“櫻”の形のキャプテンバッジ[1]2020-2022(続・菅井友香が「真ん中」に立った日)

この記事は約177分で読めます。

 本稿は、欅坂46の改名発表をふまえて書いた「菅井友香が「真ん中」に立った日(5年間の“欅坂46”によせて)」、および櫻坂46の始動のタイミングで書いた「そうして彼女は、欅坂46を終わらせた(菅井友香の“あれから”と、櫻坂46の誕生によせて)」の続編にあたる位置づけで、菅井友香の足跡をたどることを通して、彼女が卒業した時期までの、櫻坂46の約2年間を振り返っていくものである(時期としては、少しだけ前稿と重複することにはなるが)。
 欅坂46時代と同様、グループのキャプテンを務めることになった菅井だが、数々の“事件”ともいえるものに直面し、時に振り回されながらも必死にグループを支えていたような印象を受ける欅坂46時代とはいくぶん異なり、櫻坂46での日々は、キャプテンかつ年長者として個々のメンバーを支え、グループ全体の課題に向き合いつつ、個人としての成長や将来像のために努力を重ねることができたような、多少落ち着いた日々であったように見受ける。

 菅井のグループ卒業からはすでに約1年半が経過している。この間にもグループは着実に歩みを進め、現在は「4th ARENA TOUR 2024 新・櫻前線 -Go on back?- IN 東京ドーム」(2024年6月15-16日)の開催を目前に控えるという状況である。東京ドーム公演は改名後2回目。前回は「2nd TOUR 2022 “As you know?”」の最終公演(2022年11月8-9日)の位置づけでの開催であり、ほかならぬ菅井の卒業の機会のライブでもあった。

 実際のところ本稿はもっと早く、それこそ2023年の年明けくらいには公開しようと準備をしていたものであったのだが、いろいろな事情が重なってペンディングになっていたという経緯がある。本来であれば遅きに失したものとして日の目を見ないような記事だったかもしれないが、再びの東京ドーム公演という区切りをとらえて、2024年のいまのタイミングで改めて書いていくことにしたい。

 なお、タイトルを[1]と題しているのは、本稿はおおむね菅井の卒業までを射程として、それは最後まで書き切るつもりであるものの、[2]以降の位置づけとしてその後のグループについても書く機会をつくろうと計画しているためである(菅井の活動期間をいくつかに分割して書こうとする趣旨ではない)、ということを、あらかじめことわっておく。
 また、各楽曲のフォーメーションについては本ブログの記事「櫻坂46・歴代シングル全曲フォーメーション(随時更新)」を、ライブのセットリストの概要についてはnote「セットリストを“横に見る”・その2(櫻坂46 歴代セットリストまとめ)」にまとめてあるので、適宜参照されたい。

トップスピードで1stシングルの体制へ

 2020年10月13日の「欅坂46 THE LAST LIVE」2日目をもって、欅坂46は櫻坂46に改名した。このライブのなかでは、欅坂46として最後のパフォーマンスが終えられたあと、櫻坂46の最初のパフォーマンスとして1stシングル表題曲「Nobody’s fault」が披露された。センターは森田ひかるで、参加メンバーは14人。ハードな曲調に力強いメッセージが込められたもので、欅坂46のそれと重なって見える部分もあったが、純白に桜色を差したロングスカートの衣装はこれまでと違う優美さをたたえており、ダンスもエネルギーを激しくぶつけ切るというよりは、しなやかな動きで表現されている部分が目を引いた。

 その週末、10月18日には新番組「そこ曲がったら、櫻坂?」がスタート。番組名も初回放送内で発表されるという形式であった。ここでは1stシングルのフォーメーション発表の模様が放送されたが、「Nobody’s fault」のフォーメーションはすでに周知のものであった一方、「櫻エイト」のシステム1はここで初めて公表されることとなった。
 表題曲への参加メンバーが絞られることについては、欅坂46の9thシングルの制作時に「選抜制」が取り入れられ、特にそこで「選抜メンバー」から漏れたメンバーを中心に受け止めに苦しんだ経緯が想起されるようなところもあったが、「フォーメーション発表」「表題曲メンバー」という表現が用いられることで、「選抜」の2文字はていねいに排されており、番組MCの澤部佑も「選抜体制ということではなく、全メンバーで作り上げていくということ」と説明した2。放送後には、公式サイトに「櫻坂46 メンバー・スタッフ一同」の名義でメッセージが掲出され、1stシングルのリリース日と、それが「ユニット曲、ソロ曲は無く全7曲全て14人編成」とされることが伝えられ、そしてそれは「欅坂46の頃からも大切にしていた、“全員で楽曲を届ける”という思いを込めた編成」である、と説明されている。

 さらにそこから間もない10月21日には、新たに公式サイトにメッセージが掲出され、「櫻坂46の表題曲のセンターは、発表がありました通り、森田ひかるが務めますが、藤吉夏鈴と山﨑天を含めた3人が楽曲によってそれぞれセンターを務める新システムとなります。」との告知がなされる。あわせて、藤吉センター楽曲・山﨑センター楽曲の3列目を務めるメンバーについてもここで公表された。森田・藤吉・山﨑の3人によるType-Aのジャケット写真もあわせて先行公開され、2期生を前面に押し出した「新体制」がさらに印象づけられることとなった。
 2期生(2018年加入の9人)は、加入から長らくオリジナルの楽曲がリリースされていないという状況が続いていたものの、配信シングル「誰がその鐘を鳴らすのか?」とベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」への参加を経て、「欅坂46 THE LAST LIVE」には9人全員が「全員曲」に参加するなど3、1期生と肩を並べて遜色ない存在感を発揮するようにもなっていた。いわゆる“新2期生”(2020年加入の2期生6人)も含めて、全員が「櫻坂46のオリジナルメンバー」となったタイミングで4、2期生を真ん中に置いてそれを1期生が支えるような構造をとることは、大きな変化ではあったが、受け入れられやすい状況でもあったともいえるだろうか。

 この「3人のセンター」による「“全員で楽曲を届ける”という思いを込めた編成」は、決して“実質・選抜制”を導入するための方便のようなものにとどまったわけではなく、一定以上に実を伴ったものになっていくことになる。MVが制作される3曲は「3人のセンター」それぞれの楽曲から1曲ずつで(1stシングルでは「Nobody’s fault」「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」「Buddies」)、シングルのTVCMではその3曲それぞれの個別バージョンと、3曲をとりあわせたバージョンのCMが制作される、という形式は、このときから4thシングルまで継続されることとなった5。さらにこの1stシングルの時期は、発売が2020年12月9日と年末の時期であったこともあり、年末の音楽特番を含めた多くの音楽番組にグループとして出演していくことになるが、このなかでは「Nobody’s fault」のみでなく「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」と「Buddies」も披露されており6、「カップリング曲で音楽番組に出演した」と考えると、かなり異例のことであったといえる。さらに、12月31日の「第71回NHK紅白歌合戦」では「Nobody’s fault」が全メンバーによって披露されている7

 11月11日には「Nobody’s fault」のMVが公開される。これに先立つ11月1日深夜には、「そこ曲がったら、櫻坂?」放送内のCMにてティザー映像が放送されていた(翌11月2日にYouTubeでも公開)。「欅坂46 THE LAST LIVE」でもすでに披露済みという状況ではあったが、佐渡島で撮影されたMVの雄大な世界観は新たな印象を与え、徐々にデビューに向けたムードが盛り上げられていくことになった。11月15日には「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」が「こちら有楽町星空放送局」で初オンエアされ、11月18日にはMVが公開。翌週の11月23日には「Buddies」が「レコメン!」で初オンエアされ、11月27日にMVが公開となる。他の楽曲もラジオ番組内で次々に初オンエアされ8、計7曲の収録曲が発売直前までを使ってすべて解禁されたこととなったが、欅坂46時代からの連続性を感じる部分もあった「Nobody’s fault」とは異なる路線の楽曲が連ねられたという印象があり、振れ幅を大きくとった多彩なパフォーマンスが展開されていくことが予感された(菅井も、「1つのテーマに沿うというよりは、いろいろな可能性にチャレンジした作品になりました。[菅井友香『あの日、こんなことを考えていた』p.46]と解説している)。
 このなかで、11月8日には「デビューカウントダウンライブ!!」の開催が発表され、12月8日に開催となる。デビューシングルの発売日は12月9日で、まさに「カウントダウン」といった形のライブとして設定された9。また、デビューシングル発売前であるこの間の11月16日には、「第71回NHK紅白歌合戦」への出場も発表されている。改名を経て2回目の「初出場」の扱いとして、櫻エイトのメンバーが初出場会見に臨んだ。

 この年の大みそかには、櫻坂46として『NHK紅白歌合戦』に初出場させていただきました。正直、櫻坂46としてデビューしたばかりだったので、「いいのかな」と不安になってしまって。それもあって、記者会見にすごく不思議な気持ちで立たせていただいたことをよく覚えています。まさか人生で2度も紅白の初出場会見に参加させていただくことになるとは、夢にも思わなかったです。

(菅井友香『Wアンコール』p.42)

 2019年2月の「黒い羊」のリリース以降、CDシングルのリリースは滞り、コロナ禍での活動ストップを経て、ようやくたどり着いたような印象のあった“櫻坂46”という新たな道。「Nobody’s fault」のMVは「欅坂46 THE LAST LIVE」の準備と重なるくらいの時期に撮影されていたともいい10、いろいろなものが入り交じるなかではあったが、間髪入れずのスタートを切った改名後のグループはすぐに軌道に乗り、トップスピードで坂を上り始めていったといえるのではないだろうか。

キャプテン空位の82日間と新グループへの思い

 櫻坂46がキャプテン・菅井友香、副キャプテン・松田里奈の新体制を発表したのは2021年1月4日のことで、改名からデビュー、および年末の音楽特番への出演の期間は、キャプテンについては未定とされていた11。この間も、「そこ曲がったら、櫻坂?」初回放送での挨拶や、「デビューカウントダウンライブ!!」のMCの仕切りなど、菅井の役割はほぼ変わっていなかったようにも見えたが、2020年9月4日公開のドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」内でのインタビューでは、改名後のグループにおいて「(自分が)キャプテンっていうのもどうなんだろう」と発言したり、その後のインタビューでも改名後のグループにおける自身の役割を問われ「まだわからないけど、後輩たちにとって自分の経験を役に立てられるように、力を尽くしたい(『BUBKA』2020年11月号、インタビューの収録日は9月2日)と答えたりするなど、特に改名前の時期には、自らの立ち位置について抑制的な語り方をする場面も散見された。

 その背景として、ということではないが、菅井はグループの改名のタイミングで、卒業を考えた部分もあったということを明かしている。デビューシングルの発売を控えた時期であった、25歳の誕生日である2020年11月29日に行われたSHOWROOM配信でもそのようなことが語られていたほか、2021年5月27日に発売された、欅坂46時代の『日経エンタテインメント!』での連載「欅坂46キャプテン 菅井友香のお嬢様はいつも真剣勝負」をまとめた著書『あの日、こんなことを考えていた』でも、このように述べられている。

 正直なことを話すと、最初に欅坂46が改名すると決まった時は、「新グループに自分はいらないんじゃないか?」と考えてしまいました。新しく生まれ変わるのに、むしろ私の存在が邪魔になるんじゃないかなって。ずっと欅坂46にすべてを懸けたいと思っていたし、ライブでも「ここで死んでもいい!」と心から思えたのが欅坂46のライブでしたし。それがなくなる寂しさもあったから、ここでアイドル人生に区切りをつけたほうが美しいのかなと考えたんです。

(菅井友香『あの日、こんなことを考えていた』p.46-47)

 こうした語りは卒業まで一貫して続けられており、改名するグループとともに自らも踏み出していくことを決断したことが、ひとつの大きなターニングポイントであったことがわかる。また、その決断には、新グループでもキャプテンを続投するように依頼されたことがいくぶん作用していたということでもあったようで、「みんなが新しく頑張れる環境、楽しくやれる環境を作れるように頑張ろう」というミッションを新たに自分に課し、活動を続けていくことになる。

——この7年間の活動期間でもっとも大きなターニングポイントとして挙げられるのが、櫻坂46への改名だと思います。菅井さんは改名のタイミングで卒業を考えたと、当時おっしゃっていましたよね。
菅井 はい。改名するって決まったときは、自分自身も欅坂46というものにすごく賭けていた部分もあって、それこそグループのために、一回一回のライブで「ここで命が尽きてもいい!」と思うぐらい頑張っていたので、すべてを捧げてきたグループがなくなってしまうということにすごい喪失感が正直ありましたし、「自分は何もできなかった」と改名の理由が自分自身の責任でもあると感じていたところもあって。ここから新しいグループになっていくなら「キャプテンというイメージがある私は退いたほうがいいのかな?」と、それがグループのためになると思って卒業を考えたんです。でも、「こんな形で卒業することで、私を応援してきてくださった方に失礼になるのではないか」、とか、「ここで退いてしまって本当に後悔しないか?」と迷うこともありました。スタッフさんから「新しいグループでも、キャプテンを菅井に続けてもらいたい」と言っていただけたこともあって、もう一回グループを作りあげていくチャンスをいただけるのなら、二期生も入ってみんなが新しく頑張れる環境、楽しくやれる環境を作れるように頑張ろうと、考えを切り替えることができたんです。……(後略)

(『大切なもの』菅井友香ラストロングインタビュー)

 改名発表直後の「けやみみ」#37(2020年7月21日配信)では、「(2期生に)今後活動していくうえでその欅坂っていうものについてるいろんなものを全部背負わせてしまう、それが本当にいいことなのかっていうのもちょっと考えて、やっぱり新しくなるっていう決断はいいんじゃないかなって」とも語り、パフォーマンスについても「人間の負の感情や葛藤といったテーマに対しては『黒い羊』で一区切りつけられたのかなとも感じていたりする」「そういったものを越えたところにある気持ちだったり、その先に広がっている新しい景色をこれからはもっと表現していけたらうれしい(いずれも『B.L.T.』2020年10月号 p.10)と語るなど、いくぶん明るく前向きなものに転換していくことを期待する旨の発信を行っていた。あるいは10月18日の「そこ曲がったら、櫻坂?」初回放送では、新番組について「心機一転、私たち自身も楽しくお届けしたいなと思っています」と口にするなど、作品として表現するものをこえて、グループそのものの雰囲気を変えていきたいという意志をにじませることも、当時から繰り返されていたように思う。

 新たな道へ進むにはこのタイミングだったのかなと、今は感じていて。例えば、冠番組の『欅って、書けない?』(テレビ東京)に関しても、もちろんみんな頑張ってはいたけど、グループ名と同時に番組名も『そこ曲がったら、櫻坂?』に変わったことで、またみんな初心を思い出して、新しい空気感のなかでチャレンジができるのかなという期待もありました。実際、私自身も含むみんなが『そこさく』に変わったとき、改めて面白い番組を作っていこうという意気込みを持って収録に臨んでいたと思うんです。

(菅井友香『Wアンコール』p.41)

(前略)……ファンのみなさんからお仕事先で一緒になる関係者の方やスタッフさん、そしてメンバーまで全員が幸せになってもらいたくて。
 だからこそ、メンバー自身も楽しんで、笑顔で活動していきたいなと思っています。私たちが楽しんで、幸せそうに活動していれば、ファンの方も喜んでくださると思いますし、コロナ禍が続く大変な時代だからこそ、その姿を見せていけたらと。それは作品で伝えるというのももちろんなんですけど、いろいろなところで「この子たちが今、困難を乗り越えて頑張っているんだから、自分も一歩踏み出してみるか」と思ってもらえるような、“生き方”をちゃんと伝えられるグループでいたいなと思います。

(菅井友香『あの日、こんなことを考えていた』p.45-46)

 改名を経たあとの時期のインタビューでも、「新たな挑戦ができることを考えたら、変わるなら今しかないのかなという気持ちもどこかにあった(『別冊カドカワ 総力特集 欅坂46/櫻坂46 1013/1209』[2020年11月18日発売]p.82)ここから先は今までの何倍もの恩返しをして、笑顔で過ごしていきたい(同)などと述べていたほか、2期生に対する思いが特に語られる場面もあった。

——逆に田村さんが菅井さんに影響を受けたりした部分はなんですか?
田村 すっごく優しくて、すっごく気を遣われる方で、多分自分が一番しんどいんだろうなって思うときにも、周りにはそういう感じを全然出さなくて。でもこれからは、私たちももっと力になりたいし、もっと頼っていただけるぐらいしっかりしなきゃなって。本当に力になりたいなっていうのをずっと思ってます。
菅井 うれしい。今は2期生のほうが人数も増えて、グループの空気感や雰囲気が本当に変わったと思うし、2期生の子たちにめちゃ助けられてるよ。

(『BUBKA』2021年1月号 p.18)

 このなかで、特に副キャプテンを松田里奈とする体制に関しては、菅井の思いにも沿ったものであったということが、少しあとの時期にはなるが、菅井と松田の両名に対するインタビューのなかで語られてもいる。

——1月4日から菅井さんがキャプテン、松田さんが副キャプテンという新しい体制になりました。そのお話はいつのタイミングで。
松田 12月末くらいでした。
——その時に理由の説明などは?
菅井 ありました。私は引き続き、という形ですが、まつりちゃん(松田里奈)は……。
松田 1期生と2期生がもっと力を合わせてやっていくために、2期生からも居たらいいんじゃないか、みたいな……なんか、そんな感じでした。

(中略)

——松田さんが副キャプテンになるという話は、菅井さんは先に聞いていましたか?
菅井 はい。櫻坂46に変わるタイミングで、「グループの状態を考えると2期生にもそういった役割があった方がいいんじゃないか」という話をスタッフさんにしたら、同じことを考えていると。それで「まつりちゃんかな」と思ってたら、本当に「松田でいこうと思う」って話になって。まつりちゃんはすごく頼りになる存在だと思ってるので、それも嬉しかったです。

(『BRODY』2021年4月号 p.19)

 正式な肩書きのない状態でキャプテンの動きをしていたこの時期について、菅井は「櫻坂46になってから、私が円陣の掛け声をしていいのか悩むことも多かった(菅井友香『あの日、こんなことを考えていた』p.48)とも述べており、少々のすわりの悪さも感じていたようだが、改名前後の時期をグループとして空白なく駆け抜けていたことや、松田への副キャプテン打診が「12月末くらい」であったとされること、欅坂46時代は守屋茜が副キャプテンを務めていたことなどを考えると、「空位」の時期もそれはそれで必要だったのかもしれない。

「デビューカウントダウンライブ!!」と“Buddies”

 「デビューカウントダウンライブ!!」の開催がアナウンスされたのは2020年11月8日のことで、公演日はその1ヶ月後の12月8日に設定された。会場は欅坂46時代の「デビューカウントダウンライブ!!」と同じ東京国際フォーラムホールAであるものの、会場での客入れは行わず、全国117館の映画館でのライブビューイングのみを行う形での挙行となった。直前の「欅坂46 THE LAST LIVE」がそうであったように、単独ライブでも「無観客・インターネット配信」の形がまだ比較的多かったような時期であったが、ライブビューイングのみでの無観客ライブはかなり珍しかったのではないかと思う。

 時期としては新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の1回目と2回目の間の時期にあたり、テレビ収録やラジオ出演はスタジオに戻ってきていた頃であったが、大規模イベントに対する社会的な警戒感はまだかなり強く、有観客公演の実施そのものがチャレンジとなるような状態であり、少なくとも会場定員の半分程度までは席空けが必要とされるような時期であった12。この状況をふまえて、「欅坂46 THE LAST LIVE」は有観客公演から無観客・配信での公演に切り換えられたという経緯もあったが、「デビューカウントダウンライブ!!」はそこからいくぶん変化をつけ、少しでも前進しようとした試みであったように思う。あるいはそのうえで、新グループの初陣ともいえるライブを、より多くの観客の目に触れさせる、という効果もあったのかもしれない13

 しかしその結果、欅坂46時代も含めた2020年の1年間、グループは一度も有観客の会場でパフォーマンスを行わなかったということになった14。2019年7月が最後となっていた握手会は、デビューシングルの発売直後から「オンラインミート&グリート」の形で再開されることになるが、これもリモートであり、メンバーとしてはファンとの距離を感じてしまう時期が続いたようであった。菅井もこうした状況について、のちに「『みなさんに向けてライブをしている』という実感が全然湧かなくて(菅井友香『Wアンコール』p.42)、「コロナ禍で配信中心の活動を続けていかなければならなかった2020年は、私自身もモチベーションを保つことに難しさを感じていました(同p.44)と綴っている。

 このような背景および形式のもとで挙行された「デビューカウントダウンライブ!!」であったが、メンバーは1stシングル収載の7曲と、この日初解禁・初披露となった「櫻坂の詩」を堂々とパフォーマンスしてみせた。幅広い楽曲の世界観をチームを入れ替えながら披露しただけでなく、楽曲数が8曲と少なかったこともあって、MVの撮影風景などをおさめた映像なども流されたほか、3人のセンターがそれぞれ楽曲への向き合い方や解釈などについて解説する時間や、メンバーひとりひとりが改めて新グループでの活動に向けた決意を語る時間が設けられるなど、いくぶん余裕をもってていねいにメンバーやグループのありさまが語られるライブとなった。

 これらの語りのなかで、のちのちまで筆者の心に少し引っかかっていたことがあった。メンバーひとりひとりの語りのなかで、誰かが「Buddies」の語を櫻坂46のファンの総称として用いたが、すぐに引っ込めたような場面があったはずである、ということである。このライブの様子は、2ndシングル「BAN」Type-Aの映像特典という形でソフト化されているが、MCでの語りはほぼすべてカットされている。そのためディテールが曖昧でいまや確認もできないのだが、確かに記憶には残っている。
 ファンの総称があれば単純に便利であり、それはメンバーとファンとの確かな絆ともなる。想起しやすい例は、日向坂46が彼女らの「デビューカウントダウンライブ!!」に際して定めた「おひさま」で、これは「日向」をつくるのが「おひさま(=太陽)」というわかりやすいストーリーのもと、ライブに向けて「直前スペシャル」として行われたSHOWROOM配信のなかでメンバーによって宣言される形で名づけられたものであった。楽曲「Buddies」は、「We are buddies 仲間だ」と多くの人々に明るく呼びかけていく、壮大な調子のある楽曲であり、現在そのようなものとして定着しているように、語としての「Buddies」は櫻坂46のファンの総称として適合的なものであるようにも思える。
 このライブに先立ち、菅井も「Buddies」MV公開を受けたブログで「応援してくださる皆さまと私たちはきっともうBuddiesですよね🤝(菅井友香オフィシャルブログ 2020年11月28日「Buddies🤝」)と綴り、翌日に行われた誕生日のSHOWROOM配信では、菅井のファンの総称を「ばりーず」とするなど15、櫻坂46のファンの総称として「Buddies」が間もなく定着していくかのような語り方があった、という状況であった。しかし「Buddies」が大々的に使用されて定着していくまでにはいくぶんかの期間があり、少なくとも「デビューカウントダウンライブ!!」以降の時期においては多少遠慮があるような面もみられた、ということを、当時のグループに生じていた現象として記憶しておきたいと思う。

■ 楽曲「Buddies」のその後
 以降は筆者の推測というか、感じ方にとどまるものであるが、ファンの総称としての「Buddies」が定着するのに少し時間がかかった背景には、楽曲「Buddies」が全員によって披露される楽曲ではないことがあったように感じられる。筆者の記憶によれば、総称としての「Buddies」は、その後半年以上の時間を経た「BACKS LIVE!!」(2021年6月16-18日)あたりから改めてメンバーによって用いられるようになり、翌月の日向坂46との合同ライブ「W-KEYAKI FES. 2021」(2021年7月9-11日)において、日向坂46のファンの総称である「おひさま」との対比で大々的に用いられるようになった、ということであったように思う。
 この頃にはすでに総称としての「Buddies」はかなりしっくりきていて、むしろ楽曲「Buddies」をメンバー全員で披露すべきではないか、という声もファンから多く上がっていたような状況であっただろうか。

 ただ、当時のタイミングでそこまでしてしまうと、それはそれでやや拙速ではないかという印象を筆者はもっていた。楽曲オリジナルのメンバーやフォーメーションは尊重すべきものであるし、このときの「14人×3チーム」の布陣には「“全員で楽曲を届ける”という思い」が込められていたということを想起すれば、少なくとも1stシングル期や、同じく森田・藤吉・山﨑をセンターとする3チームの体制で臨まれた2ndシングル期16においては、このバランスを崩すにはまだ少し早かったのではないかとも思う。
 これは筆者の個人的な思いであるとしても、楽曲「Buddies」が長らくこのような位置づけであったことで、「3rd Single BACKS LIVE!!」(2022年1月8-9日)において、前回の「BACKS LIVE!!」を体調不良による活動休止で欠席した尾関梨香が自身がキャリアで初めてセンターポジションに立つ楽曲として選曲したり、「W-KEYAKI FES. 2022」(振替公演、2022年8月19-20日)で、卒業を控えておりこのときが最後のライブであった尾関梨香と原田葵が代打扱いのポジションで参加したり17と、いくつかのグループにとって特別なシーンが演出されたことは確かだ。あるいはいまにして思うと、オリジナルメンバー以外もステージで披露する初めての機会となった「BACKS LIVE!!」18をひとつの契機として総称「Buddies」が用いられ始めたことは、ある意味では筋が通っているといえるようにも思う。

 そして楽曲「Buddies」が、“所属メンバー全員”で演じられる端緒となったのが、さらに時間を経た「2nd YEAR ANNIVERSARY 〜Buddies感謝祭〜」(2022年12月8-9日)であった。菅井友香の卒業を経てグループは総勢19人(関有美子がこの公演欠席で披露メンバーは18人)、オリジナルメンバーは11人となっていた。グループは3期生オーディションを終え、櫻坂46として初めての“新メンバー”を迎える直前の時期でもあった。あくまでオリジナルメンバーを尊重しつつも、グループとしての動きと軌を一にしながら歌唱メンバーをゆっくりと変更していくさまは、(歌唱メンバーやフォーメーションなどの背景を含む広い概念としての)“楽曲”への向き合い方への真摯さを印象づける。
 そしてその後、「3rd TOUR 2023」(2023年4月12日-6月1日)ではアンコールで披露、「3rd YEAR ANNIVERSARY LIVE」(2023年11月25-26日)では1曲目に披露されるなど、現在においてはグループ全体の一体感と“Buddies”との紐帯をストレートに歌う位置づけで披露されている。

 ともあれ「デビューカウントダウンライブ!!」は、新グループの確かな第一歩としてメンバーとファンの記憶に刻まれるものとなった。欅坂46時代の楽曲は“封印”された、とあえて粒だてて語られる向きも一部にはあったが19、それすら不自然に思えるくらいに、櫻坂46は正真正銘の“デビュー”を飾っていたように思う。
 ライブ終盤のMCで、菅井は「ついに動きだすことができるということで、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。いよいよスタートすることができるんだなと、すごくワクワクしています」と語った20。コロナ禍での活動ストップ以前から、「出口の見えないトンネルをさまよっていたような状態(菅井、「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU ! 」[2020年7月16日])であったというグループは、2回目のデビューを機に、白いペンライトに照らされながら改めて駆け出していくことになる。

未来へ向かう執念:「BACKS LIVE!!」と「W-KEYAKI FES. 2021」

 デビューから年末の音楽番組の時期を駆け抜けた櫻坂46。前述したように、この時期の音楽番組で披露されたのは「Nobody’s fault」のみでなく、「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」「Buddies」とあわせた3曲であった。さらに改名後初出場となった「NHK紅白歌合戦」では、全メンバーによる特別な編成で「Nobody’s fault」が披露されている。それは新グループのパフォーマンスを“紅白”の舞台で見せつけたのみならず、これまでとは違う形ではあるが、引き続き“全員”でのグループ活動をしていくことの表現でもあったように見えた。

 2021年が始まって間もない時期には、1月4日に菅井キャプテン・松田副キャプテンの体制の発表があった一方、直後の1月8日には松平璃子が1stシングルの活動をもってグループを卒業することを発表する。松平は卒業の理由を「自分の心と身体がグループに追いつかず(松平璃子公式ブログ 2021年1月8日「お知らせ」)と説明していたが、「欅坂46 THE LAST LIVE」でのスピーチでも同様に「まだ櫻坂46に追いついていない」と語っていたところである。松平は「坂道合同新規メンバー募集オーディション」の際にも「欅坂46にしか入らない」と公言するなど、欅坂46への思いが強かったメンバーであることが知られており、改名がもたらした断絶を実感させられる機会ともなってしまった。
 松平の卒業発表を受け、菅井は欅坂46時代と同様にブログを更新する。全体としては前向きなトーンでまとめられていたものの、「これからも一緒に頑張っていけると思っていた最中の卒業はとても寂しく、心配です。(菅井友香公式ブログ 2021年1月14日「りこぴ」)とするなど、やはりいくぶんかの無念がにじむような部分もあった。
 松平は卒業日である2021年3月14日に更新した最後のブログで、「サイレントマジョリティー」の歌詞全文と、自らの歌唱衣装21の写真を掲載して卒業の挨拶としている。記事のタイトルは「最後の音楽」であった。

 2月18日にはシングル発売記念の配信ミニライブが開催され、これは現在まで続く無観客・配信形式でのミニライブの端緒となる。オンラインミート&グリート(いわゆる全握ミーグリ)は3月まで続くことになるが、ミニライブの配信をもって1stシングル期はおおむね終了した形となり、2ndシングル期に一気に突入していくことになる。
 2月28日放送の「そこ曲がったら、櫻坂?」#19では2ndシングルのフォーメーションが発表され、翌日には表題曲のタイトル「BAN」を発表。3月8日の「レコメン!」では音源が解禁され、3月15日の配信ミニライブのアーカイブ配信(メンバー解説付き)の最後では、YouTubeでの公開に先駆けてMVのティザー映像がサプライズで配信された。MV本編も3月17日に公開され、シングルのリリース日は4月14日であった。
 欅坂46時代後半期には、グループはリリースが長らく滞った時期も経験してきたが、前作からのリリース間隔は約4ヶ月。ここから現在まで、コンスタントなリリースが続けられていくことになる。

 2ndシングルでも、表題曲のセンターに森田ひかるが立ち、ここに藤吉夏鈴と山﨑天を加えるマルチセンターシステムは継続され、「櫻エイト」の8人も全員続投という形となった。シングル所収の7曲は、森田・藤吉・山﨑のセンター楽曲が2曲ずつでユニット曲・ソロ曲はなく、これに加えて全メンバー22による「櫻坂の詩」という内訳であり、これも1stシングルとほぼ同様の構成であったといえる。
 表題曲の歌唱メンバーに着目するならば、3列目の6人のうち、尾関梨香・武元唯衣・守屋茜が外れて井上梨名・守屋麗奈・渡辺梨加が加わった、というのみの変動でもあり、1stシングルの体制がほぼ継続された、と評価できるように思う。これをどのように受け止めるかは人によってさまざまであったと思うが、筆者には「迅速に単独ライブを成立させるための処置」であったように見えた。

 2ndシングルの配信ミニライブは5月14日に開催されたが、このなかで「3列目メンバーライブ」の開催が発表される。これはのちに「BACKS LIVE!!」として改めて告知され23、舞浜アンフィシアターにおいて6月16-18日に行われることになる。また、5月29日には日向坂46との合同ライブ「W-KEYAKI FES. 2021」(2021年7月9-11日、9日は櫻坂46・10日は日向坂46の単独公演、11日は合同公演)の開催も発表される。「BACKS LIVE!!」はグループ初の有観客公演であり、「W-KEYAKI FES. 2021」は全メンバーによる初の有観客公演、という形となった。

3列目メンバーライブのタイトルが「BACKS LIVE‼︎」に決定しました!
ラグビーでは、フォワードの8人が前線でチャンスを切り開き、後方からバックスがポイントをゲットする、攻撃の要になります。
3列目も後方から虎視眈々とトライを狙って、櫻坂のポイントゲッターになって欲しいという意味が込められています。
「私たちで、櫻坂46を、強くする。」
この言葉にピッタリなタイトルだと思っています。

櫻坂46公式サイト NEWS 2021年6月2日「3列目メンバーライブのタイトルが『BACKS LIVE!!』に決定!」

 東京都でいえば、4月25日から6月20日・7月12日から9月30日までの期間に新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言が発出されており(この間の期間はまん延防止等重点措置)、開催が危ぶまれた向きもあったが24、全日程配信併用・声出しにかわるスティックバルーンの配布の形で決行されることになる25。ただでさえ“新たな形でのライブ”が要請されているなかで、このときオリジナルの楽曲は14曲。いずれのライブでもこの14曲をフルに用いたセットリストが組まれたが、フルサイズのライブが成立するぎりぎりの曲数であったといえるように思う。1stシングル・2ndシングルが前述したような体制で制作されていなければ、困難はさらに増していたかもしれない。

 特に「W-KEYAKI FES. 2021」に関しては、ライブの成り立ち・名称をふまえつつも、「曲数が足りないから」のような曖昧な理由で、“欅曲”の披露を期待するような雰囲気がくすぶっていたように思う。しかし結果として、それは日向坂46との合同公演で「W-KEYAKIZAKAの詩」が披露されたのみにとどめられた26。それは改名という形で新たな道を進み始めたグループとしては、当たり前ともいえるような筋の通し方だった一方で、(一部の)ファンとの温度差がそこに現出したことについては、複雑な思いを抱いたり、悔しさを感じたりしたメンバーもいたようである。

ここからは私の個人的な想いを
覚悟を持ってお話させていただきます。

初めて櫻坂46全員で迎える、
有観客でのライブ、
そして野外ライブだったので
このライブに対してかける想いがたくさんありました。

まだ改名をして1年も経っていなく、
「櫻坂46」のグループの印象が
皆さんにはっきりしていないのかな、と
感じる事が多々あります。

皆さんからレターやミーグリなどで
「欅坂の曲聴いて毎日頑張れてるんだ!」
「ライブで欅の曲またやってほしいな!」
という声を聞くことも多く、

求められるものが櫻坂の曲ではなく、
欅坂の曲ということが
やっぱり自分の中では凄く悔しくて

櫻坂としての楽曲が
皆さんの心にまだまだ届いていないんだな、
と改めて実感していたりしました。

小池美波公式ブログ 2021年7月14日「☺︎‬」

最初にこのフェスを開催することを聞いた時は、嬉しい一方で、時期早々ではないかと思いました。

櫻坂に改名してからまだ1年も経っていなくて、
櫻坂としてのカラーがまだまだ浸透していないのを日々感じています。

せめて先に櫻坂として楽曲が増え
単独ライブを経験させて頂くことが私たちには必要だと考えていました。

でも、KEYAKIZAKAとしての歴史を歩んできた今のメンバーが来年全員そろっているか、未来の事は分からないとの意見もありました。

初日に櫻坂46に1日頂く事が出来たので、
待っていて下さる方がいらっしゃる限り
絶対に成功させたい。

櫻坂に対し疑問を持っている方にこそ
この合同ライブを通して好きになってもらいたい。

その為に、メンバーとも話し合って、
今の私たちにできること全てを出し切ろうと、
強い気持ちを持ってこのライブに挑みました!

(菅井友香公式ブログ 2021年7月14日「W-KEYAKI_FES.2021🌳ありがとうございました」)

 この頃のグループについては、後年においても、例えばグループ卒業を控えた時期の小林由依が「最初の頃って欅坂と繋がっていた印象が自分の中でもあって(『B.L.T.』2024年3月号 p.23)と語るなど、楽曲や表現の角度はいくぶん変えられ、幅も広がっていた一方、パフォーマンスやライブへの取り組み方としては欅坂46との連続性をもって対していた部分があり、メンバーもファンも「櫻坂46」をとらえ切れていなかったような雰囲気がまだあったかもしれない。
 それでもいまは、すべての手を尽くしてがむしゃらにやるしかない——などと筆者の立場から説明を加えると雑駁かつ過剰になってしまうかもしれないが、そんな印象を受けていたことは確かだ。「W-KEYAKI FES. 2021」では冒頭にメンバーがオープンカーで登場する演出がつけられたり、ダンストラックが長めにとられたりしていたし、「BACKS LIVE!!」についても、「私たちで、櫻坂46を、強くする。」というキャッチコピーが付された上で、立候補制で各楽曲のセンターが決められたというストーリーが強調されたり、ライブ中盤には「なぜあなたは3列目なのだと思うか」「あなたのグループにおける存在意義は何か」とメンバーに問うインタビューVTRが挿入されたりするなど、現在のグループがあまり見せない部分を見せていたような、そんな印象をもつ。
 しかし、菅井の言葉を借りれば「櫻坂としてのカラーがまだまだ浸透していない」状況にあって、あくまで「櫻坂46」を貫徹したことがその後の歩みをもたらしたことは疑いないし、「BACKS LIVE!!」を経て全メンバーがセンターポジションを経験したのみならず、全員が全曲をパフォーマンスできる状況をつくり出したことは、その後メンバーの卒業が続いた頃から3期生の加入までの時期において、グループのパフォーマンスの維持・向上につながった。

 新グループとして、未来へ向かう執念を見せていた時期。当時からそうした色は感じていたものの、いまになって振り返ると、そうした印象はより強くなる。

すべては永遠ではないから

 これらのライブと重なるくらいの時期にはすでに3rdシングルの制作が動き出していたようで、2021年8月7日には3rdシングルのリリースが発表され、8月8日の「そこ曲がったら、櫻坂?」#42でフォーメーションが明らかとなる。前作からの間隔はちょうど半年ほどであり(リリース日は10月13日)、現在の間隔でいくと標準的か、あるいはライブの時期との関連で少し長かったくらいの間隔であるが、菅井が「こうしてシングルを順調にリリースさせて頂けるのは、本当に有難いことです!(菅井友香公式ブログ 2021年8月7日「リリース発表🌸」)と表現したように、グループの歩みの順調さを実感できるペースであった。加えて、9-10月に4都市9公演の日程で「1st TOUR 2021」を開催することも「W-KEYAKI FES. 2021」DAY1のなかですでに発表されており、3rdシングルは櫻坂46として初の全国ツアーに臨むための作品ともなった。

 フォーメーションは前作までのものから変化がつけられ、3人のマルチセンターおよび「櫻エイト」のシステムは継続されたものの、3人のセンターは表題曲に田村保乃、カップリング曲に森田ひかると渡邉理佐となった。「櫻エイト」には土生瑞穂・渡辺梨加が加わる一方、かわって小池美波と藤吉夏鈴が表題曲の3列目に動いた形となった。
 また、初の「BACKS曲」として「ソニア」が制作され、小池はそのセンターポジションに立つことになる。カップリング曲の制作も“解禁”され、小林由依・遠藤光莉・藤吉夏鈴による「ジャマイカビール」、井上梨名・松田里奈による「On my way」の2曲が収録される。
 グループ全体のフォーメーションとしてはやや大きく動かされた印象を受けるものであったが、田村の新センター抜擢27、森田をカップリング曲のセンター・山﨑をフロントメンバーとしたこと、「次はセンターに」と期待される向きも強かった281期生(理佐)をセンターの一角に加えたこと、はっきりとポジションが“下がる”形となったメンバー全員に、それとは別の新たな持ち場を任せたこと(小池、藤吉、井上、小林)など、「フォーメーションに動きを与える(=コンサバティブになりすぎない)」という判断をしたこと自体も含めて、バランスをとることへの意識が端々ににじむようなフォーメーションであったように感じられた。

 一方で、「1st TOUR 2021」の初演を2日後に控えた2021年9月9日には、小林が休養のため活動を休止することを発表し、ツアーに関しては全公演休演となる。発表のなかでは「体調不良」の表現は用いられず(あえてそうした、という印象もあった)、本人も「決して後ろ向きなお休みでは無く 今後の為に今必要な時間(小林由依公式ブログ 2021年9月9日「*」)と綴ったが、そこからイメージされたよりはいくぶん厳しい状況でもあったということが、後年において明かされている。

思い返すと1年前、私はお仕事をお休みしていました。

作り笑いも出来なくなった日。
1日を歩むことってこんなにきつかったっけ。と、一度立ち止まりました。

そんなことを経験してからのこの写真集撮影。
お休み期間を経て気づいたことのひとつ、
「頑張らないことを頑張る」を心がけて撮影に挑みました。

(小林由依2nd写真集『意外性』巻末小林由依手書きメッセージ)

 この年には5月より尾関梨香も体調不良による休業の期間をとっており、「W-KEYAKI FES. 2021」から復帰したばかりというタイミングであったし、同ライブ内でツアーの開催が発表された際には小林自身もそれを楽しみにする前向きなコメントをして笑顔を見せていただけに、全員で満足のいくグループ活動をすることの難しさに直面するような出来事となった。

 そして3rdシングルがリリースされ、「1st TOUR 2021」も残すところさいたまスーパーアリーナ公演のみとなった10月22日には、守屋茜と渡辺梨加が3rdシングルの活動をもってグループを卒業することを発表する。それは菅井が「W-KEYAKI FES. 2021」にグループが臨むことになったときのことについて、「KEYAKIZAKAとしての歴史を歩んできた今のメンバーが来年全員そろっているか、未来の事は分からないとの意見もありました。(菅井友香公式ブログ 2021年7月14日「W-KEYAKI_FES.2021🌳ありがとうございました」)と綴ったことの答え合わせのようでもあった。
 グループ改名に際して、特に1期生は(菅井に限らず)そこで卒業を考えたメンバーも多かったという。守屋は卒業発表のブログで「昨年頃から自分の将来の事、今のグループのことをみていて、アイドル活動は全てやりきったと思いました。(守屋茜公式ブログ 2021年10月12日「〜fledged〜to the future」)と綴り、改名前後の時期からの思いがこのタイミングでのグループ卒業につながっていることを示唆した。しかしそれでも、ふたりともが立場やポジションを変遷させながらも、改名後も1年強、シングルでいえば3作という期間を活動してきたことに、新たな道を切り拓いていくグループへの愛情と献身を感じた。

櫻坂46にとって、初めての1期生卒業となります。

時の流れと共にグループの形やあり方は変化して行くと思います。

どんな事にも対応出来る、軸のあるグループでありたいと思っています。

櫻坂には可能性に満ちています!

止まらずに、
誰かの力になれることを模索して行きたいです。

これからも、櫻坂46の応援
よろしくお願いいたします!

(菅井友香公式ブログ 2021年10月26日「戦友たち」)

 卒業発表時点では、ふたりの最後のライブがいつになるのかは判然としていなかったが、ツアーの千秋楽であるさいたまスーパーアリーナ公演3日目(10月31日)のなかで、「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」(12月9-10日)が日本武道館で開催されることが発表され、DAY2公演において卒業セレモニーが開催されることになる。近年でいえば卒業の区切りでは定番となっているともいえる卒業セレモニーであるが、このときが欅坂46時代も含めてグループとして初めての経験であり29、またセレモニーの開催告知もDAY1公演の終演後というタイミングであった。
 このライブでは、セットリスト終盤の「ジャマイカビール」より小林由依がグループに復帰している。ふたりはグループ初の卒業セレモニーにおいて、全メンバーに見送られる形でグループを旅立つ形となった。

 先輩メンバーに強烈に懐くタイプで、この時期は特に守屋茜にくっついていることが多かった増本綺良30は、卒業セレモニーにおいて「おふたりと離れるのは本当に寂しいです。けど、お別れは今日やってきても、1年後だったとしても、寂しいものに変わりはないので、いまの別れのつらさより、出会えたことへの感謝に目を向けて、いまはおふたりの未来を思い切り応援したいと思っています。」と語った。
 グループアイドルの宿命というべきか、このライブをちょうど区切りとして2年目を迎えた櫻坂46は、これ以降コンスタントにメンバーの卒業を経験していくことになる。ただ、良い意味でそれに引っ張られていないような、そんな感覚もある。涙を封印して31増本が語った、「別れのつらさより、出会えたことへの感謝」。シンプルだが、いつも心に置いておきたい言葉だな、と思う。

自らも“2年目”へ

 また、ここまでで述べてきたグループの動きとちょうど重なる時期に、メンバーとしての菅井個人にもいくつかの動きが生まれることになる。ひとつ目は2021年9月6日の「レコメン!」で、9月いっぱいでの月曜ダブルパーソナリティ卒業を発表したことである。ダブルパーソナリティを務めた期間は約4年半にのぼり、これは菅井がグループのキャプテンとして歩んできた時間とおおむね重なる。パーソナリティのオテンキのりがつくる、ポップでおちゃらけた雰囲気がベースの番組でありながら、月曜夜の生放送という巡りあわせもあり、グループに大きな出来事やトラブルが生じた際に真っ先に菅井の口からファンに語りかける、他になかなか例のない特殊な場としても機能していた。
 卒業発表はオテンキのりに対してサプライズで伝えるような形がとられるが、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言発出にともなうリモート出演の状態であったこともあり、生煮えのまま終わってそれが笑いに変わったような雰囲気であったが、菅井自身が「せっかくなので、ちょっと懐かしい曲にしたいと思います」と選曲した「二人セゾン」を聴いているうちに、(番組序盤にもかかわらず)菅井は涙が止まらなくなってしまう。「『生きるのは変わること』とこの歌詞にあるんですけれど、その意味をいまならちょっと理解できるかなと思います」。
 「二人セゾン」について、菅井は「MV撮影の時に、『欅坂46も永遠じゃないんだ』っていう話をしたことがあって、頭の片隅にはずっとその言葉があった」とし、「欅坂46 THE LAST LIVE」での“最後の披露”の際には「その答え合わせの瞬間が『いま』なんだなって」と、「正直『二人セゾン』の時は涙が止まらなかったです」という状況であったという(以上『BUBKA』2021年1月号 p.17)。欅坂46時代の曲、その“初期”の曲、キャプテン就任の時期の曲。そしてまたあるいは、あの頃のグループには、「もう永遠に、辛いことも苦しいことも起こらないかもしれない」というような、明るい青春の色彩と勢いのようなものがあった。制作の時期からはすでに約5年。あのときに青春が予感したものは、ひとつも的中などしていなかったのかもしれないけれど、しかしそのぶんだけ、予想さえできなかったものを彼女たちはつかみとってきたのだと思う。
 あの日と同じように、その明るくも切ない曲調が、菅井からすべての感情を引っ張り出していた。

欅坂のときとかは、この放送が月曜日なので、やっぱり土日のライブとかいろんな発表とかのあとにこうやって「レコメン!」でお話しさせていただくことが多かったので、不安定だったときはそれがすごく難しいというか、大変だなって思うこともあって。でもそれを自分の声でファンのみなさんにお話しできる場っていうのがすごくありがたいなと感じてやってたんですけど。
 でもすごくスタジオに入るときに、怖いな、と思っちゃうときもあったんですよ。そんなときにのりさんがいつも、安定したテンションでいろいろお話しして下さって、最終的には放送が始まったら笑顔で楽しくで、帰るときには本当に笑顔で帰れたので。すごく「レコメン!」にも助けられたなって。

(2021年9月6日「レコメン!」24時台オープニング、菅井)

 菅井のレギュラー出演は9月28日の放送回で最後となり、月曜ダブルパーソナリティは松田里奈に引き継ぐ形となる。この間には日向坂46・加藤史帆が出演する火曜日や、乃木坂46・田村真佑が出演する水曜日にもゲスト出演したほか、最終回となる9月28日にはスタジオに復帰して323時間にわたって33出演。エンディングではリスナーに向けて、涙ながらに手紙を読む場面もあった。

レコメン!リスナーのみなさまへ

月曜レコメンを聴いてくださり、本当にありがとうございました。
楽しんでいただけましたか? リスナーのみなさんとは、たくさんの思い出がありますね。
学校やお仕事などでお忙しい、週はじめの月曜日の貴重な夜に、こうして一緒に過ごしてくださったこと、心からうれしく、感謝しています。
4年半前はこの世界に入って間もなく、器用なほうではない私のトークは、お聞き苦しい点も多々あったかと思います。
でも、のりさん、スタッフさんにご尽力いただき、まだまだ未熟者ですが、私自身楽しみながらお送りすることができました。
気づけばレコメン!は、自分をさらけ出せる場所になっていました。
たくさんメールを送ってくださったり、時には笑わせていただいたり、リスナーさんとのコミュニケーションがすごくすごく楽しかったです。
そして何より「月曜レコメンがおもしろい!」と言ってくださるお声がすごく励みになりました。
この貴重な経験を通して、ラジオはリスナーさんと一緒につくっていくものなんだな、と実感しました。
月曜レコメンが明日からも頑張る息抜きや楽しみに、少しでもなれていたら、これほど嬉しいことはありません。
数年前はラジオパーソナリティなんて夢の夢だと思っていたけど、支えてくださる方に恵まれ、なんとか4年半も続けさせていただくことができました。
この感謝とこの経験を胸に、これからはもっともっと成長して、新たな菅井友香になれるよう、どんなことにも挑戦していきたいと思っています。
人生は一度きり、いつだってやってみなければわかりません。
リスナーのみなさまも、ぜひ夢を大きくもって、自分の道を信じてあげてくださいね。
つらいとき、悲しいときは、「人生きっと“ウマ”くいく」と唱えてみてください。ずっと応援しています。
そして来週からは、新たに後輩の松田里奈ちゃんがダブルパーソナリティを務めます。
私もこれからは5軍リスナーの仲間入りをして、応援したいと思います! ぜひ一緒に聴きましょうね。
リスナーのみなさま、一度でも聴いてくださったみなさま、本当に本当に、ありがとうございました。
これからもレコメン!リスナーのみなさまに、たくさんの幸せが訪れますように。

櫻坂46 菅井友香

(2021年9月28日「レコメン!」エンディング、菅井の手紙[書き起こしは筆者による])

 ダブルパーソナリティ卒業後も、2023年4月の番組リニューアルでオテンキのりが出演を終了するまでは(グループ卒業後も含めて)たびたびゲスト出演を続け、その2023年春には現在まで続く文化放送でのレギュラー番組「サントリー生ビールpresents 菅井友香の#今日も推しとがんばりき」がスタートしている。オテンキのりとの交流も現在まで続いており、お互いの番組・YouTube配信にゲスト出演するなど、その姿が公に見られる場面も多い。

 また、この時期の菅井に関するトピックとしては、「レコメン!」卒業に加えてもうひとつ、2022年2・3月上演のミュージカル「カーテンズ」への出演決定がアナウンスされる(2021年9月9日)。グループ卒業後はコンスタントに演技の仕事を続け、2024年現在では連続テレビドラマへの出演も続いている菅井であるが、演技の仕事としてはコロナ禍を挟んで「飛龍伝2020」(2020年1-2月)以来であった。
 詳しくは後述するが、「カーテンズ」に取り組む期間が4thシングルの制作期間と被ったことにより、この間菅井はグループから距離を置いて「カーテンズ」に集中する形をとることになる。「このお仕事が決まったのが2021年7月くらいだった」とのことで、そこからボイトレの機会を増やし、「1日も無駄にできない」という意識で積み重ねを続けていったのだという。「櫻坂になったときに、まずは『あと2年頑張ろう』と自分の中で決めていました」という菅井。その「あと2年」は折り返し地点に差しかかろうとしていた。当初それはやや漠然としたイメージだったというが、意識して「特に(卒業までの)この1年はみんなに託すというか、まつりとかいろんなメンバーに活動の中で何かお願いすることをちょっとずつ増やしていく」ことで、「よりグループが生き生きしてきた」と感じ、「カーテンズ」の期間に客観的にグループを見ていたときに、改めて「ああ、卒業するなら今だな」と確信したのだという(以上、『大切なもの』菅井友香ラストロングインタビュー)

 グループを前へ進めていくとともに、自らの未来も改めて意識し始めるような出来事が続いたこの時期。菅井が櫻坂46の一員として過ごした後半期は、同期メンバーのグループ卒業を見送ることも続いていくことになるが、その胸の奥には自らの卒業にむけての意識も秘めながら活動していたのだということを確認して、ここからはさらに振り返っていくことにしたい。

「櫻坂46」としてのライブの形

 ここからしばらくは、おおむねここまでの期間に行われた、「1st TOUR 2021」以降のライブについて振り返っていくことにしたい。ここまででも述べてきたように、2021年はライブイベントなどが徐々に復活してきてはいたものの、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言の発出が繰り返されるなど、まだまだコロナ禍の影響が厳しい時期であった。

 近年特に積極的に出演を続け、広く好評を得ているといえるフェスイベントの類も、この時期には(欅坂46時代からの流れもあり)いくつも出演が決まっていたものの、2020年末の「COUNTDOWN JAPAN 20/21」に始まり、2021年8月の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2021」、9月の「8PPY MUSIC FESTIVAL」と、次々に中止となってしまう。単独の有観客公演以上に、人々が自由に動くため観客に規制をかけにくいことや、挙行された別の音楽フェスで感染対策が徹底されず、クラスターの発生が報じられたことなどから、フェスイベントにはかなり厳しい目が注がれていたような、そんな社会情勢であった。
 イベントの開催制限としては、国が示した取り扱いのもと、「大声なし」(「声出し禁止」)などの感染対策を前提として、観客数を「5000人上限」(5000人または会場収容人数の半分のいずれか小さい方まで)とされた時期が続き、2021年10月以降はおおむね「収容人数の半分が上限」となる。その後2022年に入ったあたりからはさらに緩和され、観客数の制限はほぼなくなっていった、というような流れであった。
 そのため2021年においては、「声出し禁止」「1席ごとの席空け」という条件のもとで、単独ライブに傾注する形でライブパフォーマンスが重ねられていくことになった。

 この時期、櫻坂46に限らずであったと思うが、ライブにおける「声出し禁止」にどのように対峙するかがひとつのわかりやすく大きな課題であったと思う。「声出し解禁」を待たずにグループを卒業することになった菅井も「今はなかなかファンの方の声援を聞けないからこそ、あの頃得られた一体感やファンの皆さんの地響きのような声援は今でも忘れられませんし。(『大切なもの』菅井友香ラストロングインタビュー)と語ったように、「声出し」はステージで演じるメンバーを力づけるとともに、ライブの演出と一体不可分のものでもある。
 この間(2022年5月の「渡邉理佐卒業コンサート」まで)、櫻坂46のライブでは一貫してスティックバルーンが配布され、「声出し禁止」を強調するとともに、新たな形が模索されることになる。ただ、有観客公演再開の端緒となった「BACKS LIVE!!」ではスティックバルーンを用いたコール&レスポンスのコーナーが設けられるなどの試みもあったが、観客のほぼ全員が手にしているといってよいペンライトとの相性がよくかったこともあってか(両方を持つことはなかなか難しい)、劇的に何かを向上させていたという印象はない。

 一方で、会場の一体感は主にペンライトによって形づくられていくことになる。欅坂46時代初期に遡る思想的源流があってのことだと思うが、櫻坂46のライブに行くと、客席がほぼ常時「正しいペンライトの色を探している」ような雰囲気を強く感じることがある。グループカラーは白と明言され、「Nobody’s fault」の白、「BAN」の赤などはメンバーが呼びかけた経緯があったように思うし、「ブルームーンキス」の青などはこれ以外にないといえるほどわかりやすいと思うが、「曲ごとにペンライトの色を変えてほしい」とまで呼びかけられているということではない。
 そのようななかで「1st TOUR 2021」で初披露となった「流れ弾」「Dead end」が、ライブの演出に加え、この期間中に公開されたMVのイメージもあいまって、ペンライトが赤で揃う形となった(理屈はよくわからないが、赤のペンライトは揃いやすい)のが決定的であったかもしれない。これ以降も特に表題曲に関しては、特定の色で揃えられる場面が多くなっているように思う。
 これに加え、「1st TOUR 2021」の各公演では、アンコールの「櫻坂の詩」でのペンライトをサクラピンクにするように菅井から直接呼びかけられたこともあり、これはこれ以降も定着していくことになる(それ以前はグループカラーの白にする向きが強かったと記憶している)。

 前述のように、2ndシングルの体制で開催された「BACKS LIVE!!」「W-KEYAKI FES. 2021」は当時のオリジナル楽曲全曲をもって臨まれた形であったが、3rdシングルの体制での「1st TOUR 2021」も、2ndシングルまでの14曲はすべて披露され、1曲目に「Dead end」が、本編最後に「流れ弾」を加えた16曲を基本として展開されることになる。ここに3都市目の大阪公演から「無言の宇宙」が、最後の4都市目である埼玉公演で「ソニア」が加えられる形であった。
 また「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」についても、2ndシングルまでの14曲は引き続きすべて披露されたほか34、3rdシングル所収の楽曲もすべて披露されるという網羅的な取り扱いがされた形であった(「美しきNervous」と「On my way」は有観客公演での初披露、「ジャマイカビール」は初披露35)。当然ながら「1st TOUR 2021」とは大きく構成を変えつつではあったが、これも含めて一連の「3rdシングル期間のライブ」として大きな絵を描き、楽曲を逐次投入してファンを盛り上げていったような印象をもつ。
 さらに、1都市目である福岡公演2日目の終演後には「流れ弾」のMVが、2都市目である愛知公演1日目の終演後には「Dead end」のMVが会場でサプライズ公開される。いずれもこの日のうちにYouTubeチャンネルでも公開されたものであったものの、「ライブの場では何か新たな展開がある」というような雰囲気が、一貫して演出され続けていたともいえるかもしれない。

 さらにこれらの公演では、活動休止中(「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」より復帰したが、このときも一部のみの参加であった)の小林由依のポジションを「BACKS LIVE!!」を経験したメンバーで原則埋める(参考/3rdシングル収録曲は代打なし)形で「私たちで、櫻坂46を、強くする。」を具体的な形として実践するなど、グループの強さや成長が感じられる場面もあった。
 菅井は「1st TOUR 2021」に際し、グループで取り組むものとしてふたつの目標を立てていたのだという。ひとつ目は「会場のみなさんに櫻坂46のパワーを思い切り伝える」こと、ふたつ目は「このツアーを通じてチームワークをさらに高める」ことで(千秋楽公演MC/『日経エンタテインメント!』2022年1月号 p.105/『Wアンコール』p.169)、それは確実に成し遂げられていたといえるように思う。

 ツアー最終日のMCで私は「これからの櫻坂46に可能性を感じることができました」と言いました。これは、ツアーを重ねていくなかでグループ内がお互いをフォローし合おうというすごく良い雰囲気になり、そうした櫻坂46をもっといろいろな方たちに見ていただきたいとの素直な思いからの言葉でした。そんな櫻坂46がもっと応援していただけるようになれたらと思いますし、私たちの未来を信じてほしいという気持です。

(『日経エンタテインメント!』2022年1月号 p.105/『Wアンコール』p.170)

 「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」で行われた守屋茜・渡辺梨加の卒業セレモニーでは、欅坂46時代のユニット「青空とMARRY」の楽曲である「ここにない足跡」および「青空が違う」が披露される。ファンコミュニティに流通していた言い回しでいうと“欅曲解禁”という形になったが、むしろここまでに1年間をかけ、さらにここでの披露もユニット曲にとどめたグループの執念に改めて目を向けるべきであろう36
 これ以降、1期生の卒業の機会では“欅曲”が演じられることが定番のようになっていくが、むしろそうした場に披露機会をほぼ限定するレールを引いたことで、グループとして良いバランスを保てるようにした、という評価もできるかもしれない37

グループとの距離と「五月雨よ」

 2021年末、グループは「COUNTDOWN JAPAN 21/22」に出演し、これがようやくフェスイベントへの出演の端緒となる。大晦日には「流れ弾」で2回目の「NHK紅白歌合戦」への出場を果たし、年が明けて間もない2022年1月9-10日には「3rd Single BACKS LIVE!!」を開催した。前回の「BACKS LIVE!!」を経験していないメンバーとしては、新たに小池美波と藤吉夏鈴が参加する形となった。ポジションが下がる形となったことには複雑な感情があっただろうし、藤吉はメッセージで悔しさを相当強く発信していたとも記憶する。
 しかし、2日目で「Dead end」のセンターに立った藤吉、同じく2日目で「流れ弾」のセンターに立った小池とも、鬼気迫るといえるほどのパフォーマンスで客席を引き込んだし、遠藤光莉の「BAN」(2日目)、大沼晶保の「流れ弾」(1日目)、幸阪茉里乃の「Dead end」(1日目)、あるいは前回の「BACKS LIVE!!」は活動休止にともない不参加であった尾関梨香が「Buddies」を選曲してセンターに立ったこと、増本綺良が選曲したのが「思ったよりも寂しくない」であったことなど、いまなお印象深い場面が数々生まれた。
 試練に対峙していた感も強かった前回に対し、「BACKS LIVE!!」というものに対してパフォーマンスを通してアンサーして、「櫻坂46のライブ」としてレベルの高いものをつくりあげていた、という印象をもった38。あるいは、楽曲の網羅的な取り扱いの必要がなくなった最初のライブであったともいえ、積み重ねてきた曲数もふまえつつ、メンバーの選曲によって一定の自由度のあるセットリストが組まれた形であったように思う。

 年末から年始の時期が過ぎていき、やや落ち着いてきたかという矢先の2022年1月24日、渡邉理佐がグループからの卒業を発表する。そしてその直後の1月29日には、原田葵もグループからの卒業を発表。メンバーの卒業はいつかは訪れるもので、これまでもその報にはたくさん接してきていたとはいえ、1週間も空けずにふたりの発表があったことには驚いた。
 この発表を経た2月8日には、4thシングル「五月雨よ」の発売決定がアナウンスされ、2月13日の「そこ曲がったら、櫻坂?」#68でフォーメーション発表が行われる。少しだけ前述したところだが、このシングルの制作期間がミュージカル「カーテンズ」の稽古期間と重なる形となった菅井は、このシングルに全メンバー楽曲の「僕のジレンマ」のみで参加する形となる39
 放送内ではこの点について説明は加えられず、表題曲が山﨑天をセンターとする15人のフォーメーションであること、および引き続きマルチセンターシステムがとられ、渡邉理佐と森田ひかるとの3人でのセンターの形となることのみがアナウンスされる40。菅井がフォーメーション上どのような取り扱いになるかは、翌日11時に更新された本人のブログで説明が加えられることになった。

私は、ミュージカル『カーテンズ』出演の為、今回のシングルは理佐がセンターを務める、全員参加の共通カップリング曲のみ
参加させて頂く事になりました。

いつも応援して下さっている方を
複雑な気持ちにさせてしまっていたら、本当に本当にごめんなさい。

きちんと楽曲に参加したかったので
何とかして両立する方法はないか何度もスタッフさんとご相談させて頂き
この決断に至るまでとても悩みました。

私にとって櫻坂46がとても大切で、
責任ある立場にいることも承知しております。

しかし
シングル制作と、2/26〜開幕予定のミュージカル『カーテンズ』のお稽古のスケジュールが見事に重なってしまいました。

今回の舞台は、自分にとって初ミュージカルで、人生の中でもかなり大きな挑戦となると同時に、
櫻坂を新たに知って頂く貴重なチャンスだと思っています。

有難いことに、そうそうたるキャストの皆様とご一緒させて頂く上に、とても素敵なヒロイン役を頂くという信じられないくらい光栄なチャンスを頂きました。

この舞台に向けて、少しでもスキルアップするために個人的にも去年から必死に準備してきました。

グループあっての個人仕事、ということも理解していますが、
櫻坂の複数の楽曲制作と、ミュージカル1年生で未熟な私がお稽古を両立することは、物理的に難しい状況でした

(菅井友香公式ブログ 2022年2月14日「4枚目シングル」)

 率直に書くならば、菅井がここまでこんなふうに、複雑だったり困難だったりする状況に対して誠実かつていねいに説明を加える場面に久しぶりに出会ったな、という感想が先に立った。説明としては十二分で、筆者としては当然納得できるものだったし、このフォーメーション発表の放送日をいくぶん緊張して待っていた菅井の息づかいが聞こえるような気さえした。
 これに続けて、菅井は「櫻坂には今特有な制度があるので、シングル制作に中途半端に参加する形でご迷惑をお掛けしてしまうなら、4枚目は辞退して他のメンバーにしっかり参加して貰う方がグループにとっては最善だと思いました。」とも言い切る。そうか、そうだよな。彼女はそんなふうに、思った以上にわれわれに率直な部分を伝えてくれる人だった。そのことを、実感とともに思い出した。

 もうひとつ、これを書くかどうかはいくぶん迷ったものの、当時から2年以上が経っており、菅井の姿を忘れてしまわないために書こうと思う。2ndシングルの時期だったか、3rdシングルの時期だったか、菅井は「自分個人を応援してくれているファンのためにもう少し前のポジションに立ちたい」というニュアンスが読み取れる発信を、メッセージでだけ(しかもそれも迂遠な形で)行っていたと記憶している。長年キャプテンの立場にあり、欅坂46時代にはグループの特性もあいまって、そのようなことはおおっぴらには発信しにくかった部分はあっただろう。しかしそれよりも、彼女自身がそういった感じ方をしているイメージもあまりなかったので、いくぶん意外に感じたことを覚えている。
 それだけ自分のファンの顔が見え、声が聞こえていたということでもあろうし、だからこその決断と、だからこその語りでもあったということだろう。一方で、逆に「卒業が視野に入っているからポジション/楽曲参加へのこだわりは薄いのだろう」とも言わせない凄みが、彼女のたたずまいには確実にあった。
 グループは8月に1stアルバム「As you know?」をリリースし、次のシングルである「桜月」のリリースは2023年2月まで待たれることになる。菅井は1stアルバムに櫻エイト扱い(アルバムについてはフォーメーション発表の形がとられておらず、したがって櫻エイトも公式には定義されていない)の2列目のポジションで参加するが41、シングルへの参加はこの4thシングルが最後になった。

「(前略)……櫻坂になってからグループの雰囲気が少し変わって、計画通りに物事が進むようになって、それにすごく感動するっていう(笑)。その分、個人としてもアイドルとしても、『もっとこうなりたい』っていう欲みたいなものが出てきたんです。目標や、達成したいことがどんどん見えてきて、そこに悩むようになりました。『キャプテンはやっぱり、みんなをサポートすることに徹しなきゃいけないし……でも、果たして本当にそうなのかな!?』って、迷いが生まれてしまったんです。私のことを応援してくださっている方たちは、ずっと『いつかはセンターに立ってほしい』『フロントになってほしい』っていう思いを、握手会とかミーグリ(オンライン・ミート&グリート)で伝えてくださっていたんですけど、自分のアイドル人生の終わりが近付いている中でも、ずっと2列目(のポジション)だったし、パフォーマンスでもどんどん二期生のメンバーが中心を担うようになって……もちろん後輩の成長っていうのはすごく大事だし、グループとしてもすごくうれしいことではあったんですけど、その反面、一期生としては悔しいというか……寂しいという思いもありました、正直なことを言うと」。

(『B.L.T.』2022年12月号 p.14・19)

 前述したように、菅井はこの「五月雨よ」の時期、グループからやや距離を置いて客観的に見るような時間を過ごすことになる。「カーテンズ」は3月27日に愛知県芸術劇場での大千秋楽を終え、4月6日のシングル発売の時点ではすでに落ち着きを取り戻していた頃合いであった。音楽番組でのパフォーマンスもいつも見守っていたといい(菅井友香公式ブログ 2022年4月6日「『五月雨よ』リリース」)、菅井はこの時期を経て確信をもち、改名当初から(漠然と)決めていたという「2年」での卒業に向けて踏み出していく42

(前略)……『五月雨よ』の期間も客観的にグループを見ていたとき……自分が参加していないグループを見るのは初めての経験だったんですけど、「うん、大丈夫だ。いや、むしろ良くないかな?」と思えてきて、そのときに「ああ、卒業するなら今だな」と確信に変わったんです。それで、改めてスタッフさんに相談したときに「菅井の最後は東京ドーム」と言っていただいて。……(後略)

(『大切なもの』菅井友香ラストロングインタビュー)

 『五月雨よ』の活動期間に「卒業を決めるなら今」と実感したのは、みんなが音楽番組で『五月雨よ』を初披露しているのをテレビで見ていたときのことでした。それまで櫻坂46は激しい曲が続いていましたが、山﨑天ちゃん(二期生)がセンターの『五月雨よ』では、明るい照明の下で、みんなが笑顔で歌っている。その姿を見て変化していくタイミングなんだと強く実感しましたし、「ああ、櫻坂46はいいグループだな」と誇らしく思えて。それに、表現が難しいですが、その中に自分が戻っていくことがあまりイメージできなかったんです。それは決してネガティブな意味ではなく、むしろすごく希望を感じて、「もう櫻坂46は大丈夫なんだ」と思えて。悲しいというよりも、清々しさを感じたことを今でもよく覚えています。

(『Wアンコール』p.57)

 ※引用者註:『五月雨よ』の初披露は2022年3月28日の「CDTV ライブ!ライブ!」。菅井が「カーテンズ」の大千秋楽を終えた、ちょうど翌日にあたる。

「同期を送り出す」こと

 「渡邉理佐卒業コンサート」の開催はシングルの発売直後の2022年4月8日にアナウンスされ、5月21・22日に国立代々木競技場第一体育館で開催された。国立代々木競技場第一体育館は、「ALL LIVE NIPPON VOL.4」(2016年1月30日)で欅坂46が初めてライブパフォーマンスを行った場所であり、欅坂46の「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」(2017年4月6日)の会場でもあるなど、ある意味では宿縁の地であったといえる43。単独の公演として卒業コンサートを行うのは、グループとして初めてのことであった。

 理佐は「櫻坂に改名してから欅の楽曲っていうのは、まあやってきてはいなかったんですけど、今回卒業コンサートっていうことで、欅坂時代の楽曲もいろいろ詰め込めたら、私たちも嬉しいし、ファンの方もきっと……そこの部分を見たいって思ってくださっているのかな、と思ったりもしているので、その部分も大切にしていきたい(「渡邉理佐卒業コンサート」DVD/Blu-ray 特典映像)として、1曲目は「無言の宇宙」、本編最後は「僕のジレンマ」とするなど、“櫻坂46・渡邉理佐”の卒業コンサートという骨格は明確にしながらも、欅坂46時代の楽曲を多くセットリストに盛り込む。ライブ本編中盤に“欅坂46ブロック”ともいうべき場面を設け、1期生のみ(=各楽曲オリジナルメンバーのみ)で「二人セゾン」、「手を繋いで帰ろうか」/「僕たちの戦争」(日替わり)、「青空が違う」、「制服と太陽」、「世界には愛しかない」を披露。アンコールも欅坂46の楽曲のみで固められており、両日共通で「太陽は見上げる人を選ばない」と「危なっかしい計画」を演じ、1日目にはさらに「風に吹かれても」を、2日目には菅井と「青空とMARRY」楽曲を4曲すべてメドレーで歌唱した。
 「青空とMARRY」楽曲以外の全曲が、改名以降初めての披露であったことはもちろんだが、このときで9人とずいぶん少なくなった状況のなか、1期生のみで演じる形をとったこともメンバーにとっては感慨深かったようで、原田葵は「理佐の優しさはそこに含まれてますね(同前)と口にした(「二人セゾン」は原田にとって、小池美波とともにセンター両隣のポジションに抜擢されたシングルでもあった)。
 披露した曲数も多かったが、それよりも、自らが参加したユニット曲を網羅的にセットリストに加えつつ44、欅坂46の楽曲のなかでも明るい雰囲気のもののみで固められたことが印象深かった。欅坂46のパフォーマンスをステージに引き戻すのではなく、あくまで青春時代の美しさとして振り返られているような、そんなふうにも見えた。

 卒業コンサートの開催に先立つ5月17日に、『櫻坂46 渡邉理佐 卒業メモリアルブック 抱きしめたくなる瞬間』が発売されているが、このなかには菅井との対談も収録されており、理佐は「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」での「青空が違う」披露時のことに言及し、「イントロでお客さんから声にならない声が漏れて、『待っていてくれたんだな』と実感」した、と述べた。一方で、改名については「私は『この選択でよかった』ということを応援してくださるファンの方に証明したかった(以上、p.42)とも語る。心根の強さと、冷静で柔軟な部分が共存した、彼女らしい語りであったな、と感じる。

——そういう熱い一面は、櫻坂46になってからより強まった印象もあります。
理佐 確かに改名をしてから、自分がもっと引っ張らなきゃ、もっとしっかりしなきゃという意識が強まったのは、自分でも感じていて。どうしても欅坂46と比べられてしまったり、「以前の方がよかった」と言われたりすることもあるとは思うんですけど、私は「この選択でよかった」ということを応援してくださるファンの方に証明したかったんです。そういう考えや気持ちにさせてくれたのは友香の存在が大きくて。友香がいなかったらどこかで心が折れていたと思うので、本当にいてくれてよかったです。
菅井 うれしい……。

(『櫻坂46 渡邉理佐 卒業メモリアルブック 抱きしめたくなる瞬間』p.42)

 一方で、理佐自身は欅坂時代から卒業については考え続けてきたといい、実際に卒業発表をするにあたっても「発表する1年以上前から、スタッフさんといろいろ相談しながら『時期はここかな?』『いや、もうちょっと頑張ってみようかな?』と考えながら過ごしてきた」のだという。しかし、「櫻坂としてデビューしてまずは1年頑張ってみようと決めていた」といい、「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」で守屋茜と渡辺梨加の卒業を見届けたタイミングで、「次に出るシングルを最後の活動にしたい(以上、p.45)という意向を伝えた、ということであった。
 この語りをふまえた上であえていうならば、「2年」をひとつの区切りと考えていたという菅井とは少し心づもりが異なっていたということもできる。あるときからかなり近しい距離感になっていたという理佐と菅井であるから、卒業に向けてのスピード感について、直接コミュニケーションをとることもあっただろう。自分より先にグループを離れるメンバーのことは、メンバーとして、同期として、キャプテンとして、落ち着いて見送れるように。この時期の菅井の振る舞いを振り返ると、そんな意識が透けて見えるような、そんなふうに思うことがある。

 同じことが、これに続く形でグループを離れた原田葵と尾関梨香への対し方についても現れていたように思う。
 1月に卒業を発表した原田に続き、6月14日には尾関梨香もグループからの卒業を発表する。原田の卒業日は4thシングルの活動を終える6月11日に設定された上で、卒業日よりあとの「W-KEYAKI FES. 2022」DAY4(7月24日)で卒業セレモニーを行う形が予定されていたが、尾関は1stアルバム「As you know?」まで参加した上で、9月11日を卒業日とし、同じく「W-KEYAKI FES. 2022」DAY4で原田とともに卒業セレモニーを行うことが追加で告知される。
 ただ、公演直前の7月20日夜のPCR検査で、メンバー複数人に新型コロナウイルス陽性反応が出たことで、「W-KEYAKI FES. 2022」の櫻坂46公演(DAY2・7月22日、DAY4・7月24日)は中止となってしまう。自らも陽性の判定を受けた菅井も、かなり気落ちした様子ながら、謝罪の言葉をていねいに重ねたブログを中止発表直後に更新した。

今回の櫻坂のセットリスト、試行錯誤して必ず楽しんで頂けるものになっていたと思います。

Buddiesの皆さまにお会いしたかったですし
思い出の地で色んな想いを共有したかったのでとても悲しいし悔しいです。
また皆んなで元気になって
喜んで頂ける日が来るよう、今は力を蓄えますね。

(菅井友香公式ブログ 2022年7月21日「皆さまへお詫びの気持ち」)

 チケットの払い戻しや、原田・尾関の卒業セレモニーの処遇まで含めて、当初は「改めてご案内」とする形がとられるものの、間もなく7月27日には延期振替公演(8月19・20日)の開催が発表される。さらに、アルバムの発売直後にあたる8月5日には「緊急生配信」として「摩擦係数」のパフォーマンスがYouTubeで配信され、配信内で「2nd TOUR 2022 “As you know?”」の開催を発表する、という形がとられる。
 本来であればツアーの開催発表は「W-KEYAKI FES. 2022」のなかで行う手はずであったというが、これが延期になったこと(チケットの先行申し込みはそこまで延期できないこと)、それにともない「摩擦係数」のライブ初披露も先送りになったことも加味しての「緊急生配信」の設定であったことが見てとれる(「W-KEYAKI FES. 2022」での発表を予定していたことは、配信内でも菅井の口から説明されている)。かなり急ごしらえの設定であったことが予測されるが、真っ黒な床に白色の四角いライトが配されたスタジオからの、シンプルながらカメラワークも工夫された本格的な配信であった。
 ツアーは前年からスケールアップした6都市12公演での開催であり、ツアーファイナルは東京ドームに設定された。配信内では「再び東京ドームの地に立つ」ことがいくぶん強調される一方、無観客の会場からの配信であったことに加えて菅井の卒業をまだ伏せた状態だったこともあってか、喜ぶ向きではありつつも少し抑制的なトーンでの発表であったように記憶している。

 やや回り道してしまったが、ここに至っても原田と尾関の卒業セレモニーを終えるまで菅井の卒業発表は行われなかった、ということをここでは書きたかったのである。
 菅井の卒業発表は「W-KEYAKI FES. 2022」の延期振替公演を終えた2日後となる8月22日。発表のブログは自らのキャリアを振り返るより先に、「このフェスをもって卒業する、尾関と葵をきちんと送り出してから発表させて頂くことになり 予定より遅いタイミングでお知らせさせて頂く形となりました。」という説明が加えられ、アルバム発売記念のオンラインミート&グリートが始まったあとの発表となったことも含めて謝罪するところから書き始められていた。

 「W-KEYAKI FES. 2022」の延期振替公演では、1日目(“DAY2”)は欅坂46の楽曲はセットリストに加えられず、櫻坂46の楽曲で固められていたが45、そのなかでひらがなけやきの「NO WAR in the future」が本編終盤に位置づけられ46、菅井はそのセンターに立った。また、アンコールで披露された「タイムマシーンでYeah!」は、オリジナルメンバー7人に原田葵も含めた特別な編成で演じられた。
 2日目(“DAY4”)では、アンコールで卒業セレモニーが行われて、尾関が参加した欅坂46時代のユニット曲「音楽室に片想い」と「バスルームトラベル」がメドレーで披露され、原田が参加した「バレエと少年」も披露されたほか、本編ではベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」に収録され、「欅坂46 THE LAST LIVE」で披露されたのみで、有観客での披露が一度もなかった「コンセントレーション」と「カレイドスコープ」も披露されるなど、欅坂46時代も含めて「忘れ物を残さない」のような思いが感じられるセットリストが組まれた。

 避けがたいトラブルに見舞われながらも、なんとか「同期を送り出す」過程をくぐり抜けた菅井。ここからさらなる全力疾走で、自らのグループでのキャリアにラストスパートをかけていくことになる。

 これまでも1つひとつのお別れはすごく重いものでした。特に理佐の卒業はすごく大きな変化でしたが、尾関も葵もちゃんと送り出すことができてほっとしました。「W-KEYAKI FES. 2022」の延期があったので、どうなるのか心配もありましたが、慌ただしかった7月〜8月を経て、ようやく8月22日に私自身も卒業を発表することができました。
 自分が卒業を決意してから臨んだ理佐や尾関、葵の卒業と、昨年までのメンバーの卒業とでは、私自身見送る側としての心境は違うものがありました。昨年末の茜とぺーちゃん(渡辺梨加)のときは「まだ早いよ」という気持ちで、もっと一緒に活動したかったという思いもあって。でも、理佐や尾関、葵のときは素直にお疲れさまという気持ちが強かったですし、その時期にはみんなも私の卒業について知っていたので、「次は友香だね。あともう少し、頑張って!」という関係性で、バトンを受け取る感覚でした。

(『Wアンコール』p.58)

最後のツアーを駆け抜ける

 菅井にとって最後の全国ツアーとなった「2nd TOUR 2022 “As you know?”」は、9月29日の大阪・丸善インテックアリーナ大阪公演からスタート。ほぼ1週ごとに広島・宮城・愛知・福岡と地方公演を重ね、そこから2週をおいた11月8・9日に、最終公演として東京ドーム公演が設定された形であった。

 このツアーは、グループのライブへの対し方という意味では、ある意味で転機になったものとして語られる。約1年半後、グループ卒業を控えた時期の小林由依は、このツアーについてこのように振り返っている。

 確かに「2nd TOUR」でグループの地肩がすごく強くなった印象があります。小林さん的にも、「この方向性だ」と確信が持てたんでしょうか?
「そうですね……さっきもお話したように、最初の頃って欅坂と繋がっていた印象が自分のなかでもあって。メッセージ性の強さだったり、表現力についてだったり、そこにとらわれすぎていたような感覚があったんです。もちろん、それは大切なことではあるんですけど、櫻になってからは歌詞を深く考えることだけでなく、ライブ会場に来てくださった方々をシンプルに楽しませたいなっていう思いが、私の中では膨らんでいって。
(中略)
 そういう……1つのやり方にとらわれないビジョンが見えたのが『2nd TOUR』で、みんながそれぞれ『こうしたらいいんじゃないかな』と思って楽曲に取り組んだ結果、エンターテインメントに昇華されて一体感も感じてもらえる——っていうのが、櫻坂としてできることなのかなって。私はそう感じていたんです」。

(『B.L.T.』2024年3月号 p.23)

 小林はツアーを終えた直後にも、「櫻坂46としての楽曲が増えて、今回はツアーに合った曲を選ぶことができたので、攻めたセットリストになったんじゃないかと思います。曲ごとに意味のある演出があって、濃密なライブになりました。(『BUBKA』2023年1月号 p.7)と語っている。小林のいうように、1stアルバムのタイトル「As you know?」を冠したこのツアーのセットリストには、アルバムでの新曲5曲がすべて組み込まれ、リード曲「摩擦係数」は本編最後に、もう1チームの楽曲「条件反射で泣けて来る」は本編最初に配された。全4曲のシングル表題曲も演じつつ、その他のカップリング曲についても、4thシングル収録曲は全曲演じたことをはじめ、比較的近い時期のものを中心に選曲されていたという印象である。
 本稿は菅井のグループまでをおもな射程とするため詳しくは掘り下げないが、堅調なリリースのペースを背景として「あくまで新しい曲を中心にセットリストを編成する」ような傾向は、現在に至るまで続いているといえるように思う47(これに続く「3rd TOUR 2023」以降については、3期生の加入と合流も作用していよう)。

 小林のいう「曲ごとに意味のある演出」という点でも、「条件反射で泣けて来る」では本物のグランドピアノがムービングステージに載せられて山﨑天が叩きつけるように弾く演出がつけられ、「Dead end」は森田ひかるがソファに腰かけたところから始まり、「五月雨よ」の冒頭では雨音のなかで大園玲がひとり静かに本をめくるゆったりとした演出でアクセントがつけられ、「ずっと 春だったらなあ」では大型の桜のオブジェが用意されるとともにモニターに花びらが舞い散り、「制服の人魚」ではメンバーが透明な箱のなかで踊るなど、いまでも印象深い演出が確かに多く、新しい試みが多く取り入れられている印象であった。本編最後の「摩擦係数」は、YouTubeでの「緊急生配信」で「初披露した時のシチュエーションを再現した演出(『BUBKA』2023年1月号 p.12、大園玲)であったとのことである。
 さらに、本編5曲目48まではペンライトの消灯への協力が呼びかけられる。「演出で使う光が際立つように、ペンライトを消していただいた(『BUBKA』2023年1月号 p.11、大園玲)とのことであり、普段からペンライトの色を揃える雰囲気が強いことや、あるいは欅坂46時代にもとられたことのある演出であることも多少あってか、混乱なく消灯で揃えられていたと記憶する。ペンライトの光がなく、さらに“声出し”もない、スティックバルーンもないという会場のなかで、ステージに対する客席の集中力を高めた上でのパフォーマンスであった。

——東京ドーム公演で、最初の5曲はペンライトをつけない状態でのパフォーマンスになりました。
小林 ダンストラックから『条件反射で泣けて来る』をパフォーマンスすることで、ライブの世界観を提示しつつ観てくださっている方たちを惹きつけて、そこから4曲のパフォーマンスはアルバムやツアーのタイトルである「As you know?」のアンサーとして、「櫻坂46はこういうグループです」という自己紹介になったのかなと思います。これまでの櫻坂46では、曲ごとにファンの方たちがペンライトの色を合わせてくださって。その景色を見ながらファンの方たちとライブを作り上げている感覚があったんです。今回、特に『BAN』や『Dead end』は、ペンライトを消してもらうことで「どう盛り上がればいいんだろう」というファンの方の戸惑いもあったと思います。私たちがどう会場を巻き込んでパフォーマンスできるか、ツアーを通して試行錯誤してきました。

(『BUBKA』2023年1月号 p.7、小林由依)

 ライブ冒頭のダンストラックは、光の演出のなかで菅井がまずひとりで登場し、「As you know?」のボイスに乗せてアクションするところから始められた。ペンライト消灯のブロックが終わると最初のMCとなり、菅井は何年もそうしてきたように客席に向けて挨拶をして、消灯への協力のお礼からライブを改めてスタートさせる。公演が進むごとに、それは彼女のグループ卒業へのカウントダウンでもあったはずだが、そうした色はあまり強くは打ち出されていなかったように思う。
 筆者は地方公演には2公演だけ立ち会ったが、その両方ともの最後のMCで、菅井は「私たちはまた必ずここに戻ってくる」という言い方で「これからも櫻坂46を応援してもらえたら」と客席に伝えていたと記憶する。卒業を発表してもなお、実際にその日がくるまでは、あくまでグループのキャプテンとしての任を変わらず果たし続けていた。

 このほか、2都市目である広島公演以降では、終演後(規制退場中)に会場内での写真撮影が可能とされる。公演の最後で菅井の口から「記念に写真を撮って、SNSなどにも残してください」のように呼びかけられる形でアナウンスされたもので、会場内には通常通り「撮影禁止」のプラカードが掲げられるなど、通常通りの運営がなされるなかでの、ややいびつで、かつ例外的な措置であるといえる。
 これは他グループに広がりをみせるわけでも、すべてのライブに対象が広げられるということでもなかったが、櫻坂46のツアーでのみ翌年以降も定番化する。会場のモニターには「Thank you Aichi」など、都府県名が表示されることも継続されており、具体的にどこかで説明が加えられていたような覚えもないものの、全国ツアーの価値を高めることを企図したものであるように思える。

東京ドームへ、“執念”のアクセル

 グループとともにツアーを駆け抜けていたこの時期、菅井はこれ以外にもとにかく稼働が多かった。卒業に向かう時期のメンバーの常ともいえるかもしれないが、それにしたって多かったような印象を受ける。それはもちろん、まずは卒業を祝い、あるいは別れを惜しみ、尽力をねぎらい、そして未来へと送り出すために、数々の場が設定されたという面があっただろう。しかしもうひとつ、東京ドーム公演を実現させたのが、スタッフが評したように「菅井の執念」であったとするならば(『大切なもの』菅井友香ラストロングインタビュー)、この日々も「菅井の執念」と一体であったのかもしれない、と思う。
 9月7日には卒業写真集の発売がアナウンスされ、発売日は東京ドーム公演1日目の11月8日に設定された。卒業ソング「その日まで」も、全メンバーが参加する形で制作が進められていた49。「もちろん2日とも満員にできて、奇跡のようなツアーファイナルにできるようにもっと頑張らなくてはいけないと思っています(同前)。自らの卒業後、グループが未来へ向かってさらなる飛躍を遂げるために、東京ドーム公演は必ず成功させなければならないし、そのために、すべての力を出し切らなければならない。
 あらゆる場面において謙虚な菅井だが、かなりの体力を誇ることについては自ら公言してはばからない(いつもきまって「丈夫に生んでくれた親に感謝です[『B.L.T.』2022年12月号 p.19]というような言い方をするのだが)。できるだけ多くの人の思いに応えられるように、アクセルを踏み抜かんばかりに加速していくような印象を、いま振り返ってみても強く受ける時期だ。

9月から始まる全国ツアーでは6都市も回らせて頂ける予定です!
それぞれの場所で、皆さまのお顔を見ながら、今までの感謝を込めて精一杯パフォーマンスをさせて頂きます。
一緒に忘れられない時間を過ごすことが出来たら嬉しいです。

そして、最後のステージが、櫻坂46としてもう一度みんなで立つことが夢だった東京ドームであること、
本当にありがたく幸せです!

沢山の方々のご尽力のお陰であの場所に立てる事に感謝しながら、
大好きなメンバーと共に7年間の集大成のパフォーマンスが出来るよう準備して行きたいと思います‼︎

ツアーファイナルとして、
櫻坂の今後が楽しみになるようなライブに出来たらと思っているので
1人でも多くの方に見届けて頂けたら嬉しいです🌸

(菅井友香公式ブログ 2022年8月22日「大好きなみなさまへ」)

 (前略)……でも、活動のラストを東京ドームでのライブで飾るというのは、すごく素敵じゃないですか。「もう一度、櫻でもドームに立つ」ことを目標にしていたわけですし。
 「はい、本当に叶えたかったことで、欅の東京ドームライブもすごく思い出深いですけど、当時は複雑な思いも正直あったので、また違う形でこの場所に立てたら、『欅坂46から櫻坂46になって良かったって、自分達もファンの皆さんも心からそう思えるんじゃないかな』って、自分の中ではずっとそこを目標としてやってきたところがあって。まつり(副キャプテンの松田里奈)とも『やっぱり、櫻でも東京ドームに立ちたいよね』って話していて……。そうしたら、スタッフさんに卒業の相談をしたタイミングで『菅井の活動の最後に東京ドーム、叶えたいよね』と言っていただけて。本当に実現できるのか、ギリギリまでどうなるのか分からなかったんですけど、すごく素敵な巡り合わせでできることになって! ただ、11月の平日2日間と、ファンの方からすると来るのがちょっと大変かもしれない日程にもなってしまったんですけど、ライブまでの日にちが迫っている中で、会場を押さえていただけたことが本当に奇跡的で……『きっと菅井の執念が届いたんだよ』って、スタッフさんに言われました(笑)。でも、本当に本当にありがたいなという感謝の気持ちしかないので、今は櫻坂の勢いを観に来てくださった方々にちゃんとお見せできるように、ツアーに力を入れているところです」。

(『B.L.T.』2022年12月号 p.20)

 ツアーのスタートを控えた9月25日には、「直前配信」の位置づけで松田里奈とともにSHOWROOM配信を実施。これ以後も、卒業写真集『大切なもの』のプロモーションの時期に入っていったこともあり、SHOWROOM配信は数次にわたって行われた。前日に愛知公演を終えたばかりの10月23日には、「土田晃之 日曜のへそ」に出演。長らく冠番組のMCを務めてきた土田と、この年に乃木坂46を卒業したばかりであったアシスタントの新内眞衣とのトークに花を咲かせつつ、東京ドーム公演については(内容は「まだ協議中」としつつも)「この7年の歴史を感じていただけるような……やっぱり5年分は欅坂での時間でもあったので、自分にとって。最後に何か喜んでいただけることができたらなと思っています」と口にした。
 また、2日後に迫った福岡公演についても、「(地方公演の)いまやっている形をお見せできるのは、本当に福岡が最後になるのかなと思うので」「もし迷っている方がいらしたら、本当に来ていただきたいなっていうのが本音ですね」として、あわせてPRした50

 この直前、愛知公演1日目が行われた10月21日には、すでに東京ドーム公演のトレーラーが公開されている。これはチケット一般発売の前日というタイミングでもあった。櫻坂46のOvertureとともに欅坂46のOvertureも用いられ、欅坂46時代の映像も多くとりまぜられていたほか、[fusion]の文字も躍る。これまでの1期生の卒業のライブの経緯も含め、「東京ドームで欅坂46の楽曲が演じられる」ことは、すでに明らかであったといっていい。
 欅坂46としての5年間とそこで出会った楽曲を愛し抜き、メンバーもファンも喜べるステージにするとか、欅坂46時代の東京ドーム公演の際にはまだ坂道研修生として活動していた、いわゆる“新2期生”とともに東京ドームに立ち、グループがさらに未来へ進むためにそこにあったいくぶんかの無念を晴らすであるとか、そこにはいくつもの意義があっただろう。しかしこのタイミングでそれが予告されるような形をとったことは、ひとりでも多くのファンを会場に迎えるための“最後の切り札”であったように見えた51

いよいよ開催が迫った櫻坂46『2nd TOUR 2022“As you know?”』のツアーファイナル、東京ドーム公演 2DAYS。

欅坂46で東京ドームのステージに立った2019年9月18日・19日から約3年。
その後、グループは欅坂46から改名し、櫻坂46へ。

欅坂46の結成から約7年。
グループのキャプテンを務める一期生・菅井友香。
どんなときも真っすぐ、グループを支えてきた最大の功労者へ贈る、最後のスポットライト。


グループの目標だった“櫻坂46として、もう一度東京ドームへ”。
そして菅井友香のファイナルステージ。

2022年11月8日、9日
東京ドーム


お見逃しなく。

(「櫻坂46 2nd TOUR 2022 “As you know?” TOUR FINAL 2022.11.08-09 at TOKYO DOME Trailer」YouTube概要文)

 10月24日発売の『B.L.T.』2022年12月号では表紙・巻頭グラビアを飾り、2万字にわたるロングインタビューに答えた。卒業写真集のインタビューでも重ねて語られたところであるが、卒業に至るまでの心境や決意を固めた経緯に加え、加入前に自転車で転んだことがもとで左足の靱帯が1本しかなく、この年の年始に階段から落ちてけがをしてさらに痛め、かなり危ない状況のなかで念入りにケアをしながらパフォーマンスを続けてきたこと、ダンスパフォーマンスの激しいグループにあって、フィジカル面での限界を日々感じている状況であること、グループを辞めたいと思ったことは一度もなかったが、キャプテンを辞めたいと思ったことは何度もあったこと、「五月雨よ」をパフォーマンスする櫻坂46に自分がいないことに違和感を覚えなかったことなど、表に出ていなかった情報も含め、かなり率直に思いを語っていた。
 前稿でも書いたところなのだが、菅井のインタビューは“おもしろい”。いつも必ず予想以上に踏み込んだことをいうし、グループの一員としてコントロールしなければならない情報はもちろん保ちつつだが、それでもずっとあけすけに話しているような印象をもつ。前述の「日曜のへそ」出演の際にも、特にライブでのスピーチについて、「しゃべるのが得意じゃないなとずっと思っていた」が、7年続けてきたことで「緊張しなくなってきた」といい、「毎公演、そのとき思ったことをちゃんとお話ししています」とした。菅井は「諦めなければ変われるんだ」と感じるとも口にしたが、諦めなかったのはたぶん、「上手にしゃべる」ことというよりも、「自分が思うことをしっかり伝える」ことだったのだろう。

 10月26日の福岡公演をもって、ツアーの地方公演が終えられる。この日の22時にYouTubeでMVが公開された、菅井の卒業ソング「その日まで」は、この公演の終演後に会場で放映される形で初公開となった。楽曲、曲名どころか、卒業ソングの制作までここまで伏せられてきた、完全なるサプライズであった。
 東京ドーム公演のDVD/Blu-rayの特典映像に、そのときの模様がおさめられている。客席は涙に包まれ、それをモニター越しに見ていた多くのメンバーも涙していた。それに笑顔で寄り添い、背中をさすったりする菅井の姿が映像では印象的に描かれており、彼女の決意の強さとメンバー、グループへの愛を感じさせた。

■作品としての「その日まで」
 グループとして初めてのデジタルシングルという扱いで発表された「その日まで」は、菅井をセンターとして全メンバーが参加した楽曲であり、MVは菅井ひとりが出演する形をとりつつ、過去の映像をとりまぜながら構成された。歌詞について菅井は「私の心情を真っ直ぐ綺麗な言葉で紡いでくださり、ずっと見守っていてくださったんだなと、とても感動しました。(菅井友香公式ブログ 2022年10月27日「その日まで」)と、率直な感謝と賛辞を寄せた。MVの監督は「Nobody’s fault」「思ったよりも寂しくない」52の後藤匠平であり、ダンスシーンの撮影に関しては今作もTAKAHIROとINFINITYチームが駆けつけている。作曲が「五月雨よ」の温詞であるというところは、どこか心憎い演出のようにも感じられてしまう。
 卒業ソングとしてはかなりの疾走感をたたえた楽曲は、「サヨナラ サヨナラ サヨナラ 悲しくなんてないよ」と、ミュージカル仕込みの力強い菅井のソロ歌唱で始められ、決然とした“サヨナラ”を描く一方、それはいつか会える「その日まで」、と爽やかに歌い上げる。MVは川沿い53を進んでいく菅井の映像の逆回しを軸にして、櫻坂46、そして欅坂46時代を遡っていくような構成がとられる。おおむね1番が櫻坂46時代、2番が欅坂46時代であり、サビではそれぞれ過去の振り付けのエッセンスを加えたソロダンスが展開される。青空の下で舞い散る桜の花びらのなか踊る1サビに対して、2サビでは夜に降りしきる雨にずぶ濡れになりながら、しかしそれでも笑顔で舞い踊った。
 「正直悔しい思いもたくさんしてきました」。間奏では「KEYAKIZAKA46 Live Online, but with YOU!」での改名発表と、欅坂46時代の有明アリーナでの初ワンマンライブでのスピーチが差し挟まれる。「19歳の、菅井友香と申します」。「お見立て会」までを遡り終えると、逆回しの映像は終えられ、改めて菅井は前へ向かって走っていく。「サイレントマジョリティー」の衣装で渋谷のスクランブル交差点を、「不協和音」の衣装で雨の中を、「二人セゾン」の衣装でMVのロケ地を、「黒い羊」の衣装で再び渋谷の、SHIBUYA STREAM付近を駆け抜ける。「摩擦係数」の白い衣装に身を包んで駆け抜けたのは渋谷の代官山側にある高架下であったが、ここはひらがなけやきの「期待していない自分」のMVでも用いられた場所であったという。最後に「Nobody’s fault」の衣装を経て、駆け抜けきった先にあったのは、「サイレントマジョリティー」のMVで横一列に並んだ場所、渋谷桜丘の「さくら坂」であった。その坂が通じる先にしばし目を向けたのち、「じゃあね」。淡い夕暮れの空の下、走り去っていく形で終えられた。

 「その日まで」が解禁となると、そこからはラジオ番組への出演が相次ぐ形となった。10月31日には「レコメン!」に松田里奈と3時間出演。乃木坂46キャプテンの秋元真夏、日向坂46キャプテンの佐々木久美、「そこ曲がったら、櫻坂?」ナレーションの庄司宇芽香、7年にわたって振付・ステージングでグループにかかわってきた“先生”・TAKAHIROからメッセージが寄せられたほか、ともに出演する最終回となった松田も涙が止まらなくなるなど、メモリアルな出演回となった。
 翌日11月1日には昼に「山崎怜奈の誰かに話したかったこと。」に出演。菅井の同番組への出演は2021年4月14日以来2回目で、山崎とは前回の出演以来友人関係になっていたといい、ざっくばらんな雰囲気でのトークが展開された54。夜にはこの日も「レコメン!」にゲスト出演した。
 さらに翌日の11月2日には「乃木坂46のオールナイトニッポン」にゲスト出演。2代目としてパーソナリティを務める久保史緒里とは、2018年11月の舞台「ザンビ」で同じチームであった縁であるが、それ以降はかかわる機会が少なかったというなかの出演となる。久保がパーソナリティに就任してから乃木坂46メンバー以外のゲストを放送に迎えるのは、2022年3月2日放送回の秋元康以来2人目のことであった55。ここまですべて生放送である。改めて振り返ってみても、かなりのスケジュールだ。

 そのなかで、メディアに出る形で繰り返し話す関係ではない一方、アイドルという文脈を共有している山崎怜奈・久保史緒里とのやりとりには、かなり印象深い部分が多かった。
 年齢も近く、自身もすでに7月にグループを卒業している山崎は、「率直に聞くと……本当に大変だったでしょ?」と、ねぎらうトーンで最初の質問をぶつけ、菅井も「戻りたくないなって思えるぐらいちょっと大変な時期もあった」と率直に応じつつ、「それも含めて、振り返るとなんかちょっとキラキラして思える」とまとめる。特に欅坂46時代における、キャプテンとしての苦悩については「キャプテンとして言わなきゃいけないこと、言った方がみんなが幸せになるなっていう言葉と、自分の本心っていうのがちょっと違う時期もあった」とし、「心に嘘をつきながら綺麗事を言っちゃってる自分も嫌」「でもそれを言ったほうがグループにはついてきてもらえるかな」という思いが巡っていた、と口にした。それは当時の菅井に対して誰もが見てとっていた姿であったように思うが、いまだからこそ語れる、というレベルをこえた率直な語りだったように思う。
 卒業を考え始めたのは「2020年のグループ名が変わるっていうのがひとつのターニングポイント」、メンバー全員に卒業を伝えたのは「夏のケヤキフェスが終わってからすぐ次の日くらいだった」、「その日まで」MVの2番は「『LAST LIVE』のときの気持ちを思い出して踊って、と監督さんから指示をいただいて」と、すべてが“初出し”とはいわないまでも、流れるように重要な情報が次々と出てくる。それはあまりにも、ファンとしてここまで耳を傾けつづけてきた、「菅井友香の語り」であった。

 番組が2時間と長く、またバラエティ色も強い深夜ラジオである一方、山崎よりやや距離感のある久保とは、「ご実家が軽井沢に別荘をお持ちだったと……」「『お父様』『お母様』も、昔からその呼び方なんですか」というキャラクターの部分から入り、楽屋でのエピソードや、宮城公演での“牛タンチケット”の話題などを経て、久保の“野球好き”をフックに、菅井が東京ドームで売り子のアルバイトをしていたところへトークが展開する。
 筆者の記憶が正しければ、かつては「ソフトドリンクの売り子をしていた」という話であったような覚えがあるが、ここでは「売り上げ成績がよかったので、レモンサワーへ、そしてビールへとステップアップしていった」というようなエピソードが明かされる(アイドルなりの出し入れだったということだろうか)。「10kgのビールの樽を背負ってダッシュするのがきつかった」としつつ、「私は体力がけっこうあったから、速く移動できる人だった」という語りが、あまりにもわれわれの知る菅井のキャラクターすぎて笑ってしまった。トラックの荷下ろしやゲームのバグチェック(「タイピングが速いから頑張れた」という)、ビラ配りなどのアルバイトも経験し、売り子のアルバイトに応募したのも、「働いていたファミリーレストランが営業を終了してしまった」からで、そのとき「野球のアニメにハマっていた」(「ダイヤのA」「MAJOR」があげられていた)ことも動機のひとつであったという。

 一方で、年齢でいうと6つ違う一方、キャリアとしては1年しか変わらず、現役で乃木坂46を前線から引っ張っている立場である久保56は、キャプテンとしての苦悩を菅井に問いかける。山崎からの質問とも重なるものであり、菅井の返答もやや重なっていたものの、久保の傾聴に呼応するように、菅井はより時間をかけて言葉を重ねていった。

久保 いちばんキャプテンで大変だったこととか、キャプテンがこの場を仕切るのが大変だったな、みたいなの、何かありました?
菅井 その……グループが何か思うように運ばなかったときとか、何かいろいろ、ニュースになってしまうようなことがあったときに、自分が生放送でお話ししたりとか、ライブのMCで説明とかするっていう機会はすごく……なんだろう。言葉とか、どう言ったらみんなが幸せというか、少しでもハッピーでいられるかっていう言葉を探したりするのは、すごく毎回緊張していたというか。自分のいう言葉がグループの総意になってしまうっていうので、必ずしもそう思っていない子もいるかもしれないなかで、言ったほうがグループもいい方向に行くだろうっていうので……そこの言葉選びとかポジションどりっていうのは難しくて。バランスはすごく難しかったかも。
久保 でも全方位を向けているっていうのがすごいですよね。ファンの方もメンバーの目線も、全部を考えて発言をするっていうのを考えられるのがカッコいいなと思う。
菅井 いやいやいやいや……でも、それが必ずしも自分の本心ではない場合もあったというか、自信をもって言えないことも正直あったから、それですごく嘘をついてしまっている、綺麗事ばっかり言ってしまっているな、みたいな、そういうのもすごく思いを巡らしていたというか、すごく責任は感じてたから……難しかったですね、正直。

(「乃木坂46のオールナイトニッポン」2022年11月2日)

 そして菅井はさらに、キャプテンとして最初は、グループを保つのに「孤独というか、難しさは感じていた」といい、「自分の感情に嘘をついてまで笑いたくないっていう子とかもいたから、そこはみんなの個性っていうのもすごく大事にしながら」「みんなが揃っていないからこそ支持してもらえたりする部分もあったから、強制はしないようにはしてたかな」と、当時の状況に踏み込む。そして、「力及ばずって思うこともあって。それが改名ということにもなったし、それでみなさんがショックを受けてしまったかもしれないというのも事実だし。だから櫻坂になってからもついてきてくださったみなさんに本当に感謝で」とまとめた。
 番組中では「その日まで」以外にもいくつか楽曲がオンエアされるタイミングがあったが、久保が「二人セゾン」を選曲した一方、菅井が選曲したのが最新の「摩擦係数」と「条件反射で泣けて来る」であったことに、グループの現在地と、それをまなざす菅井の意識が透けて見えたような気がした。

 さらにこの日には、東京ドーム公演を記念する位置づけで、プレイリスト「櫻坂46・菅井友香が選ぶ、思い出の10曲57が公開されているほか、この日発売の『週刊少年マガジン』2022年49号で表紙・巻頭グラビアを飾ってもいる。加えて、この年櫻坂46が「Group of the Year」を受賞したことを受け、菅井は18時開演の「MTV VMAJ 2022」授賞式で司会を務めており(そのあとでニッポン放送に向かったということになる)、翌日にはグループで「MTV VMAJ 2022 -THE LIVE-」に出演して6曲を披露している。

 翌11月4日には、(これは収録放送であるが)文化放送で90分の特別番組として放送された「櫻坂46の『さ』」に、小池美波と増本綺良とともに出演。欅坂46時代からの全シングルをなぞっていく形でグループの歩みを振り返りつつ、当時の思い出話に花を咲かせたり、増本や小池から菅井へメッセージが送られたりする場面があった一方、菅井は番組終盤で「今回はこの一夜限りだけど、この灯った火を消さないように」と、冠レギュラー番組としての将来にも言及する。
 文化放送での坂道シリーズのレギュラー番組としては、「乃木坂46の『の』」が2013年4月より放送されている。櫻坂46(欅坂46)としてはニッポン放送「こちら有楽町星空放送局」が2016年4月から継続している一方、2020年4月に「日向坂46の『ひ』」がスタートしており、坂道シリーズ3グループのなかで櫻坂46のみがラインナップされていない形の時期が続いていた。しかし、「レコメン!」を通じて菅井がつないだ縁ともいえるだろうか、「櫻坂46の『さ』」は翌2023年の10月より月曜深夜の枠でレギュラー放送がスタートし、2024年4月からは日曜19時の、「乃木坂46の『の』」「日向坂46の『ひ』」と続きの枠に移動している。
 11月6日には「こちら有楽町星空放送局」への最終出演があり、この日と翌週の「そこ曲がったら、櫻坂?」では、「7年間お疲れ様!菅井友香の卒業を祝う会」として卒業企画が放送された。思えば本当にこの時期はずっと、菅井の姿を見て、菅井の声を聴いていたように思う。

 あっという間にやってきた東京ドーム公演1日目、11月8日。
 0時に始まった「その日まで」の配信を寝る前に何度も聴いて、昼間に届いた卒業写真集『大切なもの』に、取り急ぎ目を通した。朝から全3回の「卒業記念一期生さくみみ」が更新され、ライブが始まるまでにひと通りは聴けるように、と必死で再生した覚えもある。東京ドームへと向かう道すがら、それでもまだ(あるいは、それほどまでに濃密な日々だったからこそ)、菅井友香の卒業をまだ実感できていない自分に気づいた。

ここまで応援して頂き本当にありがとうございます。
どんな時も、信じて見守って下さった皆様のお陰で、走り続ける事ができました。
アイドル人生のラストステージを、大好きなみなさまと、大好きなチーム櫻坂46と、夢の場所で迎えられる事、この上無い幸せです。
欅坂46、櫻坂46の菅井友香に出会って下さった皆様に心からの感謝の気持ちを込めて、メンバーの皆と精一杯のパフォーマンスをお届けします!
楽しみにしていて下さいね♡
100万馬力でがんばりきー!!

櫻坂46 菅井友香

菅井友香 卒業SPECIAL SITE 菅井手書きメッセージ)

涙と笑顔の「10月のプールに飛び込んだ」

 欅坂46時代の東京ドーム公演は「夏の全国アリーナツアー2019」の追加公演という扱いであったが、セットリストはまったく変えられており、「ガラスを割れ!」と「不協和音」が“解禁”のような形になったことがひとつの大きなトピックであった。地方公演の終わりから2週間と経たずに開催されたという意味では、このときと重なる状況であり、トレーラーでの[fusion]の予告以降、2日目公演での「菅井友香卒業セレモニー」の開催告知(公式サイト)以外は特に具体的な追加の情報はない状況であった。予測としては、3年前と同じように、まったく異なるセットリストで臨まれることもあり得たということになる。
 会場に入ってみると2階席に空白のブロックがわずかに残り、ソールドアウトには至らなかったのだな、ということがわかった。この日は生配信は行われなかったが、直前までチケットの一般販売は続けられており、(個々のさまざまな事情を無視した物言いだとは重々承知しているが)この日の公演は「立ち会いたいと望めばみな立ち会えた」ということになる。

 筆者の肌感覚にすぎないが、有り体にいえば「櫻坂46ではなく、欅坂46を見にきた」というモチベーションの観客も、2日間を通してかなりいた、という印象をもった。グループが、菅井が、切り札を切りつくしてきたことは徒労でも杞憂でもなかったということになる。このタイミングでグループが東京ドーム公演を経験することについては、メンバーがみな「まだ早いのではないかとも感じる」というように口にし、特に後輩には「菅井に連れてきてもらった」という語りも散見された。その感覚も、いくぶんかは妥当していたのだろう。

(前略)……それにしても、東京ドームでラストを飾るアイドルというのも、なかなかいるものではないですよ。すごいことです。
「誰もが立たせてもらえる場所ではないと思うので、今は『本当に大丈夫かな……?』っていう不安もちょっとあったりするのが正直なところです。フラットに見て、櫻坂としてはまだ(東京ドームライブは)早いのかなって思われてしまうんじゃないか、と考えてもしまいますし……。自分の卒業に華を添えていただけるのはすごくうれしいことではあるんですけど、櫻坂46全員でここまで来たんだなって、みんなで思えるように、今のグループの実力をしっかりと見せて、さらに大きく発信していくグループになっていけるように、いろいろな可能性を感じられるライブにできるようがんばりたいなと思って、全力で日々取り組んでいるところです」。

(『B.L.T.』2022年12月号 p.20)

 その状況にあって、しかし櫻坂46は、地方公演で積み重ねてきた「2nd TOUR 2022 “As you know?”」のセットリストをそのままぶつける。「追加公演」などの位置づけでもなければ、当日時点では「FINAL」などのキャプションもなかったわけだが58、だからといって「そりゃそうだ」とまとめるようなものでもなかったように思う。そこには確実に、東京ドーム公演をグループの未来へつながるものにしようとする意志が介在していた。

(前略)……地方公演では個々に成長できたと思います。公演を重ねることでカメラワークが理解できて、「ここで抜かれた時はこうしてみよう」と考えながらパフォーマンスできるようになったんです。メンバーそれぞれが表現を自分のものにできたんじゃないかな、と思います。ただ、東京ドームとなると、チームがもっと一丸とならないといいライブなんて絶対できないんです。ツアーで見せてきたパフォーマンスを、4倍、5倍の規模で見せなきゃいけない。広い会場だと、席によっては私たちのことが豆粒にしか見えなきて、モニターを中心に観る方も多いので、地方公演のままだと天空席の人にまで届かない。ツアーを通してカメラワークや音響、照明を積み重ねて、今までで一番いいものを東京ドームに持ってきてくださっているわけで、オープニングのダンストラックも音が増えていたり、こだわって隙がないように作っているんです。ギリギリまでいろんな方が詰めてくださったライブなので、私たちも応えたいという気持ちで挑みました。3年前の欅坂46の東京ドーム公演よりも準備ができていたので、そういう意味では安心して臨むことができたのかなと思います。

(『BUBKA』2023年1月号 p.15、山﨑天)

 先述したような種々の演出はすべて継承してスケールアップさせつつ、「BAN」や「I’m in」ではアリーナ席の上を通る大規模なムービングステージが導入されて360度のダンスパフォーマンスとしたり、フロートカーで演じられた「タイムマシーンでYeah!」では間奏でウェーブを取り入れたり、「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」では藤吉夏鈴がフライングをするなど、会場の規模に呼応した大胆な演出も随所に取り入れられていた。
 いつからか定番となった「LAST SONG」の演出を経て、グループは「摩擦係数」までを演じ切る。特効の爆発音とともに楽曲が終えられ、ステージからメンバーが姿を消した。ステージに散りばめるように配されたモニターで、「Thank you TOKYO」と、“本編終了”が宣言される。パフォーマンスを称える拍手が間もなくアンコールの拍手に変わる。
 「櫻坂46」は、東京ドーム公演を演じ切っていた。ここまで見届けたならもう、「欅坂46」を待っていてもいい、そんな状況だったと思う。


 ややあって、欅坂46のOvertureが流れ出した。無数の記憶がこびりついたあのメロディ。本来の曲調もあいまって、どちらかというと切なさの記憶のほうが多く引きずり出されてくる。“声出し禁止”の客席がどよめきに包まれ、映像には欅の木が大写しになる。そして「その日まで」のMVで用いられた水色のワンピースに身を包んだ菅井が、自身の過去の映像を背に歩く。「忘れない あなたを…」。忘れ得ぬ記憶とともに、映像のなかの彼女が踊り出した。“終わる”し、“始まる”。客席はすでに、全面が緑色に染まっていた。

 しかしそこで、唐突に会場に緊張感が走った。すすり泣きが嗚咽に変わっていくような声が短くマイクに乗る。1日目公演の、このOvertureが流れているときの様子は映像化されていない。だから、信じてもらえなくてかまわないし、なんなら信じないでほしいとも思う。でも、筆者は確実に、メンバーがステージに現れるより前に、その泣き声が森田ひかるのものであることを直覚していた。
 Overtureが終わる。戸惑いはありつつも、ステージが進んでいくスピード感には食らいつかねばならない。菅井が“欅坂46”としての最後に選ぶ1曲目は「サイレントマジョリティー」だと、確信をもって予想していた。彼女はあの曲に対して尋常ならざる愛情と執着がある。しかしその予想は完全に外れることになる。会場を満たしたのは、あのピアノの旋律。1曲目は「10月のプールに飛び込んだ」だった。あのときの気持ちを忘れることはできないし、でも、ずっとまだ、正しく言葉にしきれずにいる。

 欅坂46の9thシングル表題曲として制作されていた「10月のプールに飛び込んだ」は、MVの撮影まで制作が進められていたものの、結果としてシングルのリリースに至ることはなく、ベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」に収録されるのみにとどめられていた。“選抜制導入”のシングルとされた9thシングルは、平手友梨奈をセンターとする17人のフォーメーションが発表されていたが、その形でのパフォーマンスは一切世に出ることがなく、「KEYAKIZAKA46 Live Online, AEON CARD with YOU!」(2020年9月27日)と、「欅坂46 THE LAST LIVE」DAY2(2020年10月13日)という、2回の無観客・配信ライブで披露されたのみ、という状況のまま、制作の時期からはすでに3年が経過していた。

 菅井はグループ卒業後の2022年12月29日に、『日経エンタテインメント!』での連載「櫻坂46 菅井友香 いつも凜々しく力強く」をまとめた書籍『Wアンコール』を発売しており、書き下ろしのページでこのときの東京ドーム公演についても解説を加えている(卒業の機会のライブにここまでの解説が加えられることはまれであり、そうとう貴重な形であるように思う)。そのなかではもちろん、「10月のプールに飛び込んだ」の選曲に至った背景についても説明されている。

みんなで乗り越えたかった『10月のプールに飛び込んだ』
 1日目のアンコール1曲目に披露したのは『10月のプールに飛び込んだ』。欅坂46の幻の9thシングルの収録曲として制作されましたが、シングルとして世に出ることはありませんでした。私はこの楽曲が大好きで、ずっとみなさんの前でしっかり伝えたいと思っていたんです。当時。私たちはこの楽曲を一生懸命に届けたいと思い、ミュージックビデオまで制作しましたがみなさんに見ていただくことはかないませんでした。行き場のない悔しさをみんなが抱えているだろう楽曲だからこそ、ここでしっかり乗り越えたいという思いがありました。
 曲を聴くことで思い出す感情もあるでしょうし、二期生のみんなもあのころの感情は、心の奥底にあるんだなと思いました。(山﨑)天ちゃんは「この曲をやってみたかったからうれしい」と言ってくれたり、一期生にも「この曲が好きだったから、一緒に友香の思いをかなえよう」と言ってくれるメンバーもいて。新二期生は欅坂46の制服が着られることを喜んでくれたのでうれしかったです。

(『Wアンコール』p.88-89)

※引用者註:このとき着用されたのは、2017年夏に初出のいわゆる「ハーネス衣装」であり、厳密には「制服」というよりは「歌衣装」ということになるだろうか(もとより当時の欅坂46は、この点の区別がやや曖昧ではあったのだが)。

 当時は“選抜制導入”という形で、参加しないメンバーも生じた楽曲であったが、メンバーの卒業による人数の変動もふまえて、(休養のための活動休止期間中であった遠藤光莉を除く)いわゆる“新2期生”、および当時選抜外であったメンバーもみな加える形で演じられたことになる。
 ここで少し、「10月のプールに飛び込んだ」のフォーメーションの変遷について確認しておきたい。

【欅坂46 9thシングルフォーメーション(2019/9/8発表)】
土生 梨加 井上 原田  関  上村 藤吉
武元 菅井 森田  茜  佐藤
小林 松田 平手 田村 理佐

【「欅坂46 THE LAST LIVE」DAY2「10月のプールに飛び込んだ」(2020/10/13)】
藤吉 梨加 井上 原田 関 上村 土生
武元 菅井 茜  佐藤
小林 松田 森田 田村 理佐

【「2nd TOUR 2022 “As you know?”」東京ドーム公演DAY1
「10月のプールに飛び込んだ」(2022/11/8)】
増本 大園 井上 麗奈  関  上村 幸阪 大沼
藤吉 武元 菅井 齋藤 山﨑 土生
小林 松田    田村 小池

 「欅坂46 THE LAST LIVE」での披露時(「KEYAKIZAKA46 Live Online, AEON CARD with YOU!」もおそらく同じ)には、平手の脱退によって空いたセンターポジションに森田が入ったうえで、藤吉夏鈴・土生瑞穂が上手・下手を入れかわった形となっている。フォーメーション表通りにメンバーが並ぶ形となる楽曲冒頭において、森田は1列目より少し下がった位置(1列目と2列目の間)にポジションをとっていた。これが平手がいた際に本来想定された形であったのかは不明だが、「森田ひかるが『10月のプールに飛び込んだ』のセンターを務めた」ということは公式に語られており59、森田をセンターと考えて差し支えないと判断している。東京ドーム公演の際には、全体の人数を変更する形でフォーメーションが付けなおされている。

 そして、上掲のフォーメーション表にあらわしているように、森田は東京ドーム公演において、「10月のプールに飛び込んだ」のパフォーマンスには姿を見せなかった。理由はわからない。現地または直後の時期においてなんらかの形で説明が加えられたわけでもなければ、『Wアンコール』などで菅井が言及することもなかったし、他メンバーへのインタビューなどでも、この話題はていねいに避けられていたように見えた。DVD/Blu-rayの特典映像で舞台裏が描かれることもなかった。詳細に説明されることは今後も考えにくいだろう。
 森田は大きなけがなどのトラブルに巻き込まれたということではなかったようで、このあとの「青空が違う」「世界には愛しかない」でも引き続き不在ではあったが、それに続くMCのパートからはステージに戻り、この日最後の「その日まで」には参加している。菅井はMCのなかでひとりひとりにメッセージを送っていくなかで、森田にはまず「るんちゃん〜、大丈夫?」と声をかけ、森田も「はい、すみません」と応じている。しかしそれ以上のことは、ふたりとも何かを飲み込んだようにも見えた。

——そして、アンコールでは欅坂46時代の曲が披露されました。初日の『10月のプールに飛び込んだ』はどうでしたか?
山﨑 当時、私は楽曲に参加できなかったけど、ずっと好きな曲で、パフォーマンスできたことがうれしかったです。メンバーによっていろんな想いがあったはず。途中から合流した二期生もいるので、あの頃とは違った『10月のプール』になったと思います。
——泣いてる声も聞こえました。
山﨑 欅坂46の時から「リアリティを届ける」ことを大切にしているので、それが形になったのかなと思います。櫻坂46にしかできないパフォーマンスでした。友香さんを見て「やっぱり偉大だな」と思いました。キャプテンの背中は大きいです。

(『BUBKA』2023年1月号 p.16、山﨑天)

 センターを欠く形で「10月のプールに飛び込んだ」のパフォーマンスは貫徹され、会場でも、楽曲終盤に“そこにいない森田”とともに涙ながらにペアダンスを踊る田村保乃の姿が特に印象深かった。一方で、1番のサビでは森田にかわって菅井がセンターに進み出てソロダンスを踊る形となっており、これをどのように解釈してよいか、筆者はずっとわからないままだった。
 しかし、約1年半の時間を経て、この点についてははTAKAHIROによって説明が加えられている。「サントリーpresents 菅井友香の#今日も推しとがんばりき」の2024年4月25日放送回にゲスト出演したTAKAHIROは、リスナーからの「菅井さんのパフォーマンスにまつわる苦労話や裏話など教えていただけるとありがたいです」との質問に対して、「菅井は不器用です。究極的に不器用なんですよ」と即答し、菅井からも「そうなんですよ、本当に」と笑いを誘った。しかし菅井は「努力する力を持っていた」ことで、「感覚でみんながやれるところを努力でぜんぶ補おうとする」、そして「本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立ったときに誰よりも輝く瞬間がある」と評した。
 この点について、TAKAHIROは続いて「不協和音」でセンターを務めた際のエピソードに触れ、さらに東京ドームでの「10月のプールに飛び込んだ」のときのことについて言及した。菅井はあのとき、アクシデントで空いたセンターポジションに、予定も打ち合わせもなくその場で駆け込んで踊った、というエピソードであった。

「あとは、不器用だし結構勇気がないから、普段前にあんまり出られないことも多い。
 だけれども、最後の卒業コンサートのときに、森田ひかるさんという、いま櫻坂46を引っ張ってくれてるメンバーのひとりなんだけれども、本番ちょっと出られない瞬間があって。『10月のプールに飛び込んだ』。
 で、どうなるかなって思ったら、菅井友香が真ん中にバーンって出てきて。打ち合わせもなかったけれども、そこでやり切って……見てる人は『こういうものなのかな』って思うぐらい。
 だから、すごく最終的には勇気もあったし、努力をしたから、そうやっていきなりのことでもできるようになったし、不器用なことが武器になった素敵な方だなと思っています。」

(2024年4月25日「サントリー生ビールpresents 菅井友香の #今日も推しとがんばりき」、TAKAHIRO)

 披露機会の少ない楽曲であったが、「10月のプールに飛び込んだ」の振り付けについては、特に「欅坂46 THE LAST LIVE」のあとの時期において、その意味やメンバーによる解釈が幾度か語られてもいる。以下、渡邉理佐によるものと森田ひかるによるものを引用する。

「『10月のプールに飛び込んだ』は二期生がかなりフィーチャーされているんですけど、それを横で見守りながら静かに踊っているグループと、最初からヒップホップ系でがっつり踊っているグループと、同じ曲の中でふたつに分かれていて。でも、(森田)ひかるちゃんがセンターで1サビを踊っていると、そこに(藤吉)夏鈴ちゃんが加わって、どんどん激しく踊るチームが増えていく。で、保乃ちゃんがひとり残るんですけど、その保乃ちゃんも最後は一緒になるという、本当に欅坂46の5年間の集大成みたいな楽曲なのかなと個人的には思っています。
 結成当時はみんな子どもで、ひとつのことを全員で一生懸命取り組むということしか頭になかったと思うんですけど、それが徐々に歳を重ねるに連れて、今まであった概念を壊してやるぞっていうチームと、今まであったものを大事に継承していこうよというチームとそれぞれがいて、だけど結局最後はどっちも一緒でひとつなんだよというのが、『10月のプールに飛び込んだ』ではうまく体現できているのかなと思うんです。そういう意味では歌詞は勿論ですけど、振り付けにも注目して観ていただけたらうれしいです。

(『別冊カドカワ 欅坂46/櫻坂46 1013/1209』p.101、渡邉理佐)

(前略)……ラストライブといえば、「10月のプールに飛び込んだ」も披露しましたが、回数の限られたレアな楽曲になりましたね……。
「そうですね、イオンカード会員の方限定の配信ライブを合わせて、パフォーマンスしたのは2回だけでした」。
 生き生きとセンターで躍動する森田ひかるを見られる曲でもあります。
「本当に楽しいんですよ、パフォーマンスしていて。メロディーも心地いいですし。最初は学校の授業を受けているようなイメージで、『みんなが出ているから、仕方ないか』っていうような感じで始まり、でも、やっぱり自分はプールに飛び込みたいっていう気持ちがサビで出てきて……そうすると、自分のことを分かってくれる人が増えてきて(※最初は森田が1人だけで踊っているところへ、藤吉夏鈴が合流してくる)。『こういう青春っていいなあ』って思わせてくれるような感じがあって、すごく楽しい楽曲です」。
 あの歌詞の中の“僕”は、「黒い羊」までの主人公だった“僕”とつながっていたりするんでしょうか。
「自分が答えていいか分からないんですけど、私はつながっていると思います。言ってしまえば三部作というか、『サイマジョ』〜『不協和音』〜そして『誰鐘』と『10月〜』につながっていくのかなと思っていて。で、『10月〜』はちょっと特別な2つのテーマが入った楽曲になっているのかなって。“僕”が2人いて、今までは、たとえば『不協和音』だったら“抵抗”とか“主張”を大事にしてきたんですけど、『10月〜』では、そのテーマに加えて、“尊重”を表現できると、この曲はより強いものになるっていう思いが、自分の中ではありました」。
 曲調やアレンジはポップな感じですけど、歌詞は結構主張的ですよね。主人公が中指を立てたりもしていますし。
「そうですね、ところどころに“欅らしさ”というのが残っています」。
 ただ、思春期の終わりが近いことを告げてもいるような気もします。パフォーマンスするにあたって、振付のTAKAHIROさんからは、どんな言葉が授けられたんでしょうか。
「楽曲は聴いてくださる方の解釈が加わることで成り立つところがあるので、詳しく言わない方がいいのかなと思っているんですけど、田村保乃ちゃんが演じている、途中から出てくるもう1人の“僕”の気持ちを、私の(演じている)“僕”が尊重するっていう表現の仕方ができると、より曲の良さが伝わるし、『やっぱり自分らしさを貫きたい』っていう気持ちを主張することで2つのテーマが同時に見える瞬間があるといいよねっていうことをTAKAHIRO先生からは言っていただきました。なんか、どう見せれば伝わるかを、結構自分なりに研究していたところがあります」。

(『blt graph. vol.62』[2020年12月9日発売]p.12-13、森田ひかる)

 これらもふまえつつ、DVD/Blu-rayの特典映像としてリリースされたパフォーマンスの映像60を改めて確認したところ、見えてくるものがいくつかあった。以下しばらくは映像におさめられた様子をなぞる形で書いていくことをご容赦いただきたい(よければ是非、筆者の下手な文章で追うよりも、映像で見返していただければと思う。説明のない引用部[強調部]については、上掲引用2点の記述を取りまぜている)。

 冒頭の歌い出し、「チャイム 聴こえないふりをしていた」から「授業なんか出たくない」まで、映像では田村を中心とするカットと全体のカットが用いられている。会場でもおそらく、田村を中心とするカメラワークでモニターが映し出されていたように思う。「森田ではなく、田村からの歌い出しだった」という印象が前に出て、特に「過去には森田がセンターに立っていた」という前提があったため、筆者には「センターが田村に変わったのか?」という第一感があった。しかし、センターポジションが空いていることは明らかで、そのことにすぐに気づくことになる。
 実際のところ、歌割りとしてはもともと、ここは森田と田村のふたりのパートだ。振り付けが表現しているものも、ここはまだ全員が「学校の授業を受けているようなイメージ」で、「静かに踊っている」様子であり、森田がいた場合でも他のメンバーと大きく違う動きをするわけではない。田村の表情は「欅坂46 THE LAST LIVE」の映像と見比べると少し緊張して見えるものの、あえていえばその程度にとどまり、「本来のポジションで、予定通りパフォーマンスを続行していた」ということのように思える。

 本来は1サビで、森田が演じる“僕”に「やっぱり自分はプールに飛び込みたいっていう気持ち」がサビで出てきて、「ヒップホップ系でがっつり」踊り始めることになる。しかしこのときはセンターポジションが空いており、TAKAHIROが説明したように、そこにその後ろの2列目のポジションから「菅井友香が真ん中にバーンって出てきて」、笑顔で踊り出すことになる。ここは「プールに飛び込んで」踊り始めた森田のもとへ、「自分のことを分かってくれる人」がどんどん合流していくさまを表現する部分である。1サビの後半で下手側の後列から藤吉夏鈴が合流してくる前に、誰かが先に踊っていないと意味が通らない。
 それを菅井は、TAKAHIROの説明によれば「打ち合わせもなかったけれども」やり切ったのである。筆者は現地で見たときからその意味をつかめていたとは正直いえないが、確かに「こういうものなのかな」と感じた。
 サビ冒頭(「10月のプールに飛び込んだ僕を笑うがいい」)の部分の菅井のダンスは明らかにヒップホップ系ではなく、バレエの動きである。幼少期に打ち込んだものが咄嗟にあふれ出たのかもしれない。これに続く部分(「制服のまま泳いで何を叱られるのか」)では、森田が披露した際の振りに近いものとなり、サビ後半では予定通り藤吉が合流してくる。森田とのペアダンスとはやや異なるが、どうにかトーンと息を合わせて演じ切っているように見え、藤吉の弾けんばかりの笑顔が印象的である。「静かに踊っているグループ」は、そうした“僕”を静かに見守っていることになるが、抜けに映った小林の表情は、どこか満足げな笑顔であった。
 本来はこのサビの終わりで、藤吉に続くふたり目の理解者として菅井が合流し、3人で踊りながら上手側に移動していって2番につながっていくことになるが、このときはそのまま自然な流れで、菅井と藤吉がふたりで移動していく。藤吉が手を引いて、菅井の立ち位置をどうにか調整しているようにも見える。

 そこからは徐々に、メンバーが「激しく踊るチーム」に合流していき、チームが大きくなっていく。そこに最後に合流する形となるのが田村だ。そこまでパフォーマンスを続行してきた田村だが、森田とのふたりの歌割りであった「びしょびしょの足跡が廊下に残っている」までを歌いきり、「僕に興味がないんだろう」で小池美波が最後にグループを離れていったあたりから、涙がこらえられない様子になっていく。自らもそのあとを追って合流していくタイミング、落ちサビの「季節なんか関係ないのが僕の生き方だ」は1列目の歌割りであるが、涙で歌唱ができないままで加わっていく。
 ラストサビ。最後に合流した田村が、センターポジションで踊る。これは本来の形だ。そしてその隣に並ぶ形で、最初に「10月のプールに飛び込んだ」森田が踊る。そのポジションは空けられており、田村はそこにいるはずの森田に目線を送っている。森田のいう、「田村保乃ちゃんが演じている、途中から出てくるもう1人の“僕”の気持ちを、私の(演じている)“僕”が尊重する」シーンがここということだろうか。
 最後に田村は、縦2列になったフォーメーションの先頭で森田と拳を合わせ、パフォーマンスを終える。当日に混乱のなか見届けた際には、そこで森田が“そこにいない”ことと、しかし同時に、あくまで“そこにいる”ことが強調されたように感じたことを覚えている。

 野暮なことだとわかっていても、思ったときに書かないといつか失われてしまう気がするから、筆者はそれでも、だいたいのことは長い文章に混ぜ込んで書いてしまおうと決めている。トラブルで空いたセンターポジションを、埋められなかった経験もしたし、埋めなかった経験もしたし、埋めた経験もしたのが欅坂46であった。“モーゼ”で割れたフォーメーションの間を誰も歩かなかった「サイレントマジョリティー」があった61。全曲をセンターなしで貫徹した公演があった62。こうした日々を経て、全曲に新たなセンターを立てる形で挑んだライブがあった63。この日と同じように、唐突に空いたセンターポジションに進み出た小池美波が、自らの判断でソロダンスを踊った「二人セゾン」があった64
 すべてのメンバーに固有の役割があって、パフォーマンスで楽曲を表現しているのだと考えれば、フォーメーションには意味がある。しかし一定の満足がいく表現が実現できたとして、その結論から逆向きに考えるならば、フォーメーションには究極には意味がない。メンバーがこの日の「10月のプールに飛び込んだ」をどう評価しているのかはわからないし、われわれがどうとらえればよいものかも、こんなに書いてきて、結局のところはわからない。ただ、この日のこの1曲のなかで、空いたポジションを埋めたことにも埋めなかったことにも、その両方にきちんとした意味が見えた、という感覚はある。
 それは巡りあわせの妙がもたらした部分もあっただろうし(菅井のポジションや、森田のグループに加わっていくタイミングが異なれば、彼女がセンターポジションに進み出ていくことは物理的に困難だっただろう)、TAKAHIROのいう「誰よりも輝く瞬間」を迎えた菅井をはじめ、メンバーが自らの力で達成したものでもあっただろう。
 ただひとつ、一介のファンに過ぎない筆者が自信をもっていえるのは、それが確かに山﨑のいう「櫻坂46にしかできないパフォーマンス」であった、ということだ。

“櫻”の形のキャプテンバッジ

 「10月のプールに飛び込んだ」に続くアンコール2曲目には「ヒールの高さ」が選曲され、土生瑞穂とともにフロートカーで会場を一周しながらの形で披露された。もとは菅井と守屋茜のふたりによるユニット曲であり、「茜の卒業セレモニーのときにパフォーマンスできなかったこともあって」「どうしても貫きたかった(『Wアンコール』p.89)という思いでセットリストに加えられたのだという。誰と歌うかはちょっと悩んだのだというが、「一期生と歌っていた曲だったから、やっぱり一期生でこの気持ちを分かってくれるのは土生ちゃんしかいない(同p.90)と考えての人選だったということだ。
 菅井個人としてはどこまでも笑顔のパフォーマンスであった「10月のプールに飛び込んだ」から一転、緑一色の客席を進んでいくうちに、涙で声を詰まらせながらの歌唱となる。「微妙なバランスをとって 誰とも揉めないように…」。当時の彼女に刺さり、だからこそ「どうしても最後に歌いたくて(同p.89)と思ったという歌詞に、万感の思いが込められていた。

 菅井と入れかわるように、歌い上げたところで感情がこみ上げてきた土生に優しくハグをして見送り、3曲目は「青空が違う」。守屋茜・渡辺梨加の卒業セレモニー、および渡邉理佐の卒業コンサートでも歌唱されてきた曲だが、「もう本当に、青空と“Y”になっちゃうので、ひとりではなかなか難しい(「渡邉理佐卒業コンサート」DVD/Blu-ray特典映像)とも語っていた。そのなかで、菅井はひとりで5人分のパートを歌唱して、最後にもう一度披露する形となった。
 メインステージまで戻ってきた菅井を、メンバーが揃って迎える。アウトロ部分はメンバーとパフォーマンスして、「1人になった寂しさと、でもみんながいてくれるという安心の両方を、この1曲で感じることができました。(『Wアンコール』p.90)という。最後に去っていくところでは、「TAKAHIRO先生が『手を繋いで帰ろうか』の振り付けを追加してくださった(同)とのことである。
 これに続いたのが「世界には愛しかない」。「この曲は自分にとっては青春の1曲で、イントロを聴くと泣きそうになるくらい、いろいろな思い出がよみがえってきます。(『Wアンコール』p.91)と綴られている。センターに立った菅井が冒頭の叫びを「久しぶりに復活(同)させ、ポエトリーリーディングのパートは土生瑞穂(長濱ねるパート)・小林由依(今泉佑唯パート)・上村莉菜(鈴本美愉パート)と1期生でつないた。「『夕立も予測できない未来も嫌いじゃない。』」、いつからか彼女の心情そのままのように聞こえるようになっていたそのパートは、もちろんオリジナルの菅井が務めた。

 先にも少し言及したところだが、このときメンバーが着用していたのは、2017年夏に初出の、いわゆる「ハーネス衣装」。懐かしさが感じられる衣装であるとともに、カラー・デザインともに「いかにも欅坂46」の印象があるものである。あの夏は「もがき苦しみ続けた」ような印象もぬぐえないが、「欅共和国」「全国アリーナツアー」の端緒であり、さらにこの衣装で「ROCK IN JAPAN FES.」に初出場するなど、現在につながるさまざまな評価のスタートであった時期でもある。
 もとは欅坂46(漢字欅)にグリーンのモデル、ひらがなけやきにブルーのモデルが制作されたもので、「欅共和国2019」では2期生がブルーのモデルを着用したり、改名後の日向坂46も「2回目のひな誕祭」(2021年3月28日)のタイミングで空色にリメイクしたモデルが全メンバー分制作されたり、一方で「3回目のひな誕祭」DAY2(2022年3月31日)では1期生がひらがなけやき時代のブルーのモデルを再度着用したり、「齊藤京子卒業コンサート」(2024年4月5日)では1期生がひらがなけやきのモデル、2・3期生が日向坂46のモデルを着用して「手を繋いで帰ろうか」を披露したりするなど、長い期間にわたって大切にされている衣装であるといえる。
 菅井自身も、「やっぱり一目で『欅坂46』とわかってもらえる衣装がいいのかなと決めました。(『Wアンコール』p.92)としつつ、「また、日向坂46のみんなが、色違いの衣装を東京ドームで着ていたことも決め手でした。(同)とさらりと言及していたことには65、ひらがなけやきと一体のグループであった時代からキャプテンを務めてきた菅井の、視野の広さと優しさに心が打ち震えるように感じた。

 パフォーマンスが終わってからややあって、メンバーがステージに戻ってくる。菅井は「その日まで」のMV、および直前のOvertureの映像内で着用していた水色のワンピース、他のメンバーはアンコールのTシャツ姿であった。菅井は横一列になったメンバーの中央に立つ。前稿でも書いたところだが、MCなどの際の横一列での立ち位置は、楽曲のフォーメーションに準拠してつけられることが多い。菅井が「真ん中」に立つのは、いつもグループにとって特別なタイミングであった。
 菅井は「こんなにすてきな場所で、みなさまと一緒にアイドル人生の最後を迎えられるって本当に幸せで、ありがたいことだなあと、たくさんの方々に支えていただけて今日まで続けられたなあと感じています」と感謝の言葉を口にした上で、「(メンバーには)言ってなかったんですけど」と、メンバーひとりずつにメッセージを伝える時間を設ける。合計で20分近くをかけ、ひとりひとりにていねいに言葉を贈る菅井の様子が、卒業するのは彼女のほうなのに、卒業式で生徒を見送る担任の先生のように見えた。
 そうして菅井が言葉を贈った19人のメンバーのうち、最後のひとりは遠藤光莉であった。遠藤はツアーを控えた時期の2022年9月6日に休養のアナウンスがあり、グループとしての活動を休止していたが、アンコールのこのタイミングで久しぶりにステージに戻ってきたことになる。菅井は「本調子じゃないのに……」と体調を気づかいつつ、「大丈夫だよ。ひかりんの居場所はずっとここにあるし、みんな待ってるし、でも背負いすぎず、心を大事に、これからも穏やかに、楽しんでほしいなと思っています」と伝える。「W-KEYAKI FES. 2022」の時期から体調不良による欠席が多かった関有美子も、右肘を骨折してツアーの愛知公演・福岡公演を欠席していた上村莉菜もこの日はステージに揃っており、メンバー全員で菅井の最後のライブに立つことができた形になった。
 最後に、菅井からもうひとつ発表があった。「次のキャプテンを務めてほしいな、と思う子がいて……まつりちゃん! キャプテン、務めてくれますか?」と呼びかけると、松田里奈が「はい!」と元気よく返事をした。松田にキャプテンを引き継ぐためにあつらえたという、5枚の花びらの“櫻”の形のキャプテンバッジが、このとき菅井のワンピースの胸にはつけられていた。菅井はそれを自分の手で、松田のTシャツの袖につけるという形で、新たなキャプテンの誕生を表現する。
 この場で発表があることは知らされていなかったようだが、本人も周囲も副キャプテンの松田が次期キャプテンとなることはもちろん予想できており、松田は菅井の卒業を聞いたときから、そのための「心の準備はしてきたつもり」と口にした。これまで自分が感じてきたキャプテンとしての菅井の存在の大きさや、2期生としてキャプテンとなる不安についても触れつつ、少しの緊張も感じさせながらであったが、「いつか少しでも認めていただけるような、そんなグループを引っ張っていけるようなキャプテンになれたらいいなと思います、全力で頑張ります」と宣言する。深々と頭を下げた松田に、メンバーも客席も万雷の拍手でエールを送った。

 そしてこの日の公演は、「その日まで」の初披露で終えられる。「サヨナラ サヨナラ サヨナラ/悲しくなんてないよ」。メインステージで歌い出した菅井が花道をゆき、いわゆる“新2期生”、そして2期生、1期生と、菅井と出会った逆順で、ひとりずつメンバーとペアになって踊りながら進んでいく。振りはあらかじめ菅井とそれぞれのメンバーが考えて決めたとのことで、小池美波とは「二人セゾン」、小林由依とは「サイレントマジョリティー」の動きを取り入れ、上村莉菜とは「欅ポーズ」をつくるなど、それぞれの思い入れが見てとれるものもあった。
 Bステージまで到達し、2サビを1期生6人で踊り、Cメロを菅井がひとりで歌唱したのち、花道にはメンバーによる「がんばりきアーチ」がつくられる。「人生は一筆書き」だと秋元康の言葉を借りつつ表現する菅井の行く先に(『B.L.T.』2022年12月号 p.14)、未来へと続く「がんばりき」の一本道が現れる。
 「100万馬力でがんばりき」は、「欅って、書けない?」での初登場時の「友香の笑顔は100万馬力」を原型として、2016年3月の「デビューカウントダウンライブ!!」から6年半にわたって一貫して使い続けてきたキャッチフレーズである。「レコメン!」では「『がんばりき』は生き様」「(パーソナリティとして)4年半『がんばりき』一本でやってきた」というパワーフレーズも生まれる。そして卒業後も現在まで、積極的に用いられ続けているというのも周知の通りだ。

 メインステージへ駆け戻り、風に舞い上がる桜の花びらのなか、菅井はセンターポジションでひとり踊りながらメンバーを迎え、この日のパフォーマンスを終えた。再び横一列の「真ん中」に立ち、ずっとそうしてきたように、ライブを締める。「今回のツアーは、明日まであります。明日もみんなで精いっぱい力を合わせて、最高の締めくくりをできるよう精いっぱい頑張りますので、これからも応援よろしくお願いいたします。」菅井はこれまでずっと、どこまでもグループのキャプテンで、でもそうやってライブを締めたのはこの日が最後であった。
 「以上!」「櫻坂46でした!」。そうして菅井に声を揃えたメンバーが先に退場すると、彼女はステージの写真を、規制退場中に撮って記念とするように呼びかけた。深々とお辞儀をして、小さく手を振る。東京ドーム公演、1日目が終わった。

[fusion]の意図したもの

 東京ドーム公演2日目。この日は(いわゆる「見切れ席」「ステージバック席」の発売はなかったものの)チケットはソールドアウトの状態で、かつ配信も行われた。生配信に加え、当日22時からと週末(11月12日)の22時からの2回のリピート配信も行われる。前日の1日目公演の話題を受けて2日目の生配信を視聴したり、もしくは当日の様子が報じられたことでリピート配信を視聴したりした者も多かったのではないだろうか。
 1日目公演の時点で、[fusion]の意図したことはおおむね、われわれにも伝わっていたといってよい。あくまで筆者による解釈としてそれを説明するならば、それを通して事前に高められた期待感を誤魔化さずに欅坂46の楽曲を演じるものの、櫻坂46のツアーファイナルであるという前提は揺るがすことなく、ツアーで積み重ねたものはそのまま東京ドームへ持っていく。「欅坂46を見にきた」観客に、フルサイズの櫻坂46を見せる。
 菅井は東京ドーム公演が決まったとき、「櫻坂46の未来を感じるものにしたい」と思い、キャプテンの引き継ぎを東京ドームで行ったことも、その思いからのことであったと説明している(『Wアンコール』p.101)。そのうえで、「私にとっての7年を振り返るには 欅坂での5年、櫻坂での2年。どちらも欠かせない時間でした。(菅井友香公式ブログ 2022年11月20日「どうもありがとうございました✨」)という考えのもと、考え抜いた選曲で欅坂46の楽曲を演じた。

欅坂の楽曲に初めて参加してもらうメンバーもいて、頑張って覚えてもらう形になりました。

メンバーのみんな、協力してくれてありがとう。
2期生みんなにとっても、これからに繋がる何にも変え難い経験の贈り物になったら、と思い最後に時間をいただきました。

櫻坂を経験したからこそお届けできる欅坂の楽曲の表現がありました。
私たちのパフォーマンスを受け取っていただきどうもありがとうございました。

アンコール含めて、櫻坂46の過去・現在・未来
全てを感じて頂ける盛りだくさんのライブになったかな、と思います🌳🌸

(菅井友香公式ブログ 2022年11月20日「どうもありがとうございました✨」)

 菅井は公演を終え、「櫻坂46の今と私たちの過去、現在、未来すべてをこのライブでお見せすることができたかなと思っています。(『Wアンコール』p.101)と振り返る。[fusion]するのは欅坂46と櫻坂46であると受け取られる向きも強かったかもしれないが、しかしそれはより正確にいえば、「過去、現在、未来」ということであったのかな、とも思う。

 あるいは、先にも言及したように、「坂道合同新規メンバー募集オーディション」を経て2020年2月に欅坂46に配属された、いわゆる“新2期生”6人は、そのとき東京ドームのステージに立つ経験を得ていなかった。新型コロナウイルス禍にあって欅坂46のメンバーとして客席の前に立つことはなく、パフォーマンスの機会もかなり限られたものであったが、確かに彼女たちも欅坂46だったはずである。[fusion]、「欅坂46と櫻坂46」、「過去、現在、未来」。そこには“新2期生”の存在と、その足跡をグループの歴史に確かに位置づける、という意味も含まれていたのではないだろうか。

——アンコールで欅坂46の曲を披露しました、途中で二期生に合流した6人は欅坂46として楽曲をパフォーマンスする機会が少なかったので、東京ドームで4曲披露できたことで「私たちも欅坂46だったんだ」という意識が強くなったんじゃないでしょうか。
大園 その意識は強くなりました。初日の『10月のプールに飛び込んだ』は、『欅坂46 THE LAST LIVE』で初めて観て、「すごいことをやってるな」と思った曲。でも、今回のライブに向けて振り入れしてみると、意外にスッと体に入ってきたんです。2年前よりも振り覚えが早くなったのかな、と自分の成長を感じました。

(『BUBKA』2023年1月号 p.12、大園玲)

ゆうかさん

東京ドームという夢の地に
連れて行ってくれて

憧れの楽曲を一緒にパフォーマンスさせてくれて
本当にありがとうございました。

私も欅坂46も櫻坂46も大好きです。

最後の最後までゆうかさんは綺麗でした。
これからのゆうかさんもずっと綺麗です!

大沼晶保公式ブログ 2022年11月15日「ゆうかさんに出会えて🐴」

——9月29日から全国アリーナツアーが始まって、千秋楽の11月8日と9日には東京ドーム公演が行なわれます。
齋藤 欅坂46で東京ドーム公演が決まったとき、「まだ早いんじゃないかな」とも思ったんですけど、櫻坂46も早い気がして「大丈夫なのかな?」という気持ちがあるんです。だけど、いまのメンバーで東京ドームに立ちたい気持ちのほうが強くて。大変な時期を乗り越えてきたメンバーだからこそ、東京ドームのステージから伝えられることがあるんじゃないかなと思います。
大沼 欅坂46がライブをした映像を何回も観ていて、東京ドームは私にとって「夢の地」。加入したとき、(菅井)友香さんから「東京ドームに連れていくからね」と言われたんです。
齋藤 カッコいい!

(『EX大衆』2022年10月号 p.123)

 大沼晶保は欅坂46のメンバーとしての最後のブログで、「欅坂46 THE LAST LIVE」に臨む心境として、「このライブでどの曲も最後の披露になると思います。大沼晶保公式ブログ 2020年10月12日「Ever lasting story」と綴っていた。彼女も含め、そのくらい不退転の思いで歩み出したのが櫻坂46である。そのことを忘れるわけにはいかないし、忘れることはできない。そしてだからこそ、新たに振り入れをしてまで欅坂46の楽曲を演じる意味は大きいし、重い。
 それほどの意味があるからこそ、少ない曲数のなかで、多くの意味が込められる楽曲を選ぶ必要がある。そのために2日目公演で選ばれたのは、「不協和音」と「砂塵」であった。

 この2曲は、いくつかの意味で対照的な楽曲である。「不協和音」は欅坂46というグループを象徴する楽曲であった一方、パフォーマンスの激しさや楽曲のもつテーマ性から、一部のファンからは“魔曲”と二つ名される。欅坂46の東京ドーム公演でもアンコールで披露されているが、2017年の「NHK紅白歌合戦」でセンター・平手友梨奈を含む複数のメンバーがパフォーマンスを終えて過呼吸で昏倒、さらに平手はパフォーマンス中の倒れる箇所で上腕三頭筋を損傷する全治1ヶ月のけがを負い、こうした状況をふまえて、平手をセンターが立つ形としては、その間626日にわたって封印された状態であった。
 その間にもグループとして披露した機会は「2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE」をはじめ数度あったが、ここでは菅井がセンターを務めている。演じたあとの気持ちの切り替えが難しいものと語られ、菅井はこのときTAKAHIROから「菅井は戻ってこいよ」と強く言われていたのだという(『Wアンコール』p.95)。欅坂46として出場した最後の“紅白”である2019年の「NHK紅白歌合戦」でも再び選曲され、2年前に続けるような形で2番から披露された。このときが平手にとっての、欅坂46のメンバーとしての最後のパフォーマンスにもなっている。

 一方、「砂塵」は9thシングルのカップリング曲として制作されていたとみられ、シングルがリリースに至らなかったことからベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」に収録される。CMタイアップ曲としての使用はあったもののパフォーマンスの機会はほぼなく、「欅坂46 THE LAST LIVE」が最初で最後の披露の形になっており、有観客公演での披露はなされていなかった。
 ミディアムテンポのやや切ない楽曲でありながら、笑顔のパフォーマンスで演じられる楽曲でもあり、多くの披露機会において異常な緊張感をともなっていた「不協和音」とはやや隔たりがある。オリジナルのセンターは菅井であるとされ、「欅坂46 THE LAST LIVE」の披露の際には、TAKAHIROが「欅坂46のエンディングテーマだ」とも表現していたのだという(『Wアンコール』p.94)。

 共通点を見いだすならば、それは「菅井がセンターを務めたことのある楽曲」であるということだろう。1日目に披露された「世界には愛しかない」も、オリジナルメンバーとして務めたポエトリーリーディングのパートでの存在感をふまえれば、それに近い印象にもなる。「ヒールの高さ」「青空が違う」も、菅井のキャリアを代表するユニット曲だ。「10月のプールに飛び込んだ」以外は、あえていうならば、菅井が一身をもって“御せる”楽曲であった。
 「不協和音」からの「砂塵」とした背景にある思いとしては、「『私たちはプロとして、この曲(引用者註:「不協和音」)を自分たちのものにした』と、気持ちを切り替えて『砂塵』をパフォーマンスすることで証明したいと思っていました(『Wアンコール』p.95)というものであったという。山﨑天は「『不協和音』からの『砂塵』というセットリストは、『無茶なことを言うなあ……(笑)』と思いつつ、それができるのは櫻坂46しかいない自負はあります。(『BUBKA』2023年1月号 p.17)と振り返る。そのくらいの“高低差”がある2曲であったといえる。

 しかし、特に「不協和音」については、そのくらい強い存在感があるからといって、菅井自身がそこまで前のめりになって選曲したものではなかったことにも、留意しなければならないように思う。「この楽曲は自分のなかでは、もう欅坂46のラストライブでやりきれていたし、今の櫻坂46のみんなに負担になってしまうかもしれないという気持ちもあり、最後まで迷っていました(『Wアンコール』p.92-93)という思いであったといい、「スタッフさんからの勧めもあり、みなさんに喜んでいただけるなら精いっぱい頑張ろうと決心し(同p.93)と、スタッフ側の意向も込みでセットリストに加えられたことが示唆されてもいる。
 「不協和音」を乗り越える、というのみであれば、確かに「欅坂46 THE LAST LIVE」で達成していたように思う。このときはDAY1の13曲目として披露されているが、直後に早着替えを経て「キミガイナイ」を披露している。それまでは単独ライブにおけるすべての披露機会においてアンコール・ダブルアンコール、または本編最後ですべてを出し尽くすかのように演じられており、セットリストの中葉に位置づけられ、演じ切られたことの意味は大きかった。
 これをふまえて、積極的に意味を見いだそうとするならば、菅井が「弓矢のパートは私が担当していましたが、天ちゃんが引き継いでくれて。櫓のパートは葵から綺良ちゃんが引き継いで、一生懸命みんなで練習しました。新たな櫻坂46だからこその『不協和音』をお見せできたのではと思います。(『Wアンコール』p.93)と振り返ったように新たなメンバーで、特に東京ドームに立ったことがなく、欅坂46の楽曲の、ある意味では“最高峰”である「不協和音」を演じたことのなかった、いわゆる“新2期生”と演じたという点が最も大きかったのではないだろうか。

 この曲についても、フォーメーションの変遷を振り返ってみようと思う(赤字はひとつ上との差分)。

【「不協和音」オリジナルメンバー(2017/4/5発売)】
土生 石森 尾関 原田 齋藤 小池 佐藤
鈴本 今泉 梨加  茜  理佐 小林 志田
長沢 上村 長濱 平手 菅井 織田 米谷

【欅坂46 東京ドーム公演「不協和音」(2019/9/18-19)】
土生 石森 尾関 原田 齋藤 小池 佐藤
鈴本 武元 梨加  茜  理佐 小林 藤吉
長沢 上村 田村 平手 菅井 森田 松田

【第70回NHK紅白歌合戦「不協和音」(2019/12/31)】
土生 石森 尾関 原田 齋藤 小池 佐藤
井上 武元 梨加  茜  理佐 小林 藤吉
長沢 上村 田村 平手 菅井 森田 松田

【「欅坂46 THE LAST LIVE」DAY1「不協和音」(2020/10/12)】
土生 松平 尾関 原田 齋藤 小池 佐藤
 武元 梨加  茜  理佐 小林 藤吉
井上 上村 田村 菅井 山﨑 森田 松田

【「2nd TOUR 2022 “As you know?”」東京ドーム公演DAY2「不協和音」(2022/11/9)】
土生 幸阪 増本 齋藤 小池
 関  武元 麗奈 大沼 大園 小林 藤吉
井上 上村 田村 菅井 山﨑 森田 松田

 2018年加入の2期生9人は、リリースが滞っていたこともあいまって、卒業メンバーのポジションを埋める形でパフォーマンスに加わっていくのが主であったが、それが徐々に“代打”ではなく自らのポジションになっていく。「欅坂46 THE LAST LIVE」では卒業メンバーがちょうど9人を数えたことから、曲によっての出入りがなくなり、9人全員でパフォーマンスに臨み続ける形になっていた。
 いわゆる“新2期生”から5人が合流したことも、それと近い印象を抱かせる。改名という節目に翻弄された部分はあったにせよ、同じグループで2年以上の時間を経てきた仲間たちとともにフォーメーションを組んで“最高峰”に挑んだこと。それだって、やはり疑いようもなく[fusion]であっただろうし、あるいはそれはグループの確かな成長と言い換えてもよかっただろう。

「僕は嫌だ」の先へ/地平線を見渡して

 前置きと背景が長くなってしまったが、ライブ本編についても述べていくことにしたい。

 前述のように、この公演でも地方公演からまったく変わらないセットリストで臨まれる。そのなかで、菅井にとっては1曲1曲が最後の披露、ということにもなっていく。フロートカーで会場を回る形で演じられた1期生曲「タイムマシーンでYeah!」は、最後に「がんばりきポーズ」を取り入れた。このツアーから原田葵のポジションに入った「車間距離」や、渡邉理佐のポジションに入った「五月雨よ」という、オリジナルメンバーではない2曲も最後の披露となる。
 「Buddies」では間奏で菅井が客席にメッセージを送る。「これからもBuddiesのみなさまと、櫻坂46が、たくさんの幸せな思い出を重ねていけますように」。いつも通りのグループを代表した言い方だったともいえるのに、そこでなんとなく菅井がグループから離れていくことが実感として身に迫ってしまって、急に寂しくなってしまった。

「みなさん、今日は改めましてお集まりいただきありがとうございます。
 櫻坂46になって2年、私たちにはこんなに心強い、Buddiesという仲間ができました。
 私たちにとって目標であった東京ドーム。こうして『2nd TOUR』のファイナルとして立つことができて本当に幸せです。今日みなさまが見せてくださったこの景色は一生忘れません!
 これからもBuddiesのみなさまと、櫻坂46が、たくさんの幸せな思い出を重ねていけますように。
 これからもずっと、Buddiesでいてくださいね、約束〜!」

(「2nd TOUR 2022 “As you know?”」千秋楽 東京ドーム公演[2022年11月9日]「Buddies」間奏 菅井友香メッセージ)

 この日も「摩擦係数」までを全力で演じ切り、爆発音とともに本編が終わる。アンコールの拍手のなか、客席のペンライトがあっという間に緑色に変わっていった。セットリストを先回りしてペンライトの色を変えるのは(自分では)好きじゃないのであまりやらないけれど、この日はもう緑に変えてしまった。一瞬たりとも、何も見逃したくなかった66

 筆者はどちらかというと、菅井らメンバーの語りと同じように、「不協和音」は「欅坂46 THE LAST LIVE」でやりきった、という印象が強かったため、ここで「不協和音」が演じられることを予想していたわけではなかった(どちらかというと、相も変わらず「サイレントマジョリティー」を待ち構えていたような気がする)。しかしこの日のは1階スタンド席の後方にいたため、ステージが暗転したなかではあったが、Overtureがかかっているうちに、そこにメンバーが横たわっていることに気づいた。
 来る、来る。1147日ぶりに、東京ドームに、「不協和音」が。そう思って目を見開いているうちにイントロがかかり、どよめきというには大きな声が会場を満たした。

 「不協和音」については、初めて演じるメンバーもおり、経験のあるメンバーも2年以上ぶりの披露というなかで、TAKAHIROからは改めて振り付けの意味が説明されていたのだという。

 振り付けの意味をTAKAHIRO先生から改めて説明していただきました。「もうダメだ、完全に負けた」とみんなが倒れている「絶体絶命」のシーンから始まり、負けてたまるかと最後の力を振り絞ったセンターが拳を突き出すことで、その意志が電流のようにみんなに伝わり、みんなと一緒に立ち向かっていくことが表現されています。隊列を組むところは盾で守りながら、タイミングを見て後ろから矢を放つという陣形を、TAKAHIRO先生が映画『トロイ』の映像を見せて教えてくださいました。

(『Wアンコール』p.93 )

 この「矢を放つ」役割、「やぐら」の部分を、増本綺良・大園玲・大沼晶保・守屋麗奈の、いわゆる“新2期生”4人が担うことになる。それはちょうどこの部分のオリジナルメンバーがすでに誰もいない(そして、前回の披露時には全員がいた)という巡りあわせの偶然による部分が大きいのだが、振り付けのなかでも(原田葵の見せ場として)かなり印象深く語られることも多かったところで、ここを新たに披露するメンバーが担ったこともまた、非常に印象深かった。

——2日目は『不協和音』をパフォーマンスしました。
大園 ヤバかったです(笑)。ファンの方から起きたどよめきがイヤモニをしていても聞こえてきて。「ここで死んでもいい」と思えるくらい全力でパフォーマンスしました。原田(葵)さんが弓矢を放っていた「やぐら」が、今回綺良ちゃんが弓矢を放つ役で、私とれなぁ(守屋麗奈)と大沼(晶保)が持ち上げる役だったんです。かなり苦戦して、直前まで練習しました。本番は成功して本当によかったです。
——菅井さんのパフォーマンスはどうでしたか?
大園 すごかったです。友香さんが「僕は嫌だ!」というタイミングで、私は隣でしゃがんでいたんですけど、顔を上げなくても空気で迫力を感じました。

(『BUBKA』2023年1月号 p.12、大園玲)

 その、1回目の「僕は嫌だ」について、菅井は「自分自身に対して」のものであった、としている。「嫌だと思っても飲み込まざるを得なかったことに対しての本当の主張を置いていきました」と。そして2回目の「僕は嫌だ」は、「今までの7年間に感じた苦しかったことを全部置いておこうという気持ち、行き場のない思い、いろいろな気持ちが入り混じっていました」ということだったが、間奏の前に「新しい世界」を見いだすところでは、「(グループの改名という形で)『破壊と再生』を実際に経験したからこその『不協和音』の感じ方、受け取り方ができた」状態であったという。最後には「『嫌だ』のその先の感情に出会い、自分でも驚きました」としながらも、披露できて、メンバーにもファンにも喜んでもらえて嬉しかった、と振り返った(以上、『Wアンコール』p.93-94)
 アウトロが終わるとともに“僕”の戦いは一区切りとなる。「欅ポーズ」を崩しながら、菅井は清々しさを感じさせるような笑顔でパフォーマンスを終えた。しかしそこからまだ、櫻坂46の戦いは続く。「『私たちはプロとして、この曲を自分たちのものにした』と、気持ちを切り替えて『砂塵』をパフォーマンスすることで証明」しなければならない。

 しかし、「不協和音」を「自分たちのもの」にして、気持ちを切り替えてしまえば、あとは楽しむだけだったのかもしれない。山﨑天は「この曲ばかりは『Buddiesのみなさんに見せたい』という気持ちよりも、自分たちが楽しみたい気持ちが強かったかもしれません(笑)(『BUBKA』2023年1月号 p.17)と振り返っている。菅井も、「最後にフリーで踊るパートでは、笑顔で手をつないだり楽しそうにジャンプしている姿を見て、『こんな時代が来てよかった。みんなの頑張りのおかげで、今こうして笑えている』と感じられて、幸せな時間でした。(『Wアンコール』p.95)としている。
 また、この曲のなかで菅井は演出でフライングをしているが、これは本人の希望によるものだったという。「やってみたい」という純粋な思いもあったようだが、「砂塵が舞うなかで1歩踏み出して景色を見渡し解放されていくという歌詞の世界観を表現(同前)するためでもあったという。「あの地平線まで/ずっと見渡せるよ 今」。最後まで尽力を惜しまず、飛び立つその演出も成功させた菅井の目線の先に、無限の新たな世界が広がっていた。

「サヨナラはその日まで」

 「砂塵」の披露が終わると、卒業セレモニーに向けた準備の時間に入る。菅井がスマートフォンに保存された画像を振り返りながら7年間の思い出を語るところから映像が始まり、やがて過去の映像を通して菅井の7年間が振り返られていく。「人生を変えたかった、そして誰かの人生を変えられる人になりたかった」と、本人によるナレーションが差し挟まれる。
 欅坂46への加入、そしてサプライズ発表でのキャプテンへの就任。本当に「人生が変わっていった」様子がなぞられていくが、キャプテンとしてグループの難局にぶつかるなかで、改めて「変わりたい」と語る様子が描かれた。「変わりたいのに、変われない。そんな私に自信をくれたのは、ありのままの私を受け入れてくれた、メンバーのみんなだった」。「欅坂46のキャプテン」を完遂した「欅坂46 THE LAST LIVE」を終え、「少しは成長できたかな」「知らず知らずのうちに違う自分にもなれていたのかな」と語る菅井の姿。「何度も逃げ出したくなった。押し潰されそうにもなった。でも……」「みんなのおかげで前を向けた」。
 「ありがとう、ありがとう。私はこのグループでキャプテンを務めたことを、誇りに思います。」——その言葉があまりにも、彼女の変化と、成長と、そして強さを象徴していた。

 荘厳な音楽とともに、水色のドレスをまとい、豪華なティアラを身につけた菅井がステージに現れる。深々と美しいお辞儀をして、卒業のスピーチが始まった67
 「この場を借りてここまでの7年間を少しだけ振り返らせていただきます」として語られたのは、まずは「サイレントマジョリティー」でのデビューと、そして「キャプテンに任命していただいたことは人生の転機だった」ということだった。「大好きなみんなと一緒に協力しながらだったんですけど、すごく複雑でアンバランスな部分のあるグループをまとめることはすごく、すごく難しかったです。」「大好きなグループのイメージがなかなか思うように伝わらなかったりとか、覚悟はしていたものの、いろんな言葉でバッシングをされてしまった時はすごくショックなことも多かったです。」と、さまざまな配慮をにじませつつもはっきりと語るさまは、これまでもずっと見てきた菅井の姿そのものであった。

 しかしそのようななかでもファンに支えられて、期待して、見守ってもらって、救われた。書いてもらった歌詞が、それをメンバーと歌えたことが、人生の誇り。そう語ったのち、ファン、関係者、メンバー、家族へと感謝が連ねられる。
 櫻坂46に改名してからは、立場と関係なく「ひとりのメンバーとしてたくさん笑えることが増えた」という。「大好きなかけがえのない、一緒に戦ってきた1期生のみんな、そしてありのままの私を慕ってくれるかわいいかわいい後輩もできました。いま、お別れするのがすごく寂しいです。」と口にして涙ぐみ、会場が拍手に包まれる。

 そして、これからも「櫻坂の魅力がもっともっといろんな方に伝わっていってほしい」、「3期生のみんなも入ってきてくれる」と未来を志向しつつ、「そして大好きな欅坂46も、大好きな櫻坂46も、それぞれにしかない楽曲、グループ、メンバーの魅力がたくさんあります。どっちがいい悪いとかではなく、それぞれを尊重しながら、魅力を受け入れて、どっちも愛していただけたらうれしいなと思っています。」と、自らの7年間のキャリアを慈しむ。欅坂46時代を支えてくれたファンの顔も、あるいは櫻坂46になってから出会ったファンの顔も、この日の菅井には見えていたのだろう。会場につめかけた4万人のファン、そして配信で見守るさらに多くのファンに向けて、どうしても伝えたかったメッセージだったように思えた。
 「この経験を忘れず、楽しかったこと、苦しかったこと、すべて抱きしめて前に歩んでいきたいなと思っています」。最後にはにこやかにそう語った菅井の姿に、これからも彼女が進む未来が光り輝くものであることを確信した。

 スピーチが終わり、メンバー全員がステージに登場する。メンバー全員に菅井からメッセージが送られた前日に続き、この日は逆にメンバー全員から菅井に手紙が読まれ、花とともに手渡された。どうやら便箋1枚でおさめるようにと決められていたようではあったのだが68、セレモニーのなかで19人ものメンバーが手紙を読むことは異例のことだと言っていいのではないかと思う。しかし、前日に全メンバーへメッセージが送られたことも含め、「どうしてもそうしなければならなかった」存在が、菅井友香だったのだと思う。

 そして最後に、この日も「その日まで」のパフォーマンスが始まる。本当に、これで最後。前日よりかなりドレスアップした菅井が、同じようにメンバーとペアになって踊りながら花道を進んでいく。前日のうちにしっかり泣いたからか、それとも何もかもをステージで満足に出し切ったからか、あるいは菅井のたたずまいがあまりに爽やかな様子であるからか、メンバーも目に涙は溜めつつも、すっきりとした笑顔で菅井との最後のパフォーマンスを楽しんでいたように見えた。
 花道を進みきった菅井が、土生瑞穂にエスコートされるようにしてBステージに上がる。ドレスにあわせて高いヒールを履いて、土生よりもだいぶ背が高くなっていた。しかしそれでも軽やかに、1期生6人で2サビのダンスを踊る。5人の“戦友”に抱きしめられた菅井が、その真ん中に立つ。「ねえ ずっと私を待ってて」と菅井が歌い、19人が「ねえ 忘れない あなたを……」と歌う。歌いながら、菅井を乗せたリフターが上がっていく。菅井友香が、彼女が誰よりも夢見た地、東京ドームの「真ん中」に立つ。そして最後に、改めて語る。

「今日、わたくし菅井友香は、櫻坂46を卒業します。
 ここまで、たくさんの方々に支えていただき、大好きなメンバーから支えてもらい、ここまで走り抜けることができました。
 また大好きなみなさんにお会いできるように、また明日からは、新たな道を走り出したいと思います。
 またお会いできるまで、待っていてくださったら嬉しいです。
 そして……今日まで、グループを守るために戦ってきました。

 悲しいこともあったけど、最高に、楽しかったです! 7年間の応援、ありがとうございました!」

(「2nd TOUR 2022 “As you know?”」千秋楽 東京ドーム公演[2022年11月9日]「その日まで」間奏 菅井友香メッセージ)

今日まで、グループを守るために戦ってきました。
 最後にそう言い切れるまでに、長い長い時間を走り続けられる人物は、菅井友香をおいて他にはいないだろう。

 リフターが下りていく。スタンドの2階席はパステルブルー、1階席とアリーナは白。自身のサイリウムカラーに染まった東京ドームを愛おしそうに見回しながら、唯一無二のキャプテンがステージに戻る。照明が当たらないステージの上で、メンバーもファンと一緒に拍手を送っている。
 「サヨナラ サヨナラ サヨナラ 悲しくなんてないよ また会えるその日まで」。最後のソロパートを歌い上げた菅井が走り出す。一点の曇りもない、笑顔の「がんばりきアーチ」だった。メインステージまでを駆けきって振り向くと、彼女が愛し抜いたすべてが光り輝いていた。門出を祝う桜吹雪が舞う。「サヨナラはその日まで」。最後まで歌い上げて、万感の思いを込めて頭を下げた。背中を向けて、ステージから歩き去っていく。もう一度こちらに向き直って、再度深くお辞儀をした。

 本当にもう終わりだ。そう思って拍手を送っていたら、最後に振り向いて、笑顔で「がんばりき」ポーズ。
 それはあまりにも鮮やかな、われわれの愛した“菅井友香”の姿であった。

“二度目の東京ドーム”、勲章と余白

 菅井がステージをあとにしたのち、メンバー19人がステージに戻り、ライブが締められる。新キャプテンの松田里奈が、彼女らしい明るくパワフルな口調で、客席に語りかける。

「本日は東京ドームに足を運んでいただき、配信をご覧いただき、全国各地に来てくださったみなさま、本当にありがとうございました。
 キャプテンである菅井友香さんが卒業して、グループにとってもとても大きな出来事だと思います。
 だけど、いまこのメンバーなら、どんな困難も乗り越えられると思うし、どんな道も進んでいけると思います。
 またこのステージに立てるように、メンバーと手をとりあい、スタッフのみなさんと手をとりあい、そしてBuddiesのみなさんと手をとりあい、切磋琢磨していきたいです。
 これからも櫻坂46は坂を上りつづけていくので、Buddiesのみなさんに『これからも一緒に櫻坂46と歩んでいきたい』と思っていただけるようなグループになります。
 どうかこれからも櫻坂46の応援、よろしくお願いします!」

(「2nd TOUR 2022 “As you know?”」千秋楽 東京ドーム公演[2022年11月9日]アンコール 松田里奈挨拶)

 松田がライブでこうした立ち位置を務めるのは初めてではなく、菅井不在の「BACKS LIVE!!」「3rd Single BACKS LIVE!!」でもすでに全体のMCを回したり、客席に挨拶したりする役割を担っていた。
 そのときも、そしてこのときも、しっかりとファンへの感謝とグループの未来について語っていたが、やはり新体制の始まりを東京ドームで宣言するにあたっては、いくぶん緊張はあっただろう。それを敏感に感じとってか、ポジションの近い武元唯衣や齋藤冬優花、そして山﨑天や田村保乃は松田の様子を覗き込むようにして見守っていた。他のメンバーも、松田とともにうなずきながら客席を見つめる。「いまこのメンバーなら、どんな困難も乗り越えられると思うし、どんな道も進んでいける」「Buddiesのみなさんに『これからも一緒に櫻坂46と歩んでいきたい』と思っていただけるようなグループになる」。
 そして、「またこのステージに立てるように」。19人全員でそれを宣言するような姿は、グループの明るい未来を確信させるものであった。

今まで副キャプテンとして、一緒にグループを作ってくれたまつり。
まつりの積極性や明るさが、櫻坂の良い雰囲気を作ってくれていたと思います✨
どうもありがとう。

キャプテンという役職は責任がある故、孤独を感じる瞬間もあります。
人一倍考えることも多く、見えない所でのお仕事もあります。
見方によっては「損」と言われてしまうこともありますが
人がやりたいと思わない事にこそ価値が生まれる、そう思って続けてきました。

それに、今のグループなら、みんなが協力してくれます。
まつりならきっと、もっともっと良い櫻坂を作ってくれる。
そう思えたので安心して引き継がせていただきました!
引き受けてくれてありがとう。

これからキャプテン松田の応援、
よろしくお願いいたします✨

(菅井友香公式ブログ 2022年11月20日「どうもありがとうございました✨」)

 ライブを終えて少し落ち着いたぐらいのタイミングだろうか、菅井は11月20日に最後のブログを更新する。リハーサルの様子や、最後のライブの前に1期生と欅坂46の円陣をしたこと、上村莉菜・関有美子・遠藤光莉と最後に一緒にステージに立てた喜びと感謝などを報告し、キャプテンの継承、欅坂46楽曲の披露、セレモニーのためにあつらえられたドレス、「その日まで」の初披露などについても綴った。メンバーからはステージに受け取った手紙のほかに、手づくりの卒業アルバムも贈られていたのだという。
 そして、かかわってきたすべての人々に寄せた感謝の言葉は、「どんな時も味方でいてくださって 信じてくださって、心からありがとうございました」。菅井友香のことを信じ続けてきた日々に、間違いなどひとつもなかった。

改めて、本当に沢山の方々に支えて頂き、7年間1度も休まず走り続けることができました。

沢山の方々と出会い、巡っての7年。
ここまで連れてきてくださった全ての方々に感謝の気持ちをお伝えしたいです。

長い夢を見ていたのかと思うほど濃密で刺激的な日々や経験は、決して忘れたくない思い出です✨

心が折れそうな時は、応援してくださるみなさんのお顔が浮かんできて、何とか踏ん張ることができました。
どんな時も味方でいてくださって
信じてくださって、心からありがとうございました。

少しでもみなさまに恩返しができていたらいいな。


そして、活動を通して学んだことがあります。

人生良い時も悪い時も、周りとのご縁や助言を大切にしながら歩みを止めない限り、必ずどこかに道は繋がっている
という事です。

無駄な経験なんて1つもなく、
どう解釈して前に進んで行くかが大切だと思います。

今までの私の活動を通して、少しでもそんなことをお伝えし、誰かの力になる事ができていたら嬉しいです。

櫻坂の根っこには「謙虚・優しさ・絆」があります。
これからも初心を忘れず、大きなたくましい桜を咲かせてくれることを願っていますり
Buddiesとして、全力で応援し続けます🌸🍃

みなさんも、これからも
櫻坂46の応援をよろしくお願いいたします!

(菅井友香公式ブログ 2022年11月20日「どうもありがとうございました✨」)

 加えて、卒業セレモニーグッズの第2弾が発表されたこと(そして売り切れのものも出てきているので早めにチェックしてほしいこと)、ソロで芸能活動を継続し所属は引き続きSeed&Flower合同会社となること、メッセージアプリの新規購読停止が2022年11月30日となり、12月31日までメッセージの送信は継続することなど、やや具体的な報告と告知がもれなく連ねられる。最後まで手を抜かないその丁寧さがいかにも菅井であり、ちょっと笑ってしまったくらいだったし、これからも彼女の姿を追い続けていきたいな、と思った。

 そして最後には、“オチ”ということでもあったのだろうか、「日曜のへそ」に出演した際に話していた通りに「カタカナケヤキ」の衣装でライブを観覧した土田晃之とのツーショットを掲載する。「それではみなさん また会えるその日まで、、、待っていてくださいね」。彼女の姿勢のよいたたずまいと同じように、綺麗な形で最後のブログが終えられた。


 東京ドーム公演を終えた翌日の2022年11月10日、“新体制”となったグループはさっそく「ベストヒット歌謡祭2022」に出演し、スピードを緩めずに走り続けていく。披露されたのは「五月雨よ」で、渡邉理佐から菅井友香に引き継がれたポジションには、このときには“代打”を立てない形でであった。

 11月16日には、この年の「NHK紅白歌合戦」の出場歌手が発表される。櫻坂46の名前はこのなかになく、欅坂46時代から数えると6年続いていた連続出場がここで途切れたことになる。発表直後には松田がブログを更新し、思いや決意を率直に綴るとともに、最後のブログで綴った通りにメッセージアプリでの発信を継続していた菅井も、これを受けた発信を行う。自分も一緒に頑張ってきたから悔しい、でもそれはきっと必要な経験であって、ここで立ち止まるメンバーたちではない、というような内容で、グループへの応援を改めて呼びかけた。

先程発表がありましたが、櫻坂46は残念ながら今年の紅白歌合戦さんに出場する事は叶いませんでした

私自身とてもとても悔しい思いでいっぱいです

いつも応援してくださっているBuddiesの皆さんにも申し訳ない気持ちでいっぱいです

ですが、この悔しさをバネにもっともっと力をつけて、来年こそは嬉しい報告ができるよう頑張ります!

気を引き締めて2022年を全力で走り抜けます!
そして2023年は飛躍する年にできるようメンバー、スタッフの皆さんと共に精進してまいります!

どうかこれからも櫻坂46を宜しくお願いします!

松田里奈公式ブログ 2022年11月16日「飛躍」

 「2023年は飛躍する年に」。菅井友香がつくりあげた“櫻”の形のキャプテンバッジが、松田里奈に引き継がれた2022年11月は、初の東京ドーム公演という記念すべき出来事を経験したと同時に、グループにとって新たな目標ができたタイミングにもなった。
 再びの“紅白”をはじめ、たくさんの嬉しい報告ができるように。そして東京ドーム公演についても、それをすでに客席から見守っていたという3期生とともに再び立つこと、あるいは「満員の大歓声」という、新たな夢が生まれてもいた。

 翌年からの櫻坂46は、そうして生まれた新たな目標を次々と叶えていくことになる。その日々については、次稿以降で改めて書いていくことにしたい。

おわりに——“菅井友香”は、どのように語られたか

 ここからは、欅坂46と櫻坂46のキャプテンとして7年間を駆け抜けた菅井友香が、グループ卒業前後の時期に、周囲の人々からどのように語られたかをいくつか紹介して、本稿の結びとしたいと思う。

 小林由依は、東京ドーム公演直後のインタビューで、1日目公演での菅井からのメッセージのなかで、欅坂46時代に「ダブルスタンバイ」として、「もし何かあった時のためにって、人よりもたくさん振りを覚えたりとか、大変なことがたくさんあって、いっぱい頼らせてもらって」という状況があったことを明かされたことについて、「知っていただかなくてもいいことですから」と前置きつつ、「菅井が私のことを見ていてくれて、この機会に伝えたかったんだと思います」とした。
 本稿でも類似のエピソードをいくつか紹介してきたが、菅井は「隠しておく必要がないことは、それで何かがプラスになるならば、何でもさらっと言う」ようなところがある。この時期でいえば、グループの卒業生も東京ドーム公演を多く見にきていたこと、そして配信で見届けていたという平手友梨奈から、「これまでにないぐらいの長文」でメッセージが届いた、という件(『Wアンコール』p.102)もそれにあたるだろうか69
 そして「菅井とはどんな存在か」と問われた小林は、「年齢差を感じさせないところがあって。一期生として一緒に青春を過ごしてきた仲間という意識が強いです」とした。メンバーながら、ときに自分の本心からの言葉でなくても、“大人”のコメントをしてグループの形を保つ役割を担っていた菅井。しかしあくまでそれを「一緒に青春を過ごしてきた仲間」の目線で果たせたことが、グループを守り、そして美しいものにしていたのだと思う。

——初日に、菅井さんからの小林さんへのメッセージとして、「欅坂46時代、何があってもいいようにダブルスタンバイして、人一倍努力していた」という話が出ました。小林さん自身からは話してこなかったと思います。どの時期にダブルスタンバイしていることが多かったのでしょうか?
小林 『ガラスを割れ!』の頃から多くなったと思います。何かあったら代わりにセンターをやる、ということで自分のポジション以外の振りも覚えてました。それをファンの方に知ってほしいかといったら、そうじゃなくて(笑)。知っていただたなくてもいいことですから。菅井が私のことを見ていてくれて、この機会に伝えたかったんだと思います。
(中略)
——菅井さんもキャプテンとして大変な時期があって、小林さんは「支えられたんだろうか」という後悔もあったそうですが。
小林 菅井はキャプテンとして、私が知らない苦労も、私に言えなかったこともたくさんあったはず。もっと寄り添うことができたんじゃないかという気持ちがありました。東京ドーム公演2日目の最後、『その日まで』の途中でファンの方に「楽しかったです」と伝えた菅井を見て、「よかった」と思いました。
——小林さんにとって、菅井さんはどんな存在でしたか?
小林 4歳離れているんですけど、年齢差を感じさせないところがあって。一期生として一緒に青春を過ごしてきた仲間という意識が強いです。
——これまでキャプテンとしてグループに捧げてきた菅井さんには、自分の道を歩んでほしいと思いますか?
小林 我慢してきたこともたくさんあったと思うので、自分のやりたいことを追求して、これからの人生を楽しんでほしいです。

(『BUBKA』2023年1月号 p.8、小林由依)

 「欅って、書けない?」および「そこ曲がったら、櫻坂?」でMCを務めてきた土田晃之・澤部佑は、デビュー当時からメンバーを見てきたのみならず、両者とも子だくさんの父親だからという部分もあったのだろうか、年若いメンバーどうしの関係に敏感な部分もあったように見える。卒業写真集『大切なもの』でインタビューを受けたふたりは、デビュー当時の菅井について、土田は「末っ子っぽさ」を感じていたといい(実際に菅井は二人姉妹の妹)、澤部も「初期の菅井はずっと自信がなさそうでした」と語った。
 しかしそのようなタイプのメンバーがキャプテンを務めたことは、菅井をいくぶん苦しめたとはいえ、グループにとってはプラスに作用し、また菅井自身にも責任感と成長をもたらした、と評する。不器用だが決して手を抜かない、でも照れてしまったり失敗したりしてしまう愛嬌もある。「人としてものすごく魅力がある子ですから。あいつのことを悪く言う人はいないんじゃないかな」(土田)、「それはみんな言っていますね。はんにゃの金田さんとか芸人たちで話すときも、『菅井はいい子だよね』ってなりますし」(澤部)として、「無理をしすぎないように、無理をして頑張ってほしい」(土田)とエールを送った。

——グループ卒業後の菅井さんに、おふたりはどんなことを望みますか?
澤部 舞台を続けていくことになるのかな?
土田 さぶん、ミュージカルとかに出てすごく刺激になったんだろうな。その楽しさがわかったから、もっとそっちを突き詰めたいと思ったんだろうし。でもアイドルって在籍中に次の夢を見つける場所だと思うから、菅井はそれを見つけられたんじゃないかな。
澤部 いい卒業だと思いますよね。頑張りすぎずに、菅井らしさをキープしつつ……一生懸命になりすぎるとまたグーッとなっちゃう、それはそれでまた菅井らしいんですけど、本来は優しくゆっくり進んでいくのが菅井だと思うので、休みながら着実に前へ進んでいっていただきたいと思います。だから、舞台とか観に行きたいですよね。
土田 ねえ……「ねえ」とか言ったけど、俺は基本的に堀内健とか出川さんとかの舞台しか行かないから(笑)。そうですね、無理をしすぎないように、無理をして頑張ってほしいなと。きっと不器用だから無理をしちゃうんだろうけど、無理しすぎると壊れちゃうから。滑舌が悪いのがコンプレックスとよく言っていたけど、それも練習でなんとかなってきたと思いますし。そりゃあ7年前と比べたら表現力も豊かになりましたから、やっぱり努力の人ですよね。そういう期待も込めて、楽しく無理していってくれたらなと思います。

(『大切なもの』巻末インタビュー、土田晃之・澤部佑)

 菅井が松田とともに出演した最後の「レコメン!」であった2022年10月31日の放送回にメッセージを寄せた、日向坂46キャプテン・佐々木久美は、菅井と同学年であり、かつ自らも2018年6月からはグループのキャプテンを務める一方、ひらがなけやき1期生としての加入時にはグループに迎えてもらった70立場でもあるという関係をふまえて、「加入当初から、本当ににゆっかーにはお世話になっていて、どんな時も優しく微笑んでくれるかっこよさに、日向坂46のキャプテンをしている私も、ゆっかーのように頑張ろうって何度も背中を押されました。」と感謝を寄せた。「どんなときもかっこいい姿を見せてくれるゆっかーが本当に憧れの存在」であるとして、「これからはたくさん自分のために時間を使ってください。またごはん行ってくれたら嬉しいです。」と、グループでの日々をねぎらった。

日向坂46の佐々木久美です。ゆっかー、この度はご卒業おめでとうございます。
私たちは加入当初から、本当ににゆっかーにはお世話になっていて、どんな時も優しく微笑んでくれるかっこよさに、日向坂46のキャプテンをしている私も、ゆっかーのように頑張ろうって何度も背中を押されました。ありがとう。どんなときもかっこいい姿を見せてくれるゆっかーが本当に憧れの存在です。これからはたくさん自分のために時間を使ってください。またごはん行ってくれたら嬉しいです。いままでほんとにほんとに、ありがとうございました。以上、日向坂46の佐々木久美でした。

(2022年10月31日「レコメン!」佐々木久美から菅井へのメッセージ)

 これに続いて同じくコメントを寄せた、当時の乃木坂46キャプテン・秋元真夏は、「キャプテンとしては菅井ちゃんのほうがもう、大先輩」と表現し、初期のグループを支える“初代キャプテン”という立場の難しさを「自分がまだアイドルとしての道を築く前にいろんな子たちを支えなきゃいけない」と解説した。グループが難局にぶつかり、戸惑いもがいた日々があったなか、「菅井ちゃんもきっと同じように思っていただろうし、 その気持ちを抑えつつ、みんなのことを支えるために大きく包み込んでいた菅井ちゃんの姿がすごく印象的で」。そこには同じくキャプテンという立場から感じる部分と、アイドルの先輩として菅井を眼差す目線が共存しているように聴こえた。
 そして菅井と松田、秋元と梅澤美波(当時の乃木坂46副キャプテン、現キャプテン)の4人で食事会をしたときのことに言及し、ステージに立つ菅井のかっこよさとはギャップのある雰囲気に、「話すとすごい柔らかい雰囲気で、なんかそのギャップにも私は……2時間ぐらいかな、話しただけでどんどんどんどん惚れ込んじゃうぐらい、もう大好きで仕方ないなっていう風にその間に思いました」と語った。

こんばんは。乃木坂46の秋元真夏です。菅井ちゃん、この度はご卒業おめでとうございます。
同じ坂道のキャプテンをいま務めていますけど、キャプテンとしては菅井ちゃんのほうがもう、大先輩。初期のグループをまず支えるっていうこと自体も、自分がまだアイドルとしての道を築く前にいろんな子たちを支えなきゃいけないっていう、いろんなものを背負ったりとか…… 欅坂46は途中で改名するっていうこともあったりとか、なかなか他のグループでは経験することがないこといっぱい経験してきたと思うんですけど、 その改名するっていうときも、ただただ名前が変わるだけじゃなくて、ファンの皆さんの気持ちだったり、メンバーの気持ちだったり、いろんな中で戸惑いもある中で、菅井ちゃんもきっと同じように思っていただろうし、 その気持ちを抑えつつ、みんなのことを支えるために大きく包み込んでいた菅井ちゃんの姿がすごく印象的で。
本当にキャプテンをやってる期間、いろんなことを経験して、ファンの皆さんの気持ちも、グループのメンバーの気持ちも、 全部を背負って支えるために大きく包み込んで。菅井ちゃんのほんとに朗らかな笑顔とか、優しい性格で 包み込んであげていたのがすごく印象的だなっていうふうに、外のグループから見ていても感じました。私がただただ大変だったと思うっていう、そのひと言では語ってはいけないぐらい、きっといろんなことを経験して乗り越えて、この間に得たものってとんでもなくたくさんあったと思うので、ここからいろんな道に菅井ちゃんが進んでいくと思いますけど、 どこに行っても無敵なぐらいの全力で戦える力を、 この欅坂46・櫻坂46にいる期間に培ってきたんじゃないかなとすごく思っています。
そして、初めてご飯会をした時に、 どっちのグループのキャプテンと副キャプテンが集まって4人で話したときも、菅井ちゃんがそのステージに立ってる姿がめちゃめちゃかっこよくて、 しっかり引っ張っている姿とか……そういうの見させてもらってたんですけど、話すとすごい柔らかい雰囲気で、なんかそのギャップにも私は……2時間ぐらいかな、話しただけでどんどんどんどん惚れ込んじゃうぐらい、もう大好きで仕方ないなっていう風にその間に思いました。
私も乃木坂46のキャプテンになってまだ3年ですけど、菅井ちゃんがキャプテンをやっている姿から学ぶことってすごくたくさんあったので、見させていただいていた期間のキャプテン姿を私も活動に生かしていきたいなと思っていますし、 同じキャプテンとして菅井ちゃんの今後をしっかり全力で応援したいと思っています。
この度は本当にご卒業おめでとうございます。今までありがとうございました。以上、秋元真夏でした。

(2022年10月31日「レコメン!」秋元真夏から菅井へのメッセージ)

 7年間のグループ活動を“先生”として伴走した振付師・TAKAHIROは、2024年4月25日放送回の「サントリーpresents 菅井友香の#今日も推しとがんばりき」にゲスト出演した際に、「菅井は不器用です。究極的に不器用なんですよ」「感覚でみんながやれるところを努力でぜんぶ補おうとする」「本当にその瞬間を任せたときに、ある程度までは要領のいい人が勝つんだけれども、そこから先の努力でもっと深めることができるから、ステージに立ったときに誰よりも輝く瞬間がある」と評した、ということについては前述したが、『大切なもの』でもインタビューを受け、そのありさまを「仏の優しさを持つ菅井さんは、鬼の練習屋さんでもあります」と表現している。そして、菅井は褒められて伸びるタイプではなく、「逆境の中で自分を伸ばしていくことができる、稀有なタイプ」であるとし、「伸びる速度はゆっくりなんだけど、上限が青天井」と、菅井のもつ力や可能性について賛辞を贈った。
 そしてそれは、振付師という「作り手」の立場からは「作り手がチャレンジしやすい空気を作ってくださることはとてもありがたい」とし、「菅井友香だったらこれも乗り越えられるんじゃないか思わせる魅力」がある、と評する。アイドル、表現者としての菅井の特長に対する、これ以上ないほどにわかりやすい説明であったように思う。

——作り手としても、そういうタイプ(引用者註:負荷をかけられて伸びるタイプ)のほうがやりがいがあるんですか?
TA そうですね。作り手がチャレンジしやすい環境を作ってくださることはとてもありがたいです。守りではなく攻めに入っている制作現場から生まれる作品には、エネルギーがあります。MVの監督やプロデューサーさんとご一緒したときによく聞くことなんですが、「菅井さんがいるから俺すっごい楽しいんだよ」って言う人がいっぱいいるんです。菅井友香だったらこれも乗り越えられるんじゃないかと思わせる魅力が、業界にもファンを増やしてるんです。クリエイターたちが、このグループでやってみたい、このグループだから全力で勝負できると思える理由のひとつが、彼女の存在にあったと思います。

(『大切なもの』巻末インタビュー、TAKAHIRO)

 同じく『大切なもの』でインタビューを受けた、「レコメン!」で長らく共演し続けたオテンキのりは、ダブルパーソナリティを4年半続けてきた過程での変化として、当初は「真面目で超不器用な感じが、僕の中で面白かったですね」と語る。しかし「作り込んできた言葉というのは、特にラジオだとバレる」という意識から、そんな菅井をしゃべりで追い込んでいくうちに、「素の言葉で話してくれたほうが、やっぱりリスナーに想いが伝わる」ということに気づいたようだ、と評した。
 そうしたなかで、同番組が「グループの活動で何かあったときに、直接話せる場、説明できる場」としても機能したことについては、「生放送でやらせてもらっているんで、自分が話したことに対するリアクションがすぐメールで送られてくるのもよかったのかもしれない」とした。欅坂46の「2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE」の時期には、「グループが大変な時期で、菅井さんにも冗談も言えないなってくらいのタイミング」があり、平手不在の「不協和音」への対し方について、「誰がセンターをやるのか僕、聞けなかったんですよ」という状態であったという。しかし内心では菅井が適任なのではないか、と感じながらライブを観て、本当に菅井がセンターに立ってそれをやり切った。番組内でも折に触れて語られ続けたエピソードだが、ここでものりは「今でも思い出すだけで鳥肌が立ちます」と振り返った。

——菅井さんにお話を伺うと、「『レコメン!』があったことは自分にとって大きかった」とよくおっしゃっていて。もちろんトークの成長の場というのもあると思うんですけど、それ以外にもグループの活動で何かあったときに、直接話せる場、説明できる場があったことも彼女の中ではすごく大きかったのかなと。
のり また、それを生放送でやらせてもらっているんで、自分が話したことに対するリアクションがすぐメールで送られてくるのもよかったのかもしれないですね。それこそ菅井さんというかグループが大変な時期で、菅井さんにも冗談も言えないなってくらいのタイミングがあったんですが、その時期のライブ……今でもよく覚えていますけど、『不協和音』で誰がセンターをやるのか僕、聞けなかったんですよ。僕の中では「キャプテンの菅井さんがやったほうがいいんじゃないか」という気持ちがあったんですけど、それを言わずにいざライブを観に行かせてもらったときに、菅井さんがセンターをやったんです。あの瞬間、スタッフとかみんな歓喜ですよ。またカッコよかったんですよね。あれは僕の中では「すげえな菅井さん」と、今でも思い出すだけで鳥肌が立ちます。

(『大切なもの』巻末インタビュー、オテンキのり)

 2022年11月9日、この日の東京ドーム公演と菅井の卒業セレモニーを会場で見届けて、22時からの「レコメン!」の生放送に臨んだのりは、興奮冷めやらぬ様子でライブの感想を伝えた。「まさかね、その……欅坂46時代の曲なんかもね。アンコールで披露されたときの、あの『不協和音』ね。もう、痺れましたよね」。ずいぶん熱くなっているように聞こえたが、その「不協和音」が演じられたのであるから、それも無理からぬことであっただろう。
 それが選曲されたことの意味の大きさをじゅうぶん理解した上で、決然とそのセンターに挑み、演じ切って卒業していった菅井について、「最終的に、欅坂46というもののけじめを……最後につけて卒業していったような、そんな感じもしましたね」と感想を述べた。菅井はよく、欅坂46が歩んだ道や演じた楽曲は未来に受け継がれていってほしい、という趣旨の発言をしていた(このこと自体、菅井にしかできないニュアンスの発言のようになってもいた)。しかしこれよりあとに欅坂46の楽曲が演じられた機会は、絶無ではないながらも、かなり限られた状況が現在まで続いている71。それは(櫻坂46の楽曲のなかでも)近年のリリース楽曲をかなり重視するセットリストの傾向を受けた部分もあろうが、菅井がつけた「けじめ」を反映したものでもあるだろう。
 菅井自身も、『B.L.T.』2022年12月号のインタビューで、「最後に何かアイドルとして言いたいことがあれば」と水を向けられ、「欅坂46の楽曲は、これからもグループに残るメンバー達には歌い継いでほしい」としながらも、「あの素敵な曲の数々が、特別感なく披露される時がくる日を楽しみにしています」という。あくまでいちファンとしての筆者の感覚では、2024年のいまもその段階に至るにはまだ遠いような気がするし、その日がくることを思い描くこともちょっと難しい。でもいつかその日が訪れるとしたら、グループはすでにとんでもない存在になっているだろう。櫻坂46の無限の可能性を信じるという意味で、菅井のその言葉をこれからも覚えておくことにしたい。

 オテンキのりはさらに、自らが見届けた菅井の卒業を受けて、「きっと、これからまた凄いアイドルなんてのはね、またたくさん出てくるんだろうけど、菅井友香さんみたいなアイドルってもう出てこないんだろうな、なんていうくらい凄さを、今日感じて終わっていきましたけどね」と語った。菅井みたいなアイドルはもう出てこない。筆者も確かに、そう思う。
 でも、割と長く坂道シリーズのファンを続けてきて思うのは、ひとりひとりをつぶさに追っていくと、「誰それみたいなアイドル」って、本当はどこにも存在しないな、ということだ。誰でもただひとりの存在であるし、筆者がこのブログで追ってきたメンバーだけでいっても、北野日奈子みたいなアイドルはもう出てこないと思うし、中元日芽香みたいなアイドルはもう出てこないと思うし、橋本奈々未みたいなアイドルはもう出てこないと思うし、平手友梨奈みたいなアイドルももう出てこないと思う。「芸能界」や「アイドル」のベールがあるとはいえ、ひとりの人間が生きる時間を見届け続けるというのは、そういうことだ。

 ただ、だからこそ、ここで筆者も改めて、自信をもって言おうと思う。
 やはり、「菅井友香みたいなアイドルは、もう出てこない。
 そんな彼女の7年間を追うことができて幸せだったし、本稿を書くまでにはだいぶ時間がかかってしまったが、いまも現在進行形で彼女の活躍を見ていられることは、それを上回る幸せである。これからも菅井友香の、菅井友香らしい姿を見届けていきたい。グループと同じように、彼女のこれからの未来にも、無限の可能性が広がっているのだ。

■ 菅井友香の“それから”
 最後に、グループ卒業後の菅井の足跡を簡単に振り返って、あとがきにかえることにしたい。
 菅井は最後のブログでの宣言通り、2022年12月31日の正午にトークサービスが終了するぎりぎりまで、「櫻坂46メッセージ」での発信を続けた。12月8-9日に日本武道館で開催された「2nd YEAR ANNIVERSARY ~Buddies感謝祭〜」にも訪れていたといい、12月27日には書籍『Wアンコール』が発売され、これに向けてはグループ在籍時とあまり変わらない形でSHOWROOM配信を行ってもおり、このくらいの時期までは、菅井がグループを離れたということがどことなく実感しにくいままだったことを覚えている。このタイミングではまだ事務所の移籍もともなっておらず、あるいはまとまった休みの期間が設けられた様子もなく、シームレスに芸能活動を継続していたような形でもあった。

 2023年1月28日には主演舞台「新・幕末純情伝」の幕が上がるが、これは「飛龍伝2020」と同様のつかこうへい作・岡村俊一演出の作品である。また、バラエティ番組への出演もコンスタントに続けられており、2月26日からは関西テレビ「KEIBA BEAT」のMCに就任、3月30日からは文化放送で「サントリー生ビールpresents 菅井友香の#今日も推しとがんばりき」がスタート。こうして見ていくと、つかこうへい主演舞台、“馬”関係の仕事、文化放送でのレギュラーラジオと、個人として取り組んできた仕事はずっと、次へ次へとつながっている状況であるということに驚かされる(ラジオ冠スポンサーのサントリーも、「レコメン!」時代にも伊右衛門でタイアップしていた関係だ)。それもこれも、菅井の柔らかくも誠実な人柄と、努力をもって結果を出す力があってのことだろう。
 2023年10-11月には舞台「赤ひげ」に出演し、船越英一郎・山村紅葉など、そうそうたる顔ぶれと共演を果たすことになる。2023年11月29日、28歳の誕生日にはトップコートへの移籍を発表。“先生”TAKAHIROと、今度は事務所の後輩という関係となった。また、この年には語学留学のために4週間のオーストラリア留学をし、アメリカで演技のレッスンも受けたという。体力と努力、そして好奇心と思い切りの良さ。彼女がもちあわせた、あるいは身につけてきたものが、ずっと活かされ続けていることがうかがえる。

 2024年1月より放送された「チェイサーゲームW パワハラ上司は私の元カノ」では、個人として初めての連続ドラマへの出演であるなかで、中村ゆりかとともにダブル主演を務める。菅井の演じる春本樹が中村の演じる林冬雨と元恋人どうしであるという役柄でも話題を呼び、中村が台湾人の母親をもち、中国語を話せるという背景もあり、台湾のファッション誌数誌にともに登場した。現在は「ビジネス婚-好きになったら離婚します-」が放送されており、同じくダブル主演を務めている。俳優業も、役柄を広げながら継続している形である。また、2024年4月からは「開運!なんでも鑑定団」の4代目アシスタントに就任。著名かつ長寿番組のアシスタントとなるが、持ち前の上品さと雰囲気の柔らかさでスタジオにすでに溶け込んでいるように見える。過去のアシスタントはかなり長期にわたって務める傾向があり、これから長期間の活躍が期待される。

 また、アイドルの文脈から離れてさまざまに活動を広げながらも、個人のファンクラブやイベントの形でファンとの交流の場も設け続けており、メッセージアプリでの発信も続けられている。変わらない部分は変えず、むしろそれをときに武器としながら活躍を続けていることは、長くファンとして追ってきた身としてはありがたいし、嬉しいことだな、と思う。次に彼女がわれわれに見せてくれるのは、どんな姿だろうか。

  1. 3列14人のフォーメーションのうち1・2列目の8人を「櫻エイト」と呼称し、この8人を固定する一方で3列目を楽曲ごとに入れ替える形で全員が楽曲に参加する形。1stシングル時の在籍メンバーは26人で、3種のフォーメーションとも3列目は6人の14人編成ということになった。
  2. 以後も櫻坂46のフォーメーションについて、「選抜」という表現は長らくの間(7thシングルでの「選抜制導入」まで)まったくなされておらず、各媒体でもその点についてはかなり配慮されているようにも思う(ただ一方で、櫻坂46のそれは「選抜」ではないのだ、という説明が公式に直接加えられたということもない)。Wikipedia記事やまとめサイトなどでは「選抜」の語は特段の断りなく公然と用いられており、一般には流通している言い回しではあった。個人的には、公式に「選抜」の語を遠ざけてきたことは、グループが歩んできた経緯(「選抜制」導入時のハレーションやその後の経過、および「全メンバーで作り上げていく」という新体制に込められた思い)をふまえたものであったと感じるので、筆者自身としても「選抜」「選抜メンバー」という言い回しは、「選抜制導入」以前の櫻坂46に対して用いないこととしている。前述のように、公式に否定されている表現ではないため、誤りであるとまではとらえているわけではないが、むしろ「選抜」という表現を用いることは、「表題曲に参加しないメンバーをつくること」=「選抜」である、という点を指摘する立ち回りであるようにも思え、むしろ相当な意図を持って用いる必要である語であったように当時は感じていたし、当時の現象について語るならば、それは現在も同じだと思う。意図をもって選びとられた言い回しは、グループの思いや息づかいを反映している。ファンであるならば、そこに対してはどこまでも鋭敏でありたい、と思う。
  3. それまでは、主に卒業した1期生のポジションに空いた人数だけ入り、曲ごとに参加メンバーが異なるという形での参加が主であり、いくぶん“代打”のような色が強く、参加曲はメンバーによって差があった。しかし、1期生の卒業がさらに重ねられていったのちの「欅坂46 THE LAST LIVE」時には、1期生+2期生9人でちょうどオリジナル(とされる)の1期生の人数である“21人”になっており、自然な形で「全員全曲参加」の形となったことは、不思議な巡りあわせでもある。
  4. また、欅坂46時代にはプロフィールページの並びなどでいわゆる「2期生」と「新2期生」が区別されていた状況(「2期生」の表題の下、井上梨名から山﨑天まで9人が並べられたのち、遠藤光莉から守屋麗奈までの6人が続く)であったが、改名とともにこの区別も取り払われた。
  5. 1stアルバム「As you know?」に関してはリード曲「摩擦係数」のみMVが新規制作され、「摩擦係数」に参加しなかったメンバーが参加している「条件反射で泣けて来る」にはMVは制作されておらず、したがってTVCMでの使用もない。ただし、「As you know?」に関しては事前に「フォーメーション発表」のような形はとられておらず、ほぼ4thシングルに準拠した体制で制作されている(4thシングルの体制からグループを卒業した原田葵・渡邉理佐が外れ、同シングルは「僕のジレンマ」1曲のみの参加であった菅井が理佐のポジションに入りつつ、フォーメーションを調整したような形)。5thシングルでは1・2期生の人数減を背景に「2人のセンター」となり(「桜月」「Cool」ともにMVあり)、6thシングルでは活動休止中であった遠藤光莉を除く1・2期生全員が表題曲に参加、このメンバーで2曲が制作される(「Start over!」「ドローン旋回中」ともにMVあり)という形で複数センター制は手放されることとなった。そして7thシングル以降は「選抜制導入」により、選抜メンバー/BACKSメンバーにメンバーが分かれる体制となっている。また、5thシングル以降はTVCMでの使用楽曲は表題曲のみ。
  6. 「なぜ 恋をして来なかったんだろう?」は2020年12月21日の「CDTVライブ!ライブ!」と、2021年1月1日の「CDTVライブ!ライブ!年越しスペシャル2020→2021」、「Buddies」は2020年12月18日の「バズリズム02」で披露。
  7. 欅坂46時代、2期生9人の加入以降の「紅白歌合戦」については、2018年の「ガラスを割れ!」は1期生のみの参加であった。2019年の「不協和音」では、2期生からは井上梨名(鈴本美愉ポジション)・武元唯衣(今泉佑唯ポジション)・田村保乃(長濱ねるポジション)・藤吉夏鈴(志田愛佳ポジション)・松田里奈(米谷奈々未ポジション)・森田ひかる(織田奈那ポジション)の6人が参加で、関有美子・松平璃子・山﨑天は参加していなかった。
  8. 11月29日の「こちら有楽町星空放送局」で「Plastic regret」が、12月1日の「レコメン!」で「最終の地下鉄に乗って」が、12月6日の「こちら有楽町星空放送局」で「半信半疑」が、12月7日の「レコメン!」で「ブルームーンキス」が初オンエアされた。
  9. 欅坂46時代の「デビューカウントダウンライブ!!」は2016年3月17日に開催され、デビューシングル「サイレントマジョリティー」の発売日は2016年4月6日であった。また、日向坂46もけやき坂46(ひらがなけやき)からの改名後に「デビューカウントダウンライブ!!」を開催しているが、これは2019年3月5・6日のことであり、デビューシングル「キュン」の発売日は2019年3月27日であった。
  10. 確か、『THE LAST LIVE』開催前にはもう櫻坂46としてのデビュー曲『Nobody’s fault』(20年12月発売)のミュージックビデオ収録をしていた記憶があります。」(菅井友香『Wアンコール』p.41)
  11. 「なお、櫻坂46のキャプテンはまだ決まっていないという。」(ORICON NEWS「櫻坂46「やっと、ついに」デビュー前夜ライブ “欅曲”封印で持ち歌全8曲披露」[2020年12月9日配信])
  12. 坂道シリーズでいえば、ほぼ同時期の2020年12月6日に、乃木坂46の4期生が「4期生ライブ2020」を無観客・配信形式で行っている。日向坂46も、2020年12月24日に無観客・配信ライブ「ひなくり2020」を開催している。一方で、乃木坂46の「アンダーライブ2020」は12月18-20日に日本武道館での有観客公演(全公演有料のインターネット配信あり)として行われており、有観客公演がまったく不可能な状況というわけではなかった。「アンダーライブ2020」は坂道シリーズとしては有観客公演復活のための実験的な部分がいくぶんかあったようにみえ、国のガイドラインにのっとり接触確認アプリのインストールが入場の条件とされたことや、声出しが禁止されたことにかわるスティックバルーンの配布など、のちの有観客公演でしばらく続く運営形態がここからスタートした一方、マスクの着用を必須としたことをふまえてオリジナルマスクを配布するなど、このとき限りの試みもみられた(そもそも会場に到着する時点でマスクを着用していない観客は稀であるため、客席で使用された様子はほぼなかった)。
  13. 合計動員数は38000人であったと報じられており(参考)、有観客の公演でこの人数を動員することは、当時の状況にてらしていかなる会場においても不可能であったということになる。突きつめれば無観客開催であるので、中途半端な形であったようにも思えるが、売店でグッズを買い、チケットを手に待機列に並び、ペンライトを振ってパフォーマンスを見届けるというのも数ヶ月ぶりのことで、高揚感もあったように思う。ライブイベントの再開はまだ手探りで風当たりも強いような状況であった一方、「映画館は換気が行き届いているため感染リスクは低い」ということがよく言われていた記憶もあり、そうしたもろもろの条件をふまえた折衷的な手法であったといえるだろう。
  14. 音楽フェス「COUNTDOWN JAPAN 20/21」への出演(1日目の2020年12月27日)も予定されていたが、結果として開催中止となっている。欅坂46時代には、2020年4月15-16日に「4th YEAR ANNIVERSARY LIVE」が予定されており、「欅共和国2020」の開催も計画されていたというが、これらが中止となったことで、グループとして最後に客前に立ったのは有観客開催であった2019年12月31日の「第70回NHK紅白歌合戦」が最後(2020年1月1日の「CDTVスペシャル!年越しプレミアライブ2019→2020」は事前収録)、ライブイベントとしては2019年12月28日の「COUNTDOWN JAPAN 19/20」が最後、単独公演としては2019年9月19日の東京ドーム公演が最後という状況であった。坂道シリーズでいえば、乃木坂46が2020年2月21-24日に「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」をぎりぎりで完遂し、2020年12月18-20日には「アンダーライブ2020」を有観客開催しており、日向坂46も2020年2月4-5日に「日向坂46×DASADA LIVE&FASHION SHOW」を開催している。コロナ禍はすべてのアーティストにほぼ平等に降りかかったものであったが、欅坂46/櫻坂46は巡りあわせの妙にも巻き込まれた部分があったといえるだろうか。
  15. 2020年11月2日の「レコメン!」内で、菅井は自らの新しいニックネームとして「ばり姉(がんばりき姉さん)」を(半ば唐突に言い出したものだったと記憶するが)紹介しており、デビュー以来用いてきた「100万馬力でがんばりき」のキャッチフレーズとともに、これを受けた部分もあるような言い方である。
  16. グループ改名以降の卒業メンバーは、まだ松平璃子のみという状況でもあった。
  17. 尾関梨香は渡邉理佐の、原田葵は松平璃子のポジションで参加。
  18. 「BACKS LIVE!!」は活動休止中のため欠席であった尾関梨香を除く、2ndシングルの3列目メンバー16人で臨まれたライブであり、当時のグループの持ち曲14曲が3日間ともで全曲披露された。このときの「Buddies」では増本綺良がセンターを務めており、大園玲は楽曲冒頭部(Aメロの前まで)の参加の形であったが、2日目のダブルアンコールで再度披露された際には全編に参加している。
  19. ORICON NEWS「櫻坂46「やっと、ついに」デビュー前夜ライブ “欅曲”封印で持ち歌全8曲披露」[2020年12月9日配信]など。
  20. ニッカンスポーツ・コム「櫻坂デビュー前日ライブ新曲披露『心の中で歌って』」[2020年12月9日配信]
  21. 「サイレントマジョリティー」の歌唱衣装は、オリジナルと同デザインのものが「欅坂46 THE LAST LIVE」DAY2での披露のために全メンバー分揃えられていた。
  22. 「デビューカウントダウンライブ!!」などでの披露の際には松平璃子も参加していたものの、シングルの歌唱メンバーにはクレジットされなかった。
  23. この時代の3列目メンバーを「バックス」(「BACKSメンバー」)と呼称することは、内部的には1stシングル期より行われていたということがうかがえるが(「櫻坂46展『新せ界』」に展示された1stシングルの制作資料から)、「BACKS LIVE!!」の告知までは公にはまったく使われていなかった。むしろ「BACKS LIVE!!」というライブの名称が先行し、これを追いかけるような形で「BACKSメンバー」「BACKS曲」などという言い方が使われるようになっていった、という順序であった。「BACKSメンバー」という呼称および表記は2021年7月11日・18日の「そこ曲がったら、櫻坂?」#38・39「みんなの絆で差し入れゲット!BACKSメンバー一致団結ゲーム」あたりで定着したように記憶している。「表題曲メンバーから外れたメンバーがBACKSメンバーで、それらのメンバーによる『BACKS LIVE!!』を開催する」という順序での説明ではなかったことは、「選抜」の語を用いることをまったく避けていたことと同様に、メンバーを区分することに対して慎重になっていたことのあらわれであったように思う。
  24. 坂道シリーズでいえば、乃木坂46が「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」の4期生ライブ・3期生ライブを2021年5月8・9日に開催し、配信ライブの位置づけでありながら(人数をかなり絞った形での)有観客公演とする予定であったが、緊急事態宣言の発出が見込まれることから無観客での開催に切り替えられている。「緊急事態宣言の発出中」という現象のみをみるならば、状況はこれと変わらなかったということになる。
  25. 「W-KEYAKI FES. 2021」については、配信が行われることは後日の告知であり、現在とほぼ変わらない位置づけであるが、「BACKS LIVE!!」については当初から「オンラインによるライブの生中継も予定」と明文で告知されており(参考)、感染拡大への対策および不安への対処という色合いも強くもたされていた(「BACKS LIVE!!」についてはリピート配信の実施もなし)。
  26. 「W-KEYAKIZAKAの詩」は「欅坂46 THE LAST LIVE」で披露されておらず(ユニット曲をこえる規模の、いわゆる“全員曲”としては唯一披露されなかった)、それに対してのみけじめをつけたようにも見えた。菅井友香・守屋茜・加藤史帆・佐々木久美によるユニット曲「猫の名前」すら披露がなかったのはかなりストイックにも見えた一方、合同公演もほぼグループごとのパフォーマンスが交代で演じられるのみのような構成もあり、別々のグループが合同でライブを行う難しさもあったのかもしれない(あるいは、コロナ禍での行動制限もあったのだろうか)。
  27. フォーメーションが公表された時期は、田村保乃の1st写真集『一歩目』の発売(2021年8月17日)を控える時期でもあった。
  28. (前略)……二期生のことをサポートしたい気持ちもありつつ……同じ時間を過ごしてきた一期生とは、いろいろなものを越えたところで分かり合えているので、やっぱり思いが深くなります。個人的には、いつか一期生が櫻坂のセンターに立つ姿も見てみたいなっていう——そんな夢もあったりします」(菅井、『B.L.T.』2021年5月号 p.18)
  29. ライブの場で卒業メンバーを送り出すような形がとられたのは、「欅坂46 THE LAST LIVE」DAY2(2020年10月13日)における佐藤詩織のみであった。長濱ねるは卒業イベント「ありがとうをめいっぱい伝える日」(2019年7月30日、2公演)を開催してグループを卒業しているが、このイベントには長濱以外のメンバーの出演はなかった。守屋は「BACKS LIVE!!」の際にすでに「もしかしたら、これが最後になるかもしれない」と思いながらライブの準備に臨んでいたといい(『B.L.T.』2022年1月号 p.37)
  30. 増本は、守屋から早い段階で卒業の意向を伝えられており、まだごく一部のメンバーしか卒業を知らない状態で3rdシングルのフォーメーションが知らされ、守屋と参加楽曲が異なる形となった(2ndシングルでは山﨑天のセンター楽曲のチームであったが、3rdシングルでは守屋が渡邉理佐のチーム、増本が森田ひかるのチーム)ことについて、「大泣きしちゃって大変だったんです。20歳前後の子があそこまでガン泣きするのを見たことがないって思うくらい、泣きじゃくってしまって。」(守屋、『B.L.T.』2022年1月号 p.37)という状況であったという。
  31. 「青空とMARRY」による楽曲披露時には、ステージ裏で号泣していた(様子が「1st YEAR ANNIVERSARY LIVE」DVD/Blu-rayの特典映像におさめられている)にもかかわらず、である。
  32. この時期においては、坂道シリーズのメンバーは「新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言下ではラジオはリモート出演とする」という形が徹底されており、2020年春以降のいわゆるコロナ禍の期間、菅井がスタジオで出演する回はかなり限られた状況であった。9月28日時点ではまだ緊急事態宣言の発出中であり、9月いっぱいで解除される見込みが伝えられている、という状況であったが(このときが緊急事態宣言が発出された最後でもあった)、一応は“禁を破る”ような形でスタジオでの最後のレギュラー出演を果たした形となった。
  33. 「レコメン!」は22時から1時までの3時間番組であるが、22時台・23時台は一部局のみのネットであり、24時台が全国放送、という形である。菅井をはじめとする坂道シリーズのメンバーは24時台のダブルパーソナリティという位置づけであり、23時台の終盤から出演を始めるという形が通常で、特別な回のみ22時台より出演していた。
  34. 「Plastic regret」と「Microscope」は日替わり、「最終の地下鉄に乗って」と「君と僕と洗濯物」は1日目のみ(2日目はこれにかわって守屋茜・渡辺梨加の卒業セレモニーが行われたような形)の披露であった。
  35. 11月30日にシングル発売記念の配信ミニライブが行われているが、小林由依が活動休止中であったため、「ジャマイカビール」のみ披露されなかった形である。
  36. DVD/Blu-rayの特典映像によれば、「青空とMARRY」の現地リハーサルは会場の外に音が漏れないよう厳戒態勢で行われていたといい、あくまで櫻坂46のライブにまずは集中させることにプライオリティが置かれていたことが伺える。また、渡邉理佐は同作内のインタビューで、このとき演じた2曲について「もうやることってないんだろうなと思っていたので」と語っていた。
  37. 欅坂46の楽曲についていえば、むしろひらがなけやき時代に1期生が披露していた経緯のある日向坂46のほうが、2021年5月21日放送の「MUSIC BLOOD」で「世界には愛しかない」を、「W-KEYAKI FES. 2022」(2022年7月21・23日)では「語るなら未来を…」を披露するなど、文脈に応じて柔軟に披露する場面があるという、いくぶん逆転した現象が起こっている。「齊藤京子卒業コンサート」(2024年4月5日)では「手を繋いで帰ろうか」「語るなら未来を…」と、合同楽曲である「太陽は見上げる人を選ばない」も披露されている。
  38. 私は2回目の『BACKS LIVE!!』に参加したんです。キツかったと聞いていて、どうなるのかなと思っていたけど、1回目からのメンバーが引っ張ってくれました。『BACKS LIVE!!』を経験して感じたのは、ファンの方には「BACKSのライブ」ではなく「櫻坂46のライブ」として観てほしい、ということ。エイト、BACKSという括りを意識してほしくないし、「この曲でこの子がセンターをやってすごかった」で終わらず、『BACKS LIVE!!』の後もその子がどのポジションでも追いかけてほしいんです。『BACKS LIVE!!』がグループ全体を見るきっかけになればいいなと思ってました。」(小池美波、『EX大衆』2023年7月号 p.13)
  39. 制作との兼ね合いで参加楽曲を絞る、ということを強調しており、オンラインミート&グリートに関しては全日程参加することを直後にアナウンスしている。
  40. 2ndシングルおよび3rdシングルのフォーメーション発表においては、放送内でカップリング曲のフォーメーションまですべて明らかにされていた。
  41. “櫻エイト扱い”であったのは森田ひかる・山﨑天・田村保乃・藤吉夏鈴・小池美波・小林由依・菅井友香・守屋麗奈であり、この8人は「摩擦係数」と「条件反射で泣けて来る」の両方に参加している。この8人は4thシングルの櫻エイトから渡邉理佐と菅井を入れかえた形であり、「摩擦係数」の3列目のメンバーは「五月雨よ」から変更がない。
  42. 卒業直前の時期に受けたインタビューのひとつである『B.L.T.』2022年12月号で語られたところによれば、(やや筆者による整理を入れてまとめると、)「2年目に入ったぐらいから(卒業が)現実味を帯びるようになった」といい、「27歳の誕生日までには……」と考えており(菅井の誕生日は1995年11月29日)、「昨年(2021年)の秋にはスタッフさんにもお話していました」ということである。ただ、そこから時期の調整を始めた、というくらいのスピード感であったようで(東京ドームでの卒業をめざして、ギリギリのタイミングから動き出した、というような説明でもある)、東京ドーム公演を含むツアーの日程がメンバーに知らされた際には、まだ少数のメンバーにしか卒業の意向を伝えておらず、その際もいったんは誤魔化すなど、「メンバー間ではあっても、あんまり広まり過ぎちゃっても影響があるかもしれない」という意識もあったという(p.20)。
  43. 約2年後には「小林由依卒業コンサート」(2024年1月31日-2月1日)も同じ会場で行われている。
  44. ベストアルバム「永遠より長い一瞬〜あの頃、確かに存在した私たち〜」に収録された「Deadline」のみが例外。
  45. 1曲目(Overtureより前)として、ひらがなけやきとの合同楽曲「太陽は見上げる人を選ばない」が演じられている。これは日向坂46の公演と同様の構成であり、前年と異なり合同公演がそもそも設定されなかった状況のなか、この点で両グループの一体感が演出されていたといえる。
  46. 「NO WAR in the future」は欅坂46・5thシングル「風に吹かれても」に収録された、ひらがなけやきにとっては2017年8月に加入した2期生とともに全メンバーで歌唱した初めての楽曲である。欅坂46・5thシングルは、当初ひらがなけやき1期生5人(潮紗理菜・加藤史帆・齊藤京子・佐々木久美・高本彩花)の“選抜入り”を含む、公開されたものとは異なるフォーメーションがメンバーに対して発表されたものの、それは立ち消えになってしまったということが、この頃にはすでに明かされていた(「TOKYO SPEAKEASY」2022年3月7日、佐々木久美・佐々木美玲)。結果として、このシングルでは長濱ねるが「漢字欅専任」となる形でひらがなけやきを離れる形となっており、これ以後には合同の楽曲の制作はない。ひらがなけやきが日向坂46として改名・独立するのは2019年2月のことであるが、この「NO WAR in the future」の時期に、それぞれのグループが「1本の欅から生まれ、それぞれ自分たちの坂を駆けあがっている」(櫻坂46公式サイトニュース・「W-KEYAKI FES. 2021」開催決定告知)という、現在につながる状況がスタートしていたということができる。また、日向坂46はこのときの「W-KEYAKI FES. 2022」において「語るなら未来を…」を披露しているが、これはひらがなけやき時代にも1期生が披露したことのあった楽曲であった一方、櫻坂46(欅坂46)のメンバーが「NO WAR in the future」を披露したのはこのときが初めてであった。
  47. 全国ツアーと「ANNIVERSARY LIVE」というグループ全体のライブの2本柱においてこの傾向が強く(全国ツアーのほうがより顕著だろうか)、そこから角度をつける意味もあってか、「BACKS LIVE!!」や「SAKURAZAKA46 Live, AEON CARD with YOU!」では、そこであまり演じられにくい楽曲が多くピックアップされているように思う。「小林由依卒業コンサート」にもそれを意図したとみられるパートがあったと感じられたし、3期生による「新参者 LIVE at THEATER MILANO-Za」でもグループ前半期の楽曲が多く演じられた。
  48. 「条件反射で泣けて来る」「BAN」「Dead end」「断絶」「流れ弾」。
  49. MVの公開は2022年10月26日であったが、発売日(配信開始日)は、これも11月8日に設定されていた。
  50. このときのツアーについて、特に東京ドーム公演は「結果的にソールドアウトに至らなかった」として語られることが直近でもあったが、地方公演についても、東京ドーム公演が近づいてくる後半の日程に関しては同じくソールドアウトに至っていない状況であった。特に櫻坂46として初めてライブで訪れた宮城公演や、平日の設定であった福岡公演について、その傾向がやや強かったと記憶している(その間の愛知公演はもう少し堅調であったような気がする)。
  51. 2日目公演では生配信も行われることになるが、その告知がなされたのは直前の11月5日のことであった。
  52. のちに「ドローン旋回中」も手がける。
  53. このカットのロケ地は江戸川の土手であったが、江戸川は「W-KEYAKIZAKAの詩」のMVのロケ地であった渡良瀬川からの水が流れ込む川である。
  54. 乃木坂46・2期生であった山崎は、芸歴は菅井より長いものの年齢はひとつ年下で、それは山崎によると「めんどくさい関係」である。経緯は不明ながら、乃木坂46・1期生で日本テレビアナウンサーの市來玲奈が共通の友人であるといい(市來は菅井と同学年である)、またグループ活動を続けながら大学を卒業したという共通点もある(と、放送内で説明された)。
  55. 秋元康は前々週よりパーソナリティに就任した久保にエールを送る意味で迎えられた(メンバーゲストも含めて)最初のゲストでもあった。これ以後にゲストが迎えられた回も何度かあるが、乃木坂46メンバー以外は仕事上のつながりや地元・宮城のつながりの出演者に限られ、乃木坂46以外の坂道メンバーの出演はこのときの菅井が唯一である。
  56. 乃木坂46としては1期生・齋藤飛鳥の卒業発表を明けて翌日(11月4日)に控えていたタイミングであり、30thシングル「好きというのはロックだぜ!」の時期が終わるくらいの時期であった。久保はこのシングルの3期生楽曲「僕が手を叩く方へ」でセンターを務めており、また同期の梅澤美波が副キャプテンとしてすでにグループを牽引していた時期である。この文脈のなかであえて粒立てるならば、“グループを引っ張る”ことへのまなざしが、久保のなかで強まっていた部分もあったのかもしれない。
  57. 選曲されたのは「サイレントマジョリティー」「避雷針」「世界には愛しかない」「10月のプールに飛び込んだ」「二人セゾン」「最終の地下鉄に乗って」「ヒールの高さ」「条件反射で泣けて来る」「思ったよりも寂しくない」「砂塵」であった。
  58. DVD/Blu-rayとしてリリースされた際のタイトルは「2nd TOUR 2022 “As you know?” TOUR FINAL at 東京ドーム〜with YUUKA SUGAI Graduation Ceremony〜」であった。
  59. 参考:日刊スポーツ「欅坂森田ひかる、改名再出発へ『今は本当に前向き』」[2020年10月6日](「KEYAKIZAKA46 Live Online, AEON CARD with YOU!」の際について)、『blt graph. vol.62』[2020年12月9日発売]p.12(「欅坂46 THE LAST LIVE」の際について)。
  60. 前述のように当日は生配信もなかったし、何らかのトラブルがあったことは疑いないから、このときの様子が映像化されることはないのではないか、と筆者は感じていた。そのため、リリースのアナウンスで映像化されることがわかった際にはずいぶん驚いた記憶がある。
  61. 「全国ツアー2017 真っ白なものは汚したくなる」初演、兵庫・神戸ワールド記念ホール公演1日目(2017年8月2日)。
  62. 「全国ツアー2017 真っ白なものは汚したくなる」愛知・日本ガイシホール公演1日目(2017年8月16日)。
  63. 「2nd YEAR ANNIVERSARY LIVE」(2018年4月6-8日)。
  64. 「夏の全国アリーナツアー2018」千秋楽、千葉・幕張メッセ公演2日目(2018年9月5日)。
  65. ここでいう「東京ドーム」は、前述の「3回目のひな誕祭」DAY2のこと。
  66. 結局アンコール1曲目の「不協和音」で、なぜかスタンドのペンライトは赤に染まり、筆者自身もそれに引っ張られて赤に変えてしまうことになるのだが(「不協和音」は明確なペンライトの色指定があった曲ではなく、過去の披露機会のうち、映像が残っているものを改めて確認すると、ほぼ緑であったようである。楽曲冒頭でピンクがかった赤の照明演出があったものの、そこまで引っ張られるものでもなかった気がする)。
  67. スピーチの全文はこちらから参照されたい。→日刊スポーツ「【卒業スピーチ全文】櫻坂支えた菅井友香『キャプテンに任命して頂いたことは人生の転機だった』」[2022年11月10日]
  68. 「私からは一枚の手紙に納まらないくらい、伝えたいことがたくさんあって。まとめることが難しかったです。」(『BUBKA』2023年1月号 p.17、山﨑天)
  69. 平手については、『B.L.T.』2022年12月号のインタビューでも、「個性の塊みたいな21人で、絶妙なタイミングで素敵な楽曲でデビューさせていただいて、しかも圧倒的というか、シンボルとなるようなセンターの子が誕生したってなったら、今の自分でもやっぱり運命的なものを感じてしまうかもしれない」(p.24)という表現で言及されてもいる。本人のパーソナリティや「脱退」までの経緯、そして芸能界での距離感から、グループを離れたあとの平手については、「僕たちの嘘と真実 Documentary of 欅坂46」以後、特に改名がなされたあとにおいては、メンバーから言及されることはほぼなかったように思う。菅井も進んでひけらかすようなところはないながら、しかし彼女だけはその例外として、自然と言及することがあった。それは必ずしも「キャプテンだったから」ということだけが理由ではなかったように思え、彼女の特異さが思われるエピソードである。
  70. ひらがなけやき1期生の加入は2016年5月であり、菅井のキャプテン就任より前のことであるが、当時からすでにMCなどを回す役割は菅井が担っており、ミニライブにおいてひらがなけやき1期生が自己紹介をするパートが設けられた、欅坂46・2ndシングル「世界には愛しかない」発売記念全国握手会の際にも、菅井がメンバーを呼び込んで迎える形がとられていた。
  71. 土生瑞穂の卒業に際して、土生が参加したユニット曲である「302号室」「少女には戻れない」「僕たちの戦争」がメドレーで披露され、小林由依の卒業に際して「危なっかしい計画」「風に吹かれても」がセットリストに加えられたほか、「新参者 LIVE at THEATER MILANO-Za」の千秋楽公演(2023年12月2日夜公演)で3期生が「語るなら未来を…」を披露したのみにとどまる。

コメント

タイトルとURLをコピーしました