[タイトル写真:宮城県仙台市・ゼビオアリーナ仙台/2017年(筆者撮影)]
[4]“先輩”と“後輩”、グループのなかでの役割
本稿では、北野日奈子と先輩・後輩との関係を振り返っていく。北野をはじめとする2期生は「先輩」と「後輩」をグループのなかで同時にもった最初の代であるといえる。グループの成長期といえるような時期は1期生と2期生による編成だったため「後輩」のイメージをつけられる場面も多かったが、3期生以降の加入を受けてその立場は変化していくことになる。
前稿で扱ったように、北野は多くの時期において「2期生」という枠組みへの思いを強く表現してきた。そして、グループ全体に対するまなざしも強く、それだけに「先輩」「後輩」に対するスタンスを表明し、実際に行動に移していくことも多かった。その過程をたどりながら、なかでも特につながりの深かったメンバーとの関係については個別にも述べていく形で、書き進めていきたいと思う。
「その手でつかんだ光 (乃木坂46・北野日奈子の“3320日”とそれから)」目次 ・[1]家族への信頼と愛情 |
白石麻衣へのメッセージ
「北野が卒業を決めたという時期以降のことを起点に彼女のことを述べていく」というコンセプトのもと、「同期・2期生」をテーマとした前稿は、堀未央奈の卒業発表〜卒業の時期を起点に書いていく形になった。2期生以外に視点を広げると、堀の直前に卒業したメンバーは、長年グループを最前線で引っ張ってきた白石麻衣であった(2020年10月28日卒業)。また、その3日前となる10月25日には中田花奈が卒業している。現在に至るまで続く「卒業ラッシュ」ともいえる状況が、コロナ禍を受けて少し差し止められていたところ、この時期からまた再開していったような形だったといえるだろうか。
白石の卒業コンサート「Mai Shiraishi Graduation Concert ~Always beside you~」(10月28日)では、各期のメンバーが、当該期のメンバーが最初に参加したシングル表題曲を白石とともにパフォーマンスするパートが設けられた。2期生が白石とともに披露したのは「バレッタ」。曲中、堀と伊藤純奈とともに白石にメッセージを送った北野は、「白石さんの小さく震える手をいつか握り返せるように、強くなりたいと思っています。どんなときも2期生の味方でいてくださり、ありがとうございました」と声を震わせながら口にした。
北野さんのメッセージ、素敵でしたよ。中でも「どんな時も2期生の味方でいてくださり、ありがとうございました」という言葉が印象的でした。
「私がアンダーだった頃『アンダーメンバーも乃木坂46だ!』と声を大にして言ってくれたのが白石さんだったし、私が休業した時もすごく気に掛けて声を掛けてくださいました。あと、3期生が加入して最初のバースデーライブだったかな? いろんな場面で3期生が抜擢されたことで逆に2期生の出番が減ってしまって、みんなで落ち込んでいたことがあったんです。でもリハーサルで待機している私たちのところに来て、『2期生、ものすごく良いからね! もっとわがまま言っていいんだからね!』って言ってくれて。……すごく忙しいはずなのになんでそこまで気付くの!? って思ったし、そういうことがこれまでにもたくさんあって。白石さんってみんなの心の中の違和感を代弁してくれる方なんですよ。乃木坂46全体としても、そしてメンバー1人1人にとっても、すごくたくさんの影響を与えてくれた先輩だったなと思います」。
(『blt graph.』vol.61[2020年11月18日発売] p.23)
2期生加入のタイミングは、ちょうど6thシングル選抜発表の時期1。3期生にとっても、4期生にとっても同じ印象になるのかもしれないが、2期生にとっても、白石麻衣は「グループの真ん中にいた先輩」であった。
よほど強い印象を残したのか(確かに筆者もそう感じるが)、このときの北野のメッセージは別のインタビューでもとりあげられている2。
——白石さんの卒業ライブで北野さんが発した「白石さんの小さく震える手をいつか握り返せるように強くなりたいと思ってます」には鳥肌が立ちました。
北野 休業を経て、初めて『ミュージックステーション』(テレ朝系・18年12月21日)に出演することになって。マイクを付けている時、白石さんに「久し振りだよね。頑張ろうね」と優しい言葉をかけていただいたんです。そして本番直前に舞台袖で待機していると、前にいる白石さんを見たら手が震えていて。その時は、私も自分の心臓の音が全身に響くほど緊張していて何もできなかったけど、「いつか白石さんの手を握り返せた時、私が乗り越えたことを実感してくれるんだろうな」と思ったんです。その日から、白石さんの前では「北野日奈子は強くなった」と思われるような行動をとってきたつもりだけど、震える手を握り返せるほど強くはなれませんでした。でも、卒業ライブで約束したので、いつの日か強くなった私を見せたいと思っています。
(『EX大衆』2020年12月号 p.16)
この時期の北野は、卒業を決めたという頃よりは少し前で、26thシングルでアンダーメンバーとなったということを少しずつ受容しながら、「いまの私は自分の色を見せるんじゃなくて、乃木坂46の軸になりたい」(『EX大衆』2020年12月号 p.16)と表明していた頃である。「乃木坂46の軸」とは、「なかなか前からは見えないかもしれないけど、『そこにきいちゃんがいるなら乃木坂46は大丈夫だね』と思ってもらえる存在」(『blt graph.』vol.61[2020年11月18日発売] p.23)とのことであり、「後輩たちが自分の色を好きに出せるように『私は味方だから』と言ってあげること」(『EX大衆』2020年12月号 p.16)が、グループにいる理由なのかなと思ったと語られていた。それ以前からも、北野は「1期生のあり方を一番近くで見てきた後輩として、3期生や4期生に懸け橋として伝えていきたい」(日刊スポーツ「坂道の火曜日」2020年7月7日号)といったことをたびたび口にしていたが、それをさらに一歩進めたような印象があった。それは、グループを引っ張ったのみならず、北野ら個々のメンバーを支えた白石の「強さ」にも、影響を受けたものだったかもしれない。「いつの日か強くなった私を見せたい」。その後の日々を改めて思い返すと、北野は着実にそれを実践していったようにも思える。
先輩のなかに飛び込んで
ただ、そうした1期生と2期生の関係も、決して「最初からそこにあった」ものではなく、時間を経て形成されていったものである。後年、4期生を迎えたあとの時期に、初代キャプテン・桜井玲香が「前向きな子はほぼいなかった」「2期生はホント可哀想だったと思う」(『BUBKA』2019年4月号 p.14)と明かしたように3、当時は選抜の椅子の少なさやアンダーメンバーの活動・メンバー個人としての仕事がまだ多くなかったという状況、あるいは「メンバーどうしの切磋琢磨は何よりも競争によってなされるべき」のような価値観が色濃く、もっといえば「対立煽り」でファンの熱量を上げるようなグループの舵取りがなされていたイメージさえあったような時代感のなかで、1期生と2期生の関係は、いくぶんピリピリしたところから始まっていった。
橋本奈々未。
「堀を私とまいやん(白石麻衣)で挟む形だったんですけど……。収録後、スタジオで私とまいやんは、ふたりで泣きました。『悔しい!』って。でもそこで約束したんです。『未央奈には頑張ってもらいたいし、私たちも支えなくちゃいけない。でも、“やっぱり隣にいる1期生は輝いてるね”って思われるように頑張ろうね』って」
白石麻衣。
「『ガールズルール』では、自分的に達成感もあったし、走り抜けて、頑張った思いもあったので、『次のシングルはセンターでなくてもいいや』って気持ちがどこかにあったんです。でも……あれは、乃木坂46に入って3本の指に入るくらいに悔しい出来事でしたね」(篠本634『乃木坂46物語』p.174)
すでにグループの顔としてフロントラインを走っていた橋本奈々未や白石麻衣でさえ、2期生、特に7thシングルで「新センター」として立ち現れた堀未央奈の存在をどう受け止めるかは相当に苦労のあった様子がうかがえる。そうした状況のなか、次のシングルで選抜入りしてきた北野については、当時の態度や言葉づかいに独特の危うさがあったように語られていたこともあった。
——北野さんが2期生メンバーとして加入した当時、生駒さんは北野さんに対してどんな印象を持っていましたか?
生駒 最初の頃は「このコ、ちょっと大丈夫かなぁ〜」って心配してました。
北野 うふふふ(笑)。
生駒 それは1期生全員一致の意見。
——どういう面で「大丈夫かな」と思っていたんですか?
生駒 初期の頃は、一歩間違うと受け手があまりいい思いをしないぞ、っていうことも言っちゃってて。みんなヒヤヒヤしてたんですよ。
——このコは爆弾発言が多いぞ、と。
北野 たしかに「爆弾」って呼ばれてました(笑)。
生駒 きいちゃんは素直だから、全部そのまま言っちゃうんです。選抜発表とか、メンバーの気持ちがナイーブになっている時に「えっ、それ言っちゃう!?」みたいなことがあって。
北野 8枚目(『気づいたら片想い』)の選抜発表ですか?
生駒 そうそう。きいちゃんが初選抜の時。たとえば「選ばれる」っていう言葉ひとつでも使い方がすごく難しいんですよ。(『BUBKA』2016年9月号 p.21)
これは北野が選抜に復帰し、生駒里奈とともに3列目のポジションに立った15thシングル期の記事である。「燃えよ爆弾娘」と題されたこの対談は、当時のフロントメンバーを中心に形成してきたグループの涼しげで安定したイメージを、明るく元気なキャラクターである北野が「壊せばいいと思うよ」と生駒が提案する、という形で展開していく。ただ、そんなふうな提案が成立したのも、個々のメンバーおよびグループ全体が成熟し、落ち着いたコミュニケーションがとれるようになったからこそであろう。
8thシングル期といえば、「2nd YEAR BIRTHDAY LIVE」(2014年2月22日)で「真夏、おかえり」があったのが、このシングルのリリース直前くらいの時期であった。白石が2期生について「(自分は)怖がられてると思う」「プロ意識ない」と評したり(2014年2月2日「乃木坂って、どこ?」#120、「8th選抜メンバーがフォーメーションの列ごとに分かれ、女子会!」)、北野が白石をドッキリにかける企画で泣いてしまったりした(2014年2月21日「NOGIBINGO!2」#7、「2期生よビビってどうする! 1期生と距離を縮めて仲良くなろうチャレンジ 後編」)のもこのくらいの時期で、それはいくぶんかはバラエティ番組の仕立てだったとしても、そのような雰囲気の距離感であったことは確かだろう。確かに、突然放り込まれたような2期生が、1期生のなかにメンバーとしてなじんでいくには、まだ少し時間が必要だったのかもしれない。
「なじんでいく」過程
次の9thシングルの選抜発表の模様が放送されたのは、2014年5月11日の「乃木坂って、どこ?」#133のことであった。選抜発表の放送日を基準にとることにすると、北野はここから2年強の期間、アンダーメンバーとして活動していくことになる。当初はアンダーの3列目で「投げやりになっていた」(『UPDATE girls』Vol.002[2015年11月27日発売]p.39)ともされる時期であるが、「16人のプリンシパル trois」(2014年5月30日-6月15日)への2期生の参加や、独立した公演としてのアンダーライブのスタートなど、2期生までを含みこんだ総体としての「乃木坂46」が走り出していったようなタイミングでもあった。
この時期を同じくアンダーメンバーとして過ごしていた、1期生の“末っ子”・齋藤飛鳥が4、まず2期生のなかに溶け込んでいき、あるいは北野とも関係を深めていくことになる。「親子丼コンビ」としても知られた飛鳥と北野だが、ふたりの紐帯は「16人のプリンシパル trois」の頃から始まっていたことを、グループ卒業を控えた時期に北野は改めて語ってもいた。「弱い部分を隠すために笑っていた」、「弱音を吐いてはいけないと勘違いしていた」自分に、「あっしゅんが気づいてくれた」「寄り添ってくれた」のだという(2022年2月8日『希望の方角』発売記念SHOWROOM 2日目)。
北野 人見知りの印象が強い飛鳥ちゃんだけど、若かったからか、2期生に対してはすごく積極的に来てくれたイメージが強くて。
——確かに、1期生の中で最初に2期生に溶け込んでいったのって、飛鳥さんの印象がありますし。
北野 そう。(秋元)真夏さん、わか(若月佑美)さんが先頭を切って楽屋とかに来てくれたけど、みんなで集まっているときに話しかけてくれたのは、飛鳥ちゃんとか(和田)まあやさんとか、歳の近いメンバーでした。受け入れ態勢を整えていたというか。あと、アンダーだったというのも大きいのかな。
齋藤 そうかも。私は……最初は日奈子のことあんまり好きじゃなかった……(笑)。
北野 えーっ!
——予想外の告白ですが(苦笑)。それはどういうところが?
齋藤 明るくて無邪気で、ずっと笑ってて。
北野 いいじゃん!
齋藤 ふふふ。もちろん嫌いではなかったけど、仲良くなることはないだろうなと思ってました。
——そこからどうやって関係に変わっていったんですか?(原文ママ)
北野 3回目のプリンシパル(14年5月開催の『16人のプリンシパルtrois』)がきっかけかな。その頃2期生で正規メンバーは私と(堀)未央奈とまいちゅん(新内眞衣)だけで、3人だけ全公演に出て。飛鳥と名前の並びが隣だったから、舞台上で座ってるときに隣同士だったんです。それが飛鳥と仲良くなったきっかけ。
齋藤 それから話す機会が増えて、この明るさが私の嫌いなタイプの明るさではなくて、ちゃんと暗い部分もあることがわかったので。
——暗い部分があるのは必須なんですね(笑)。
齋藤 それがないと、私はなかなか仲良くなれないので(笑)。(『BUBKA』2017年6月号 p.15)
1期生の最年少にあたる齋藤飛鳥(と和田まあや)は1998年生まれで、学年でいうと北野のふたつ下にあたる。2期生でいえば伊藤純奈・佐々木琴子・鈴木絢音・寺田蘭世の代であり、当時のグループ最年少・渡辺みり愛のひとつ上。“末っ子”の印象もありつつ、独特の落ち着きや安定感もあった飛鳥が、2期生を含めても年少組にありながら存在感を発揮していたことは、2期生にとってもグループ全体にとっても大きなことだったかもしれない5。
一方で、北野はこの時期に独立した公演としてスタートしたアンダーライブに合流することになる。アンダーライブの端緒は、2014年4月13日の8thシングル全国握手会(幕張メッセ)に付随して行われた「楽天カード×乃木坂46 アンダーライブ」であり、その後2014年5月3日にTSUTAYA O-EAST(3公演)、5月17日にポートメッセなごや(1公演)で「アンダースペシャルライブ」も行われていたが、これらは特典イベント扱いの公演であり6、チケットを販売してのライブのスタートは2014年6-7月の「アンダーライブ」(いわゆる「1stシーズン」)のことであった。また、「アンダースペシャルライブ」までは8thシングルの体制で行われ、「1stシーズン」で9thシングルの体制に移行したため、北野はこの「1stシーズン」からアンダーライブに合流したことになる(また、同じタイミングから、当時研究生であった2期生メンバーもアンダーライブに参加している)。
この年の終わりには有明コロシアム公演(2014年12月22日「アンダーライブ セカンド・シーズン FINAL! 〜Merry X’mas “イヴ” Show 2014〜」)、翌年には日本武道館公演(2015年12月17-18日「アンダーライブ at 日本武道館」)と、猛スピードで坂を上っていったアンダーライブであるが、「1stシーズン」の頃にはすでに「選抜にはできないことをやる」という心意気や勢いのようなものが定着しており7、北野や研究生はそこに加わっていくような形となった。この過程においては、2期生より長くアンダーメンバーとしての活動を経験し、「アンダーライブ」という場が設けられる意義の大きさを痛切に感じていた1期生たちによって、相当に薫陶を受けた面もあったようである。
2期生。渡辺みり愛。
「正直、『アンダーライブって、こんなに熱いものなんだ!』って思いました。リハをしていても、すぐに汗をかいちゃうくらいの熱さで。ファンの方に『アンダーライブが好き』っていう人が多い理由がわかりました。
……でも当時の2期生って、まだ何もわかっていなくて。リハのときに初めて、らりんさん(永島聖羅)や(中田)花奈さんたちに怒られたんです。『2期生はアンダーライブを軽く考えないで。みんなだって前に出て踊るんだから、自分たちのライブだと思ってほしい』って言われて。みんなちょっと泣いて。……たぶん、2期生はそこで変わりましたね」(篠本634『乃木坂46物語』 p.233-234)
『乃木坂46物語』のこれに続く部分では、中田花奈が「本音を言えば、ちょっとでもステージを研究生に譲るのは嫌だった」「私たちの気持ちも今の状況もわかってほしかったから言いました」と語ってもいる。「2期生は後輩というよりは、一緒にやってきた仲間であり、同志」のような言い方を、3期生以降の加入以降、1期生がよくしてきた印象があるが8、そこには活動してきた期間の近さや、グループが成長していくなかで多くの経験を共有してきたことに加え、初めての後輩をグループに受け入れていくなかで、いくぶんかのライバル心のようなものが存在していたことも作用しているように感じられる。
北野は、「気づいたら片想い」で1期生のなかに飛び込んでいく形になり、特にダンスに苦しんだ時期について、卒業直前に以下のように振り返っている。これも、現在の先輩・後輩関係と少々異なる緊張感があったことが読み取れるエピソードであるように思う。
——ダンスはすぐ上達しましたか?
北野 いや、練習はしたのに上手くはならなくて。……(中略)……今でこそ乃木坂46は、後輩が1人で練習していたら先輩が教えに行くようになったけど、当時はそういう習慣がありませんでした。何年か経ってから何人もの先輩に言われました。「入ってきたばかりの2期生にはもっと教えてあげればよかった」って。(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)
3期生以降の後輩たちは、フロントで初選抜となる例も散見されるような状況で、一方で4期生の加入前後の時期からは特に1期生メンバーの卒業が相次いだこともあり、オリジナルメンバーでない楽曲で早い段階から大舞台に立つようなことも多々あった。「後輩が1人で練習していたら先輩が教えに行く」習慣は、メンバー自身の成熟とともに、メンバーを入れ替えながら成長を続けるグループの成熟もあって、生まれてきたものであったのかもしれない。
その端境期を経験した2期生は、そうした部分への意識が(それぞれ形の異なる部分もあっただろうが)強かったようにも感じられる。2021年2月23日の「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」のMCでは、新内眞衣と齋藤飛鳥の間でこのようなやりとりがあった(特に3期生以降は、加入前の楽曲の振りは動画を見て覚えることが多かったともいう)。
2期生の新内眞衣は「例年よりちょっと時間があったので、後輩ちゃんたちに初期の振り付けの細かいところまで教えることができた。私たち2期生までは、一から先生方に教えてもらえたので、これからもいい『ぐるぐるカーテン』をするために、手先の細かいところまで教え込んだ」と明かす。1期生の齋藤飛鳥は「大事、大事。まいちゅん(新内)は言ってくれるもんね。時々間違えてるけど言ってくれる」といじりを入れつつも、「本当にありがたい。そういう存在は」と後輩が自ら伝承してくれることに1期生たちは感謝しきりだった。
(ORICON MUSIC「乃木坂46、9周年&10年目突入ライブ 「ぐるカー」振付伝承に1期生感激」、太字は筆者による)
話が少し横道にそれたが、先輩メンバーの熱さに触れ、そこになんとか食らい付いていくような形で、北野らの後輩メンバーはアンダーライブに加わっていった。2014年当時のアンダーセンターは伊藤万理華と井上小百合であったが、彼女らがステージの顔であったとするならば、それをパフォーマンスの面では中田花奈や川村真洋らが支え、チームのリーダーシップの面では永島聖羅や能條愛未らが引っ張るような形となることが多かったといえるだろうか。特に永島は、斉藤優里らとともにライブのMCでは軸を務め、アンダーライブの熱い雰囲気を形成していく大黒柱のような役割を果たしていた(この時期のアンダーライブについては、筆者は映像その他でうかがい知るばかりだが、全体を通してそのように見える)。研究生を含め、じつに20人以上で公演が重ねられてきたアンダーライブ。大所帯だったといっていいアンダーメンバーには、固有のチーム感が生まれてもいた。
2015年になると、中元日芽香、および12thシングルでアンダーに移ってきた堀未央奈がアンダーセンターを務めた時期に移行していく形となる。北野もその12thシングルからはアンダーフロントを務めていくことになるが、ライブにおいて果たす役割も大きくなっていくなか、アンダーライブを引っ張ってきた先輩たちに、かなり鍛えられた部分もあったという。
「私は丸8年乃木坂46のメンバーとして活動してきて、良くも悪くも選抜とアンダー、両方あまり偏りがなく参加させてもらってきたんです。そこから得た経験もたくさんあるし、それをもっと後輩に伝えていかなければと、改めて思っています。先日、『のぎ動画』で“アンダーライブ4thシーズン”の動画が公開されたので観ていたんですが、いろんなことを思い出してきて」
4thシーズンっていうと約6年前、『今、話したい誰かがいる』のときですよね。ひめたん(中元日芽香)と堀(未央奈)ちゃんがアンダーセンターで、きいちゃんもアンダーで。
「当時のアンダーはらりん(永島聖羅)さんや能條(愛未)さんなど、先輩方もたくさんいらっしゃって、何と言うか、めちゃめちゃ鍛えられたんですね。パフォーマンス、MC、自分では“やっと皆さんに追いつけたかな”と思っても、お2人からは“もっともっと頑張れる”“私たちはそんなヌルい気持ちでやってない”と詰められて」
厳しい(笑)。
「今、後輩たちがたくさん傍にいる、当時のらりんさんや能條さんと同じ立場になってみると、私はそこまで後輩に言えてなかったんです。“皆それぞれ頑張ってるからなぁ”って思っちゃって。でも、『のぎ動画』で過去のアンダラを観て色々思い出して、“今自分は、昔先輩たちが私にして下さったことを後輩にできているのか?”って思ったらすごく情けなくなってしまって」
それぐらい、らりんや能條さんは当時のきいちゃんに言いづらいことも愛を込めて言ってくれていたということなんですね。(『アップトゥボーイ』2021年9月号 p.42-43)
この4thシーズンを経て迎えられた日本武道館公演のなかで永島はグループからの卒業を発表し、2016年3月19-20日に「アンダーライブ全国ツアー」の端緒として行われた、愛知・名古屋国際会議場センチュリーホールでの卒業コンサートをもって卒業。グループとしてほぼ1年ぶりの卒業メンバーだったこともあり、北野は特にショックが大きく、「本当に悲しすぎて、卒業公演の前日になにかハプニングを起こせば卒業がなくなるんじゃないかみたいなことを考えたくらいでした(笑)」(『Quick Japan』vol.157[2021年10月26日発売]p.49)という状態だったという。選抜メンバーはまだ遠くにいるように感じていただろう時期で、アンダーライブの舞台にともに立った先輩たちにもただ甘やかされたような感じはなく、むしろ厳しかった部分がピックアップされがちだったかもしれない。しかし、この時期には「乃木坂46に今後、3期生が入ってくるのかは分かりませんが、先輩を取られたくないので、ずっと後輩でいたいですね(笑)。」(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2016』[2015年12月3日発売]p.49)とも語るなど、そこに愛情を見いだし、紐帯を感じていた、といえるだろうか。
また、この2015年にはもうひとつ、北野は舞台「じょしらく」(2015年6月18-28日)に出演しているが、所属した「チーム『ご』」のメンバーは北野のほか、本項でとりあげた齋藤飛鳥と能條愛未、および北野が特に慕っていくことになる衛藤美彩、そしてのちに「大切な友達」として関係を深めていく中元日芽香であった。「演技に自信がなくて、むしろ選ばれたくないと思っていたくらい」(『FLASHスペシャル グラビアBEST』2015年秋号[2015年10月23日発売]p.120)だったという北野だが、1期生に囲まれて自分の役を演じるなかで「舞台を通して、だんだんお芝居が楽しくなってきました」(同)という。
演技に対する苦手意識を抱えたままで稽古に入った彼女を支えたのが、三つのグループに分かれた“チームご”のメンバーである、衛藤美彩、能條愛未、齋藤飛鳥、中元日芽香の4人だった。
「お芝居の経験もある、仲のいい先輩方と一緒に稽古をしていくうちに舞台の楽しさを教えてもらって。舞台中は、終わりたくないって思っていたし、今でも『じょしらく』の動画を見るくらい、じょしらくロスです(笑)。乃木坂の活動の中で一番って言えるくらい、本当に楽しかったですね」(『UPDATE girls』Vol.2[2015年11月27日発売]p.39)
中元と北野のかかわりに関しては別に書くつもりだが、ここで少し書いておくとすれば、「じょしらく」当時は11thシングル期で9、それ以前はそこまで近しい関係ではなかったようである。ただ、「じょしらく」を経ていくぶん距離が縮まり、その後ともにアンダーフロントに立った時期以降に心を通わせる関係になっていった、という経緯であるようだ10。
☆乃木坂46のメンバーで親友は?
よく一緒にいるのは、先輩だと齋藤飛鳥です。先輩ですけど2歳年下で、妹っぽくもあり友達のようでもあり。最近は、ひめたん(中元日芽香)とも仲よし。まだ深い話をしたことはないんですけど、「絶対、話が合うよね」と言ってます。(『Audition』2015年9月号 p.87)
これは筆者の印象だが、北野はメンバーのなかでいうと、どちらかといえば先輩・後輩の上下関係を強く意識するタイプだったように思う。同い年の生田絵梨花を「いくちゃん」と直接呼べるようになったのは卒業間際の時期だったというくらい、特に先輩に対しては、友達のような距離の詰め方が先行するタイプではないように見えた11。そのなかで、2期生では先陣を切っていくような形でグループの活動に体当たりで加わっていきながら、1期生のなかになじんでいった。そして、先輩・後輩という前提があったからこそ、そこには独特の紐帯が生まれていた。そんなふうにもいえるだろうか。
グループの変化に直面しながら
永島聖羅の卒業コンサートは14thシングルの体制で臨まれたものだったが12、この翌月には同じく14thシングルの体制で「アンダーライブ全国ツアー2016〜東北シリーズ〜」(2016年4月19-24日)が挙行され、アンダーライブの全国展開が本格的にスタートすることになる。前々稿でもいくぶん触れたところであるが、この間は選抜/アンダー間のメンバーの変動がきわめて小さく、それはこのときのアンダーメンバーにとっては苦しみでもあったかもしれないが、「アンダーライブ」として培われてきたものを十二分にふまえて「全国ツアー」という新展開に踏み出すことにもなった、ともいえるだろうか。
このくらいまでが北野にとっては「長いアンダー時代」であったといえる。そして乃木坂46全体に目を向けると、永島の卒業を皮切りに、グループの編成に変化が生まれ始めた時期でもあった。年始に卒業を発表した深川麻衣の卒業がこのあとの6月13。その直前の「乃木坂工事中」#57(2016年6月5日)では15thシングルの選抜発表の様子が放送されていた。グループとしては9月に3期生の加入があり、そのあとには橋本奈々未の卒業が大きなトピックとなった14。
北野とかかわりの深い先輩メンバーを挙げるとなったとき、深川や橋本はまず最初に登場してくる存在とはいえないように思うが(特に彼女らの卒業から数年、北野がグループで活動したことを加味すればなおさら)、例えばこのふたりについても、北野は強い憧れと愛情、そして思い出を胸に活動してきた様子がうかがえる。
北野日奈子です。
2期生として入った私。1期の先輩たちといると楽しい。
ふざけたり、甘えたり。一緒にいる時間が好き。
「3期生入ります」と言われたときに、「妹ができる!」と思った。
仲良くなりたいし、一緒にお買い物に行ったり、甘えさせてあげたりしたいなあ、って思った。
活動が始まって、ずっとポジティブでいられるのは、難しいと思う。つらいことも、きっとたくさんある。
でも、絶対大丈夫。たくさんの人が、私たちを支えてくれる。
大好きな、あの先輩が卒業するときに言っていた。
「世の中には、ほんとうにたくさんの人がいて、生まれた場所も、住んでいるところも、バラバラだけど、いろんなタイミングでみなさんが乃木坂46のことを見つけてくれて、音楽や人を通じてこうしてひとつの場所でつながれることは、ほんとうにすごいことだと思います」
(深川)「ただの深川麻衣を、乃木坂46の深川麻衣にしてくださって、本当に本当にありがとうございました。」
かわいい妹たち、がんばっていこう!(2017年2月22日「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」DAY3、3期生ブロック前のVTRナレーション)
——そうかもしれませんね。それでは最後の質問です。乃木坂46はどんな場所でしたか?
北野 答えになっていないかもしれないですけど、奈々未さんが「人は必要な時に必要な人と出会う」と言い残して、卒業していきましたよね。それが今になってすごく響いています。私はここに入らなかったら人間として弱いままだったんじゃないかなって思うんです。……(中略)……出会うべくして出会った方ばかりでした。みんな、きっと来世も乃木坂46なんだろうな(笑)。(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)
2016年9月4日にグループに加入した3期生を、北野は選抜メンバーとして迎えることになった。オーディションまでの時期には、後輩に負けられないという気持ちから「不安」をこぼしてもいたという北野だが15、一緒に活動するようになると、持ち前の明るさや人なつっこさを発揮して距離を縮めるようになる。なかでも早くから仲を深めたのが大園桃子で、3期生の活動初期から「ひーこちゃん」「もーこ」と呼び合う関係となったが、これは北野がブログで一方的に書いたことに端を発したものであった。
大園さんのことは
ももこちゃんだから
もーこちゃんと呼びます!だから、もーこちゃんもひーこちゃんって
呼んでね(。・・。)♪笑3期生と仲良くなれる年になったらいいな(*´꒳`*)
でも!!!
先輩方は譲らないぞ!!!( ¯−¯ )うっしっしっしっ
(北野日奈子公式ブログ 2017年1月5日「バランス人間」)
「仲良くなったきっかけ」は、この直前の「FNS歌謡祭」(2016年12月14日「FNS歌謡祭2016 第2夜」)であったことが明かされている。3期生としては12月10日のお見立て会のすぐ後のタイミングであり、「アイドルシャッフルコラボメドレー」のなかで「乃木坂46・欅坂46の新メンバー」としてけやき坂46のメンバーとともに呼び込まれ、選抜メンバーおよび欅坂46のメンバーとともに「制服のマネキン」をパフォーマンスしたときであった。3期生のリレーブログが始まったのが12月19日であったので、これよりも前のことであったと考えると、本当に3期生の活動最初期の出来事であったといえる。
——で、2人が仲良くなったきっかけは?
大園 あ! 『FNS歌謡祭』の時に。
北野 そうだ!
大園 先輩たちはみんな移動してるのに、なんかひーこちゃんだけ3期生と一緒にいて(笑)。
北野 そうなのそうなの(笑)。本番の移動のタイミングが選抜と3期生で分かれてて、3期生についてるマネージャーさんと話してたら、いつの間にか選抜メンバーが移動してたんです。で、先輩ぶってほとんど来たことないフジテレビを得意気に案内しようとしたら行き止まり(笑)。
大園 その時に面白い人だなって(笑)。(『EX大衆』2017年4月号 p.78)
その後、3期生は「3人のプリンシパル」(2017年2月2-12日)を経験し、「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」の2日目(2017年2月21日)からグループ全体のライブに参加する。17thシングル「インフルエンサー」(2017年3月22日発売)に初めての楽曲となる「三番目の風」が収録され、徐々にグループに合流していった。そして18thシングルで大園桃子・与田祐希がセンターに抜擢され、これが3期生にとって最初の選抜入りとなる。3期生を加えた形で本格的な稼働が始まっていったタイミングであったが、北野としてはこのタイミングでアンダーメンバーに移ったことと、体調不良と休業、という経緯をたどったことから、ここから後輩とかかわる場面が増える、ということにはならなかった。
大園と北野についてその後も含めてここで述べると、北野は休業中、大園から「後輩の中では一番メールをもらっていた」といい、大園は「ひーこちゃんが笑ってる写真や映像を観ると涙が出そうになってました」という(以上、『OVERTURE』No.018[2019年3月25日発売]p.21)。このあとの時期には大園の活動休止(24thシングル期)があり、コロナ禍による「自粛期間」などもあって、ふたりがともに活動している場面を見ることはそこまで多くなかったように思うが、2021年7月4日に大園がグループからの卒業を発表した際には、北野は755で「これから先輩後輩の壁をなくして友達になれる」と前向きな発信をした(北野と大園の関係性や、北野の「先輩・後輩」観がうかがえる言葉選びだと思う)。
「みなみちゃんと仲良し軍団」
休業期間中は「グループとは距離を置きたかったからテレビも点けませんでした」(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)という北野だったが、近しいメンバーとは連絡をとっていたという。北野が名前をあげていたのは、前稿でもとりあげた同期・相楽伊織、そして1期生としては、中元日芽香と星野みなみであった。
【みなみちゃんがいるから休止中も寂しくなかった】
——以前から仲がよかった2人ですが、北野さんの活動休止中(2017年11月16日〜)も連絡は取り合っていたんですか?
星野 はい。普通に。
北野 ひめ(中元日芽香=2017年卒業)を含めた3人で仲が良くて、グループLINEでメッセージを送り合う感じなんです。誰かが一言送ると、すぐに返信がくる(笑)。
星野 何時でもくるからすごいよね(笑)。(中略)
——どんな内容を送り合っているんですか?
北野 ……内容ないよね。
星野 大阪でライブをしたときはひめに「元気?」と送ったり、最近だときいちゃんに「ご飯行こう」と誘ったり。
北野 私が休んでいる間も「今日は何していたの?」って聞いて、返ってきたら自分はこうだったよって送って。でも、3人だとひめが送った内容に、私とみなみちゃんが茶々を入れる感じになることが多いかな。
星野 そうそう(笑)。だから、きいちゃんが活動休止しているっていうのはあんまり関係なくて。
北野 みなみちゃんとは会っていたしね。洋服を買いに行ったときは、みなみちゃんがずっとどうしようか迷っていて。(『月刊エンタメ』2018年10月号 p.12-13)
北野は加入当初、「憧れの1期生」として星野の名前を挙げていた16。星野と北野はアンダーであった時期が重なっておらず17、かつては一緒に活動することがそこまで多い組み合わせではなかったように思う。北野は先輩に対して、友達のような距離の詰め方が先行するタイプではなかったように思うというのは上にも述べたところだが、ともに選抜メンバーとして活動するようになって少し経過した2016年の秋ごろになると、ブログでの呼び方が「みなみさん」から「みなみちゃん」に変わるなど、プライベートな面も含めて仲良くなっていった様子である。前稿では相楽とのエピソードとして引いたところだが、「乃木坂46時間TV(第3弾)」2日目夜(2018年3月24日)に星野と相楽とともにサプライズで登場するという形で活動に復帰した北野は、「『乃木坂46時間TV』で少しだけ復帰できたのは、みなみちゃんと伊織が一緒に出てくれたから」(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)としている。その後、2018年夏には北野を主人公とし、星野と相楽と共演した「乃木恋」CM(「この声届けたい篇」)が公開されたが、これは相楽の卒業間際の時期、かつ北野が徐々に活動のペースを戻していた時期の出来事であり、北野を中心とした3人の関係性とともに、記憶に残る作品となった18。
星野と北野は、選抜では隣やシンメトリーのポジションに立つことが多かった。「裸足でSummer」と「サヨナラの意味」では隣どうし。ポジションが近いと話す機会が増えるというから、この時期に距離が縮まった面もあったのだろうか。「インフルエンサー」「いつかできるから今日できる」「夜明けまで強がらなくてもいい」では3列目でシンメ、北野にとって唯一の福神シングルであった「Sing Out!」でも2列目でシンメであった。ほか、ユニット曲では「私、起きる。」(10thシングル所収)と「キャラバンは眠らない」(22ndシングル所収)に、「世代」でくくったような形でともに参加しているほか、ふたりに鈴木絢音・堀未央奈・渡辺みり愛を加えた5人で「Am I Loving?」(23rdシングル所収)が制作されており、こちらにはより純粋なユニット曲という色があっただろうか。
北野は「生駒里奈卒業コンサート」(2018年4月22日)の一部に参加し、徐々にステージに復帰していくことになる。この休業明けの時期にあたる「真夏の全国ツアー2018」では、「ジコチュープロデュース企画」において、大阪・ヤンマースタジアム長居公演1日目(2018年8月4日)で星野みなみのプロデュース曲として「2度目のキスから」がチョイスされ、星野と北野のふたりで演じられている。MCではオリジナルの「真夏さんリスペクト軍団」になぞらえてユニット名を「みなみちゃんと仲良し軍団」と称していたが、当人たちもそこにはあまりこだわりはなく、それはプライベートでの距離の近さからくるもののようにも思えた。
——全国ツアーの大阪ヤンマースタジアム長居(8月4日)では、星野さんのジコチュープロデュースで2人で『2度目のキスから』(16thシングルカップリング)を歌いました。どういった流れで歌うことになったんですか?
星野 きいちゃんが「何やるの?」と聞いてきて。
——北野さんが誘導したわけじゃなく?
北野 ちょっとあったかも(笑)。「ねぇねぇ、誰と歌うの?」と聞いて。
星野 じゃあ、一緒にやろうって。(中略)
——MCでは、このユニットをみなみちゃんと仲良し軍団と言っていましたが。
星野 あ〜、誰でも入れるユニットなんです。自由参加。
——北野さんが仲良し1号で。
星野 あとはみんな平等。
北野 フフフフ。
——2人のユニットを正式に始動させたいとは思いませんか?
星野 うーん。あの日だけの特別感がいいのかなって。
北野 仲良しでやっていたことが仕事っぽくなるとね。
星野 今回はワガママでやらせてもらったということで(笑)。(『月刊エンタメ』2018年10月号 p.14)
その後、約3年半の時間を重ねたふたりは、ほぼ近い時期にグループを卒業していくことになる。コロナ禍の「自粛期間」にも、北野は「(星野)みなみちゃんと、2期生の子とは頻繁に」連絡をとっていたといい(『B.L.T.』2020年7月号 p.11)、プライベートでの近しい関係は一貫して続いていったようである。最終活動日でいうと2ヶ月半ほどあとに卒業する形となった北野は、星野の「らじらー!サンデー」最終出場回(2022年1月30日)に、足かけ4年間レギュラーMCを務めた星野が迎えた最後のゲストメンバーとして出演し19、リスナーから寄せられた星野へのメッセージを紹介する役割を担った。この日は北野の卒業発表前日でもある。番組の最後には、星野について「休業明けとか休業前からずっと支えてもらってて」と改めて明かし、「こんなにも親切で優しくて、愛にあふれた人がいるんだなあって」「乃木坂に来たからみなみちゃんに出会えた」と語る。星野は卒業とともに芸能界を引退するとしており、リスナーにも「私がこれからもみなみちゃんの近くで、みなみちゃんを支えていける部分は支えていこうと思うので、ご心配なく」「幸せにあふれる日々を過ごせるように、私も近くでゲラゲラ笑っていようと思います」とメッセージを送った。
北野「みなみちゃんは卒業しても会っていくメンバーだなって思うから」
星野「あ〜、わかる。私も思うもん」
北野「大人になってお互い結婚して子供ができてもずっと友達だろうなって」
星野「いいね、遊びたいね、一緒にね」
北野「近所に住んでさ、お庭作って子供一緒に遊ばせようよ(笑)」(『BOMB』2019年4月号 p.23)
星野の最終活動日であった2022年2月12日に開催された「星野みなみ卒業セレモニー」のアンコールでも、北野は2期生を代表して星野へメッセージを送った。「みなみちゃんは10年間、ずっとかわいかった。かわいいといえばみなみちゃんの右に出る者はいない。強さ、優しさでもみなみちゃんの右に出る者はいない」として、「私がもう、ここから逃げたいって泣いているときには手を差し伸べてくれたり、ずっと助けられた。みなみちゃんの存在が私をつなぎ止めてくれた」と感謝を伝えた20。
誰かの心ない言葉に傷ついていた北野に、星野は「そんなのみなみが全部やっつけてやる」と寄り添ったことがあったのだという。星野がグループで過ごした最後の日、北野は逆に「みなみちゃんに何かあれば倒してやろうと思ってるし、世界平和を守ろうね。みんなに優しさをくれてありがとう」と言葉を贈った21。仲間に、後輩に、大切な人に何か起こったら、「倒してやる」「やっつけてやる」というのは、卒業を控えたこの時期に北野がよく使っていた言い回しだったな、と思う。見えないところから襲いかかってくる、“世界平和”を乱す理不尽。正体のわからないそれがどんな相手かもわからないけれど、でも「倒してやる」。無鉄砲で優しい、無償の愛。それってたぶん「友達」だな、と思った。
グループにおける役割と「みさ先輩」
時系列が前後してしまう形となったが、「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」を含む「真夏の全国ツアー2018」でライブに完全な形で復帰した北野は、21stシングルにアンダーメンバーとして参加し、北海道でのアンダーライブに出演する。そして22ndシングルではアンダーセンターを務め、武蔵野の森総合スポーツプラザでのアンダーライブでは座長を務めることになる。20thシングルからはアンダーにも3期生が合流しており、2期生である北野は、座長として先輩と後輩の両方を引っ張っていく形となった。
選抜メンバーとして過ごした期間もあったが、一貫してアンダーライブへの思いは強く、また前回(中元日芽香とともに)アンダーセンターであった18thシングルの際の九州シリーズでは、体調不良から座長を全うできなかった、という経緯もいくぶんかはあっただろうか。北野はこの座長のポジションに、強い気持ちで臨んでいくことになる。
——今月はアンダーライブの特集なんですが、まずは昨年12月の関東シリーズのことを振り返ってもらいます。座長だったわけですが、どんな気持ちで臨みましたか?
北野 頭にあったものは、アンダーライブがいいものになればいいなというものでした。でも、いろんな葛藤がありました。
——葛藤というと?
北野 座長の私が引っ張らないといけないけど、長らく休業していたし、復帰して2枚目のシングルでアンダーのセンターをするということでどう思われるのかも怖かったですし。けど、そういう気持ちを全部吹き飛ばしてやるしかないと思いました。そのためには勇気が必要でしたね。……(後略)(『BUBKA』 2019年3月号 p.18)
北野は座長として、メンバーどうしで話し合う時間を設けることを提案する。以前のアンダーライブではそうした機会があったが、近年はそれがなくなっていたのだという。「アンダーライブって毎回させていただいているけど、それって当たり前のことじゃないんですよ」(『BUBKA』 2019年3月号 p.18)という思いから、それを3期生にも伝えたかった、ということであった。
——メンバーの入れ替わりがあると、失われていくものがあるかもしれませんね。
北野 新しい風が吹くのはいいことだけど、受け継いでいくべきものもあると思うので。「アンダーライブは熱いものなんだ」ということを忘れてはいけません。そのためには、メンバーがひとつにならないといけないんです。
——具体的にはどんな話をしたんですか?
北野 「みんな忙しい中、悪いとは思うけど、ここにいる間だけは一生懸命やってほしい」っていうことです。1期生に言うのは勇気が要ったけど(笑)。でも、私の話を(中田)花奈さん、かりんちゃん、(和田)まあやが後押ししてくれました。それで士気が上がったと思います。それをやらないと、喜びを超える感動を与えられないじゃないですか。それができたら、アンダーライブというものがひとつ上の段階に行けると思ったので。(『BUBKA』2019年3月号 p.18)
ライブ中のMCでは、今回のアンダーライブや楽曲「アンダー」などについて、自分の言葉で語る場面も多くみられた北野。2日目のアンコールでは、「今日のこの時を過ごした私たちにとって、今日のこのことが人生の宝物で、人生の財産になると思います」「みんなと同じ空気の温度になれたことが本当に幸せに思います」とライブを総括した。
ちょうどこの時期には、グループに11人の4期生が加入している。さらなる変化を経験していく乃木坂46にあって、北野はグループを支え引っ張る、新たな役割を担うようになって(あるいは、それが表だって見られるようになって)いく。
——今日も3人の中で一番先輩ですが(編註:山下美月・遠藤さくらと3人でのグラビアであった)、そういうことも多くなってきますよね。
「そうですね。乃木坂全体でもずっと中間にいたのが年上のほうになってきてますし。でも、自分自身の考え方も変わってきてるので、年上になっていくことに対して自分で納得ができてるというか。周りやグループが変わってるだけだったら置いてきぼりな気持ちになるけど、自分自身も変わってるのでここまで続けられていることも誇りに思っています」(『BOMB』2019年10月号 p.11)
その端緒が、このときのアンダーライブに続く時期に行われた「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2019年2月21-24日)であった。このときのバースデーライブでは、西野七瀬の卒業コンサートとされた4日目以外の各日において、加入したばかりの4期生が自己紹介を行うパートが設けられていたが、北野はこのうちの3日目において先輩メンバーとして単独で登場し、進行役を担った22。
一方で、この「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」は、卒業メンバーのポジションを3期生が務めた場面が目立ったライブでもあった。本稿冒頭部で引用した『blt graph.』vol.61で、「いろんな場面で3期生が抜擢された」ライブとして語られたのは、おそらくこのときのことである23。選抜メンバー楽曲での卒業メンバーのポジションが積極的に3期生で埋められたのみでなく、ユニット曲についても、サンクエトワールの「大人への近道」の中元日芽香ポジションを、中元との紐帯の強い久保史緒里が24、女子校カルテットの「口約束」「人生を考えたくなる」の若月佑美ポジションを、女子校出身である佐藤楓が25、真夏さんリスペクト軍団の「二度目のキスから」の相楽伊織ポジションを、秋元真夏への“リスペクト”を表明していた吉田綾乃クリスティーが務めるなど、少し安直にも見えるくらいに3期生を入れた編成で披露されていた。このほかにも、「急斜面」の橋本奈々未ポジションは梅澤美波が、「環状六号線」の生駒里奈・伊藤万理華ポジションは伊藤理々杏・向井葉月が、「他の星から」の伊藤万理華・若月佑美ポジションは与田祐希・山下美月が務め、「太陽ノック」のセンター(生駒ポジション)を「真夏の全国ツアー2018」に引き続いて大園桃子が、「君は僕と会わない方がよかったのかな」のセンター(中元ポジション)を久保史緒里が務めたことも印象深い。もちろん、1期生や2期生が卒業メンバーのポジションに入った場面も多々あったし、ポジションが埋められない形で披露された楽曲も散見されたが、3期生に強いスポットライトが当たった機会とみなされていたことは疑いないだろう26。
『blt graph.』vol.61の先に引用した部分で語られていたのは、「いろんな場面で3期生が抜擢されたことで逆に2期生の出番が減ってしまって、みんなで落ち込んでいた」2期生を、白石麻衣が「2期生、ものすごく良いからね! もっとわがまま言っていいんだからね!」と鼓舞した、というエピソードであったが、同じインタビューで、北野は1年後の「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2020年2月21-24日)のときには後輩に対する思いや考えに変化が生まれていたことも語っている。
「自粛期間よりも前なんですけど、バースデーライブ(2月)で梅(梅澤美波)が奈々未さんのポジションを務めることになって。でも本番前に『怖い』と言って震えて泣きそうになっている梅を見て、私は何ができるだろうと思ったんです。そんな中、震える後輩を前にして『誰がこの子を守るんだ?』と考えたら、それはもう私たち先輩しかいない。だから『私たちは梅がちゃんと練習していたのを見ているし、梅のことを認めているよ。だからステージで堂々としておいで!』と声を掛けました」。
(『blt graph.』vol.61 p.22)
「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」においては、1年前より卒業メンバーがいっそう増えていたことや、1年経って4期生11人も先輩メンバーと混ざってパフォーマンスするようになっていたことなどもあり、「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」のときのように「先輩メンバーのポジションに後輩(3期生)が入っている」という印象を強く受ける場面は前年よりは少なかったように思う(まったく違うメンバーや演出で演じられたもの、オリジナル準拠のメンバーだが後輩のほうが多くなったもの、あえて卒業メンバーのポジションを埋めなかったものなど、内訳はさまざまであったが)。そのなかで、上掲の梅澤のエピソードに該当しそうなのは、4日目の「せっかちなかたつむり」だろうか27。梅澤は前年は「急斜面」で橋本のパートを歌唱しているが、このときは通常とは大きく違ったフライング(ワイヤーアクション)の演出であり、一方でこのときの「せっかちなかたつむり」はスタンドマイクを用いたオリジナルに近い形のパフォーマンスでもあったため、やはりプレッシャーは強かったのかもしれない28。
ここまでで、おおまかな時系列としては本稿冒頭部に戻ってくることになる。26thシングルではアンダーメンバーに移ることになったが、前からは見えなくても「乃木坂46の軸」として、グループに対してできることをやる。北野がそんな気持ちを強くしていた時期だ。
(前略)……今年2月のバースデーライブで、卒業した先輩のポジションに入ることになった後輩たちが一生懸命リハーサルしたのに、本番前、誰かの声に自信をなくしてしまって。私は支えることしかできないから「自信を持って行っておいで」と送り出したけど、ステージ上で輝く後輩たちを見た時にすごく感動したんです。じゃあ、私は後輩たちに向かい風が吹いた時に背中を支えて、立ってあげられるようにしようと。
「福神に入って乃木坂46を表現したい」という気持ちがずっとあったし、ファンの方も望んでいるだろうけど、私が乃木坂46にいる理由はそうじゃなくて、後輩たちが自分の色を好きに出せるように「私は味方だから」と言ってあげることなのかなと思ったんです。
いまの私は自分の色を見せるんじゃなくて、乃木坂46の軸になりたい。真ん中で軸として踏ん張っても、前からは見えないし、光は当たらないかもしれない。だけど、それがやるべきことなんじゃないかと思うんです。……(後略)(『EX大衆』2020年12月号 p.16)
この件に関して、最後にもうひとつ付け加えたい。この『EX大衆』2020年12月号では、先輩メンバーに卒業が相次ぐなかで自らのスタンスに悩んだ北野が、特に慕っていた先輩メンバーである衛藤美彩に会って相談した、というエピソード語られている。
北野 乃木坂46がただただ好きなんです。でも、これは悩みでもあって。先輩たちが卒業していく中で、自分もいつか卒業を考える日がくるのかなと想像しても、腑に落ちる理由がないんです。一生乃木坂46にいるんじゃないかと不安になったので、みさ先輩(衛藤美彩)に連絡したら、「じゃあ、会おうか」と言ってくれて。「いまのポジションに満足しているとか、してないとかじゃなくて、乃木坂46にいることが幸せで卒業できそうもないんです」と話したら、みさ先輩は「日奈子らしいね」とアドバイスもいただいたんです。だけど、私は乃木坂46のことばかり考えてしまうから、まだまだ難しくて。
(『EX大衆』2020年12月号 p.16)
そして、「最近の3、4期生を見て『これだ!』と気づいたんです」として、「乃木坂46の軸になりたい」という考えに至った、という流れで、このときの話はつながっていく。
また、字面を追う限りはこのときより前のことであるようだが、北野はまた別の機会に衛藤と卒業についての話をして、活動に関してアドバイスをもらう機会があったということも、卒業発表を直前に控えた時期に明かしている。
北野 (衛藤)美彩先輩に「なんで卒業するんですか?」って聞いたことがあるんです。その時、「私には未来の設計図があるんだよ。○歳でこうなってて、○歳でこうなっていたいな」って話してくれて。美彩先輩はまるで年表のように考えていました。未来に希望を持った行き方をしているなと、すごく感心しました。美彩先輩は頭を回転させながら生きている方でしたから、私にもよくアドバイスをくださいました。「日奈子は衝突ばかりしてないでさ、周りを見渡せば違うドアも開くんじゃない?」って。
でも、私は素直にそのアドバイスを聞けなくて、「私はまっすぐ走って生きていきたいんです!」なんて、そこでも衝突してしまっていました。(『BUBKA』2022年3月号 p.18)
衛藤と北野が仲良くなったのは、前述した「じょしらく」がきっかけであったという(『BUBKA』2016年3月号 p.34)。このときの記事は衛藤と北野の対談形式であり、インタビューの収録日は2016年1月12日だった。シングルでいえば14thシングルの選抜発表の模様が放送される直前くらいで(2016年1月31日「乃木坂工事中」#41)、北野としてはなかなか破れない「選抜の壁」にぶつかり続けているようなタイミングだったはずだが、対談のなかではアンダーの後列から13thシングルではフロントのポジションにまで立った衛藤を「私が目指す道を照らしてくれている存在」「アンダーメンバーの希望」と称する場面もあり、両名は「不器用かもしれないけど、まっすぐなところが似ている」と聞き手によってまとめられていたようなトーンであった。
——不器用かもしれないけど、まっすぐなところがお二人は似てますね。
衛藤 まっすぐだよね。
北野 間違ったことはしたくない、っていうか。
衛藤 私もそうなんだろうなって思うけど、きいちゃんを見ていると、自分と重なる部分があるんですよ。
北野 みさ先輩が「ちょっと損してる部分があるから、こうしたらいいんじゃない?」ってアドバイスをよく言ってくれるんです。
衛藤 先輩として助言しているんじゃなくて、きいちゃんは写し鏡のような存在だから、言うことによって自分も気を付けようって気持ちになれるんですよ。
北野 えへへへ。(『BUBKA』2016年3月号 p.34)
これに近い時期には、寺田と3人で「野球大好き!集まれ!侍ジャパン」への出演が始まり、春には女子野球日本代表の公式サポーターに同じく3人で就任することになる。「乃木坂工事中」のバレンタイン企画で北野がチョコを渡さなくて、プロレスを繰り広げていたのもこの頃だ。15thシングルでは北野も選抜に入り、活動をともにしていくことになった。翌年には舞台「あさひなぐ」で、ともにライバル校である國陵高校薙刀部の生徒を演じた。
その衛藤がグループを卒業したのは2019年春。卒業を考え始めたのはその前年の1月4日、25歳になったタイミングであったとのことである。「がむしゃらに頑張るのは20代前半でいいのかなって」「グループにいるとどうしても甘えてしまうので、20代後半からはひとりの女性として自立したい」(『月刊エンタメ』2019年5月号 p.9)と考えたのだという。
美彩先輩の話を聞いて、自分の未来を見据えた時に、ここだっていうタイミングが見えるから人はアイドルを卒業するんだろうなって思いました。でも、私は違う。私は選抜を目指して、日々の活動を頑張ることを最優先していました。頭には乃木坂46のことしかありませんでした。
(中田)花奈さんが卒業する時も、「アイドルとしてやれることはすべてやったし、もう何も思い残すことはないよ」と話してくれました。それでも私はまだ「私は違う」と思っていました。乃木坂46のことが大好きだからなんでしょうね。ここにいれば楽しいですから。(『BUBKA』2022年3月号 p.18)
衛藤と北野は、学年でいうと4つ違いである。それもあって、ひかれあう部分はあったのだろうが、パーソナリティとしてはそこまで重ならないような感じを、当時あくまで筆者個人としては受けていた。ポジションでいえば福神メンバーに完全に食い込んだ衛藤と、そこまでは至らなかった北野との、外から見た印象や振る舞いの差もあったかもしれない。でも、ふたりそれぞれの卒業までの経緯をいま追ってみると、やっぱりどこか似ていたのかな、と思う。
「乃木坂46の軸」と“終活”
またしても前後してしまったが、時系列を26thシングル期に戻す。本シリーズは、このシングルが発売された、2021年初頭ごろに北野はグループからの卒業を決めたようだ、という前提に立って書かれている。これに先立つ時期、北野は26thシングルアンダーメンバーとして、グループとしては約10か月ぶりの有観客公演となる「アンダーライブ2020」(2020年12月18-20日)に出演し、パフォーマンスやMCなど、さまざまな面でこのライブを引っ張っていた。
そこからは、期別ライブを含めた「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」の時期があり、「アンダーライブ2021」(2021年5月26日)があった。6月の松村沙友理の卒業コンサートから有観客公演が再開され、7月には2年ぶりの全国ツアーが始まることになる。大きなライブが次々に続いていく状況のなか、期別ライブが成功裏に終えられたあとに設定された「アンダーライブ2021」においては、チームがまとまってパフォーマンスに向かっていくのが困難な状況があったことが北野によって明かされている。
アンダーライブは、同期の山崎怜奈さんが初の座長を務めました。
「実は私たち、ライブ前日のリハで演出家さんにめちゃ怒られたんです。それぐらい、良くなかった。自分自身、どこに向かって何を目指せばいいのか分からなかったし、何よりメンバーの熱量がバラバラでした。きっとみんな、それぞれの期のライブが良かったからこそ、1期2期3期のメンバーが集まったアンダーライブで何をどう見せればいいんだろうって、悩んでいたと思います。特に3期は期別ライブからそんなに時間が経っていなかったし、1期も2期もいい期別ライブをしたら、じゃあアンダーライブではどうするべきなのかって。だから、熱量がバラバラでも仕方なかったというか」。(『B.L.T.』2021年8月号 p.112)
これに対してメンバーは全員で話し合いを行い、北野は「みんなの熱量が合ってないから、目指す方向を一緒にしよう」と伝えたという。「ちま(樋口日奈)がいないだけで、前回のアンダーライブ(去年12月開催)とほぼ同じメンバーなのに、できないのはおかしいよ。できるんだから」とメンバーを鼓舞し、結果的には「できうる限りのライブができた」という(『B.L.T.』2021年8月号 p.112)。また、ライブ序盤のVTRのなかでは、北野は5か月ぶりのアンダーライブに向けた意気込みとして「自分の成長のレベルは最高まできている」とした上で「自分が成長するというよりも、みんなを支えたい」と言い切った。
「(前略)……いろんな人と話していて思ったのは、私は“一生懸命がんばる場所”がないと生きていけない人間なんだなってことなんです。今の私は選抜メンバーにもこだわらなくなったし、本気で乃木坂のみんなを支える存在になりたいと思っているので、その意味でも新しく自分が“一生懸命がんばる場所”を探したい。そんな25歳の1年にしたいです。実は、去年のアンダーライブの時も、『みんなを支える存在になりたい』って言っていたんです。でも、今考えるとそれは本当の本心じゃなかった。選抜に選ばれなくて、アンダーメンバーとしてライブに出る自分に対する言い訳にして強がるために、自分を守るために『みんなを支えたい』って言っていたんです。でも、今は本当に心から『みんなを支えたい』と思っています。意識しなくても、自然にメンバーを支えるような行動をしていることに気づいてから、今の私は心からみんなを支えたいって思っているんだなって感じました」。
(『B.L.T.』2021年8月号 p.113)
この頃、北野は別のインタビューで、「この先ずっとここにいるわけではないと思っています」とし、「私のアイドル人生の折り返し地点は過ぎていて、“終活”も意識しながら活動していくべきだなって」(『アップトゥボーイ』2021年9月号 p.43)とも語っている。卒業コンサートで29thアンダーメンバーとステージをともにすることにはなるが、アンダーライブに出演したのはこのときが最後となった。“リーダー”和田まあやを支え、アンダーセンター山崎怜奈を盛り立て、最後のライブとなる伊藤純奈と渡辺みり愛を送り出した。27thアンダーメンバーとして役割は十二分に果たしたように見えるが、それだけではない。このときの北野にとって、「みんなを支える」とは、「自分がいままでしてきた経験を、後輩たちにしっかりと伝えること」であったという。
具体的に「支える」とは?
「自分がいままでしてきた経験を、後輩たちにしっかりと伝えることです。私は、選抜も経験しているし、アンダーも経験しているし、その中で悔しかったり、うれしかったり、迷ったり悩んだり、誰よりもいろんな感情を経験してきたと自分では思っています。でも、だからこそ私からしか伝えられないことがあるんじゃないかなって思うんです。そう考えるようになってから、これからは自分を見せるために乃木坂にいるんじゃなくて、これからの乃木坂を作ってくれる、みんなが楽しく、一生懸命活動していけるように、自分が経験したことを伝えていくのが私の役割じゃないかなって」。(『B.L.T.』2021年8月号 p.113)
後輩に伝えるべきことを伝えていく。それは北野がずっと繰り返してきたことだが、どちらかというとこれまでは、「(一期生に教わったことを)三期生、四期生に伝えていけたら」(『アップトゥボーイ』2019年10月号 p.25)、「1期生のあり方を一番近くで見てきた後輩として、3期生や4期生に懸け橋として伝えていきたい」(日刊スポーツ「坂道の火曜日」2020年7月7日号)というように、「先輩がいて後輩がいて、その間にいる2期生としての自分」のようなニュアンスがで表現されることが多かったように思う。しかしこの頃には微妙に変わり、純粋に「自分が経験したこと」を伝えていく、というニュアンスになっていたと感じる。北野はこのときのアンダーメンバーのなかでは群を抜いて選抜回数が多かった29一方、アンダーライブの歴史において背負ってきたものの重さも指折りであったといえた。これが最後かもしれない、言わないままで終われない。そんな思いもあったのだろうか、彼女はこの時期に、アンダーメンバーの3期生にメッセージを送る。
「だから先日、今アンダーにいる3期生メンバーにメッセージを送りました。アンダーメンバーとして活動することが当たり前になっていないか、悔しさが薄れていないか、と。(伊藤)純奈や(渡辺)みり愛が卒業したらアンダーは11名になります。そう遠くない未来に、4期生も合流してくるかもしれない。そのときに、この場所にいる自分を当然として受け止めてしまっていたら、そこには厳しさも進歩も生まれない。もしかしたら、アンダーライブだって、なくなっちゃうかもしれない」
(『アップトゥボーイ』2021年9月号 p.43)
アンダーメンバーであることが「今自分に求められている役割」であると理解しつつも、「アイドルでいる限り、表題曲を歌うアイドルでいたい」。そう言い切る北野に、向井葉月は「自分は選抜メンバーを目指していいんだろうか」と相談したという。グループとしては「選抜でなければ何もできない」ような時代ではもはやなくなっているし、「アンダーでもできることがある」を超えて、アンダーライブをはじめ「アンダーだからこそできることがある」とさえいえる場面もある。選抜からアンダーに移るメンバーが少なく抑えられ続けているような状況でもあるなかで、「選抜に入りたい」という、ある意味で出発点にあったはずの思いが、いつの間にか表現しにくくなっていた面もあったかもしれない。「選抜を目指す気持ちが少しでもあるなら、それを大切にして欲しい」。それは、選抜発表の場で誰よりも多く涙を流してきた北野だからこそ伝えられることだったのだろう(以上、引用部はすべて『B.L.T.』2021年8月号 p.113)。北野の卒業コンサートでは、中村麗乃が、「頑張り方がわからなかった時期」に、北野の全力で頑張っている姿に勇気づけられたといい、「こうやって頑張ればいいんだっていうのを見せてくださったのが大きくて。それだけ大きな力を与えてくださった」30と涙を流し、アンコールで3期生を代表してメッセージを送り、「いまこの場所で自信をもって頑張ればいいんだ」と北野の姿を見て思えたという阪口珠美31に、北野は「グループのなかの立場で辛いこともあっただろうし、これからももしかしたらあるかもしれない」というように寄り添ったうえで、改めて優しく励ました。
この27thシングルの体制で臨まれた「真夏の全国ツアー2021」では、ファンによる投票をもとにしたセットリストにおいて、このときの「錆びたコンパス」がアンダー曲部門の3位、北野のセンター曲「日常」が1位となり、各会場で演じられた。こうした力強い楽曲をパフォーマンスで引っ張った一方、アンダー曲部門7位であった「13日の金曜日」でも北野はセンターに立ち、7月17日の宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ公演1日目では25歳の誕生日を祝われる場面もあったなど、ポップで楽しい姿を見せる場面もあった。さらに、7月15日の大阪城ホール公演2日目では、感染症対策のために「発声禁止」で行われていた公演であったという状況をふまえて、「心の声が漏れている」という言い方で、MCにおいて発声の禁止を改めて客席に呼びかける場面もあった。7月18日の宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ公演2日目では、こうした状況をふまえて「やっぱりスティックバルーンがほしい」とアンコールのMCで発信し、翌月の愛知・日本ガイシホール公演以降は実際にスティックバルーンが導入されることになる32。力強く引っ張る姿も、明るく自由に楽しむ姿も見せながら、年長組の先輩としてグループを守る。北野のさまざまな姿が見られた夏だったし、最後の夏、後輩たちにもその背中でたくさんのものを伝えられたのではないだろうか。
「心を“はんぶんこ”」した久保史緒里
7月にメンバーとしての活動を終了した松村沙友理以降、伊藤純奈・渡辺みり愛が8月末で活動を終了し、ツアーを経て大園桃子が、東京ドーム公演を経て高山一実がグループを卒業。それに先立つ「28thSGアンダーライブ」を最終公演として寺田蘭世もグループを離れ、年が改まった2月には新内眞衣と星野みなみも卒業していった。かつてないほどのペースと長さで「卒業ラッシュ」ともいうべき時期が続いたなか、その終盤だったともいえる2022年1月31日、北野日奈子はグループからの卒業を発表する。選抜メンバーとして過ごした28thシングル期と、それに準ずる体制で臨まれたベストアルバム「Time flies」期を、まだ卒業発表をしていない状態で過ごし、メンバーとして多くのメディア露出があったことも、ある意味では北野にとっては花道のような位置づけにもなっていただろうか。
卒業発表を経て2月になると、2nd写真集『希望の方角』のプロモーションとも重なり、「乃木坂46での9年間を振り返る」ような切り口での活動が増えていくことになる。卒業までには写真集のリリースに関連した数々のインタビューや、写真集発売記念のSHOWROOM配信や「乃木坂46時間TV(第5弾)」があり、卒業コンサートを経た活動最終盤にも「猫舌SHOWROOM」や活動最終日のSHOWROOM配信など、さまざまな機会があったが、そうした場に立ち会う機会があったのが、後輩としては最も距離が近かった(そして、それをはっきりと表に出してきた)といえる久保史緒里であった。北野は久保がレギュラー配信を行っている「乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂」の2022年2月26日の回に出演したほか、ゲームアプリ「乃木恋」6周年を記念したYouTube動画「君がいるから僕はここを好きになる」(前編:3月16日配信・後編:3月17日配信)に出演し、それぞれふたりで思い出を振り返るような形がとられた。
この間、北野によって数々語られてきた9年間の記憶のなかで、筆者が最も驚いたというか、初知りだった情報として記憶に刻まれているのが、「乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂」の「エピソードクイズ」のコーナーで北野が久保に第1問として出題した、「しーちゃんに初めてちゃんと話しかけてもらえたのはいつでしょう! どこでしょう!」の答えであった。久保が見事に正解したその答えは、「2017年の全国ツアーでゼビオアリーナ仙台」。「期別ライブ」の明治神宮野球場公演があったのち、「逃げ水」で大園桃子と与田祐希がグループのセンターに立ったあの夏。あの「アンダー」の初披露の場で、あの北野から笑顔が消えた、あのゼビオアリーナ仙台。そのリハーサル中のことだったという。
この夏の詳細については改めて別に書くつもりなのでそちらに譲るが、このときから北野と久保の関係が始まっていたとは、筆者はまったく思っていなかった。このエピソードは本人たちしか知らない出来事として選ばれたものというから当然といえば当然なのだが、本人すら「先輩大好き人間だから後輩が入ってくることに抵抗があった」「いちばん心を開くのが遅かったんじゃないか」(「君がいるから僕はここを好きになる」後編)と語るような雰囲気であった北野は、その時点では前述したように大園桃子と打ち解けていたくらいで、ほかの3期生との関係はそこまでうかがえなかったように思う。
北野「そうだね、リハーサル中だった」
久保「場所まで覚えてますよ、ケータリングに行く途中の階段ですよね」
北野「そうですそうです、4段くらいしかない階段の。懐かしい……あの下から2段目に座ってて。懐かしい、本当にね、支えられましたよ」
久保「こちらですよ」
北野「こちらですよ!」
久保「なんか、不思議なんですよ。あのとき、なんで私話したことないのに日奈子さんの隣に行ったんだろう」
北野「すごいね。しかもさ、リハーサル中でしーちゃんも日奈子も出番じゃないときだったけど。あんなとこに、日奈子さ、人が通らないと思っているわけだから」
久保「そうですよね」
北野「なんで来たの?」
久保「わからないんですよ。しかもしゃべったことないし先輩に話しかけるの苦手だから、全然仲良くもなれてないのに、なんかわかんないけど日奈子さんの隣に私ずうずうしく座ってたんですよ」
北野「びっくりしたよね。前に来なかった? 前にしゃがんできたのよ」
久保「しゃがんできました。ずうずうしい……」
北野「嬉しかったからいいの。いやでも本当にびっくりする。すごいよ、あれは……運命だったんだよ。ふたりあの時間をともにしたからここまでの絆ができた」
久保「でもあのとき、あんまりしゃべってないんですよね」
北野「そうだよ、ただ隣にいてくれた。あれぇ……とか言いながら、何も話しかけずに隣に来てくれたんだよね」(2022年2月26日「乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂」[0:38ごろから])
これ以上のことは語られなかったが、「君がいるから僕はここを好きになる」後編では「日奈子の大変なときにいちばん最初に声をかけてくれたのがしーちゃんだった」とも語られており、何気ない日常の場面ではなく、苦しみを抱えてたたずんでいる北野に久保が寄り添った形であったことは疑いないように思う33。もとより不調を自覚していたという北野だが、1年ぶりにアンダーメンバーとなり、そこにあてがわれた初めてのセンター曲「アンダー」の初披露を前に、ともにセンターに立つはずだった中元日芽香がグループからの卒業を発表し、その場所にひとりで立つことになった34。因果を断定するような言い方はされていないことに留意したいが、背景としてはそのようなタイミングであった。
北野の休業中にあたる20thシングルにおいて、久保は2列目のポジションで初選抜となる。18thシングルから1シングル空いたこのときに、本格的に3期生がアンダーを含めたフォーメーションに合流した形となった。しかし21stシングルの選抜発表の放送前日にあたる2018年6月30日、久保が体調不良により「真夏の全国ツアー2018」の全公演を欠席し、このシングルに参加しないことが発表される35。「真夏の全国ツアー2018」からフルでライブに復帰した北野とは、ほぼ入れ替わりのような形になった。北野はこうした経緯のあった時期について、「お互いの大変なときに寄り添いあって」(「君がいるから僕はここを好きになる」後編)と表現している。体調不良を理由にした一定期間の活動休止(休業)を公式にアナウンスする例は当時まだ珍しかったという感覚があり、当該時期のシングルへの不参加という形がとられたのは、乃木坂46では17thシングルでの中元日芽香が最初であった。その中元が、活動に一度は復帰しながらも再び体調不良を理由にグループを離れ、卒業に至ったことが、記憶として色濃かった時期だっただろうか。北野も久保も、休業することにも復帰することにも、かなりの勇気を要したことだろう。心の距離が近いメンバーと思いを分かち合えたことは、きっと大きかったはずだ。
久保は「真夏の全国ツアー2018」千秋楽、ひとめぼれスタジアム宮城公演2日目(2018年9月2日)のアンコールでステージに復帰。22ndシングルに参加するかどうかは体調面から迷いがあったというが、相談をもちかけた北野が「でも私はしーちゃんと活動したい」と応じたことがきっかけとなり、「日奈子さんがいるから戻れる」と22ndシングルへの参加を決めたという(「乃木坂46時間TV(第4弾)」1日目[2020年6月19日]北野・久保ツーショットトーク)。久保にとっては(現状)キャリア唯一のアンダーとしてこのシングルに参加することになり、アンダーセンターを務めた北野とともに「日常」のオリジナルメンバーとなる。2018年12月19-20日には「アンダーライブ全国ツアー2018 〜関東シリーズ〜」として、東京・武蔵野の森総合スポーツプラザで行われたアンダーライブに参加することになった。
「選抜メンバーからアンダーメンバーに移るタイミングで初めてのアンダーライブを経験する」というのはかなり例外的な事象であり、12thシングル/アンダーライブ4thシーズンの際の堀未央奈以来(厳密にいえば、久保は活動休止の21stシングルを挟んでいるが)であった36。のぎ動画「久保チャンネル #16 アンダーライブ全国ツアー2018 ~関東シリーズ~ 中編」(2021年9月24日配信開始)では、両名によってこのときのことが語られているが、久保にとってはほぼ全曲を振り入れするところからスタートで、「休業明けで、ここに参加することに対して、ほとんどダンスも知らないし、よく思う人が圧倒的に少ないだろうなって気持ちから入って」という部分もあったという。堀がアンダーライブに合流したときについて、北野は「やっぱり、いろいろ思うメンバーもいるわけで」と口にするなど、立ち位置的に難しいこともあったと明かす。しかし、「アンダーライブで(乃木坂に)入った人間」37と自認する久保の思いや姿勢が、彼女をチームに自然に溶け込ませたようである。
——久保さんはあのライブ(編註:アンダーライブ東北シリーズ)を観てグループに入ることを決意したんですよね。
久保 そうです。その時にちょうど3期生募集が発表されていて。中3ってこともあり進路の問題もあったので乃木坂46を受けるかどうか悩んでいた時期で。そんな時に初めて行ったライブが「アンダーライブ東北シリーズ」だったんです。私、夢を追いかけてる人が好きなんですよ。何かに夢中になってる人、それを言葉じゃなくて何かで表現してる人ってキラキラして見えるじゃないですか。あの時のメンバーがまさにそれだったので感動しちゃったんです。
——特に覚えている先輩とかいます?
久保 その時サイリウムカラーが(北野)日奈子さんだったんです。日奈子さんのグッズも買いました(笑)。(『BUBKA』2018年3月号 p.20)
このときのライブを高いレベルで完遂した22ndアンダーメンバーたち。「久保チャンネル」では、北野も久保も自賛が止まらなかった。このときに初披露であった「日常」は、これ以降アンダー曲の代表格としてライブで演じられる機会が多くなり、ファンからもメンバーからも高い人気を獲得していくことになる。次の23rdシングルで北野はキャリア唯一の福神メンバー入りを果たし、久保も同じ2列目で選抜に復帰する38。同じ思いを分かちあった北野とともに、体調面の不安を寄り切り、再び駆け出していくような形となったが、久保にとってもうひとつ、このときのアンダーライブは大きな意味があったということが語られている。
久保「(自分にとって印象に残っているライブは)正直ほんとに、これ日奈子さんだからとかじゃなくて、2018年の武蔵野の森のアンダーライブ。でも私、あれがあったから、ライブで歌わせていただく機会が増えたんですよ」
北野「えー、もともと上手だったからあのときも歌ったんだよ」
久保「ううん、だけどそれまでって、なんかそれこそ最初の3期生ライブでソロで歌わせていただくパートとかはあったんですけど、正直それってレッスンを見て決めていただいただけだから、ファンの人の声とかで決まったわけではなかった。自分の実力が認められたわけじゃないなってずっと思ってて。でも2018年に伊藤かりんさんと伊藤純奈さんに支えてもらって、あそこからライブでソロで歌わせていただく機会がめっちゃ増えたなって思いますし、あとは……ほんとに楽しかった」
北野「良かったよねえ……」
アンダーライブでは恒例となっている、通称“お歌のコーナー”。このときは、すでにアンダーライブではその歌唱力に定評のあった伊藤かりん・伊藤純奈とともに、久保は「私のために 誰かのために」を歌唱する。久保はすでに歌唱力の高いイメージはあったし、その後の活躍は言をまたないが、このとき、このパフォーマンスを終えたときが、「もっと突き詰めたい」「もっと行ける」と、歌について「自分の中で向上心が芽生えた瞬間」だったという(『BUBKA』2018年3月号 p.20)。なお、このときの『BUBKA』2018年3月号では「乃木坂46ファンが選ぶアンダーライブ名シーンBEST10」(p.50-51)という特集が組まれ、この「私のために 誰かのために」がTwitterによるファン投票で1位を獲得する39。この投票は2019年1月に行われており、直近のライブのシーンが1位となるというのはある意味わかりやすい結果でもあるのだが、それだけの力のあるパフォーマンスで、このライブのハイライトシーンにもなっていたと称することもできるだろう。
23rdシングル以降の約1年間にわたり、北野と久保はともに選抜メンバーとして活動していくことになるが、2020年2月の終わりごろ、ちょうど「8th YEAR BIRTYDAY LIVE」(2020年2月21-24日)を終えた直後から、新型コロナウイルス感染症の世界的な広がりが顕著になり、いわゆる「自粛期間」に入っていくことになる。人を集めるイベントは「不要不急」で「密」な存在として遠ざけられることとなり、「『乃木坂46のオールナイトニッポン』presents 乃木坂46 2期生ライブ」の中止を皮切りに、グループは厳しい状況に突き当たっていく。しかしこの直前の時期に、ふたりにとってひとつの転機と称してもいいような、そんな瞬間が訪れていたという。2年ほど前、「真夏の全国ツアー2018」千秋楽でステージに復帰したとき、北野にあてて書いていたという手紙。それをふいに渡した数日後、夜中に電話をかけて、久保は北野に悩みを打ち明けたという。
「私としーちゃんって、なんかこう難しい人間なんですよね(笑)。そういう部分で共通点がたくさんあって。なんかその1時間、電話で話した時、どんな言葉をかけても、しーちゃんは悩みに悩んでいるんです。私からすると、しーちゃんのその悩みは、なんて言うんだろう……自分でより難しくしているというか。でも分かるんですよ。人からしたら、大したことないことでも、どんどん気にしていくっていうのは。私もそうだから、しーちゃんのつらさがすごく共感できて、すごく伝わってきて……。それはきっと、私の中にも同じ感情があるからで、その電話の時、私としーちゃんは、心を“はんぶんこ”にした存在なんだっていう気がしたんですよね」。
(『B.L.T.』2020年7月号 p.11)
「この子は、自分だ」というように後輩に対して思う、というのは、衛藤が北野に対して向けていたまなざしが想起されるエピソードでもある。それを「心を“はんぶんこ”」とまとめるのは、近しい人々と心の温度を合わせるのが上手な北野らしいセンスであるように思えた。
この『B.L.T.』2020年7月号は、「自粛」のもとで撮影や取材がストップした状況下において、リモート取材でアイドルを中心とする女性芸能人31人に近況を聞くという企画であった。発売日は5月23日で、「ステイホーム」の社会的要請が最も強かった時期のものであるといえる。北野はこの時間を利用して自分が過去に感情を書き残していたメモを読み返していたといい、「この2〜3年分くらい」は、「自分のことというよりも、周りの誰かのことで気づいたことのメモのほうが多くなって」おり、そのなかで「ダントツで多かったのが、しーちゃん(久保史緒里)でした(笑)」と語っている。そして、それをまとめて歌詞のようにしたが、久保にいつか届けることがあるとして、それは2年後とかかもしれない、とも。
自粛期間が明けたらしたいことを尋ねられ、「まず、早くメンバーに会いたい」「夢に見るほどメンバーに会いたい」と答えた北野。この期間が明けて最初のメンバーとの仕事が、「乃木坂46時間TV(第4弾)」(2020年6月19-21日)であったという。「はなれてたって、ぼくらはいっしょ!」と題されたこの配信の1日目、メンバーによるツーショットトークコーナーの1組目で、「期の垣根を超えた相思相愛のふたり」として、ファンから寄せられた組み合わせとして設定されたのが、北野と久保によるトークであった。今日に至るまで幾度となく見る機会のあった、あのハイテンションな感じで画面に登場したかと思うと、先にも引いた、久保が北野の後押しで22ndシングルからの活動復帰を決めたというエピソードを話しているうちに、ふたりして泣きだしてしまう。最後には「心を“はんぶんこ”」の概念が突然登場したところでコーナーは締められる。社会全体が分厚い不安の雲に包まれるなか、活動が止まってできることもなくナイーブになっていたメンバーの心のありようと、それを上回る北野と久保の紐帯がうかがえたシーンであった。
現在に至るまで「完全に元通り」とはいえる状況ではないが、この時期以降少しずつ活動は再スタートしていくことになる。「乃木坂46時間TV(第4弾)」でも、上記のツーショットトークのほか、お互いがお互いの「乃木坂電視台」に登場する、のぎ動画の同名番組の原形となるコーナー「久保チャンネル」にも北野が登場するなど、3日間を通して近い距離での配信となったふたりであったが、その流れをそのままに、3か月ぶりに配信が再開した2020年6月29日の「乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂」にもゲストとして北野が登場。お互いのことや「乃木坂46時間TV」のことを語り合ったほか、配信終盤のスクショタイムでは「ふたりに共通してあるのはひめたんが大好きということ」「ひめたんがいて私たちふたりがある」として、カメラに向かって「びーむ」を送った。
全国ツアーが行われなかったこの夏、グループとしては配信ライブもまだない状況であったが、配信シングル「Route 246」のリリースがあり、音楽番組でのパフォーマンスが再開していく。この作品にも北野と久保は歌唱メンバーとして揃って参加し、ともに活動していくことになるが、その直後の時期にあたる9月に、メンバーに向けて26thシングルの選抜発表が行われ40、久保が初めてフロントメンバーに選ばれる一方、北野は選抜メンバーから外れる形となった。この時期を北野は「なんか心の距離があったなって思う」(「君がいるから僕はここを好きになる」後編)としているが、一方で、ここまででも幾度も引いてきた「乃木坂46の軸になりたい」と表明された『EX大衆』2020年12月号では41、「しーちゃんにずっと言いたかった。『好きなことしていいから、なんでも言って。背中を支えるから』って」と、エールが送られてもいる。これを受けて久保は「『こんなに思ってくれる先輩がいる以上、まだまだやらなきゃいけない』と感じました」(以上の引用部はすべてp.16)と口にしたが、さらに最後に、このようなことを語ってもいた。
——そうですよ。プレッシャーに感じたら申し訳ないけど、乃木坂46を体現してきた中元日芽香さんも井上小百合さんも中田花奈さんも卒業する時に久保さんに想いを託したんですから。
久保 名前を挙げてくださった先輩たちに感謝してます。最近、思い出して申し訳なくなったのが、みさ先輩が新幹線の移動時間を丸々使って私の話を聞いてくださったことで。あの時、「自己肯定感が低すぎるよ。もっと自信を持ちなさい」と言われたのに、変われた姿を見せられないまま卒業されてしまって……。そんな日はきてほしくないけど、日奈子さんが卒業される時には変わっていたいです。いま約束します。
北野 頼もしいよ、しーちゃん。(『EX大衆』2020年12月号 p.16)
久保の言葉は、北野が卒業する白石麻衣に送った「白石さんの小さく震える手をいつか握り返せるように、強くなりたいと思っています」のメッセージにも重なる。先輩から後輩へ、連鎖する「乃木坂46」のありさまが感じられるインタビューであった。明けて2021年1月のシングル発売以降、特に頼もしくグループを担っていく形となった3期生の活躍は顕著となる。10か月ぶりのCDシングルと無観客でのバースデーライブという重要な局面にあったグループを山下美月が先頭で引っ張る。山下は時流に乗った「あざとい」役柄でテレビドラマでも活躍し、「オールスター感謝祭」では個人総合優勝を果たすなど、この時期以降スター性をいかんなく発揮するようになっていく。選抜発表に前後して写真集『夢の近く』を発売した梅澤美波は、3期生のまとめ役からグループのまとめ役へと成長し、この年の終わりには副キャプテンへと就任。名実ともにグループを支える存在となっていく。
そして久保も、2021年4月期には初主演ドラマ「クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術」が放送、6月には舞台「夜は短し歩けよ乙女」でヒロインを務め、2022年11月公開の初出演・初主演映画「左様なら今晩は」の撮影もこの時期に経験するなど、俳優としての仕事を積み重ねていく一方で、この年以降バラエティ番組への単独出演もみられるようになり、翌年には新内眞衣から「乃木坂46のオールナイトニッポン」のパーソナリティを引き継ぐことにもなる。武器としてきた歌唱力も、「乃木坂スター誕生!2」へのゲスト出演や、生田絵梨花・賀喜遥香とのユニット曲「やさしいだけなら」(28thシングル所収)での「THE FIRST TAKE」出演など、グループのなかで常にフォーカスされ続けた。2017年より専属モデルを務めている「Seventeen」も含め、「これが乃木坂46」といえるものをすべて集めたような活躍を続けている。
卒業を発表した直後、2022年2月8日の2nd写真集発売を記念したSHOWROOM配信(2日目)において、北野は「しーちゃんの涙を見る機会が減ったことが、卒業を決めたたくさんの理由のうちのひとつ」であったと口にした。日を追うごとに頼もしさを増していく、久保をはじめとする後輩の姿。“卒業”を胸に抱えて活動していた北野の約1年間は、それを万感の思いをもって見届けていく日々でもあったかもしれない。「日奈子さんが卒業される時には変わっていたい」。久保はきっとその約束を守ったのだと思うし、その約束が守られるまで、北野はグループにいたのだとも思う。
北野「でも、なんか、この2年くらい? 日奈子が「僕僕」で選抜落ちして、しーちゃんがフロントに立っているときに、なんかこう、心の距離があったなって思うのね。その期間があって、しーちゃんをちょっと遠くの存在に感じてたからこそ、また一緒にいる時間が最近増えてきて、気づいたのが、ほんとにしーちゃん、泣かなくなったなあって思う。ほんとに心から強くなったなあって思うし、ほんとに安心する。しーちゃんだけが気がかりだったから。
急に離れて、支えてたはずなのに、その手を離してしまうことがすごい気がかりだったけど、今日一日一緒にいて、たくさん笑ってるのをそばで見て、グループに対しての愛も人一倍深い人だし、だから今日、しーちゃんのその強くなった姿を実感できたのと、相変わらず仲良しでいられた一日を過ごして、本当に幸せな一日でした。」
北野の卒業コンサートは29thアンダーメンバーとともに演じられたため、そのステージに久保は立っていなかった。当日の2022年3月24日、久保が「乃木坂46メッセージ」で発信したのは、「君がいるから僕はここを好きになる」のときに撮影された北野との写真1枚のみであった。北野がグループを離れたあとの2022年5月15日、日産スタジアムで行われた「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」2日目では、久保がセンターに立って「日常」を披露する。センターを務めるにあたっては連絡を取り、北野からの思いを聞いたエピソードが「乃木坂工事中」で明かされてもいたが、北野は当日会場には赴かなかったという。あの夏のゼビオアリーナ仙台に始まり、ふたりが「運命」と呼んだ、「心を“はんぶんこ”」した絆。そのときどきで距離感はさまざまでも、改めて前のめりになって確かめるまでもなく、それは当たり前のようにそこにあるのだろう。
未来につなぎ、未来をつくる
グループ卒業後の北野についてこのような書き方をしてしまうと、卒業を機に一定の距離を保つようになったような印象を与えてしまうかもしれないが、筆者としてはそのようには感じておらず、むしろ卒業後も割と現役メンバーとのかかわりについて語られることが多いような印象を受ける。卒業後間もない時期から、舞台「蒲田行進曲完結編 銀ちゃんが逝く」(2022年7月8-18日)、ドラマ「少年のアビス」への出演などがあり、これらと関連する形で取材を受ける機会が多い北野だったが、そのなかのひとつではこのように語っている。
——4月30日に乃木坂46を卒業されました。卒業を実感することはありますか?
これこそ今日のチェキとか! 意識していないと、サインに「乃木坂46」って書いてしまうんです。それから9年在籍していたので、「選抜発表がこのくらいの時期にあるんだろうな」っていうのもなんとなくわかって。そういう時期になるとメンバーのブログを見にいって、落ち込んでいそうなコに「ご飯行こうよ」と声をかけたりしています。メンバーのことは今でも大好きなので、よりアンテナをビンビンに張って気にするようにしています。
——特に気にかけている後輩はいますか。
4期生だと柴田柚菜ちゃんが慕ってくれていて、5期生だと奥田いろはちゃんが加入前から好きでいてくれたみたいで。2人ともツアーのリハ中で凄く忙しいと思うんですけど、合間を縫って同じ日に舞台に来てくれて、本当にかわいいなって思いました。それから個人的に気にかけているのは3期生の阪口珠美ちゃん。乃木坂愛もあれば、パフォーマンスの表現力もある本当に素敵なコなんです。どうにかたま(阪口珠美)が報われてほしいというか。私もつらい環境を行ったり来たりしてきたので、たまにはそういう思いをしてほしくないなって思います。(『FLASHスペシャル グラビアBEST』2022年初秋号[2022年8月29日発売]p.23)
柴田柚菜は4期生のなかでは特に北野と距離の近いメンバーで、「乃木坂配信中」にともに登場した際にはその一端を見てとることができた。千葉県に実家があるという共通点があるが、どうやらかなり近いエリアに位置しているようでもあり、家族で飼っている犬を溺愛しているという点でも重なる。柴田は28thシングルではアンダーメンバーに合流したが、北野がソロ曲のみの参加となった、所属当時最後のリリース作品であった29thシングルで選抜入り。30thシングルでも引き続き選抜メンバーとして活動している42。
卒業を知ったとき、本当にショックでした。でも卒業されるタイミングで私が選抜に入ることができて、安心して卒業できる、というようなことを言ってくださって、すごく頑張ろうと思いました。卒業されてからも連絡を取ったりお会いしたりするなど交流はあって、お話するたびに頑張ろうって思わせてくれます。
(モデルプレス「乃木坂46柴田柚菜インタビュー『スタイルキープ法』『悲しみの乗り越え方』『先輩・北野日奈子の存在』など」[2022年9月12日配信])
5期生の奥田いろはとは、北野はともに活動する機会がほとんどなかったことになるが、奥田が北野を推しメンと公言して加入してきたこともあり、在籍中からコミュニケーションをとっていたようである。「乃木坂46の『の』」に初登場した際(#479、文化放送では2022年6月12日放送)にもその旨を口にしていた奥田だが、「ゆっくりと咲く花」を知ったのが北野の卒業コンサートにおいてであった、という点に、筆者にはやや驚きがあった。ネガティブな意味ではなく、「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」(2020年3月8日)での初披露のときには奥田はまだ中学生であり、無理もない話である43。筆者はストーリーとしての「北野日奈子」を追いかけてきた経緯が重すぎて、もはや北野がどのような第一印象をもって受け止められるアイドルであるか評価できなくなっているのだが、そんな風に若い世代のメンバーにも北野のたたずまいが刺さっていたということが純粋に嬉しかった。
奥田は「10th YEAR BIRTHDAY LIVE」の直前に行われた生配信「乃木坂46分TV」において、北野のサイリウムカラー(黄緑×ピンク)を引き継ぐことを発表する。「日奈子ちゃんが乃木坂に導いてくれたので、その思いを忘れないように」と語るまっすぐさが眩しいくらいであった。黄緑×ピンクは歴代メンバーの誰とも被ってこなかった組み合わせで、北野の卒業コンサートのロゴでも用いられるなど、グループのなかでは一貫して「北野の色」として扱われてきた。もともと北野の好きな色であったといい、長らく愛着を表現してきたものでもあったが、卒業後に開設されたオフィシャルサイト「ヒナコイロ」には本人の希望であえて用いないこととしたといい、北野自身としても、黄緑×ピンクは「奥田の色」として引き継いだものとして説明された(2022年6月28日のインスタライブ)。
阪口珠美に対しては、北野は自身の卒業コンサートで「グループのなかの立場でつらいこともあっただろうし、これからももしかしたらあるかもしれない」と寄り添ったというのは前述した通りで、26thシングルでのアンダーセンターを隣のポジションで支えたという経緯もあり、代打で音楽番組に出演することは非常に多いものの、選抜メンバーとして活動したのは23rdシングルのみであるという状況である阪口のポジションに関しては、相当に気にかけている様子である。北野は『希望の方角』のインタビューでも、「私が気がかりなのは、アンダーの3期生です。」「諦めてほしくないです。」と語り、27thシングル期に発信したというメッセージに重なる内容を改めて語ってもいた。「たぶん、いちばん選抜とアンダーを行ったり来たりしたんじゃないかな」(『FLASHスペシャル グラビアBEST』2022年初秋号[2022年8月29日発売]p.23)と自認する北野。自分にしか発信できないメッセージを送るという形でも、後輩に対する愛情を表現している。
──今後の乃木坂46や後輩メンバーに期待することは?
北野 4年前くらいから私にも先輩としての意識が芽生えて、後輩たちに対して「乃木坂らしさってこういうことなんだよ」と教えていたんですけど、いくら伝えても人が違うから違う色になってしまって。その違和感に悩んだ時期もあります。でも後輩が自分たちなりに一生懸命グループのために取り組む姿を見ているうちに、「乃木坂らしさはもちろん大事だけど、ありのまま自分らしく頑張ることが一番美しくてかっこいいんだ!」と教わりました。後輩のみんなにはこれからも自分の感情を大事にして、自分を素直に表現しながら楽しく過ごしてほしいなと思います。
(ENTAME next「乃木坂46 北野日奈子、グループへの想いと後輩に託すメッセージ『来世もここで皆さんと出会いたい』」[2022年2月8日配信])
現在も続く「乃木坂46」とのかかわりは、現役メンバーや、同期を中心に距離の近かったメンバーに限ったものではない。ドラマ「少年のアビス」では、2014-15年に約1年間乃木坂46に兼任の形で在籍した松井玲奈との共演があった。「憧れのアイドルである玲奈さんの記憶のなかに私がいたことがうれしかった」と北野は語る44。卒業後も、事務所の移籍を経ながら、間髪入れずにさまざまな活動に取り組んでいる北野だが、いまのところ軸足は俳優業にあるように見える。それは、最初期には先輩メンバーを中心に、乃木坂46が切り拓いてきた道でもあった。現役メンバーと卒業メンバーを含めた、総体としての「乃木坂46」。北野はこれからも、そこで輝いていくのだろう。
例によって長くなったし、思ったより時間もかけてしまった。「先輩」と「後輩」を切り口に、おおまかには時系列をたどりつつではあったが、メンバーごとのオムニバスのような形式となり、読みにくい構成であったかもしれない。網羅しきれなかったメンバーとの関係も多々あると思うし、その点については気がかりとして残っているが、ひとまずは1本の記事として書き切ることができてほっとしている。
「ポジション」「同期」「先輩・後輩」と書いてきたここまでで、北野のキャリア全体を対象に時系列で書くような記事はひと区切りである。次回は、卒業を控えた時期に発売された2nd写真集『希望の方角』や、最初で最後のソロ曲「忘れないといいな」をはじめ、メンバーとしてのキャリアの終盤において北野が自らの活動や思い出を振り返ったものについてまとめていくことにする。グループやメンバー、作品についての愛情が深い北野だが、特異なポジションに立ち続けてきた経緯もあり、その内容も個性が現れたものとなった。ひとまとめにして振り返ることで、彼女を形づくったものを改めて見いだしていきたいと思う。
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- 6thシングルの選抜メンバーは、2013年4月20日の京都パルスプラザでの全国握手会で公表され、選抜発表の模様は4月21日の「乃木坂って、どこ?」#80で放送されている。2期生にとって、これらはオーディション合格とお披露目の間の時期にあたる。
- なお、以下の引用部で紹介されている2018年12月21日の「ミュージックステーション」とは、「シンクロニシティ」と「気づいたら片想い」を披露した「Mステスーパーライブ2018」である。厳密にいえば、北野が休業を経て初めて出演したMステは2018年5月11日放送の回(「生駒卒業後新体制・フルメンバー42人」で出演して「シンクロニシティ」を披露)であるが、4月22日の「生駒里奈卒業コンサート」への一部出演など、徐々に活動に復帰していった時期の出来事であった。その次のMステ出演が「Mステスーパーライブ2018」となるが、このときは選抜扱いのポジションで出演しており、北野(および白石)の言い方は、感覚的にはしっくりくる。
- 当該記事は欅坂46(当時)・菅井友香との対談であり、菅井が2期生の加入間もない時期であった欅坂46のキャプテンとして、「どうやって仲良くやってきたのかなって」と桜井に尋ねた際の返答である。菅井は当時の欅坂46・1期生について「前向きに受け止める子もいれば、やっぱりまだ整理がつかないっていう子もいて」としている。ただ、欅坂46については1期生の「全員選抜」の状況が変わっていこうとしている、という面も多分に含んだコメントであり、乃木坂46とは事情が異なる面もある。
- 齋藤飛鳥がアンダーメンバーとして活動したシングルは、2nd・3rd・5th・6th・8th・9th・10thで、以降は全シングルで選抜メンバーとなっている。初めて福神のポジションに立ったのは13thシングルのときのことで(以降外れたことはない)、この当時は選抜の3列目とアンダーを行ったり来たりしていたような形であった。
- あるいは、齋藤飛鳥は3期生でいえば梅澤美波、4期生でいえば田村真佑・弓木奈於と同学年でもある。同学年の後輩メンバーとのかかわりを見ていくと彼女の存在感が大きくなっていくさまが感じられるし、また、4期生(2020年加入のいわゆる「新4期生」に至るまで)に同学年のメンバーが加入してきたという事実からは、メンバーとしてのキャリアの長さと、そのスタート時の若さに畏敬の念すら抱く。
- 「楽天カード×乃木坂46 アンダーライブ」は楽天カードの新規申し込み(既会員は期間中に規定額の利用)が条件、「アンダースペシャルライブ」は全国握手券3枚での応募。
- これを象徴するものとして、のちにアンダーアルバム「僕だけの君〜Under Super Best〜」の特典映像に収載された、衛藤美彩の「ビー玉模様」(生駒里奈のソロ曲「水玉模様」を替え歌でカバーし、客席にビー玉を配る)が筆者にとっては印象深いが、これはTSUTAYA O-EASTでの「アンダースペシャルライブ」の第1公演でのことである。
- 例えば高山一実が、「3期生とか4期生は後輩ちゃんかわいいなという感じなんですけど、もう2期生は同志という感じなので……」と語っている(2019年6月23日「乃木坂工事中」#212、「改めて知って欲しい! 2期生のいいところ 後編」)。樋口日奈は、北野の卒業発表当日(これは樋口の誕生日でもあった)のブログで、北野の卒業に触れながら「2期生は後輩ちゃんと言うより、”同志”この言葉がしっくりきます。10年近く一緒に過ごしてきたメンバーの門出はやはり寂しいですね。」(樋口日奈公式ブログ 2022年1月31日「Happy birthday to me(o^^o)日奈」)と綴っている。そんな1期生について、北野も「一期生の皆さんは、私たち二期生のことは後輩というよりも“戦友”として見てくれているんです」と表現している(『アップトゥボーイ』2019年4月号 p.24)。
- 「じょしらく」自体が、11thシングルの福神メンバーを除いたメンバーからオーディションを行うという形でキャストが選ばれた舞台であった。
- 下掲の『Audition』2015年9月号のインタビューは、「じょしらく」の公演を終えたあとに収録されたものである(別ページにおいて、「じょしらく」の感想が述べられている)。
- 逆に、特に近年において、近しい後輩には「日奈子ちゃん」「ひーこちゃん」と呼ばれるようになってきたところには、そうした立ち回りだった北野の、先輩としての配慮があったようにも感じる。
- 出演メンバーは、14thアンダーメンバーに永島を加えた形であった(永島は14thシングル収録楽曲に参加していない)。
- 深川の卒業コンサートは「真夏の全国ツアー2016」に包摂される形で、2016年6月15-16日に深川の出身地である静岡県・エコパアリーナで開催された。
- 橋本奈々未の卒業発表は2016年10月19日の「乃木坂46のオールナイトニッポン」内において。センターを務めた16thシングルの選抜発表の放送は10月16日で、このシングルの発売は11月9日。MVの撮影は「9月下旬」であったとされ(参考)、これらを改めて並べてみると、「真夏の全国ツアー2016」を終えて間もないうちに「橋本の卒業と向き合う」時期に入っていったのだな、という印象をもつ。
- (先ほど3期生の話が出ましたが、募集が発表された当初は不安だとこぼしていましたよね。)「今も不安ですよ(笑)。1期生の先輩は2期の加入で免疫がついていて全然怖くないと言っていましたけど、そこを強く意識してるのは私と(寺田)蘭世くらいなのかな。……(後略)」(『グラビアザテレビジョン』vol.46[2016年7月29日発売]p.19)
- 『BOMB』2013年7月号 p.65-66「乃木坂46 2期生メンバー名鑑」による。このとき他の2期生メンバーが挙げていた名前は、伊藤かりんが桜井玲香、伊藤純奈が橋本奈々未、佐々木琴子が若月佑美、新内眞衣が深川麻衣、鈴木絢音が生駒里奈、寺田蘭世が齋藤飛鳥、西川七海が白石麻衣、堀未央奈が西野七瀬、矢田里沙子が若月佑美、山崎怜奈(※当時は崎が「たつさき」表記)が白石麻衣、米徳京花が白石麻衣、渡辺みり愛が伊藤万理華であった。また、北野は加入初期のブログでも「推しメン」として星野(および中田花奈)の名前を挙げている(研究生公式ブログ 2013年7月15日「こんこんこんばんわ ♪02」、北野日奈子公式ブログ2014年1月28日「心がじんわり」。後者は個人ブログに移行した最初の記事である)。
- 星野のアンダー時代は7th・8thシングル期であるが、7thシングル期は北野は研究生で、8thシングルでは選抜メンバーであった。
- この撮影をもって北野は活動に復帰する形であったといい、何の仕事で復帰するか検討した際、スタッフから「もしよければ北野の好きなメンバーと一緒に」と提案され、北野から名前を挙げたのが星野と相楽であったという(「君がいるから僕はここを好きになる」前編[2022年3月16日公開])。
- ただし、新型コロナウイルス感染症緊急事態宣言やまん延防止等重点措置が発出されていた期間は放送休止(再編集版による代替)やリモート出演(同時に出演するメンバーは1名のみ)の形がほぼ一貫してとられたため、星野がゲストメンバーを迎える形で放送された期間はおよそ2年間程度であった。この回も、2020年10月に番組を降板したオリエンタルラジオ・中田敦彦がリモートで出演する一方、レギュラーMCの藤森慎吾は新型コロナウイルス感染のため出演がかなわないなど、困難な状況のなかでの放送であった。
- https://www.oricon.co.jp/news/2224188/full/
- https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/152115
- これは1日目は桜井玲香、2日目は新内眞衣が担ったポジションであった。
- 『blt graph.』vol.61では、先に引用した通り「3期生が加入して最初のバースデーライブだったかな?」とされているが、3期生にとって最初のバースデーライブは「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」であり、加入直後で2日目からの出演であったこのときのことでは少なくともないと思われる。「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」も、例外的に7月に開催されたものであることや、3期生も選抜/アンダーのチームにそれぞれ合流しつつも、「3期生ブロック」がまとまって設けられる場面もあったため、「いろんな場面で抜擢された」というには少々しっくりこない部分もある。セットリストや楽曲参加メンバーについても考慮し、筆者は「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」のことであると判断している。
- ただし、「君に贈る花がない」の中元ポジションは埋められず、残るオリジナルメンバーの4人で披露された。
- ただし、「告白の順番」の若月ポジションは埋められず、残るオリジナルメンバーの3人で披露された。
- また、このときのバースデーライブでは、4期生も11人全員で卒業メンバーのソロ曲(生駒里奈の「水玉模様」、深川麻衣の「強がる蕾」、橋本奈々未の「ないものねだり」、中元日芽香の「自分のこと」)を演じるという形で、卒業メンバーのポジションを埋めていた。
- この文脈での北野による言及以外に筆者はこのエピソードについて知らないので、状況証拠があるのみであり、確実なこととはいえないことに注意されたい。このときの「せっかちなかたつむり」の歌唱メンバーはオリジナルメンバーの白石麻衣・高山一実・中田花奈・松村沙友理に加え、卒業メンバーのポジションに入ることの多い秋元真夏・新内眞衣、そして梅澤という構成であった。前年と比べると、西野七瀬のところに秋元が入り、橋本のポジションに衛藤美彩にかわって梅澤が入った形である。
- ここまでの梅澤に関するエピソードは、ここまで引用してきた記事とBlu-ray化されたライブ映像をもとに記載しているが、北野は卒業を控えた時期に『an・an』2022年2月23日号において、「7回目のバースデーライブの時だったかな?」として、ここまで述べてきた7th・8thのバースデーライブでのエピソードがないまぜになったようなことを語っている(卒業生の穴埋めを3期生がやるようになって、役割がなくなったと感じて悔しかった/しかし3期生は緊張しながらも頑張っていて、震えながら泣いている梅澤を見て求められていることが変わったと実感した/それからは、これからの乃木坂46を後輩に託して守っていってもらうために頑張るという思いで活動してきた)。筆者の読み取りに誤認があるのか、記事それぞれのまとめ方に齟齬があるのか、北野の語りに混乱があるのかは不明である。後輩が成長していくなかで北野の内面に起きていたことを大づかみにする程度で読み取っておくことにしたい(いずれにせよ、北野はこの文脈でバースデーライブについて繰り返し語っているということは確かで、彼女にとって重要な出来事が確実にそこにあったのだと思う)。
- 27thアンダーメンバーの当時における選抜回数は、北野が8回、和田まあや・鈴木絢音・寺田蘭世・佐藤楓・伊藤理々杏が2回、渡辺みり愛・阪口珠美が1回、伊藤純奈・山崎怜奈・中村麗乃・向井葉月・吉田綾乃クリスティーが0回であった。
- https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202203240001590.html
- https://mdpr.jp/music/detail/3072450
- 「発声禁止」の状況で行われた有観客公演としては、ここまでの「アンダーライブ2020」(2020年12月18-20日)および「さ~ゆ~Ready? ~さゆりんご軍団ライブ/松村沙友理 卒業コンサート~」(2021年6月22-23日)の両方でスティックバルーンが用意されていた。また、一時は有観客での開催として準備が進められていた「9th YEAR BIRTHDAY LIVE」の4期生ライブ・3期生ライブ(2021年5月8・9日)でも、スティックバルーンは作成されていたようである。その後、「真夏の全国ツアー2021」愛知・日本ガイシホール公演(8月14-15日)、マリンメッセ福岡公演(8月21-22日)、「真夏の全国ツアー2021 FINAL!」東京ドーム公演(延期を経て11月20-21日)および、年内に行われた「28thSGアンダーライブ」(10月26-28日)と「生田絵梨花卒業コンサート」(12月14-15日)までにおいて、スティックバルーンが用意された。ほとんどの観客はペンライトを手に持ち、それが客席の風景として重要なものとなっている乃木坂46のライブにあって、スティックバルーンはそこまで積極的に演出で活用されるような場面もみられなかったが、目に見える「発声禁止」の呼びかけツールとして機能していたような印象である。グッズは通販での購入が促進され、ライブの有料配信が行われる機会も増えた状況にあって、「現地でライブを見たこと」の記念品ともなっていただろうか。
- 「乃木坂46時間TV(第4弾)」でも、北野と久保のツーショットトーク後のスタジオ(1日目、2020年6月19日)にて、北野は久保と仲良くなったきっかけについて高山一実に尋ねられ、「しーちゃんが私が落ち込んでいるときに話しかけてくれたのがきっかけでした」「私が階段で落ち込んでいるときに話しかけてくれて」と答えているが、それがこのときだったということのようだ。
- 「真夏の全国ツアー2017」宮城・ゼビオアリーナ仙台公演は2017年8月11-13日に行われた(12日・土曜が昼夜2公演で、計4公演)。中元日芽香の卒業発表はその前週、8月6日の「らじらー!サンデー」においてなされ、ライブの休演もこのときに告知された。
- 公式サイトには、その他の活動については体調を考慮しながら続ける旨があわせて記載されたが、久保はこの期間を「休業」と表現している(『Seventeen』の撮影に参加した程度だったのだろうか)。
- これ以降も例はないが、「同期メンバーと異なるタイミングでひとりアンダーライブに合流する」という点に限れば、舞台出演のために20thシングル時の中部シリーズ(3期生合流のタイミング)に出演しなかった伊藤理々杏が21stシングル時の北海道シリーズに参加、学業のために「28thSGアンダーライブ」(いわゆる「新4期生」を含む4期生合流のタイミング)に出演しなかった黒見明香が「29thSGアンダーライブ」に参加、という例がある。
- 久保は14thシングルアンダーメンバーによる「アンダーライブ全国ツアー2016 〜東北シリーズ〜」の千秋楽である山形公演(2016年4月24日)の客席にいたといい(宮城公演は修学旅行の日程と被ってしまって行けなかったという。2016年4月24日は日曜日であったことが幸いしたのだろうか[参考:3期生公式ブログ 2017年5月28日「止まることを知らないランナー 久保史緒里」])、前月の3月26日に行われた「3期生オーディションセミナー」仙台会場には参加していたというが、このときの経験が最後に久保の背中を押すことになる(3期生オーディションの応募は2016年7月4-19日)。
- 文脈としてはややずれるが、筆者はこのときの武蔵野の森総合スポーツプラザでの関東シリーズが、アンダーライブにとってひとつの区切りとなる公演であったと感じているが、それは「当該シングルの表題曲をアンダーメンバーが演じる」という、ある時期までアンダーライブの定番であったシーンが、このときを境になくなったという点においてである。
その歴史は最初の「楽天カード×乃木坂46 アンダーライブ」に始まり、それに続く「アンダースペシャルライブ」とあわせて、その時期の表題曲「気づいたら片想い」が各公演で演じられたというところからスタートした。いわゆる「1stシーズン」では「気づいたら片想い」までの表題曲全8曲が演じられ、「セカンド・シーズン」においても、公演によってセットリストを変えながら全10表題曲が演じられている(このときの表題曲「何度目の青空か?」は全公演)。有明コロシアムでの「アンダーライブ セカンド・シーズン FINAL! 〜Merry X’mas “イヴ” Show 2014〜」はその系譜から外れるが、続く「サードシーズン」では「命は美しい」がセットリストの1曲目で演じられ、表題曲は原則セットリストに含められなかった「4thシーズン」では、その例外としてアンコールで「太陽ノック」が披露されている。「アンダーライブ at 日本武道館」では1日目のアンコールで、「アンダーライブ全国ツアー2016 〜永島聖羅卒業コンサート〜」では1公演目で、「今、話したい誰かがいる」が演じられている。
ここからシングルとアンダーライブの関係が一対一で対応することになるが、東北シリーズでは「ハルジオンが咲く頃」、中国シリーズでは「裸足でSummer」がセットリストに含められ、「Merry Xmas Show 2016〜アンダー単独公演〜」では表題曲全曲を全メンバーがそれぞれセンターで披露するコーナーで「サヨナラの意味」が演じられている。東京体育館での「関東シリーズ 東京公演」では「インフルエンサー」が本編最後で印象深く演じられた。これに続く九州シリーズでは、18thシングルと19thシングルのリリース時期が近かったことなどもあってか、「逃げ水」ではなく「いつかできるから今日できる」が演じられ、続く近畿・四国シリーズでは表題曲を排したセットリストが組まれるという例外的な時期もあったが、ここからの中部シリーズ・北海道シリーズ・関東シリーズでは、すべてアンコールで「シンクロニシティ」「ジコチューで行こう!」「帰り道は遠回りしたくなる」がそれぞれ披露されている。「選抜メンバー」に対置される「アンダーメンバー」という前提があり、そのアンダーメンバーが当該シングルの表題曲を演じるというのは、ある意味で「選抜」の重さを感じる演出であり、またある意味では「下からの突き上げ」を促すような構造で、それがアンダーライブのひとつの型にもなっていたといえる。
しかし「Sing Out!」以降はこのような形で表題曲がセットリストに入るケースはまったくなくなり、「23rdシングル『Sing Out!』発売記念アンダーライブ」では表題曲の披露がなく、「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」も表題曲披露なしでアンダー曲全曲披露の形がとられ、「アンダーライブ2020」も本編はアンダー曲のみの構成(1・2日目で全曲を網羅した上で3日目で改めて全曲披露、各日アンコールは表題曲披露あり)と、アンダー曲に特化した形でパフォーマンスを重ねていくライブが続くことになる。この時期にはすでに、アンダーライブは独自の色をもった定評ある公演として定着していたといってよいと思うが、こうした形でアンダー曲を核としたそのアイデンティティがより固められていくこととなった。
これに続く「アンダーライブ2021」以降は「アンダー曲のみに特化」といえるような状況は軽減されていくが、このときも“配信シングル”扱いの「Route 246」の披露こそあれいわゆる表題曲の披露はなかった。「28thSGアンダーライブ」も、表題曲はこのときが最後のライブとなった寺田蘭世の希望によりアンコールで演じられた「気づいたら片想い」と、アフター配信の「走れ!Bicycle」のみであった。
ただし、4期生が合流してから2回目のアンダーライブとなった「29thSGアンダーライブ」では、当該シングルの表題曲を演じるわけではないという点は引き続き同じであるが、メンバーの思い入れの強い曲をメドレーで披露していくブロックにおいて「命は美しい」(選曲:向井葉月)、「サヨナラの意味」(北川悠理)、「何度目の青空か?」(中村麗乃)、「君の名は希望」(林瑠奈)、「制服のマネキン」(弓木奈於)、「ガールズルール」(伊藤理々杏)、「Sing Out!」(阪口珠美)、「帰り道は遠回りしたくなる」(佐藤楓)、(および「Route 246」[金川紗耶])と、メンバーによって選ばれる形で多くの表題曲が演じられることになった。「30thSGアンダーライブ」でも、メンバーによる選曲で演じられるコーナーで表題曲が披露される場面があったほか、最後のアンダーライブとなる1期生・和田まあやをセンターに置いて本編終盤で「制服のマネキン」が演じられるなど、アンダー曲をセットリストのベースとしながらも、いくぶん柔軟なセットリストとなっており、最終公演のアンコールでは和田の初選抜曲である「気づいたら片想い」が演じられた。
長くなってしまったが、「当該シングルの表題曲が演じられた(いまのところ)最後のアンダーライブ」という区切りの公演において北野がセンターを務めていたということが、それが目に見える何かをもたらしたとまではいえないまでも、筆者にとってはどこか印象深いものとして記憶されている、ということだ。 - 「全国ツアー2017〜九州シリーズ 福岡公演〜:Wセンターの中元日芽香と北野日奈子が初めて揃った3日目『アンダー』(2017年10月18日@福岡国際センター)」と同票。
- 「乃木坂工事中」での放送は2020年11月16日の#284であった。メンバー向けの選抜発表が9月であったことは、このシングルでセンターを務めた山下美月が、リリース日に更新されたブログにおいて記している。
- 本稿の最初の項でも引用したように、このインタビューでは白石麻衣の卒業コンサートについても語られており、メンバーは選抜発表を受けていた状態での語りであったことは確かである(発売日は11月13日で、「乃木坂工事中」での選抜発表放送の直前である)。
- 29thシングルの選抜発表(2022年2月20日「乃木坂工事中」#348)では、柴田は名前を呼ばれる前から泣いているような様子であったが、メンバーに対して北野が卒業を発表したのがこのときだったのだろうか。
- 「ゆっくりと咲く花」はそこから、2020年9月の「ALL MV COLLECTION2 〜あの時の彼女たち〜」リリースまで表に出ることがなく、「幻の2期生曲」とまで称される(参考)ような状況であった楽曲でもある。それからも長らく音源としてのリリースがなく、5期生にとっては研修期間にリリースされた形となったベストアルバム「Time flies」にようやく収録されるという経緯をたどった。
- an・an web「北野日奈子『松井玲奈さんの記憶に私がいてうれしかったです』」(2022年9月28日配信)
コメント
アンダーライブの大阪最終日を配信で観た後に拝読しました。
今回も、池田瑛紗ちゃんのブログよりも長い文章、お疲れ様です。
先輩・後輩という視点から切り取られた各エピソードを読み進めていく内に、当時の光景が次々と懐かしく思い出されました。例えば、7thシングルの選抜発表。確か、橋本奈々未卒業ライブの最終ブロック前のナレーションで、白石が「誰にも言っていないこと」として語っていたのは、まさにこの場面ですよね。まだ一期生でも選抜未経験者が数人いる中での二期生堀抜擢。アンダーメンバーの心情も慮っての白石の悔し涙だったのでしょう。
とにかく、初期の選抜発表の緊迫感たるや凄まじいものがありました。選抜とアンダーとでは、仕事量が天地の違いでしたから(中田花奈が「暇すぎてパズドラを無課金で極めた」なんて話もありましたっけ)。選抜に入らないと未来がない。そんな危機感と緊迫感があったからこそ、冠番組内での1♯丸々使った放送が成り立ったのかなと。
先輩・後輩の関係性でいえば、過去と現在を比べるとお互いに打ち解けるのが早くなりましたよね。よりフレンドリーになったというか、そういう性格の一期生が残ったのもあるかもしれませんが、呼び方一つにしても”まなちゃん”とか”ちまちゃん”とか”まあちゃん”とか、後輩が先輩に対してそんな風に呼びかけるの、二期生や三期生が入った頃では考えられませんでしたね。緩さという点で、個人的には、過去が部活、現在がサークルのような印象があります。
7thバスラで三期生が感じたプレッシャーは相当なものがあったでしょう。それはライブ映像(佐藤楓の涙など)を観ても伝わりました。『Rewind あの日』で若月ポジションに入った山下も「グループ活動を通じて、後にも先にもあの瞬間が一番緊張した」みたいなことを語っていましたね。
勿論これ以降のライブでも、後輩が先輩のポジションに各人なりの想いを抱いて入っているのですが、やはり7thバスラとの大きな違いは「オリメンの中に一人で飛び込んでいるかどうか」でしょうね。『急斜面』なら橋本の、『Rewind~』や女子高カルテットの楽曲なら若月の影を、ファンはどうしても追ってしまう。しかも、あの頃はまだ卒業からあまり時を経ていない時期だっただけに、余計その傾向は強くあったように思います。まあそんなヘビーな経験も、彼女達にとっては大きな財産になっているのでしょうけど。
経験の話でいくと、四期生にはもっと早い段階でアンダーに参加させても良かったのかなとも感じています。少なくとも、『夜明け~』で選抜になった三人以外はアンダースタートだった方が、アンダーライブなどの活動を通じて、自身の感情含め色々と得るものがあったのではないかなと。
四期生に引き続き五期生も、単独で歌番組に出演したりと、期別で活動する場を与えられていますが、その分アンダーへの参加が遅れなければいいなという危惧がありますね。そうこうしている内に、オリジナルの熱を伝えられる先輩が卒業してしまいますから。
最後に、休業の話を。
昔、橋本がどこかで「(ライブなどの)大きなイベントに参加できないと、成長するメンバーから自分だけ置いていかれた気持ちになって、心のダメージが大きい」みたいなニュアンスの発言をしていました。彼女自身2014年の真夏の全国ツアーを病欠したことを思い返して言ったのでしょう。ただでさえ短いアイドル人生。この言葉からも、メンバーにとって休業という決断がいかに重いものかが分かりますね。だからこそ、北野を始め、休業という決断に踏み切った上でちゃんと戻ってくることができたメンバーには、頑張ったねと心の底から拍手を送りたいです。
例によって、コメントも長くなりましたが、ご容赦ください。
次回の更新も楽しみにしています。
コメントありがとうございます。今回もタイムリーにお読みいただき、ありがとうございました。
先輩と後輩の関係、改めてたどってみると、ずいぶん変わったなあという印象がありました。変化があれば、良い部分もそうでない部分もあるものでしょうが、後輩がのびのび活動しているほうがアイドルとしては良いのでしょうし、何よりも先輩メンバーがそれを望んでいたようにも見えました。
アンダーライブへの合流、4期生は確かに遅めでしたよね。それが良いことなのかは別として、アンダラに合流するのも、選抜とアンダーを行き来するのも負担が大きいので、グループ全体の構成をみながら留め置かれていた部分もあったのかなと思っていました。おっしゃっていただいたように、もはや「暇なメンバー」はいないので、そういう部分に舵取りが難しいところが出ているのかな、とも。
橋本さんの件は「悲しみの忘れ方」での発言だったでしょうか(確認せずに書いていますが)。中元さんも「もう選抜に戻ってくる席はない」と思いながら休業に入られたといいます。そこから北野さんが休業から戻られたあたりを契機に、坂道シリーズの他グループも含めて、少し雰囲気が変わったでしょうか。そのあたりも含めて、別の機会に書こうと思っています。