(6)Postscript〈2〉:中元日芽香、ウイニングランを終えて
「影は待っている これから射す光を
新しい 幕が上がるよ」
最終章のはじめに
ひどく長くなってしまったが、「アンダー」およびアンダーライブ全国ツアー九州シリーズについては、前稿まででおおかた書き終えたつもりでいる。
「アンダー」の音源公開が、2017年7月21日。そこから九州シリーズが終わるまでのちょうど3ヶ月間は、いまにして思えば筆者にとって、熱病に浮かされたような日々だったように思う。
まわりくどい文章をたくさん書いた。曲としての「アンダー」がもつ意味。あるいはそれと結びつく、アンダーメンバーの位置づけ。そういったことを言葉にして自分のなかで整理したかったのももちろんあるが、ここまでの熱量をもって文章を書いてきたのは、九州シリーズで自分が目にしたことは、もしかしたら自分が書かないとどこにも記されずに忘れられていくのではないか、と思ったからだった。
たとえ読者が誰もいなくとも、インターネットの海に流しておけば、検索エンジンの力を借りて、誰かの記憶に改めて残されるかもしれない。そしてそれはいつか、歴史の一部になるかもしれない。
そして何より筆者自身が、そこで見たものを少しでも覚えていたかった。
あの日の中元日芽香と北野日奈子を、忘れたくなかった。
だからたくさん語り尽くされて、映像化もなされた東京ドーム公演や、卒業にあたって中元日芽香がたくさんのメディアで発信してきたメッセージについては、僕が何かを書く意味も理由も、よりいっそう乏しいようにも思える。だけどこの件について筆を置くために、自分のなかで区切りをつけるために、もう少しだけ書いてみようと思う。
本稿は「アンダーライブ全国ツアー九州シリーズによせて」の最終章として、アイドル・中元日芽香の乃木坂46卒業と芸能界引退に焦点を当て、その軌跡と所感を書き残すものである。
(2018年1月に書きかけた文章に、同年7月に加筆して完成させたものであり、文章全体としての書きぶりにみられる少々の齟齬はご寛恕いただきたい。)
「卒業メンバーを見送る」こと
乃木坂46およびそのファンは、「卒業メンバーを見送る」ことに、まだまだ慣れていないように思う。
2018年夏の今でこそ、直近では斎藤ちはると相楽伊織、遡って4月には生駒里奈、3月には川村真洋の卒業を経験してきたが、それでも「これからのほうが長い」と感じる部分もある。そのうえ中元日芽香が卒業を発表した2017年夏の時点では、永島聖羅、深川麻衣、そして橋本奈々未と、次のステップに向けた自らのきっかけで、卒業コンサートという明確な区切りをもって卒業していったメンバーの記憶ばかりが色濃く、自らの決断とはいえ体調面での無念を含んだ中元日芽香の卒業をどう受け止めていいか筆者自身も戸惑っていたし、ファンの多くがそうだったようにも思う。
さらに運命のいたずらとも言えるのは、直前の卒業メンバーである橋本が、中元と同じく「卒業・芸能界引退」という形でグループを去っていたということだ。中元の卒業に関しては驚きや悲しみとともに「卒業までどうなっていくんだろう」という戸惑いが強い一方で、「芸能界引退」ということが指す意味は、肌で感じてわかっていたと言っていい。
ひめたんが卒業を発表し、真夏の全国ツアー地方公演の不参加も発表された。アンダーライブには出ると話していた。東京ドーム公演にも、明言されてはいないがどうやら出るらしい。ツアー不参加の間にもコンスタントに出演を続けていた「らじらー!」は、いつまでの出演になるのか。握手会の振り替えやスペシャルイベントも控えている。本当の「卒業・芸能界引退」のタイミングはいつになるのか。
不安、というのも少し違うが、疑問符がいくつも続く期間があったことをまず書き残しておきたい。彼女のことを応援してきた誰もが、同じような感情を抱いていたはずだ。
「LAST NUMBER」
もうひとつ特に触れておかなければならないと思うのが、東京ドーム公演を控えた10月29日の「らじらー!」で音源が公開された、RADIO FISH feat.中元日芽香(乃木坂46)名義の「LAST NUMBER」のことだ。
中元自身が並々ならぬこだわりを見せて取り組んでいた個人仕事である「らじらー!」。パーソナリティとして約2年半タッグを組んだオリエンタルラジオとのコンビネーションも、少なくとも筆者が聞き始めた2016年の夏ごろ以降は抜群だった、という印象をもっている。
そんなオリエンタルラジオが、ある意味で中元へのはなむけとして贈った曲が「LAST NUMBER」である。
「ラジオ」「日曜日の夜」「坂道」といったキーワードを散りばめ、中元の休業と復帰、そして卒業をストレートすぎるほどに思わせる歌詞の優しいバラード。RADIO FISHは他アーティストとコラボすることが多い一方で、乃木坂46のメンバーがこのような形でクレジットされることは稀であり、オリエンタルラジオの両名の尽力が感じられる出来事であった。
「LAST NUMBER」という曲名も、なかなかに意味深長なところがあった。「19thシングルには参加しない」という区切りで卒業を決めた中元にとって、最後の参加曲(=ラストナンバー)は「アンダー」となる可能性があった。結果としてアンダーアルバムに収録されたソロ曲「自分のこと」が最後となったものの、アンダーアルバムの曲目が発表されたのは、中元がほぼすべての芸能活動を終えたあとと考えられる12月7日、リリースは翌年1月10日であり、このときはまだ予想すらされていなかった。
ともかく中元日芽香は、オリエンタルラジオの存在があって「アンダー」で終わらなかった。そう思っておくことにしたいし、そう覚えておくことにしたい。
「君は僕と会わない方がよかったのかな」
中元日芽香初めてのセンター曲、「君は僕と会わない方がよかったのかな」(「君僕」)。中元のセンター曲は他にもあるが、東京ドーム公演のセットリストにも入り、アンダーアルバム映像特典のドキュメンタリー「最後のあいさつ / Her Last Bow」でも用いられるなど、「アイドル・ひめたん」を象徴する曲としていつしか定着していったように思える。東京ドーム公演でピンク一色に染まった客席の様子はいまでも記憶に新しく、またCMなどの各種映像媒体でも印象的に扱われることが多かった。
「あのカフェの恋人たち 楽しそうで
一人きりがやるせない
だって 今も好きなんだ」
曲としての「君僕」は、過ぎ去ってしまった恋を振り返る切ない歌詞と曲調が特徴的な恋愛ソングで、「センター・中元日芽香」のイメージにも合致し、またアンダー曲全体のイメージの形成にも寄与するものだったように思う。
ただ筆者は、「アイドル・ひめたん」の最後を彩る曲として幾度も用いられるなかで、特にドキュメンタリー「最後のあいさつ / Her Last Bow」によって、どこか少し違った色彩を帯びる曲にもなっていったようにも感じている。
「君」が中元に、「僕」がファンあるいは筆者自身、もしくは「アイドル」概念そのものに重なるように感じられてしまってならないのだ。
中元は一貫して、「アイドルでいられることが本当に幸せ」と強調し続けてきたメンバーである。マルチな活動を拡大させているメンバーの多い乃木坂46にあって、「典型的なアイドルであること」にこだわってきた珍しいメンバーといえるかもしれない(「典型的なアイドル」とは何であるか、ということはひとまず置いておいて)。
しかし一方で、その「アイドル道」ともいえるものを追究していく過程のなかで、傷ついた面もあり、休まなければならなかった面もあり、それが「卒業・芸能界引退」につながった面もあるだろうという推察は、おそらく間違ってはいない。
アンダーライブでは北野日奈子から、「最後のあいさつ / Her Last Bow」では井上小百合や斎藤ちはるから、卒業する中元について「幸せになってほしい」「自分のことだけを考えてほしい」という発言があった。これもやはり、偽らざる感情なのだろう。
中元日芽香は「アイドル」に出会い、それをやり遂げた。彼女にとってそれは幸せだったか。まわり道ではなかったか。ファンの応援がアイドルを作るならば、自分たちのしてきたことは果たして正しかったか。「君」は「僕」と会わない方がよかったのではないか。
答えのない問いが頭のなかをぐるぐるして終わりがない一方で、「最後のあいさつ / Her Last Bow」の最後で、中元はきっぱりと言い切って去っていく。
「6年間、本当にお世話になりました。
アイドルでいられて、幸せでしたよ?」
中元日芽香はいつも全くのアイドルで、それは最後まで変わらなかった。
このあとももう二言、三言、中元の台詞は続くが、それは本編を実際に見て確認して(あるいは再見して)もらいたい。
彼女は最後まで、僕たちの心を引きつけるアイドルであることを選んだのだ。
ウイニングランとしての半年間
2017年7月1日・2日の「真夏の全国ツアー2017」神宮公演は、中元にとって休業からの復帰後初めてのライブであった。公演は1期から3期までの「期別ライブ」として行われ、「制服のマネキン」で始まった1期生パートの冒頭、メンバーがひとりずつ登場してくる演出では、中元にひときわ大きな声援が送られた。さらに7月1日公演では、この日を欠席した同級生の生田絵梨花に代わって「ダンケシェーン」でセンターに立った。中元日芽香の本当の復活がはじまる。そう思ったファンも多かったのではないか。
しかしこのあとの地方公演は全欠席となったのは前述の通りで、この神宮公演のときにはすでに、「卒業・芸能界引退」を決めていたということが、「最後のあいさつ / Her Last Bow」内で斎藤ちはるによって明かされている。
そこから約半年間。休み休みながらも、中元日芽香はたくさんの「最後」を駆け抜け、「最後のあいさつ」とともに我々の前から去っていった。そこには埋めがたい喪失感があり、我々ファンにできることは、引き続き乃木坂46を前向きに応援していくことしかないのだと思う。
しかしその最後の半年間は、やはり「ウイニングラン」であったのだと信じておくことにしたい。
だって、「アイドルが芸能界でのゴール」と語っていた彼女があれほどまでに、最後の瞬間まで「アイドル」をやり遂げたのだから。
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