芽生えたのはきっと、アンダーを経験してきたからだと感じています。
また、連続で選抜入りしてからは立ち止まることが一番怖いと気づいたんです。だから、乃木坂46を背負う1人としての責任や覚悟を、より強く持っていきたいと思います。(『日経エンタテインメント!アイドルSpecial2017』[2016年12月31日発売]p.37)
しかし、3期生が期のまとまりで稼働する場面が多かったことは、逆に1期生、2期生にも「期のまとまり」というストーリーをもたらしていくことにもなった。この時期以降、「期のまとまり」は、1期生や2期生の現役メンバーが片手で数えられるようにまでなった現在に至るまでずっと、グループのストーリーにおけるひとつの軸になっていくことになる。その明確な端緒が、3期生を迎えて初めて行われた全国ツアーの初演、「真夏の全国ツアー2017」明治神宮野球場公演(2017年7月1-2日)であった。
「4年前ひとりで歩いた道。今日は、みんなが待っている」
この公演は、全国ツアーの初演という位置づけでありつつも、8月以降に行われた地方公演と構成がまったく異なり、3期生のブロック、2期生のブロック、1期生のブロックを経たのちに終盤に全員が揃うという「期別ライブ」の形がとられた。3期生は2017年5月9-14日に単独ライブをすでに行っていたという状況でもあったが、2期生がこのような形でまとまってパフォーマンスするのは初めてのことであった。
このときのバックステージの模様(2期生および3期生)は、ライブを終えてまだ間もない8月9日に発売された18thシングル「逃げ水」の特典映像として収録された(2期生については、初回仕様限定盤Type-C収録「撮って出し! 神宮ライブメイキング 2期生編」)。そこでメンバーが語ったところによれば、堀は「やっと自分がやりたいなと思ってたことができた」「2期生だけで活動したいという夢が叶った」と感じていたといい、鈴木も同じような思いを抱きつつ、「二度とないチャンス」と口にし、2期生の置かれてきた立場とライブにかけた思いを表現した。一方で北野は、その場が乃木坂46にとってすでに“聖地”となっていた明治神宮野球場であったことに不安を感じていたことを明かし、「2期生もできて、もう丸4年一緒にいるし、ひとつになれるのかなあとか、一生懸命できるのかなあという不安が大きかったです」と語っている12。
冒頭のパートを担った3期生は、大園桃子のかけ声と「三番目の風」に乗せて勢いよく登場し、「乃木坂の夏」の始まりを告げた。コール&レスポンスのパートなどを挟みつつ、ライブで盛り上がる定番曲の「ハウス!」「会いたかったかもしれない」「ロマンスのスタート」、初期の表題曲「ぐるぐるカーテン」「おいでシャンプー」「走れ!Bicycle」を繰り出し、最後の「思い出ファースト」の曲中では、2期生以降のパートにつなげるための先輩へのメッセージを12人全員がステージ上で送った。「2期生の先輩方に、聞きたいこと、教えてほしいことがたくさんあります。毎日が不安でいっぱいです。そんなとき、先輩方はどうやって立ち向かっていったか、教えてください」。加入初日から3期生の「暫定センター」に据えられ、このときにはすでに次のシングルでグループのダブルセンターを務めることを言い渡されていた13大園はそう問いかけ、最後の12人目として登場した久保史緒里は「私の運命を変えてくれた先輩方は私の永遠の憧れ」と、まだ明るい神宮の空に歌い上げるように放った。
バトンが渡り、その2期生のブロックに移る。それぞれ違った「スタートライン」から歩んできた日々を振り返るVTRが流れるなか、登場のタイミングを待つ舞台裏では、メンバーどうしの涙の連鎖の状況だったという。「4年前ひとりで歩いた道。今日は、みんなが待っている」。VTRが終わると、明治神宮野球場のベンチからBステへひとり堀が歩み出て「バレッタ」のイントロがかかった。ひとりで堀が踊り出した直後、残る10人の2期生がその後ろに登場。グループの歴史で初めての、「2期生によるライブ」が始まった。
近年、特に堀の卒業を控えたくらいの時期には「2期生の楽曲」の色が強まった「バレッタ」であるが14、オリジナルメンバーは堀を除いて全員1期生であるわけなので、この時期においては、2期生の存在を感じさせるというよりは「堀が1期生の集団を率いている」ようなイメージが強く、センター・堀未央奈の存在感を超え、「2期生」を思わせるような形で披露されたのはこのときが初めてであったといえるだろうか15。2曲目の「気づいたら片想い」は、通常のフォーメーションダンスは序盤のみではあったものの、この曲で初選抜となった北野がセンターポジションに立って演じられる。続く3曲目は「嫉妬の権利」。ピアノアレンジのイントロが流れるなか、冒頭にメンバーによる語りが挟まれる。「みなさんにとって、2期生とは、どう見えていますか?」。寺田による語りを皮切りに、13thシングルで2期生が全員アンダーメンバーとなったという背景が、シリアスな調子で解説された。「私たちが、最も辛く悔しい日々を送ったときの曲」。当初は予定になかったというこの曲をセットリストに加えることを、強く働きかけたという新内がそう表現する。「今日、2期生が11人で、このステージに立てることを、すごく意味のあることだと思っています」——。
「私たち2期生は、バラバラのスタートを切って、バラバラの道を歩んできたんですけれども、
みんな、乃木坂に対する思いとか、同期に対する思いは、いつも一緒だったなと思っています。
今日が、私たち2期生の、本当のスタートだと思っています。
いつも応援してくださるみなさん、本当にありがとうございます。
みなさんのこと、私たち、大好きです。」(2017年7月1日「真夏の全国ツアー2017」明治神宮野球場公演、2期生ブロック中盤MC、堀未央奈)
エモーショナルなMCを挟んだあとは雰囲気をがらりと変え、「そんなバカな・・・」「人はなぜ走るのか?」の2曲では客席まで会場全体を使ったパフォーマンス。呼吸を整えるために再度挟まれたMCでは、3期生の単独ライブを引き合いに出し「2期生でもライブがしたい」と伊藤純奈が明るく希望を表明した。「別れ際、もっと好きになる」と「ボーダー」が11人全員で披露され、この時点では唯一の「2期生曲」であった「かき氷の片想い」16。2期生ゆかりの楽曲が連ねられた最後に披露されたのは、「きっかけ」であった17。1日目は笑顔で1期生のブロックにつないだ堀であったが、同じセットリストで演じられた2日目の最後では、同じように笑顔をたたえたまま、涙があふれた。
「2期生って、それまでは個人で戦ってきた印象があるじゃないですか。未央奈は選抜の中で個人として戦ってきたし、北野や新内が選抜入りした時もそうでした。そういう時って、本当は弱いところを出したいけど出せないんです。だけど、今回の神宮はみんなで戦った。そういう安心感があったんです。だから、みんな泣いてしまったんじゃないかな。こんなに味方がいて、仲間でやれるって、どんなに楽なんだっていうことにみんなが気づいたんだと思います。だって、神宮でのライブは過去に何度も立たせてもらっているから、本来ならそんなに緊張することはないし、急に泣き出すなんてことないはずなんです。各メンバー、違う感情はあっただろうけど、どこかでつながっているな、やっぱり2期生っていいなって改めて思いました」(寺田蘭世)
(『BRODY』2017年10月号 p.68)
続くブロックの冒頭、1期生はひとりずつ名前を呼ばれて歓声とともに登場し、「制服のマネキン」でパフォーマンスをスタート。このとき現役の1期生は23人で、これはグループ全体のちょうど半数であった18。迫力と風格が会場を支配し、「乃木坂46」の雰囲気が神宮を包む。1期生のブロックでは計11曲が繰り出され、当時の1-3期生全員がオリジナルメンバーとなった「設定温度」を経て、ライブはグループ全体によるものに戻っていく。渡辺みり愛がセンターのアンダー曲「君が扇いでくれた」「風船は生きている」を経て終盤へ。4曲連続の「夏曲」で畳みかけ、3rdアルバムのリード曲「スカイダイビング」で恒例の花火が打ち上がり、ライブ本編は終了した19。
特別な演出が多く盛り込まれたこの年の「神宮」は、天候にも恵まれ(両日とも、公演時間中に降雨はなかったはずだ)、独特の印象深さをもって記憶されるものとなった。「ひとつのことをみんなで作り上げた」経験を得た2期生の心にも、多くのものをもたらしたはずである。直後には、このライブと「2期生」という存在について、北野はいくつかの場でいくぶん踏み込んだ発言をしている。
「本当に楽しかったし、本番が終わって思ったのは、リハの間に流してた涙も、本番の前に流してたりとか踊ってるときに流してた涙も、2期生ってこう、不遇だって言われるとか……すごい、多くて。
私も2期生としてそう感じることもあるし、いろんなまわりの人から言われることも多いから感じてたけど、そういうのを、完全に自分が不遇だって受け入れちゃったら私はそれを言い訳にしてしまうので……いままでの実績がちゃんと積み重ねられなかったことが。
だから、こうあんまり考えてなかったんですけど、本番が終わってなんで私泣いたんだろうと思ったときに、その涙がただ悔しいとか、この4年間あんまり光が当たらなかったっていう、辛いとかそういうことじゃなくて、もっとみんなで頑張りたいんだなって。
頑張りたいから泣いてるんだ、って思ったので、逆にスイッチが入りました。」(「撮って出し! 神宮ライブメイキング 2期生編」、北野日奈子)
周りの方に二期生は不遇だねとか悔しくないの?とかそんなことずっと言われてきて
そうやって周りの人に言われたり
思われてるのがコンプレックスで
「あーくるしいなー」って。私は自分に自信がないし
できない自分が嫌になることもあるけど
今までのこの状況が二期生は不遇だからとか
チャンスが少なかったとか
そんなことを言い訳にしたことがないし
そうやって自分たちでも思っていません。二期生はみんなそれぞれ
スタートがちがうから
皆んなの立ち位置もかなり違うと思うし
だけど、それぞれがちゃんと意味のあるポジションにいて、
それを自分たちでわかっていて
だからこそそれぞれが個々に頑張って
今では皆んながみんなそれぞれの分野で
活躍してると思います。そんな二期生のみんなだから
私は自分の力を信じれなくても
悲観的で私なんかって
言い訳ばかりだった4年間でも
今回の期生別ライブということに
不安だらけだったけど
この期生別にやることの意味がちゃんとあって
それがきっとこのタイミングだったから
みんなと頑張れたんだと思います。(北野日奈子公式ブログ 2017年7月9日「秒針」)
少なからず
二期生が募集されると発表されてから
そして二期生ですとお披露目されてから
活動を始めて数ヶ月、数年は
二期生いなくてよかったんじゃないの?
とか
やっぱ一期生だけでよかったよな。
って声はきこえていました。その度、絶対認めてもらうんだって
認めさせてやる!って気持ちでいましたそして4年が経って今回の神宮ライブが終わって聞こえてきた声は
二期生ありがとう。とか
二期生がいてくれたから。とか
二期生最高、大好き。とかマイナスをプラスに
プラス以上にすることは
大変だし傷つくこともあるけど
こんなに素敵なことなんだって思いました!二期生のことがもっともーーーっと
だいすきになりました!(北野日奈子公式ブログ 2017年7月9日「秒針」)
「私たち2期生の本当のスタート」。ライブで堀がそう語ったように、きっと11人ともがそう感じて、新たな日々を歩き出したことだろう。しかし間もなく、北野日奈子がわれわれに見せる景色は変わり始める。彼女が21歳になったこの夏は、胸いっぱいに苦しみを抱いて過ごした時間となった。
あのとき、彼女を支えたもの
この時期のことは別に書こうと思っているので、ここであまり深入りはしないが、18thシングルの選抜発表の様子が発表されたのは、このときの明治神宮野球場公演の翌週、2017年7月9日の「乃木坂工事中」#112においてである。4作ぶりのアンダーのポジションにショックは大きかっただろうが、この時期にはまだ、振る舞いにそこまで違和感はなかったはずだ(北野のポジションの変遷や経緯については、前稿にまとめている)。
私が選抜発表中
どのタイミングで涙を流したのか
おわって見て考えたんですたぶんきっと、
自分が落ちてしまったんだな。って
呼ばれていったメンバーのポジションをみて
それからだったと思います!選抜発表の収録が終わってからも
しばらくずっとずっと泣いてて
マネージャーさんが背中を撫でてくれたの
着替え部屋で未央奈が背中をポンポンとしてくれたの。
その感覚がいつまでも残っています!座っているここの席から立ち上がって
向こうにいきたい、いく気持ちはありました!(北野日奈子公式ブログ 2017年7月27日「今が途切れないように」)
しかし、8月11日の「真夏の全国ツアー2017」地方公演スタート以降、北野の状態が誰の目にも明らかなほど悪くなり始める。号泣といってよい状態での「アンダー」初披露に始まり、ライブやイベントにも出演と休演が相半ばし、笑顔なくうつむいている姿ばかりがみられるようになった。8月の終わりあたりからは稼働している様子がほぼ見られなくなり、九州でのアンダーライブに3公演出演(前半の4公演は休演)、東京ドーム公演に2公演出演したのち、活動を休止する。
なかでも筆者の印象に残っているのは、10月20日のアンダーライブ九州シリーズ千秋楽、メンバーが横一列に少し間を空けて並び、樋口日奈がメッセージを送った本編最後のMCである。ほかの全員が強いまなざしで前を向くなか、いまにも脱力して倒れそうなくらいに苦しげな表情でうつむく北野と、その顔を真横を向いて心配そうに見つめていた寺田蘭世の表情がいまでも忘れられない。ダブルセンターの中元と支えあいつつ、同期やアンダーメンバーに支えられ、どうにかステージに姿を見せることができた。そんな印象さえある期間だった。
数か月間の休業を経て、北野が表舞台に出てきたのは「乃木坂46時間TV(第3弾)」2日目夜(2018年3月24日)のことであった。星野みなみと相楽伊織に呼び込まれ、いくぶん緊張があったか、少しモジモジした様子でちぎり絵コーナーに現れた北野。ひょっとして、もう二度と姿を見られないのかもしれない。そのくらいのことまで思っていたような時期の出来事で、驚きに遅れて喜びがやってきた。身を包んでいた19thシングル期の制服衣装は、グループとしては割と長い期間着用されていた印象があるものの、北野が当時着用していた記憶があるのはほぼこのときくらいだ。グレーの生地にリボンのタイプは星野とお揃いで、どちらかというと年少組のタイプだっただろうか20。その後、北野は生駒本人に乞われる形で2018年4月22日の「生駒里奈卒業コンサート」でライブのステージに復帰するが、この時期に表舞台に復帰することになったのは、相楽の卒業に間に合わせるためであったことが明かされている。
(前略)……そう、その年の『乃木坂46時間TV』で少しだけ復帰できたのは、みなみちゃんと伊織が一緒に出てくれたからです。でも、カメラが目の前にある状況に緊張しました。
——その後、正式に復帰を果たしました。
北野 私が復帰しようと思ったのは、伊織が卒業するタイミングだったからです。隣で支えてくれた伊織の最後を見届けたいと思いました。それが伊織じゃなかったら、復帰の時期は半年くらい遅れたんじゃないかな。ここで奮い立たなかったら、伊織と同じステージを踏めずに終わっちゃいますから。(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)
相楽の最後のステージは、明治神宮野球場・秩父宮ラグビー場で「シンクロニシティ・ライブ」として開催された「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2018年7月6-8日)であった。前年、神宮のステージに立った“11人”で、3年以上の時間を過ごしてきた2期生。それから1年、グループの目まぐるしい変化のなかで、彼女らもまた少しずつ形を変えていくことになる。北野はこのときのライブには全編に参加し、アンダーメンバー側のチームで相楽との最後のステージを全うする。さらに2日目には、21stシングルにアンダーメンバーとして参加することをMCで伝えたが、このときのMCを回す役割を担い、長らく2期生およびアンダーメンバーのまとめ役となってきた伊藤かりんが、2期生として次の卒業メンバーとなる。かりんの最後の参加シングルは、北野が「日常」でアンダーセンターを務めた22ndシングルであった21。
「2期生ライブ」の幻を見て
この、伊藤かりんがグループを離れる前後くらいの時期から、明確に何が契機だったということでもないと思うのだが、「2期生」のくくりがフィーチャーされる機会が改めてみられるようになってきた。『BRODY』2019年6月号では2017年の明治神宮野球場公演を受けて組まれたとき(2017年10月号)以来、二度目の2期生特集が組まれ、前述した「乃木坂工事中」での企画「改めて知って欲しい! 2期生のいいところ」(#211-212、2019年6月2・9日放送)もこの時期のことである。時期としては23rdシングル期であり、選抜メンバー22人は現在に至るまで歴代最多、2期生も歴代最多の5人が選抜入りしていた。あるいは、前年12月に11人の4期生がグループに加入しており、「期別」のくくりがさらに強まっていく傾向にあった時期ともいえるだろうか22。2019年11月26-27日には「3・4期生ライブ」が開催されているが、この2日目にあたる11月27日には音楽特番「ベストアーティスト2019」が放送され、乃木坂46は1・2期生のみの編成で出演し「インフルエンサー」と「Sing Out!」を披露している。2019年10月21日放送開始の「乃木坂どこへ」は、「NOGIBINGO!」シリーズと異なり明確に「4期生の番組」と位置づけられ、その他イベントへの単独出演なども含め、4期生はかなりの期間、独立したチームのように活動を続ける場面も多くなっていく。
北野についていえば、この頃に堀とともに「#乃木坂世界旅 今野さんほっといてよ!」(AbemaTV、ふたりの回の配信は12月14-15日。撮影は11月だったという)の撮影でニューカレドニアに赴き、3日間にわたる旅ロケを行っている。1日目の夜、ホテルのラウンジでのティータイムで2期生の過去と現在、現状と課題を語った場面では、2期生のまとまりに対する思いが強い両名が、「日奈子とか未央奈はあきらめてない」「あきらめちゃだめだよね、私たちは」と言い合った。
北:形に残ることも大切だけど、形に残らず思いだけが募っていくことも2期生には大切だった。そこが強みだし、でも弱みでもあるよね。
堀:なんかでも、悔しいんだよね、最近ずっと。……あ、だめだ、泣いちゃう……。
北:泣きます!
堀:泣かない。人前で泣かない……。(『のぎたび』p.145)
堀:(前略)……本当にこのタイミングでグループを変えていきたいって思うんだよね。2期生が出し切れてない部分が多くて、やっぱりすごいもどかしい。みんないっぱい頑張ってるから。実力もすごいあるし。
北:そのなかでもさ、日奈子とか未央奈はあきらめてないよね。
堀:あきらめちゃだめだよね、私たちは。
北:あきらめてないなって思う。表に見えるところでも裏のとこでもあきらめたことはないなって思うから、ずっと日奈子と未央奈はそうやって思っているからこそ、いられるんだと思う。悔しいよね。気持ちはあるのに、気持ちを置く場所がないのとか。
堀:だから私たちがそういうの、いっぱい口にして、行動にして、浮いてもいいからメンバーのためとか自分のためにできることを残された時間でやらないと。後悔しそうだなって思って。
北:大丈夫。未央奈がそうやって浮いても、日奈子はそっち派だから。
堀:一緒に浮いてくれる?
北:うん、一緒に浮こう。(『のぎたび』p.145)
この年の年末、2019年12月27日に発売された『乃木坂46×週刊プレイボーイ2019』でも、2期生の歩みと現状をドキュメンタリー調にまとめた特集記事が組まれた。副題は「二番目は嵐」で、記事は「嵐のなかを歩き続けてきた彼女たちは、きっと自分たちでとんでもない嵐を起こしてくれることだろう。」(p.62)とまとめられた。また、この記事も含めて、特に前述の『BRODY』以降、2期生については「虹」と形容されるようになっていく23。「色はバラバラで、見えないこともあるけれど、ひとつにまとまっている」というような趣旨である。「三番目の風」と「4番目の光」の時期を経て、2期生の個性がポジティブなニュアンスで言語化され、それがだんだん定着していった。
年が明けた2020年1月下旬には、2期生に関してふたつのニュースがあった。ひとつ目は「『乃木坂46のオールナイトニッポン』presents 乃木坂46 2期生ライブ」の開催。そしてその直後のふたつ目は、佐々木琴子の3月いっぱいでのグループ卒業であった。「乃木坂46のオールナイトニッポン」は、前番組の位置づけである「乃木坂46 新内眞衣のオールナイトニッポン0」時代から、この頃には約4年間にわたって新内眞衣がパーソナリティを務め続けてきており、ラジオがひとつの個性となっていった彼女にとって、ホームグラウンドともいえる番組であった24。2019年12月11日には2期生が揃ってゲスト出演し、9人で放送が行われた回もあり、北野も幾度かゲスト出演している。
新内はどちらかというと、2期生の一体感をことさらに強調するというよりは、年上メンバーとしての落ち着きや、当初アンダーメンバーに2期生としてひとりで合流したという経緯もあり、特に1・2期生についてはあまり区別せずに信頼関係をつくろうとしてきたタイプであるように思う。
「私は1期生のアンダーの中にぽんと放り込まれたから、とにかく距離を詰めるように努力したんです。そうしないと、同じステージに立てませんから。人見知りなのにまんべんなく話しかけるようにして、ご飯に行ける先輩を少しずつ作っていきました。だから、期別という見方はあまりしてこなかったんです。今回の選抜に2期生は何人だというふうには見ないんですよね」(新内眞衣)
(『BRODY』2017年10月号 p.63)
これは、2017年の明治神宮野球場公演のあとの時期に語られた内容である。むろん、その向こうには同期への愛情もあるのだが、その後の時期においても、われわれの目に入る範囲においては、新内の温度感はあまり変わらないままだったように思う。ニューカレドニアでの夜を経て、堀と北野が「2期生を引っ張っていこう」「2期生でライブをする」という方向に気持ちを傾かせていくなか(『乃木坂46×週刊プレイボーイ2019』p.54)25、全員が一度にその気持ちでつながるわけではやはりなかったものの、佐々木琴子の卒業も控えた時期に、新内が長く積み重ねてきた所産である「『乃木坂46のオールナイトニッポン』presents」という形で、「2期生ライブ」が実現する。わかりやすい一枚岩ではなかったからこそ、相応の重みと意義をもったものとして「つかみ取られた」もののように見えた。
このライブに向けた時期には、25thシングル所収の「アナスターシャ」と、ライブで初披露となった「ゆっくりと咲く花」という2期生の新曲2曲が制作される。白石麻衣の卒業シングルであった25thシングルには、1期生が全員福神メンバーとして表題曲に参加し、2期・3期・4期生曲がそれぞれ制作される形で全員が作品に参加し、アンダー曲が史上初めて制作されなかったシングルでもあったという特別な体制がとられており、「期別」の枠組みをさらに強調した試みであったともいえる作品だったが、こうした状況にあって、2期生もこの時期にひとつの大きなメルクマールを迎えるはずだった(しかも、堀が選抜のセンターとして発表された国立代々木競技場第一体育館で)。
しかし周知のように、この頃には新型コロナウイルス感染症が世界的に広がりをみせ始めており、「『乃木坂46のオールナイトニッポン』presents 乃木坂46 2期生ライブ」は中止され、「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」に代替されることとなる。直前といえる時期に、グループ全体としては全200曲を4日間で披露する「最後の全曲披露」(2022年現在)に挑んだ「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2020年2月21-24日)をギリギリのタイミングで完遂したところでもあったが26、それを経て、グループにとって初めてのコロナ禍での中止公演が2期生ライブであったことは、筆者としては「2期生っぽいっちゃぽい」(北野、『B.L.T.』2020年5月号 p.44)とでも言って笑っておかないとやっていられないくらいの出来事であった。
しかも、この「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」には伊藤かりん・相楽伊織も現地に駆けつけていたものの、北野がインフルエンザで欠席するという事態も起こっており、「アナスターシャ」と「ゆっくりと咲く花」をオリジナルメンバー全員でライブで披露する機会は失われてしまうことになった。ただ、この点については残念がる部分はありながら、ライブの中止そのものについては、コロナ禍という社会全体を巻き込むどうしようもない事態であったことや、スケジュール的にかなりタイトでじゅうぶんな準備期間がとれない見込みであったこともあいまってか27、2期生メンバー自身は悔しさをにじませつつ、そこまで悲観的なところがみられなかった(あるいは、見せないようにしてくれたのだろうか)ことが、少しの救いにもなった。
北野「2期生ライブのリハーサルの前日に、中止になった連絡が来たんです。『明日からのリハはないんですか?』と聞いたら、スタッフさんに『ないですね』って言われて」。
新内「うん。だから、ほとんど何もまだ練習できていなかったんです。しかも、いつやる時間があったんだろうってくらい、(開催当日に「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」と題して行った)生配信まですごく忙しかったんです。中止になったことは残念だけど、今思えば、ちゃんと準備できる時間もある中で開催できたほうが良かっただろうし、その機会を残せて良かったのかもしれないなって気がして」。
北野「そうだね。念願だった2期生ライブがかないそうだったのにかなわなかったっていうのが、2期生っぽいっちゃぽいんですよね。そういうところが私たちのコンプレックスでもあるし、強みでもあって。これまでのように、みんなとなら乗り越えられるし、今回のこともまた私たちが強くなっていくためのエピソードであるなら、これはこれで良かったのかなと思っています。もちろん、今回できていれば(卒業を控える佐々木)琴子が一緒にいれたのにとか、残念で悲しいことはあるけど、未来の2期生でまたできる機会がきっとあるだろうから、今は中止になったこともポジティブに考えていますね」。
新内「不思議とまた、できそうな気がするんだよね」。
北野「するよね!」。(『B.L.T.』2020年5月号 p.44)
コロナ禍は長期化し、ライブイベントが世間に戻ってくるまでにはかなりの時間を要した。各種のエンターテインメントが厳しい状況に追い込まれていくなか、無観客配信ライブも試みられるようになっていく情勢であった。乃木坂46としても、2020年6月19-21日に、全メンバーに個別のブースを設けるという厳戒態勢のなかで配信された「乃木坂46時間TV(第4弾)」の最終日においてライブパフォーマンスを配信するなどの機会はあったが28、次のフルサイズのライブの機会は2020年10月28日の「Mai Shiraishi Graduation Concert ~Always beside you~」まで待つことになる。テレビ収録やラジオの放送、楽曲やMVの制作など、多くの活動が様式を変えて再開されていったが、どこか時間が止まっているような、そんな印象のある時期が半年ほど続いた。
ここでようやく、時系列が本稿冒頭の堀未央奈の卒業発表の時期に戻ってくることになる。25歳には辞める、ということが頭にあったという堀にとって、コロナ禍のこの約半年間はどのように作用していたのだろうか。
2期生ライブ、時計の針がめぐる
2021年1月21日、26thシングル「僕は僕を好きになる」の発売直前というタイミングで開催が告知された「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」は、2月22日に「前夜祭」、2月23日に全メンバーでの公演を行ったうえで、各期別のコンサートを計4公演、すべて無観客・配信ライブで行う、というものであった29。公式サイトでの開催告知では、新型コロナウイルス感染拡大の状況を考慮して「無観客・配信・5日間」で準備してきたが、緊急事態宣言の発出を受け、メンバーやスタッフの安全を考慮して分散開催とする、と説明された。社会情勢や開催告知が遅かったことを考えれば無観客・配信形式での開催はおおかたわかっていたものの、当初より5日間の予定だったという点には少々の驚きがあった30。このような経緯を経て、無観客・配信形式ではあったが、「幻」ではない2期生ライブは、堀にとっての最後のライブとして、8周年の「2期生の日」である2021年3月28日に開催されることとなった31。
「幻の2期生ライブから1年、今日やっと私たちの願いが叶います。」OVERTUREのあと、北野のその言葉でライブが始まった。それに続いて新内が堀の卒業に触れ、その堀が残るメンバーが立つメインステージに向けて花道を歩く。7年前ひとりで歩いた道の先に、今日は7人の仲間が待っていた。かけ声なしで円陣をして、1曲目は「アナスターシャ」。このときメンバーが着用していた衣装は、堀のアイデアをもとに制作されたものであると説明された。ブルー系の色を基調に、銀の飾りをちりばめたデザイン。丈感や形はメンバー個々人にあわせて考えられたものだったのだという。続けて、2期生曲「ライブ神」、オリジナルメンバー5人中4人が2期生の「Am I loving?」、2期生が最初にパフォーマンスした楽曲である「走れ!Bicycle」を続けて披露。MCの冒頭では「乃木坂46・2期生です!」と挨拶し、ハッピーバースデーの歌で2期生の“誕生日”を祝った。
それに続いたのは、期別ライブやアンダーライブなど、人数を絞ったライブでの定番といっていい「全員センター」のブロック。8人がグループのモットーである「努力」「感謝」「笑顔」に分かれてセンターでパフォーマンスしたのに加えて、選曲の背景や思いの丈をそれぞれスピーチした。
「幻の2期生ライブ」のときのものも含めて、「全員センター」での選曲を以下にまとめる。「約1年ぶり・2回目」の選曲に際して、コンセプトを変えたメンバーもいれば、重ねて選曲したメンバーもいた。
2期生ライブ(2021/3/28) | 「幻の2期生ライブ」 (2020/3/7) |
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披露楽曲 | (語りのBGM) | |||
「努力」 |
北野日奈子 | 日常 | アンダー | (トキトキメキメキ) |
山崎怜奈 | 君の名は希望 | (間奏) | ③行くあてのない僕たち | |
「感謝」 | 渡辺みり愛 | ゴルゴンゾーラ | Sing Out! | ④Sing Out! |
伊藤純奈 | サヨナラの意味 | やさしさとは | ②サヨナラの意味 | |
鈴木絢音 | ここじゃないどこか | 環状六号線 | ⑦新しい世界 | |
「笑顔」 | 新内眞衣 | 太陽ノック | (前奏) | ①ガールズルール |
寺田蘭世 | ボーダー | 命は美しい | ⑥気づいたら片想い | |
堀未央奈 | 別れ際、もっと好きになる | (なし) | ⑧ハルジオンが咲く頃 | |
(佐々木琴子) | – | ⑤低体温のキス | ||
※メンバーの順は上から「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」での披露順。「幻の2期生ライブ」の丸囲み数字は当日の披露順。「幻の2期生ライブ」欠席の北野の選曲「トキトキメキメキ」は、『EX大衆』2020年9月号 p.13で本人が言及。 |
選曲についてははもちろんだが、スピーチの内容も含めて、そこには8人それぞれの個性が反映されていたように思う。冒頭の北野と最後の堀は、ポジションに起因する苦しみと、それを支えてくれた「2期生」という存在を強調した。寺田蘭世と渡辺みり愛はユニットの楽曲を得られたときの喜びを語り、新内眞衣はメンバーとしてグループに溶け込んでいくまで、山崎怜奈は個性を手に入れていくまでの過程をそれぞれ語った。伊藤純奈と鈴木絢音は先輩に対するリスペクトを強調し、スピーチ中のBGMまで含めて、「憧れの先輩」への敬愛の情を表現した。
また、北野のスピーチについてもう少し触れると、この頃にはすでにグループからの卒業を決意していたという本シリーズの前提に立つとすれば、このときは北野がその感情を表現した最初の機会だったかもしれない。いまになって改めて振り返ると、そのようにも思えてくる。
「不安でいっぱいになって、どうしようもなくなってしまうときもあるけど、いつかは自分の背中を自分で押せる、強い人になりたいです。
いつもの日常じゃなく、新しい世界を見に行きたい。そう思うようになりました。
勇気を出して、私は途中下車をして、変わらなくてはならないと思います。そこにはきっと、自分が信じている世界があるから。
私は、前だけを向いていきます。」(2021年3月28日「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」北野日奈子「日常」披露前スピーチ)
「1人1曲」の披露が終わると、それに続いたのは、あの「嫉妬の権利」であった。堀のスピーチがその前に挟まれる。突然センターに選ばれ、あとは落ちていくだけの日々が続いた自分。そんな挫折感のあった頃にアンダーメンバーとなり、「別れ際、もっと好きになる」の時期には「2期生全員で上がりたい」という思いでパフォーマンスをしていた。その先にあったのが、「2期生全員アンダー」の13thシングルだった——。
涙がこらえきれなくなり、言葉に詰まる堀の右腕に、隣のポジションに立つ北野がそっと手を置く。「励ましてくれて、支えてくれて。強くて優しい、自慢の仲間です」。涙をこぼしながら同期への信頼と愛情を口にする堀。「私たちはどこにいたって強くなれる、強くありたい。そう思っています」。そして「嫉妬の権利」のイントロがかかり、ステージが赤い照明で染まった。それに続けて披露されたのは、13thシングルの表題曲「今、話したい誰かがいる」。前作の12thシングルで2期生として唯一選抜入りしており、自分はこのシングルで「2期生の選抜の連続を絶ってしまった」32と表現する新内が、堀とともにダブルセンターのポジションに立った。
MCを挟んで、ライブは本編終盤に差しかかっていく。サンクエトワールの「君に贈る花がない」、2期生加入の時期の、1期生によるカップリング曲「世界で一番 孤独なLover」。2期生曲の「かき氷の片想い」と「スカウトマン」。堀の選抜復帰シングルの表題曲で、「幻の2期生ライブ」で堀が選曲した作品でもある「ハルジオンが咲く頃」。深川麻衣からバトンを受け取る「後輩の象徴」であった堀が卒業するに至るまでの、5年という時間が思われた。そして「きっかけ」。「私たち2期生の本当のスタート」として歌った曲が、「幻の2期生ライブ」に続いてここでも歌唱される。「生きるとは選択肢/たった一つを/選ぶこと」。歌があり、ダンスがあり、ビジュアルがあり、キャラクターがあり。すべてを引っくるめたものがアイドルだけど、その先にはひとりひとりの「生き様」が垣間見える。「きっかけ」はそこに気持ちを乗せて歌う、誰の「生き様」にも不思議なほどに重なって聴こえる曲だが、この日には特に、どこまでも自分の意志を貫いて“乃木坂46”を生き抜いてきた、堀未央奈のことを歌っているように思えた。
最後にまた短いMCを挟む。堀から再び、同期に「自慢の仲間」「出会えてよかった」とメッセージが送られた。本編最後の21曲目は「ゆっくりと咲く花」。最後の「2期生曲」であり、この時点では未音源化の状態であったため、このとき初めて聴いたファンもある程度いたかもしれない33。フル尺での披露、「風にも吹かれたし 雨にも打たれた/日陰にだって いつしか花は咲くんだ」とは2番の歌詞。「大きな花びらが開くその日まで/ずっと見守りながら 待っててくれた人よ ありがとう」。「芽が出た」場所を「日陰」と言い切るその歌詞も、涙を浮かべた彼女たちが歌うと、メロディラインのもつ色以上に優しく温かく聴こえた。
アンコールはVTRで始まった。何度となく見る機会のあった、7thシングル選抜発表の「乃木坂って、どこ?」の収録風景が流される。センターからのスタートを「望んだことではなかった」と言い切り、「アイドルの堀未央奈は好きか」という問いには、「アイドルを頑張れた自分が好き」と切り返した。どこまでも自分を貫き続けた堀に、最後の質問。「乃木坂46のことは好きですか」「好きです」。
ドレス姿の堀からの長いスピーチ。あまり話してこなかったという、加入前のことや家族のことが語られ、母や姉に感謝が伝えられる。1期生、3・4期生にメッセージが送られ、最後に2期生へ。
「そして2期生のみんな。2期生はそれぞれいろんな思いとか経験をして、それぞれがきっと思うこともたくさんあって。
でも、私も本当はみんなといろんなことを経験したかったし、いろんな景色も見たかったな、って正直思います。
でも、こうやって今日ライブできたこともそうだし、2期生のみんなって、本当に自分のことよりも、人がくじけていたら、すぐに手を差し伸べられる、強くて優しい人たちの集まりだなって思っていて。
きっと、最初に私がセンターになった時も、いろんなことを思っただろうし、たくさん気を使ったり、支えてくれたり、自分の思いを押し殺して、こんな私のために、たくさん手を差し伸べてくれました。」(2021年3月28日「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」堀未央奈アンコールスピーチ)
そして堀はソロ曲「冷たい水の中」を声を詰まらせながら歌唱し、ラスサビでは他の2期生メンバーもステージへ。最後の「バレッタ」を経て、全員でのMCへ。ひとりひとりから堀にメッセージが送られる。未来に向けての前向きな言葉とともに、北野は「あまり一緒に活動はみんなではできなかったけど」、鈴木は「私に実力がなかったから辛いときに一緒にいてあげられなくて」と、後悔が語られる場面もあった。本編のMCでは山崎も、「(みんなで一緒に仕事をしたい、という)願いを叶えてあげられなくて後ろめたかった」と語ってもいた。それでも堀は、「いっぱい支えられた」「これからも親友でいてほしい」と応える。個性豊かでわかりやすくまとまることはなく、「2期生」という枠組みへの思いにも、時期によっては濃淡があったように思う彼女たち。それでも、8年が経過して8人が残っているのは、「未央奈の言葉とか行動がつなぎ止めていてくれた」と北野が言う。2期生で最後にライブができたことも、「やりたいと言い続けてくれた未央奈の言霊」。徹頭徹尾、堀未央奈は「2期生の真ん中」であった。
加えて、2期生メンバーからの依頼により寄せられたという堀の母親からの手紙が、鈴木によって代読される。生い立ちと上京、アイドル生活の裏にあった、ボロボロになるほどの苦しみ。母親の目線から見届けてきた堀の姿が語られ、しかし彼女はそれでも「弱音を吐かなかった」という。「そこまでしてでも頑張り続けようと踏ん張れたのは、乃木坂46が未央奈にとってかけがえのない夢の場所だったからかな」。2期生ひとりひとりにニックネームで呼びかけて感謝を伝える部分もあり、2期生総体としての距離感の親密さがうかがえた。
アンコールの最後は、この日2回目の「アナスターシャ」。曲中で1・3・4期のメンバーもステージに登場した。賀喜遥香は選抜に抜擢されて先輩のなかに飛び込んでいく形となったときに隣のポジションで支えられたといい、梅澤美波は4年半の間に弱さを見たことがなかったと語った。秋元真夏は、堀は1期生でやってきた乃木坂46にいろんな色をつけ、幅を広げてくれた存在だと称し、誰よりも応援しています、と伝えた。2期生という位置のメンバーが果たしてきた役割と、その真ん中にいた堀の存在感が改めて思われた。
改めて2期生が集まり、堀がライブをまとめる。「乃木坂46というグループに入ってよかった」というシンプルなメッセージ。「乃木坂46は、とってもとっても素敵な、最強グループ」。そういって、ファンへグループへの応援を改めて呼びかけた彼女の凛としたたたずまいには、それを確実に形づくってきた自身と2期生が歩んできた道のりへの愛着がにじんでいた。
その後、この頃の配信ライブでは定番であったアフター配信が2期生メンバーによって行われ、ジェスチャーゲームが行われたのち、最後に「せっかちなかたつむり」と「サイコキネシスの可能性」が披露される。「せっかちなかたつむり」は堀がこれまでに披露したことがなかった曲であると説明され、「サイコキネシスの可能性」の間奏では、「乃木坂工事中」でもとりあげられた、堀の即興ダンスに全員が続くシーンもあった。これが堀が乃木坂46のメンバーとして披露した最後の曲であったことにもなり、どこかコミカルに終わっていく感じも、どことなく堀未央奈らしかった。そんな気がした。
相次ぐ卒業と「ゆっくりと“咲いた”花」
堀の卒業と2期生ライブの記憶がまだ新鮮で、2021年5月9日の3期生ライブをもって、ようやく「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」が完遂されたばかりのタイミングであった5月16日に、伊藤純奈と渡辺みり愛がグループからの卒業を発表した。ふたりの最後のライブは5月26日の「アンダーライブ2021」(無観客・配信形式)となった。2期生ライブの実現までは、あるいは堀の卒業を見送るまでは、卒業はしない。なんとなく、そんな思いがあったのかなと、ファンとしては勘ぐってしまうような流れでもあった。
7月からは2年ぶりのツアーとなった「真夏の全国ツアー2021」が始まった。7月12日の東京都を皮切りに、4回目の新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発出されていた時期でもあり、「5000人または収容定員の50%のいずれか大きい方」という人数制限が課せられたもとではあったが、これ以降グループとしては有観客公演を復活させていくことになる34。ツアーファイナルは9月8-9日の、4年ぶりの東京ドーム公演に設定された。
このときの緊急事態宣言は8月20日までとされており、これ以降の時期は観客数制限の大幅な緩和が見込まれているという報道もあった。しかし感染者数の推移は厳しい状況が続き、緊急事態宣言も9月12日まで、のちに9月30日まで延長されることになる。こうした状況を受けて、8月20日には東京ドーム公演の開催延期がアナウンスされた。東京ドーム公演は7月22日に卒業を発表した高山一実の最後の公演(この日が最終活動日)ともなるという形がとられていたが、高山の卒業も含めて延期になっている。
一方で、8月15日の「乃木坂工事中」#322では28thシングルの選抜メンバーが発表され、次のシングルへの動きも始まっていた。そのような矢先、9月17日に公式YouTubeチャンネルで公開された28thシングルの特典映像「Documentary of Ranze Terada」の予告編において、寺田蘭世がグループからの卒業を発表する35。寺田の活動は28thシングル限りとされたが、最後のライブは「マシンガンレイン」でアンダーセンターを務める10月26-28日の「28thSG アンダーライブ」とされ、11月20-21日の東京ドーム公演には参加しないという形がとられた。28thシングルで選抜入りしていた北野はこの期間の活動をともにすることはできない形となったが、アンダーライブに祝花を出すという、ファンの目にも見える独特の形で同期の寺田の門出を祝った。
2期生が4人となって臨まれた東京ドーム公演、「真夏の全国ツアー2021 FINAL!」。セットリストは、ファンからのアンケート結果をもとに編成された地方公演のものをベースとしつつも、アンケートであがった楽曲を網羅的に扱う形はとらずハイライト的にとどめ、4年ぶりの東京ドーム公演であることもふまえて代表曲や期別曲などのパートを挿入するような形がとられた。1日目のアンコールでは生田絵梨花の“卒業センター”曲である「最後のTight Hug」の披露があり、「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」を5月14-15日に日産スタジアムで開催することが発表されており、2日目のアンコールは高山一実の卒業セレモニーのような形がとられている36。
アンケート結果とは別に演じられた楽曲としては、地方公演ではアンコールでの扱いであった「Route 246」や「僕は僕を好きになる」37、グループの代表曲といえる「シンクロニシティ」や「インフルエンサー」などがあった。全メンバーによるソロ歌唱をつないでいく形で披露され、その後多くの機会で語られることになる名シーンを演出した「きっかけ」もここに含まれる38。2期生曲に関しても、「アナスターシャ」がカップリング曲の6位にランクインして地方公演では全公演で演じられ、東京ドームでも2日目で演じられたが、1日目に演じられたのは「ゆっくりと咲く花」で、そこには少々の驚きがあった。
「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」での初披露から1年と数か月。ライブでの披露は4回目、有観客での披露はこのときが初めてであった。あのとき在籍していた9人の2期生は、あっという間にもう半分以下になってしまっていた。北野日奈子、新内眞衣、鈴木絢音、山崎怜奈。4人が別々の場所に登場して歌唱が始まる。「私は何のためにここにいるのだろう 教えて」。サビまでを歌い上げて、間奏。センターステージに、4人がそれぞれの花道を歩いて集まってくる。笑顔を見せて歌っていたはずなのに、2本の指を差し出して、いくぶん物足りなくも感じる星形をつくったら、4人揃って涙があふれた。オリジナルメンバー全員での披露は一度もなく、有観客の会場での披露までにも長い時間がかかった。このときの東京ドームでさえ、延期を経なければもうひとり、寺田蘭世がいたはずだった。「何にもなかった野原に私たちの花」。「ゆっくりと咲く花」というタイトルが改めて重く感じられもしたが、そうした余白の部分も含めて、それは14人で始まった2期生が、オーディションの時期から9年近くの時間を重ねて、東京ドームの真ん中で咲かせた大輪の花であった。
「光陰矢のごとし」
この東京ドーム公演の直前にあたる11月17日には、新内眞衣が「乃木坂46のオールナイトニッポン」内でグループからの卒業を発表してもいた。グループとしては寺田蘭世が卒業を控えた状態で、1st写真集のプロモーションなどを行っていた頃で、かつ10月25日には生田絵梨花が年内でのグループ卒業を発表しており、新内の卒業発表直後の12月3日には星野みなみも卒業を発表するなど、ファンとしてもなかなかに気持ちが追いつかないような時期であった(高山一実の卒業もずれ込み、東京ドーム公演2日目の11月21日をもって卒業という形となったというのも前述の通り)。新内は、11月3日の「乃木坂46のオールナイトニッポン」では自らの卒業をまだ明かさないままでゲストに生田を迎え、ベストアルバム「Time flies」のリード曲「最後のTight Hug」の初オンエアを行うなど、難しいハンドリングのもとで卒業に向かっていったという印象がある。
北野と新内は、お披露目日が同じ(2013年5月4日の「16人のプリンシパル deux」、新内が昼公演で北野が夜公演)、正規メンバー昇格のタイミングが同じ8thシングル期、など、ターニングポイントを幾度もともにしてきたことから、お互いを「運命共同体」と呼ぶ関係であった。
——お互いに「運命共同体」と呼び合ってる2人ですが、改めてその由来を教えてください。
新内 2期生としてのお披露目が同日だったんです。『プリンシパル』の昼公演と夜公演で。牛久でのライブ(2013年10月20日)に出させてもらった時も2期生はこの2人で。
北野 2013年のクリスマスライブで選抜メンバーが乗ってるソリを引いた研究生もこの2人だった(笑)。
新内 昇格したタイミングも同じ。
北野 乃木坂46に入ってからの境遇が一緒だったんです。(『月刊エンタメ』2017年2月号 p.12)
この頃、グループとしては「Time flies」の発売に向かっていく時期であった。10月10日の「乃木坂配信中」での生配信39で発売が告知された同作は、「10周年記念ベストアルバム」と位置づけられ、大々的なプロモーションが行われていくことになる。グループの歴史をたどる作品として、プロモーションは1-4期生が揃って出ていく場面が多くなった。堀がすでに卒業しており、新内も卒業するので……という言い方はよくないが、1期生としてキャプテンの秋元真夏、2期生では北野、これに加えて後輩メンバー、という形での稼働が主なパターンで、ファンとしては楽しい時期であった40。
「Time flies」の発売を控えた12月12日、北野の2nd写真集の発売がアナウンスされる。この2021年にには、松村沙友理・渡辺みり愛・寺田蘭世と、グループ卒業の区切りでメンバーのソロ写真集が発売されることが続いており、同様の流れで新内眞衣も年明けに2nd写真集の発売を控えていたため、「フラグ」のようにとらえられる向きもあっただろうか。ただ、前述のように、この時期の北野は「2期生代表」として活動する場面が特に多かったため、その立場からグループをもうしばらく支えていくのかな、という観測もあり、筆者はどちらかというとそちらの立場だったように思う41。
この一年、時間というものについてよく考えるようになりました。どんなに願っても過ぎて行く時間、みんな同じでそれぞれに限られた時間があるなか、私に愛を向けてくれたり思ってくれたり、私がいないところでもきっと心や頭に私の存在を置いておいてくれたと思います。
(北野日奈子公式ブログ 2022年1月31日「希望の方角」)
駆け抜ける日々、同期との記憶
北野の卒業発表は2022年1月31日。直前の1月29日には2nd写真集のタイトルが『希望の方角』となることが解禁され(発売は2月8日であったため、かなりギリギリのアナウンスだった)、当日・1月31日には29thシングルの発売が発表されていたというタイミングでもあった。
卒業コンサートの開催告知はまだで、開催されるかどうかも明言されていなかったが(2月28日に告知)、結果として卒業コンサートは「29thSGアンダーライブ」と日程を合わせて同会場で行われ、出演メンバーは北野および29thシングルアンダーメンバー、という形がとられたので42、当該シングルで選抜メンバーとなった鈴木絢音は卒業コンサートに出演しないことになった43。しかし、この時期には、ふたりで裏表紙を飾った『BOMB!』2022年1月号、北野が表紙を飾った『BUBKA』2022年3月号44など、「すずきたの」での稼働が散見される状況でもあった。4期生による番組「乃木坂スター誕生!2」では、2022年2月7日放送の#16にゲストの先輩メンバーとしてふたりで出演し、GReeeeNの「キセキ」を歌唱。卒業発表についてぺこぱ・松陰寺太勇に水を向けられた北野は、「私たち2期生で、あまり上手に歩いてこられなかったので……同期どうし全員が。そういう、同期で乗りこえてきたいろんなことを、ふたりでかみしめながら。」と語った上で歌唱に臨む。鈴木と目を合わせて歌い、抱き合って終えた姿は、「2期生好き」を一貫して公言してきた林瑠奈の号泣を誘った。
北野 絢音ちゃんといると、ついつい親目線になっちゃう(笑)。「絢音ちゃんが泣いてたよ」とか聞くと、「絢音ちゃん、どしたの?」って走って行っちゃうから。そういう関係になれたことが嬉しいな。でも、「昔から友達だったんじゃない?」って、最近よく思うの。体内時計も一緒だし、興味があることも一緒だし。
鈴木 たどり着いた先が一緒だったね。
北野 そう! めっちゃ思う。人生観も一緒だし。これだけ長く一緒にいたからこそ、絢音ちゃんとこうやって分かり合えたんだと思う。
(中略)
北野 9年間一緒にいて、道の先にいたのが絢音ちゃんだったっていう気がする。ソウルメイトを見つけました。(『BUBKA』2022年3月号 p.22)
2月10日には「新内眞衣卒業セレモニー」が開催された。前夜まで「乃木坂46のオールナイトニッポン」に出演していた新内らしく、ラジオばりのトークやコーナーを織り交ぜた構成であった。3期生とは「トキトキメキメキ」45、4期生とは「Out of the blue」を披露するなど、「アイドルをやり尽くす」かのように挑んだようなパフォーマンスもありつつ、新内にとっての初参加曲「生まれたままで」、オリジナルメンバーではないが好きで披露したかったという「日常」46、初選抜曲「太陽ノック」など、少ない曲数ではあったが思い入れの表現された選曲が続いた。「ハルジオンが咲く頃」では、“グループ最年長”のバトンを受けついだ深川麻衣との紐帯を表現するなど、新内のグループ内での独自のポジションが表れる場面もあった。アンコールではソロ曲「あなたからの卒業」が披露され、「サヨナラの意味」ではセンターに立った。最後の1曲は「ゆっくりと咲く花」。歌詞の意味を感じながら聞いてほしい、と新内によって語られ、イントロが始まった。歌唱は2期生のみでなく、全員。後輩や先輩がかわるがわる新内を囲み、最後は3人の同期が寄り添う。ステージの真ん中でゆっくりと咲いた花に、いくぶんかの涙の露が降りていた。
——新内さんは2期生のことをあまり語らない人ですよね。それについてはどう思っていますか?
堀 2期生のことって、私みたいに言いやすい人と、言いにくい人がいると思うんです。私と日奈子が「2期生として頑張るぞ!」と言うようになったのって10代だからなんです。その頃、まいちゅんはもう20歳を過ぎていたから、そんな私たちを見守ってくれるスタンスでした。そばにいる私としては、まいちゅんの2期生への愛を感じているし、まいちゅんなりの愛情表現がありますから。もしまいちゅんのことを誤解している人がいたら、「言わないのにはちゃんと理由があるんだよ」って言いたいです。(『BUBKA』2021年4月号 p.17) 47
北野がグループに残して卒業することになった同期のもうひとりである山崎怜奈は、北野の卒業コンサートに唯一出演した同期メンバーともなった。グループにとっても意味のあるセットリストにしたい、という北野の思いのもと、サンクエトワールの楽曲が2曲ともセットリストに加えられたり48、堀のイメージが強烈な「バレッタ」をあえて北野がセンターで演じたりする一方、2期生曲の多くは会場前やライブの〆でのBGMにとどめられるなど、セットリストに加えられない形がとられた。そのなかで、唯一ライブのなかで演じられた2期生曲が「ゆっくりと咲く花」であった。曲の終盤は出演メンバー全員によって歌唱されたが、冒頭からしばらくは北野と山崎のふたりで歌唱する形がとられ、急激に人数が減っていった2期生のありさまが改めて思われた。この曲の後にはふたりによる長めのMCパートも設けられ、いくぶんゆっくりと卒業について語られ、思い出が振り返られる場になった。
——思い残すことはないですか?
北野 みんなと離れるのが寂しいってこと以外は思い残すことがもう本当に何もないくらい晴れやかな気持ちです。そう思えるのも2期生ライブができたことが大きくて、2期生みんなが主役になれる舞台に立てるなんて思っていなかったし、みんなが主人公の姿を見られて大満足です。
——お二人は寂しくないですか?
鈴木 大丈夫です。だって、これからも友達だもんね。
北野 どうせ会うしね(笑)。
山崎 2期生はみんなそうだけど、逞しく生きてるところを見てきたから、もう十分頑張ったよって私は思ってる。ファンの人もわかってくれてると思うよ。(『an・an』2022年2月23日号 p.16)
最後に、最後まで
北野は、2期生としてグループに最後まで残るのは自分だ、と思っていたという(北野がそう言っていたから、というわけではなく、筆者もなんとなくそう思っていた。そうあってほしい、と願っていたのかもしれない)49。
——8月いっぱいで伊藤純奈さんと渡辺みり愛さんが卒業しました。
北野 同期が同じタイミングで辞めるのは心強いだろうなと思った記憶はあります。「寂しいね」と言い合う感じはなくて、楽しく送ってあげた感じでした。
——なるほど。12月に寺田蘭世さんの卒業もありましたね。
北野 私と蘭世は「私たちが2期生では最後まで残るだろうね」とよく話していたんです。だから、蘭世の卒業を知った時は「えー、辞めちゃうの!?」って反応しちゃいました。蘭世は意見がハッキリしているから、ぶつかることもあったけど、戦友が一人いなくなったという感覚でした。(『BUBKA』2022年3月号 p.19)
——乃木坂46の卒業はいつから考えていたんですか?
北野 以前は、2期生で最後まで残るのは私なんだろうなって考えていたんです。私は休業していた時期に、同期のみんなに支えられて、すごくお世話になったので、みんなの最後を見届けてから卒業しようと思っていました。なので、卒業を考え始めたのはちょうど1年前くらいかな。
現時点でひとつ言えるのは、卒業するタイミングはちょうど良かったと思っているということです。2期生が次々に卒業していって、私が卒業すると(鈴木)絢音とザキ(山崎怜奈)だけになってしまうけど、(2020年の)3月(原文ママ)50に念願だった2期生ライブができたのは大きかったです。本当に夢のような一日でした。あのライブは打ち上げ花火みたいなもので、バーンって大きく打ち上がって、みんながあちこちに旅立っていった。そんな感覚が他の同期にもあると思います。自分たちが主人公になってライブができるって、アイドルとして最高の経験ですから。みんな悔いなく卒業できたんじゃないかな。(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)
卒業に対して、ファンの立場からは寂しい思いがもちろん強かったが、「使命感に駆られてグループに残る」ような形にならなかったのは、良かったな、と感じている。北野の「卒業するタイミングはちょうどよかった」というのは、いまにして思えば、まさにそうだったな、と思う。山崎怜奈がいくぶんきっぱりとした感じで卒業していき51、残る2期生は鈴木絢音ひとり。「真夏の全国ツアー2022」の時期は、残り4人になった1期生とまとまって動く様子が頼もしくもあり、微笑ましくもあった。2期生(あるいは、1期生も)が誰もいなくなったとき、グループはどのように見えるのだろうか。そんなことをついつい考えてしまうが、結局はそのときがくるまでは何もわからない、詮ない問いだろう。
二期生として加入して、立ち向かってきた運命の数々は決して良いことばかりではありませんでした。
信じてきた未来と、不遇だと言われる現実。
二期生は強いんですよ。「私達不遇だなんて言われてるんだって~へへへ。」って肩を寄せ合い気持ちを強くみんなで乃木坂46になるために頑張ってきました!それぞれのタイミングで最後を迎え、その全てが、みんなそれぞれが、とても素敵で儚くてこれが私の同期で乃木坂46二期生なんだと全世界に自慢したい大好きなみんなでした。♡
言葉にできない思いをそれぞれ抱き、ぶつかってしまったそんな日の夜はみんなで笑い合っている楽しい夢を見ていました!
上手くいかない日も、挫けてしまいそうな時も
みんなが一生懸命に走り続ける姿を見て
勇気をもらって坂道を登り続けられたよ。!
ありがとうございました。これからもよろしくね
絢音ちゃんとザキ、残していくこと心配してないよ!2人共それぞれ、らしくね!最後の時は駆けつけるからね!
みんなで叶えたたくさんの夢も全部忘れないよ!(北野日奈子公式ブログ 2022年4月30日「乃木坂46」)
2期生は、活動してきた期間すべてにおいて、「最も少数派の期」であった52。数が少ないのに、なかなかわかりやすくまとまらない。それは機会に恵まれなかったこともあるかもしれないが、しかし最初にくるのは、彼女らの虹色のパーソナリティであろう。いろいろな進路をとってそれぞれの人生を歩んでいる彼女らの現在を見ていると、なおのことそう思う。
「もう卒業しちゃったコがいるから無理なんですけど、2期生って永遠に完成しないパズルみたいなものなんです。パズルってひとつひとつのピースは形が違うじゃないですか。それが、なんかパズルみたいですよね。でも、完成しなくてもいいと思うんですよ」(北野日奈子)
(『BRODY』2017年10月号 p.66)
完成しないし、完成しなくてもいい。それって人生だな、などと言い出すと途端に安くなるが、でも、わかりやすく割り切れることなど、この世には存在しない。だからこその美しさがある、ということを、彼女らの歴史が教えてくれた。
8年前 14人で始まった私たち
変わっていく世界の中で
決して変わらないもの
それは…
私たちは「乃木坂46の2期生だ」ということ
今日までも、そして、これからもずっと…(「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」[2021年3月28日] 本編最終ブロック前のVTRテロップ)
そしてこれからも、“14人”は、「乃木坂46の2期生」を歩み続ける。それはきっとずっと、変わらないのだろう。
またしても予想外に長くなってしまったし、時間もかかりすぎてしまった。どこに読者がいるのかもわからないような状況だが、筆者がファンとして重ねてきた時間を区切るために、次稿以降もどうにか書き続けていこうと思う。どれだけ時間がかかったとしても(必要以上に時間をかけたくはないが)。
シリーズ全体の構成も、どうするか少し迷っている部分はあるが、今回は「同期」について書いたので、次回は「先輩」と「後輩」を切り口にしたものになる予定である。「先輩」と「後輩」を同時にもった最初の立場である2期生の北野は、選抜/アンダーを幾度も行き来したという立場もあいまって、グループのなかで独特の立ち回りをしていたようにも見える。特に近しい関係にあったメンバーとの関係もいくぶん掘り下げながら、そうした部分を振り返っていけたらと思う(中元日芽香については、これとは別に機会を設ける予定である)。
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- 「坂道合同新規メンバー募集オーディション」で当時の欅坂46、けやき坂46とともに募集された4期生は、2018年8月19日の最終審査を経て合格者が決まり、SHOWROOM審査の流れをくんだ「お礼配信」を行った合格者もいたが、その後にレッスンとセレクションの時期があり、実際に配属グループが公表されたのは2018年11月(先に加入した11人)のことであった。配属に至らなかったメンバーは「坂道研修生」としての活動を経て、2020年2月に5人が配属されている(いわゆる「新4期生」)。2021年夏のオーディションを経てグループに加入した5期生については、9月の最終審査に合格したメンバーをしばらくの間公表せずに「研修」の期間を挟み、2022年2月以降にひとりずつ公開していく形がとられた。これらの例については2期生メンバーの公表とある程度近い印象になるが、3期生(2016年9月)と比較的近い時期にお披露目された欅坂46・1期生(2015年8月)、けやき坂46・1期生(2016年5月)、けやき坂46・2期生(2017年8月)がいずれもほぼ同形式の合格即お披露目であったこともあり、特にこの時期までは乃木坂46・2期生のお披露目がいくぶん特殊に映っていただろうか(この次にあたるのが「坂道合同新規メンバー募集オーディション」で、欅坂46・2期生、けやき坂46・3期生も乃木坂46・4期生とほぼ近い形で加入・公表が行われている)。
- 「走れ!Bicycle」を披露。なお、6thシングルの全国握手会は千葉会場のほか、2013年7月7日に愛知・ポートメッセなごや、7月21日に京都パルスプラザでも行われているが、2期生がパフォーマンスしたのは千葉会場のみ。
- 「研究生」としての扱いは、表題曲にもアンダー曲にも参加していない、ブログが合同のリレーブログ形式である、といった点に特徴があり、これらの点に関しては加入当初の「3期生」「4期生(「新4期生」)」「5期生」にも重なる。加えて、「表題曲選抜の対象となるが、選抜メンバーから漏れてもアンダーメンバーの扱いにならない」という点も重なるが、「研究生」については選抜入り=正規メンバー昇格=研究生ではなくなる、という構造があり、この点は異なる。加えて「研究生」に対して楽曲があてがわれることはなく(「ボーダー」は「研究生による楽曲」として「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」内で制作が告知されたものの、その日のうちに「研究生」は全員正規メンバーに昇格した)、研究生制度のあった時期には「2期生曲」は制作されなかったので、期別の楽曲が積極的に制作されてきた3期生加入以降と異なり、「研究生」はオリジナルメンバーとしての楽曲参加がない(アンダー曲も含め、参加する場合は正規メンバー昇格となる)という形となり、この点が「研究生」の立場を厳しいものとしてかなり印象づける(一方でアンダーライブには2014年6月の、いわゆる「1stシーズン」以降には参加しており、この点も「3期生」以降と異なる取り扱いである)。この時期には2期生全員がひとくくりにされることはほぼなく、むしろ「研究生」がひとくくりで稼働する(SHOWROOM「乃木けん♡」など)場合や、「2期生」と称して「研究生」が稼働する(「乃木坂って、ここ!」など)といったケースが散見された(おおまかにいうと、正規メンバー昇格組、特に堀は「2期生稼働」を経験していない、という形だろうか)。3期生以降はこうした扱いがかなり整理された印象であり(新メンバーを別働隊として露出させられる程度にグループが大きくなったということもあろう)、この時期限定の存在であった「研究生」はマイナスイメージのあるレッテルとして取り扱われる向きが近年においてむしろ強まっている印象すらある(いわゆる「新4期生」が経験した「坂道研修生」や、5期生の最終オーディションから公式な合格発表の間の取り扱いである「研修生」[オーディションのスケジュールに関する広報において、募集当初から使用されていた概念である]について、2期生が経験した「研究生」とのアナロジーからアレルギー反応を示すファンがいたという印象があり、「研究生」ではなく「研修生」というずらした言葉選びになっている点については、「研究生」と異なる取り扱いだ、という運営サイドからのメッセージを逆に読み取ることもできる)。
- この選抜発表の放送は2013年10月6日の「乃木坂って、どこ?」#104でのことであったが、この日は「真夏の全国ツアー2013 FINAL!」として国立代々木競技場第一体育館でライブが行われており、選抜メンバー自体はこのなかで先んじて公表されている。筆者はこの時期をリアルタイムで見届けてきたわけではないが、堀がセンターとなったこと、またはライブの場で先んじて選抜メンバーが発表されたうえで、「サプライズ」的に行われたメンバーへの発表の模様が放送されたことについては、どのような温度感でファンに受容されたのだっただろうか(ただし、直前の作品にあたる6thシングルの選抜メンバーについても、2013年4月20日の全国握手会[京都パルスプラザ]において発表されたのち、翌日の「乃木坂って、どこ?」#80で選抜発表の模様が放送されている)。センターの座が勝ちとるべき栄冠と扱われ、勝ちとった後にさえバッシングの日々が続くような、競争と消耗の世界観が色濃かった時代。乃木坂46運営委員会からのメッセージは、1期生とともにそのファンにも向けられたものだったのかもしれない。
- 「坂道合同新規メンバー募集オーディション」および「坂道研修生」が最大であったくらいで、ほかは「コラボ」の域を出ないものがほとんどだったという印象をもっている(音楽番組などが中心で、リリース作品については坂道AKBやIZ4648という形で、直接のコラボではなくむしろAKB48がフックになってきたような経緯もあり、これはこれで独特の距離感である)。筆者の肌感覚だが、特に欅坂46の活動初期にあたる2017年半ばくらいまではファン層の重なりも大きく、一方で生駒里奈・松井玲奈の「交換留学」などの記憶が色濃かったことなどから、突然にいわゆる「組閣」のようなことを突きつけられるのではないか、という危機感のようなものがファンの間に常時ほんのり漂っているような雰囲気ではなかっただろうか。2017年の欅坂46の全国ツアー「真っ白なものは汚したくなる」では、乃木坂46の推しメンマフラータオルを身につけている人もぽつぽついたし(どういうモチベーションだったのだろうか)、会場にもよるのだろうが、開演前には齋藤飛鳥の名前を叫ぶ声がどこからか聞こえてくるような(いわゆる「俺の嫁コール」)、「あの雰囲気」が欅坂46の現場にもまだあった。その後しばらく欅坂46は単独公演から遠ざかってしまうので明確なタイミングを見いだせるわけではないが、以降のライブではそうした雰囲気はいくぶん薄まり、欅坂46の個性が際立ち、また受け入れられていくようになったし、それは逆に、いわゆる「乃木坂らしさ」も再確認される過程でもあったのではないだろうか。
- 発表直後、生駒里奈が「アイドルの先輩」として松井玲奈にとらえ方を尋ねた、というのに、少し象徴的な意味を見いだしてしまいそうになる。「姉妹グループといったものができる感じなんですかね?」いう生駒の問いに、「わかりやすくいえば妹分……なのかな?」と応じた松井の切り返しは、いま改めて見返すと鮮やかである。
- 3年目の「全曲披露」を約8時間の1公演でやり切ったことや、真冬の西武ドームで行われたことがよく語られている印象である「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」だが、正規メンバー昇格や「新プロジェクト」の発表以外にも、最後のライブとなった畠中清羅から卒業に際してのコメントがあったり、「命は美しい」の初披露があったりと、現地で見ていない身からすると相当に「詰め込まれた」印象すらあり、そうした意味で盛りだくさんの公演であったといえるだろうか。
- 3期生の最終審査も当初は2016年8月21日を予定していたといい、この日は当時、坂道シリーズにとってひとつの重要な日付にしようと試みられていたようにも感じられる。
- 欅坂46(鳥居坂46)のオーディション受付開始は2015年6月で、生駒里奈と松井玲奈が「交換留学」を終えた直後といってよい時期である。(少々行儀の悪い表現になるが、)次々と「しかけ」を繰り出して“村”のなかをかき回し続けることで、話題をつくってニュースに食い込み、ファンの熱を上げていくような、そんな当時の雰囲気を反映したスケジュール感だったのかもしれない。
- 直前の12thシングルでは新内眞衣が選抜メンバーであったが、これに加えて山崎怜奈が学業のためにグループ活動から離れていた時期でもあったため、このふたりが「別れ際、もっと好きになる」には加わっていない。13thシングルはその山崎が復帰したシングルでもあり、その点でも2期生にとって特別な作品となっていたかもしれない。
- あるいは、あまり考えたくないし考えることにさしたる意味もないが、もし欅坂46・1期生のタイミングで3期生が加入していたら、伊藤かりんのいう「新しいグループと同じこと」をするタイミングは、彼女らにあっただろうか。
- 以降、ライブ内の情景やメンバーの言葉については、特に注記のない場合、のぎ動画で配信されている2017年7月1日の1日目公演のものをもとに記載している。
- 「乃木坂工事中」での選抜発表の放送は翌週末の2017年7月9日(#112)で、18thシングルのフォーメーションが公になっていたわけではまだない。
- 2020年10月28日の「Mai Shiraishi Graduation Concert ~Always beside you~」では卒業する白石麻衣とともに2期生が演じ、2021年2月23日の「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」では2期生のみによって演じられた。堀の卒業コンサートでもあった2021年3月28日の「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」においても、当然ながら披露されている。
- アンダーライブで演じられたことはあり、2期生が全員アンダーメンバーにいた日本武道館公演でも演じられているほか、2014年のアンダーライブ(いわゆる「1stシーズン」)では、当時研究生であったメンバーを加えて、当該ライブに出演の2期生のみで演じられてもいる。
- 7月2日の2日目公演において、18thシングルに2期生曲が新たに収録され、しかも2期生曲として初めてMVが制作されることが発表されている(「ライブ神」)。
- 現在ではグループの代表曲のひとつとして、グループ結成10周年の記念セレモニー(2021年8月21日)の最後や、2021年の紅白歌合戦で歌唱されたり、同年の東京ドーム公演(2021年11月20-21日)では全員によるソロ歌唱をつなぐ形で披露されたり、あるいはこのときの演出に重ねて、2022年8月26日の「MUSIC BLOOD」では5期生が披露したりするなど、象徴的な形で次々に披露されている「きっかけ」であるが、この時期にはまだその位置には、グループとして初めて紅白歌合戦に出場した際の披露曲である「君の名は希望」があった印象がある。「きっかけ」は、当時すでにファン人気は高かったイメージはあるし、2016年に桜井和寿がライブイベントでカバーするなど、すでに高い評価を得ていたようにも思うが、アルバム曲(2ndアルバム「それぞれの椅子」所収)であったこともありフル尺での披露の機会がなく(2番の振りがつくられていないという)、またリリースからそこまで時間が経っていないことなどもあり、特別な演出で演じられる楽曲の立ち位置にはまだなかったように思う。あるいは、「乃木坂46時間TV(第2弾)」の映像をもとに制作されたMVにおさめられた、卒業していく深川麻衣の横顔の記憶も歌詞に重ねて、どこか思い出として閉じ込められていたような雰囲気もあっただろうか(深川はこの楽曲には参加していないが)。
しかし、この年の「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」最終日(2017年2月22日)において1・2期生全員で披露されたことを端緒に、春の3期生による単独ライブ、このときの神宮での2期生ブロック、秋のアンダーライブ九州シリーズでの披露を経て、初の東京ドーム公演「真夏の全国ツアー2017 FINAL!」2日目(2017年11月8日)ダブルアンコールで、この日が最後のライブ出演となった伊藤万理華と中元日芽香を送り出す楽曲として披露されたことで多くのファンに強烈に記憶され、存在感を強めていったという印象がある(あるいはこの選曲が、伊藤万理華が「好きな曲」だったとして最後に歌いたいという思いがあったところを、桜井玲香らがスタッフに伝えたことにより、定番の「ロマンティックいか焼き」から変更されて実現したものだった、というエピソードが、メンバーとファンにとってその情景をより特別なものにした)。
その後もアンダーライブ北海道シリーズでは最終日(2018年10月5日)ではアンコールで卒業を発表した(かつ、この日が最後のライブの場にもなった)能條愛未を送り出す曲として歌唱され、「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」では卒業コンサートの位置づけで西野七瀬が唯一フルで参加した最終日・4日目(2019年2月24日)において披露されている。また、「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」でも最終日・4日目(2020年2月24日)の最後のブロックでゴスペル隊とともに合唱で披露、「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」では「前夜祭」(2021年2月22日)の1曲目で披露、「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2022年5月14-15日)では2日ともセットリストに加えられるなど、グループの節目においては主要な位置で必ず披露される位置づけとなっているほか、「NOGIZAKA46 Mai Shiraishi Graduation Concert ~Always beside you~」(2020年10月28日)では生田のピアノ弾き語りに乗せてデュエットした白石が、楽譜に書かれた生田からのメッセージに涙を流す、「29thSGアンダーライブ」最終日(2022年3月27日)ではアンコールのMCにおいて、ライブの盛り上がりを受けた和田まあやの提案により、予定がなかったにもかかわらずアカペラで歌唱されるなど、記憶に深く刻まれる場面で登場する場面もいくつもあった。
2期生も、神宮以来の2期生のみのライブの場であった「幻の2期生ライブ@SHOWROOM」(2020年3月7日)と「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」(2021年3月28日)でともに演じるなど、その後の日々においても、「きっかけ」を重要な1曲として位置づけ続けた。特にこの2016-2017年以降については、「きっかけ」の歴代披露を見ていくと、乃木坂46が重ねてきた日々の温度感やグループの息づかいが見えてくる(記憶がよみがえる)ように思う。そしてそれを確実に形成してきた大きな流れのひとつとして、2期生の歩みもそこにあるのだ。 - 1日目公演は生田絵梨花が欠席で22人。2日目公演には23人全員が参加していた。2期生は11人、3期生は12人。話がそれるが、この時期(橋本奈々未の卒業から中元日芽香の卒業までの約9か月間)の“46人の乃木坂46”というきりのいい数字に、筆者は当時の思い出とともに強烈な執着がある。ほか、乃木坂46が総勢46人だったのは、2期生加入直後の時期(活動を開始しておらずプロフィールも公開されていない相楽伊織をカウントせず、約1か月後の安藤美雲の卒業まで)、4期生11人の加入直後の23rdシングル発売記念ライブ(横浜アリーナ)までの時期(衛藤美彩の卒業から伊藤かりんの卒業までの約2か月間。ただし、横浜アリーナでのライブ初日のアンダーライブをもってかりんは卒業している)、新型コロナウイルスの流行による、いわゆる「自粛期間」中からの時期(井上小百合の卒業から中田花奈の卒業までの約半年間)である。
- セットリストは2日間ともおおむね同じ構成であったが、2日目の公演ではサプライズが多く、アンダーアルバムの発売、アンダーライブ九州シリーズの開催、東京ドーム公演の開催がすべてこの日に発表されているほか、アンコールの「インフルエンサー」にヒム子(日村勇紀)が登場したのもこの日のことである。1日目とのセットリストの差異は、ヒム子の登場に伴い「インフルエンサー」が2日目ではアンコールに移り、ダブルアンコールも行われたほか、生田絵梨花が2日目のみの参加となったことをふまえて、1期生ブロックの最後が「君の名は希望」から「何度目の青空か?」に変更された程度であった。1期生ブロックの「ダンケシェーン」は両日ともに演じられたが、生田不在の1日目のセンターを、この日にライブに復帰した形であった中元日芽香が務めたことも話題となった。
- 北野は卒業を控えた時期の「乃木坂46時間TV(第5弾)」の個人企画「乃木坂電視台」(北野の企画は3日目の2022年2月23日)において「最後にもう一度着たい制服」としてこの制服を挙げて着用した。さらにこのときには「乃木坂46時間TV(第3弾)」で復帰した模様の映像も流されており、この部分も含めてYouTubeチャンネル「乃木坂配信中」にアーカイブが残されている。
- 伊藤かりんの卒業は2019年5月で、グループのメンバーとしての最後のライブは「23rdシングル『Sing Out!』発売記念 アンダーライブ」(2019年5月24日)であったが、23rdシングルには参加していない。最後の参加作品は2019年4月17日発売の4thアルバム「今が思い出になるまで」で、新曲としてはさゆりんご軍団のメンバーとして「さゆりんご募集中」に参加(このアルバムは22ndシングルの体制をベースに制作されたが、新規のアンダー楽曲は制作されなかった)。
- これも前述したところだが、期ごとのチームの対戦企画「乃木坂46 秋の四つ巴対決」(「乃木坂工事中」#228-229、2019年10月6・13日放送)もこの時期である。これは桜井玲香の卒業直後の時期にあたるが、1期生11人、2期生9人、3期生12人、4期生11人とかなりバランスがとれていたタイミングであり、このような分け方が成立しやすかったといえる。
- 筆者の管見の限りでは、この「虹」という表現の起こりは、前回の『BRODY』2期生特集(2017年10月号、p.66)における渡辺みり愛の発言である。「2期生って、色がバラバラなんです。どうやってもそろうことはありません。同じ色にならないんです。色が違っても、虹ならひとつになれるじゃないですか。11人が11色をした虹なんですよ、2期生は。見ていて、そのほうが楽しいと思います。融合? そんなの無理です(笑)」。
- 2020年春ごろより毎週ゲストメンバーが出演する形となるが、この頃はまだ新内の単独パーソナリティの形が原則であった。
- ただし、「2期生ライブ」の企画については、「3・4期生ライブが決まる前」から「ウワサがあった」とも語られている(北野・新内、『B.L.T.』2020年5月号 p.34)。
- 2020年2月20日に政府から(「一律の自粛要請を行うものではない」としつつ)「開催の必要性を改めて検討」を求めるメッセージが出されるなかの決行であり、2月26日にはこれが「中止、延期又は規模縮小等の対応を要請する」とされて、この日を境に各種イベントの開催が事実上差し止めとなった、という経緯であった。本稿の趣旨とは逸れるが、筆者はこの「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」には(全日参加することができたこともあり)かなり愛着があり、特に4日目には“200曲目”であった「しあわせの保護色」の初披露やいわゆる新4期生のステージお披露目・自己紹介、そして何より“卒業ソロ曲”ブロック(白石麻衣・松村沙友理の「ないものねだり」、北野日奈子・寺田蘭世の「自分のこと」、伊藤純奈・久保史緒里の「もし君がいなければ」、賀喜遥香の「強がる蕾」)など、グループの歴史においてかなり重要なシーンが多く生み出されたと感じている。あの日の公演がなければ、終わらなかったもの、始まらなかったものがたくさんある。それを完遂できたことには、ここまで大きく成長してきたグループに特有の(と称してしまいたくなるほどの)豪運があったといえた。
- 中止の判断は2020年2月26日になされたが、これがリハーサルの前日だったといい、これ以降の当日までのスケジュールも詰まっていて、かなり厳しい状況であったことが明かされている(『B.L.T.』2020年5月号 p.44)。
- テレビバラエティの収録もまだリモートが多く、プロ野球やJリーグはまだ完全無観客で試合を行っていたような情勢にあって、このタイミングで46時間にわたる生配信を行ったことは、ある意味「先陣を切った」ような印象を与える出来事であった。一方で、このライブパフォーマンス中にさえ一定のソーシャルディスタンスが保たれ、身体的接触を避けた形がとられたことは、一種の異様さのある光景でもあった。ここまでソーシャルディスタンスの社会的要請が強かったのはこの時期が最後で、翌月ごろからは舞台上での出演者どうしの接触についてはある程度許されるような状況になっていく。
- この時点では、各期別のライブの日程は後日の公表とされた。2期生ライブは3月28日、1期生ライブは3月29日(以上の日程は2月23日の「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」で発表)に無観客・配信形式で開催。4期生ライブは5月8日、3期生ライブは5月9日(以上の日程は3月29日の1期生ライブで発表)に開催された。4期生ライブ・3期生ライブは当初無観客・配信形式での開催と告知され、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の解除などの社会情勢を受けて有観客での開催に切り替えられたものの、4月25日に東京都(および大阪府・京都府・兵庫県)を対象に再度緊急事態宣言が発出されたため、無観客・配信形式での開催に再度切り替えられるという経緯をたどった。
- 当初の予定であった「5日間」での開催だった場合、そこに期別の公演が含まれていたのかどうかは明らかになっていない。
- 以降、2期生ライブの内容に関する記述が続くが、すべてを網羅するわけではないので、全体の流れについては、当時アップしたセットリストの記事も参照されたい。なお、MCの内容などについては、今年6月にリリースされたBlu-rayで改めて確認のうえ、記述している。また、全員センターブロックでのスピーチ全文はこちら、堀のスピーチ全文はこちらで参照できる。
- 全員センターブロック前のVTRにて、新内がこのライブの通しリハの際にこのように語っている様子が流されている。語っている相手は北野と渡辺であったようで、この部分の演出にかかわる会話であるとは断定できないが、新内が事実としてこのように意識していることは間違いない。
- のちにベストアルバム「Time flies」に収録。この時点ではMV集「ALL MV COLLECTION2〜あの時の彼女たち〜」にMVが収録される形のみでリリースされていた。YouTubeチャンネルではティザー版のみの公開であった。
- グループとしての有観客公演再開の契機は、2021年6月22-23日の「さ~ゆ~Ready? ~さゆりんご軍団ライブ/松村沙友理 卒業コンサート~」であった。
- 公式サイトでは予告編の収録内容は明らかになっておらず、堀の卒業発表と同様に動画内でほぼサプライズで発表するような形がとられていたはずだったが、レーベルのサイトにのみ先行してタイトルが出てしまっており、「Documentary of Ozono Momoko」および「Documentary of Kazumi Takayama」と並んだラインナップから(大園桃子は2021年9月4日をもってすでにグループを卒業していた)、動画公開時点ですでにおおかた察せられてしまっていたという状況もあった。
- 両日のセットリストは、本ブログでも記事にしている(→DAY1・DAY2)。アンケート結果についてもそれぞれの記事内に記載があるので参照されたい。
- コロナ禍の期間中の作品であり、ツアーより前には有観客公演での披露がなかった。
- アンケートは「夏ツアーで聴きたい曲トップ“10”」と題したもので(表題曲[アルバムのリード曲はここに含む]・カップリング曲[期別曲はここに含む]・アンダー曲・ユニット&ソロ曲の4部門のトップ10)、夏のイメージのある曲や現役メンバーによる曲、比較的新しく披露機会がまだ少ない曲などが多くランクインする傾向があった。「きっかけ」への票は、「サヨナラの意味」および「ありがちな恋愛」に流れたような、そんな結果のようにも見える。なお、「きっかけ」は、ツアー内で行われたグループ結成10周年記念セレモニー(2021年8月21日、マリンメッセ福岡公演アンコール)でも披露されている。
- 「乃木坂46分TV」として行われた。理由は不明だが、アーカイブはされていない。
- 前述の10月10日の生配信には秋元・北野・梅澤・賀喜(→参考)、「乃木坂配信中」でのCD工場見学企画には秋元・北野・久保、リリースを記念した東京タワーの特別ライトアップの点灯式には秋元・北野・与田・賀喜が参加(→参考)、など。ほか、全国の「坂」のつく駅へのポスター貼り企画も、秋元・北野のペアに山下を加えた3人のチームで「広島編」が行われた。ほか、12月7日配信開始のDAMチャンネルにも秋元と北野のペアでの出演があったほか(Web動画)、ベストアルバムの発売を記念したMUSIC ON! TVの特番には秋元・北野・阪口・田村が出演している(参考)。
- なお、梅澤美波の副キャプテン就任がこの直前の時期でもあった(2021年11月29日の「君に叱られた」発売記念ミニライブ配信内)。
- 新型コロナウイルス感染により、弓木奈於は欠席となった(療養期間を終え、アンダーライブには出演した)。
- 加えて、卒業コンサート当日については、鈴木は新型コロナウイルス感染により、会場で立ち会うことができなかった。
- 2022年1月31日、北野の卒業発表当日に発売。『BUBKA』の版元は『希望の方角』と同じ白夜書房で、写真集の発売を大きくフィーチャーした形の紙面であったが、卒業に関して特に触れられたわけではなくかなり抑制されたトーンであった。たまたま筆者は昼間のうちに目を通したのだが、そのせいでかえってその夜の卒業発表に対する驚きが大きくなってしまったところがある。「(中田)花奈さんが卒業する時も、『アイドルとしてやれることはすべてやったし、もう何も思い残すことはないよ』と話してくれました。それでも私はまだ『私は違う』と思っていました。乃木坂46のことが大好きだからなんでしょうね。ここにいれば楽しいですから。」(p.18)
- 「(編註:「幻の2期生ライブ」における「1人1曲」では)『トキトキメキメキ』を選んでました。ああいうノリの曲は2期生にないし、みんなと並んであの振りを踊りたかったんです。キャピキャピしているけど、溌剌と踊れるからまいちゅん(新内眞衣)でもイケるかなって(笑)。」(北野、『EX大衆』2020年9月号 p.13)
- 「日常」は、「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」(2021年3月28日)でも披露されている。今回は、一部を北野とダブルセンターで披露するような形であった。
- その奥に「2期生」への思いを持ちつつ、一貫したバランス感覚をもって活動してきた新内のたたずまいが語られたものとして引用した。卒業セレモニーでも、コーナーでは秋元や北野に加えて佐藤楓や与田祐希にもイジられ、最後に手紙を読んだのも後輩の梅澤美波で、そうした文脈すべてを包摂して全員で「ゆっくりと咲く花」を歌唱してアイドル生活を終えたという点にも、彼女のそうした部分が端的に表れていた。
- 「君に贈る花がない」は「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」(2021年3月28日)でも披露されていたが、「大人への近道」はきわめて長い期間、「全曲披露」のバースデーライブ以外での披露がほぼなかったといってよい状態で(「真夏の全国ツアー2016」の一部公演で演じられたあとは、このツアーの最終公演の扱いであった「4th YEAR BIRTHDAY LIVE」以降、5th・7th・8thのバースデーライブで演じられた以外では、「真夏の全国ツアー2018」の大阪・ヤンマースタジアム長居公演2日目[2018年8月5日]において、新内眞衣の「ジコチュープロデュース企画」で演じられたのみ。新内が小学生に扮するなど、オリジナルの形とはまったく異なる披露であった)、「サンクエトワール最後の星」として、強い思いをもってセットリストに加えられたことが伺えた。なお「君に贈る花がない」は、5th・7th・8thのバースデーライブに加え、武蔵野の森総合スポーツプラザでのアンダーライブ(2018年12月19-20日)でも演じられているほか、「真夏の全国ツアー2018」のひとめぼれスタジアム宮城公演1日目(2018年9月1日)において鈴木絢音の「ジコチュープロデュース企画」で演じられてもいる。
- 以下に加えて、上に引用した「an・an」2022年2月23日号においても、引用部の直後において、北野がそうした発言をしていたことについて鈴木が言及している。
- 2020年の3月(「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」)ではなく、2021年の3月(「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」)であると思われる。その後の文脈上も明らかだし、北野は「幻の2期生ライブ」には出演していない。
- 山崎は、グループでのキャリア最後のライブとなった「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2022年5月14-15日)を終えたあとで卒業を発表し、メンバーのレギュラーラジオ番組に立て続けにゲスト出演したり、YouTubeでクイズ配信を行ったりといったりと、どこまでも彼女らしいやり方で卒業していった。レギュラーのラジオ帯番組「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」も、卒業前後で変わらず続投している。
- 1期生より少ない人数で始まったのは言うまでもないが、12人の3期生が加入したときには2期生は11人、11人の4期生が加入したときには2期生は10人であった。白石麻衣の卒業から堀未央奈の卒業までの時期と、松村沙友理の卒業から伊藤純奈・渡辺みり愛の卒業までの時期のみ、1・2期生の人数が同じになっているが、逆転したタイミングは過去にない。
コメント
読者、ここにいますよ(笑)
駆け足で一読するだけでも結構時間掛かりましたから、況や書くのをや。今回も相当な労力と時間を費やされたのだろうと推察します。ただ、それだけ素晴らしい文に仕上がっていますので、胸を張って下さい。
取り急ぎ読者がいることをお伝えしたかったので、感想はまた後日させて頂こうと思いますが、一点だけ。
文中に合った「2期生(あるいは、1期生も)が誰もいなくなったとき、グループはどのように見えるのだろか」の部分。個人的には、他の誰が残っていたとしても、飛鳥ちゃんが卒業したら全く受ける印象が変わるのだろうなと思っています。平のアンダー、アンダーセンター、選抜、福神、センター、全部経験した唯一無二の存在である彼女こそ、乃木坂の歴史そのものですから。
コメントありがとうございます。今回も早速に読んでいただき、ありがたいばかりです。
飛鳥さんはすでに1stシングル選抜メンバー最後のひとりでもあり、最初のアンダーライブを経験した最後のメンバーにもなっていますね。おっしゃる通り、すごく象徴的な存在です。
文脈は少々異なるかと思いますが、次回はそんな飛鳥さんのことも扱う形になるかと思います。