[タイトル写真:長野県上田市・「飲み食い処 幸村」(旧「ろばた焼 幸村」)店内(筆者撮影)]
[9]中元日芽香、「大切な友達」として
本稿は、シリーズ「その手でつかんだ光(乃木坂46・北野日奈子の“3320日”とそれから)」の“本編最後”にあたる記事となる。思った以上に長い時間を費やしてしまったが、北野日奈子が乃木坂46で過ごしてきた“3320日”についての振り返りは、これでようやくひと区切りである。
北野が卒業コンサートで「大切な友達」として言及した、盟友とも呼ぶべきメンバー・中元日芽香。グループ卒業の時期には約4年4ヶ月の開きがあったが、しかし北野はそのキャリアを、最後まで中元とともに走りきったと称してよいと思う。本稿ではまず、ふたりがグループでともに過ごした日々について振り返り、そこから延長線を引くような形で、「乃木坂46・北野日奈子」がメンバーとしてのキャリアのゴールテープを切る瞬間までを書いていきたいと思う。
「その手でつかんだ光 (乃木坂46・北野日奈子の“3320日”とそれから)」目次 ・[1]家族への信頼と愛情 |
重なる部分、重ならない部分
中元と北野については、どうしても共通点に目が行き、“似たものどうし”としてとらえたくなってしまう。加入期は違うが同い年で、3きょうだいの中間子1。負けず嫌いで、犬が好き。ああそうか、血液型も同じO型なんだなあ、と思うとちょっと嬉しくなってしまったりもする(血液型占いなんて嘘っぱちなんだからプロフィールとして出すのやめようよ、なんて普段は思っているはずなのだけど)。
でも、そんなふうにして見てしまうのは現在に至るまでの経緯があるからで、初期の頃からふたりを“似たものどうし”ととらえる向きは、それほど強くはなかったはずだ。中元はアクターズスクール広島の出身で、乃木坂46への加入前から芸能活動も経験していた(本人としては「習い事の延長だった」(『乃木坂46×プレイボーイ2015』p.55)というが)。“ツインテール時代”も長く、「ひめたんびーむ」にも象徴されるように、ある種のアイドル像へ自らをつくりこむようなところもあった。中学時代の部活は放送部で、アナウンサーを夢みていたこともある。中学3年でグループに加入し、高校入学のタイミングで上京したが、当初は大学進学も考えていたといい、メンバーのなかでは勉強のできるタイプでもあった2。
見た目(フォルム)が可愛らしくて、趣味嗜好も女の子らしい。ツインテールをして、服も女の子らしいものを着ていました。「できない」ことは私の美学に反することなので、何をやってもちゃんと形になる隙のないアイドル。こうしてひめたん像は構築されました。時間はそんなにかかりませんでした。
(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.29)
一方で、北野はこれといってグループ加入前に芸能活動の経験はなく、動物愛護センターでたまたま取材を受けた「どうぶつ奇想天外!」に出演したことがあった(『月刊エンタメ』2017年5月号 p.17)程度。あとは、高校進学後に軽音楽部に所属したくらいだろうか。根っから活発でスポーツ少女。小学校時代は部活で卓球やカラーガードに触れるかたわら、父親がコーチを務めるミニバスを始め、中学校時代は3年間バスケットボール部に所属(以上、『OVERTURE』No.008 p.46より)。2期生オーディションで付け焼き刃で披露したという“怪力キャラ”の印象もしばらくは強く、“おバカキャラ”としてクローズアップされることも多かった。
——あの時点ではまだ、北野さんがどんな人か知らず、今どきのノリのリア充だと勝手に思い込んでいたんですよ。そしたら、見事にそのイメージを覆されて(引用者註:『BUBKA』前回登場時の2014年5月号のインタビューで、北野は小学校2年のときからいじめを受けていたことを明かしている)。でも、いまだに北野さんのことを誤解している人も多いんじゃないですか?
北野 そうですね。ファンの人は、私のヘラヘラしている明るい顔と、モバメに書いたりするネガティブな顔を両方わかってくれているんですけど、私をテレビで観ただけだと、ただのバカみたいに思われちゃうんですよ。だから、最近そのイメージを変えたくて……。バカって言われるほどそんなバカっぽいかな〜?って思うんですけど、私ってバカっぽいですか?
——でも、偏差値が32だったんですよね?
北野 31です。
——あははは(笑)。
北野 勉強ができないだけで、物事はちゃんと考えてますから!
——そういうことにしておきましょう(笑)。
北野 うふふっ。(『BUBKA』2015年11月号 p.66)
それでも、2023年のいまになって振り返ってまとめてみると、「キャラクターの内側にある自分自身」を自分で確かにつかむまで、そしてそれが広く届いていくまでに少し時間がかかった、ないしは苦労した向きが強かったのかな、という点では、ふたりは共通していたのではないかと思う。「本当の自分は違う」「私は誤解されやすい」みたいな壁にぶつかるメンバーは数限りなく見てきたようにさえ思うが、筆者がふたりに肩入れしている面を差し引いて考えてみても、中元と北野はそのなかでもきっと格別だ。
前稿[4]などでたびたび述べてきたが、中元と北野の距離が縮まったのは舞台「じょしらく」(2015年6月18日-28日上演)がきっかけであったという。ただ、単に近い立ち位置でひとつの作品をつくり上げたから仲が深まったというよりは、フィーリングが近かったから、という面が強かったようでもある。
『じょしらく』は3チームに分かれて演じました。「チーム『ご』」は衛藤美彩、能條愛未、齋藤飛鳥、北野日奈子と私で、5人の結束も深まりました。特に北野とは、舞台をきっかけに、ぎゅっと距離が縮まりましたね。北野と私は、何か内に持っているものが似ているような気がします。
(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2016』[2015年12月3日発売]p.66、中元)
1期生では、ひめちゃん(中元日芽香)と仲がいいです。同じ年齢なので「気を使わないで」と言ってくれていたんだけど、やっぱり先輩だから、最初はどう接したらいいのか分からなくて。お互いに微妙な距離感を保って探り合っている感じだったんです。
でも、『じょしらく』の舞台で同じ「チーム『ご』」になって、一気に仲良くなりました。いまでは、ちょっとした会話が始まると、何時間でも話せてしまうし、言葉に出さなくても気持ちが伝わります。多分、似ているんですよ。根っ子にある部分とかが(笑)。(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2016』[2015年12月3日発売]p.48、北野)
中元が「君は僕と会わない方がよかったのかな」でアンダーセンターを務めたのが11thシングル。そのシングルの体制でメンバー選考が行われた「じょしらく」3を経て、初めてアンダーフロントに並び立った12thシングル、「大人への近道」でサンクエトワールが生まれた13thシングルを経て、「アンダーライブ at 日本武道館」(12月17-18日)にたどり着いた2015年。似ているようで似ていない、でもやっぱり似ているふたりは、その紐帯を育みはじめた。
——去年(引用者註:2015年)の夏は、お二人の距離が縮まる何かがあったそうですね。
北野 はい。同い年なんですけど、ひめちゃん(中元)は1期生で私は2期生なんです。ちょうど一年くらい前までは、普通に先輩と後輩っていう関係でした。
中元 去年の夏のシングル『太陽ノック』のカップリングで、アンダーメンバーだった私たちは『別れ際、もっと好きになる』という曲を歌いました。それまでアンダーの後列だったきいちゃん(北野)が、1列目のポジションになったんですよ。それで支えてあげたいなって思うようになりまして。
北野 急接近しました(笑)。
中元 逆に、私が落ち込んだこともあって、その時に一番支えてくれたのがきいちゃんで。後輩だけど、信頼も尊敬もしています。
北野 たった1年で、10年分くらい仲良しになりました!(『MONOQLO』2016年9月号 p.71)
対照的だったアプローチ
ただ、「キャラクターの内側にある自分自身」までのアプローチについていえば、中元と北野は真逆だったといえるかもしれない。無礼を承知でいくぶん単純化して述べるならば、北野のそれは(それがすべて自然体や本心であるとはいわないまでも)直感的な振る舞いや直情的な言葉がキャラクターとしてとらえられやすかった時期から、メンバーやファンと交流を重ね、ブログを毎日更新するなどしながら4、自分自身の思いや心の動きを、自分の言葉でつかみ、温度感をもって伝えられるようになっていった、というような過程であった。
これまであまり口に出してはこなかったんですけど、最近は選抜に返り咲きたいと思っています。
選抜が発表されたら思いをブログに書きますけど、毎回「選抜には入れませんでした。すみません」って書くだけで。本当の自分の気持ちは書けなくて。
でも握手会でファンの方たちに「もっと言葉にして、きいちゃんがどこを目指しているのか、将来どうなりたいのか、全部教えてほしい」と言われるようになったんです。「それを聞いた上で、ファンとして一緒に応援したい」って。なので、これからは、自分がかなえたいことを言葉にしていこうって思いました。(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2016』[2015年12月3日発売] p.49、北野)
一方で中元は、「伝える」力には早くから秀でていたものの、それが身にまとっていったキャラクターと結びついたがゆえに、自分自身についてもうひとつ深く伝えるためにはそれをいったん解きほぐす必要があり、時間をかけてどうにかそれを成していった、というような過程であったように見える。
——なるほど。最近の番組(引用者註:「らじらー!サンデー」)を聴いていると、以前よりもだいぶリラックスして臨んでいるように感じましたが?
中元 えへへ(笑)。そうですね、初期の頃とは全然違いますものね。初期なんて猫を3匹くらいかぶってたんじゃないかな、ニャアニャアニャアって(笑)。今だから言える話ですけど、後になってから中田(敦彦)さんに「結構作り込んでたよね?」って言われたくらいですから。でも一緒にやっていくなかで、オリラジさんやスタッフさんが私自身も知らなかった部分をたくさん引き出してくださるんです。(『別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46』vol.2[2016年6月29日発売]p.126)
アイドル(特に女性アイドル)は難しいな、と思う。魅力やキャラクターがいつ世間にリーチするかわからないし、それが正しく伝わるとも限らない。伝わったものを訂正するのも難しく、かといって何も伝わらないと何もなかったことになる。誰もがそんな過程に苦闘するものだが、そこにもうひとつ、女性アイドルが女性アイドルとして活動する(女性アイドルとして特にクローズアップされる)年代は、多くの場合においていわゆる「多感な時期」と重なり、その内面も大きく変化していく。芸能界で刺激の多い生活を送っているのだからなおさらのことだ。内側も外側もコントロールがきかない複雑系のような状況にあって、究極にはたったひとりの自分で戦わなければならない。
ただ、(相当に彼女に肩入れをしてきた)ひとりのファンとしてどうしても書き残しておきたいのは、中元が着込んだキャラクターの鎧は、今日明日をどうにかするために安直に手に取ったものでも、それですぐに手放されたものでもない。そういう意味では、「あんな頑張り方はしなくてよかったよね」と評価されるようなものでもないのだ。
前置きが長くなったが、だからここから少し、「ひめたん」の歩みについて振り返っておきたい。基本的にずっと何年も前の話を書き綴り続けている本シリーズであるが、さすがに10年も遡って昔のキャラクターを掘り返すとなると気が引けてくる。でも、彼女があの時期に投入したものを抜きにして、「乃木坂46・中元日芽香」について語ることはできないとも思うのだ。
鎧を少しずつ脱いで
——そもそも、どういう経緯で必殺技が誕生したんですか?
中元 2ndシングルの頃、『乃木ここ(乃木坂って、ここ!)』で「メンバーを掘り下げよう」という企画をやった時、「ひめたんって目が合うと逸らさずにずっと見てるよね」って話になったんですよ。そしたら、齋藤飛鳥が「ひめたんは目から“びーむ”を出せるんだよね。しかも最近は、両手のポーズもつけてくる」と言って。
——その時点で原型ができていたんですね。
中元 そうなんです。ただ、そこから2年間くらい浸透しなかったけど(笑)。(『BUBKA』2015年6月号 p.24)
「ひめたん」の必殺技として著名な、「ひめたんびーむ」の発祥はずいぶん古い。それを2ndシングル期とするならば、初期も初期である5。各メンバーが自己紹介や必殺技をなんとかひねり出し終わったくらいの時期で、それだって1年くらい経てば、半分忘れられているようなようなものだ。そのなかでそれを2年も続けるというのは、中元らしい意志と根気の強さだったと感じる。
中元の「ある種のアイドル像へ自らをつくりこむような」ところは、「ひめたんびーむ」にとどまるものではない。「何をやってもちゃんと形になる隙のないアイドル」と本人が表現するように、この頃の中元は、どこを切り取っても「ひめたん」であった。なかでも初選抜となった7thシングルの時期6のインタビューを読んでいると、かなり“エンジン全開”であるようにも感じられる(本人としては、それが「ひめたん」の平常運転だったのかもしれないが)。
選抜入りしたからには自分の色を出す必要がある。現在のところ、その色は「リボン」なのだとか。
リボンのことならめっちゃ語れるんですけど、みんな興味を持ってくれないんですよ。リボンって、お店に置いてある種類や素材が季節によって違うから、いろんな出合い(原文ママ)があるんです。以前は両手で数えるくらいしか持ってなかったんですけど、最近はファンの方からいただくこともあって、たぶん30種類近くはあると思います。エヘヘ。
ずっとお気に入りだったのは、1年半くらい使っていたモコモコした素材のリボン。ただ、黒く薄汚くなっちゃってZeppツアーに行っている間に捨てられちゃったんですよ! あのときは、めっちゃショックで3日くらい元気が出なくて。改めてリボンが好きなんだなって思いました。(『日経エンタテインメント! ネクストメジャー・アイドルSpecial』[2013年11月29日発売]p.41)
先にも引いたように、およそ2年くらいの時間をかけながら、中元は「ひめたん」というキャラクターで結果を出す。出すぎることもなく引きすぎることもなく、ねばり強く続けていくことで、認知度がついてくるのみならず、周囲の受け取り方や“いじり方”も、安定していったように見えた7。
14年は「ひめたんびーむ」もブレイクした。ライブでは多くのメンバーが「びーむ」をマネをした(原文ママ)。
ひめたんびーむは2年くらい前からやり続けていたからうれしいですよね。エヘヘ。「いつ辞めるの?」とか「もういい年なのに」と言われても、まだまだやれるって信じていました。だって、私にはそれしかなかったから。……(中略)……
私、頑固なんですよ。いつまでもひめたんびーむをやめないわ、ツインテールをやめないわ(笑)。だけど、「信念を貫いてるところが好き」というファンの方もいるので、みなさんの「お〜!」がある限りびーむは出し続けます!(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2015』[2014年12月2日発売]p.61)
それがある意味で最高到達点に至ったのが、「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」(2015年2月22日)での「360度ひめたんびーむ」であったといえるかもしれない。初選抜曲の「バレッタ」を披露したのちのMCで、生駒里奈からの振りを受けてセンターステージへ。途中で一時停止して、真冬の西武ドームに白い息を吐きながら、会場全体に「びーむ」を放った。
——MCでは360度ひめたんびーむで乃木坂ファンをきゅんきゅんさせました。
大きなライブでは着替えのタイミングと重なることが多くて、MCパートに出てないことが多いからひめたんびーむを出してこなかったんです。今回も着替えの関係でMCに出られないかも……となったんですけど、スタッフさんが「360度ひめたんびーむはなんとしてもやりたいから着替えを急いで」と言ってくださったんです。実際にびーむを出した時にウェーブが起きたりピンクのペンライトが一気に増えたのはうれしかったですね。——センターステージまで走っていく時はどんな気持ちでした?
ひとりだけというのが気持ちよかったですね。こんなことがあっていいのかって思いました。——360度回って行く途中で息を吐いたのは?
あれも演出です。エヘヘ。「ひめたんの時間だからたっぷりやっていいよ」と言われたので、申し訳ないけどやらせていただきました。——3万8000人も観客がいて、スカパーで中継されていれば、ひめたんびーむを初めて知ったという人もいたでしょうね。
「びーむの子だ」と覚えてもらえたらうれしいですね。握手会で「生のひめたんびーむを見ることができてよかった」と言ってくださる方も多いんですよ。……(後略)(『Top Yell』2015年5月号 p.14)
バースデーライブという特別な場、さらにグループとして初のドームライブで、最低気温は2度という日にあって、8時間に及んだライブは語り草となった。「スカパー!」での生中継もあり、もちろんDVD/Blu-rayとしても発売され、CS放送も繰り返されたのち、現在では「のぎ動画」での配信も行われている。そこに彩りを添えた「ひめたんびーむ」は、「ひめたん」にとってのひとつの記念碑ともなった。
2015年2月は、時期としては11thシングル期に入っていくところであった8。中元が「君は僕と会わない方がよかったのかな」で初めてアンダーセンターを務めたシングルである。アンダーライブの高い評価も定着していた時期であった一方、このシングルで伊藤万理華と齋藤飛鳥が4作ぶりに選抜に移ったといった動きもあり、「どこにいようと私がしっかりしなければ、地盤が揺らいでしまうのでは……」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.59)という自覚と危機感が生まれていたなかでの抜擢であったという。
さらに中元としては、高校を卒業して“仕事100%”で活動に取り組み始めるというタイミングでもあり、さらにこの春には、新番組としてスタートした「らじらー!サンデー」のレギュラーMCにも就任することになる9。本人ももともとラジオパーソナリティをやりたいという希望をもっていたといい、のちにはひとつの番組の共演者の枠をこえて関係を築いていくことになるオリエンタルラジオとの出会いも含めて、中元にとっては非常に大きな出来事となった。
また、この2015年の夏には、中元は自らのトレードマークとして長らくこだわり続けてきたツインテールを“卒業”する。「真夏の全国ツアー2015」初演となる宮城・ゼビオアリーナ仙台公演1日目(2015年8月5日)のなかで「この夏がラスト」10と宣言し、その言葉通りに千秋楽の明治神宮野球場公演2日目(2015年8月31日)をもって封印したものであったが、このことについて最初に相談したのは番組出演の際にオリエンタルラジオ・中田敦彦だったということが明かされている。
(前略)……ある時なんて、番組の途中でニュースが流れている時に、中田さんが「どうしたら福神に行けるんだろうね?」って真剣に話してくださって。そのなかで「私、髪型を変えようか迷ってるんです。ツインテールをやめようかな」って話を最初にしたのが中田さんだったんです。それがきっかけで秋ぐらいにやめたんですけど、最近話した時に「あれは俺、正解だったと思うんだよね」と言ってくださって、すごく見ていてくださるなと思いますね。
(『別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46』vol.2[2016年6月29日発売]p.126)
ツインテール卒業宣言はライブ会場のファンに驚きをもって迎えられたというが、そのなかでもより近い心の距離で応援してきたファンの方が驚いた面もあったかもしれない。トレードマークと自認し、認知されていたのみならず、「自分を曲げることはしたくない」といった発言をする場面も長らくみられたからだ。「続けてほしい」というファンも、「変えたほうがいい」と思うファンもいただろうが、中元はそうした声にかかわりなくキャラクターを貫くのではないか、というとらえ方があったのではないだろうか(推測でしかないけれども)。
——かといって、今の中元さんに何が足りないかといえば、難しいところもあるじゃないですか。
高山 「乃木坂の普通」って他のアイドルの普通ではないんですよ。ハロプロさんの中だったら、ひめたんは正統派なのかもしれないけど、乃木坂のカラーがあるからね。
中元 だからといって、自分を曲げるようなことはしたくないなって。私のままを受け入れてもらいたい。「今、この子が必要だ」というタイミングで選抜に入れたらと思うので焦ってはいないですけどね。(『Top Yell』2015年7月号 p.49)
中元は約1年後に、ツインテールをやめたことについて、「ツインテールが万人受けしないのはわかっていた」とし、「プラスになると確信してました」と語っている。ビジュアルの“しばり”がなくなったのみならず、結果として「いい意味で肩の力が抜けた」という部分もあったようだ。また「ひめたんびーむ」についても、こちらは完全に封印したということではなかったが、この時期以降、かなり抑制的に扱うようになっていった。ここに至るまで約3年といったところだっただろうか、キャラクターを「捨てた」とか「やめた」というよりは、「(ひとまずは)やりきった」という表現のほうがしっくりくるようにも思う。
——ツインテールを封印してひめたんびーむを乱発しないようになって約1年が経つんですよね。この1年でストイックさが増したようにも感じます。
ずっとアンダーにいてテレビ番組に出演することも少ないので、「わかりやすいビジュアルで覚えてほしい」という気持ちからツインテールにしていたんです。そのツインテールを卒業することで中身がしっかりしていなきゃいけないと思って、この1年でいろいろ考えるようになりました。研究生の子が昇格してアンダーで活動するようになってから、グループの中でお姉さんの立場になったことも大きいですね。
——正直、僕としてはツインテールをやめることがプラスにいくのかマイナスにいくのか不安な部分もありました。
私的にはプラスになると確信してました。ツインテールが万人受けしないのはわかっていたし、当時すでに19歳だったので高校生メンバーに任せようかなって(笑)。ファンの中には「ツインテールを続けてほしかった」という方もいたんですけど、それ以上に「ツインテールを卒業して近寄り難さがなくなったよ」という方のほうが多くてうれしかったですね。
——自然体になれましたか?
ツインテールをしていたことで構えていた部分もあったので、テレビでもラジオでもインタビューでもラフにしゃべれるようになってきました。いい意味で肩の力が抜けたような気がします。(『Top Yell』2016年9月号 p.59)
また、このような変化の背景には、選抜入りへの意識もあったのだという。「選抜入りに近づくためにツインテールをやめる」といったことではなく、「いざ選抜発表で名前が呼ばれるのに備えてツインテールをやめる」というような意味合いである。アンダーセンター、アンダーフロントとして、あるいはラジオのレギュラーMCとして、目に見える成果を出したといえるタイミング。そうした状況にあって、中元本人としても一定以上の自信をもって迎えたのが、13thシングルの選抜発表であった11。
当時、定説がありました。「アンダーのセンターを務めた者は、次のシングルでセンター横を経験し、その次のシングルで選抜される」というもの。センターの二作後に選抜入り、というイメージです。
13th、一番期待をしていたのです。なんなら選抜入りするものだと思っていました。選抜発表の直前、何年もの間シンボルにしていたツインテールをやめてイメチェンを図りました。準備万端。期待値MAX。満を持して選抜入り。……だと思っていたのですが、またしても選抜入りは叶いませんでした。選ばれなかったことのダメージは大きかったのですが、反骨精神から13thシングルが一番、乃木坂に対して熱を持って活動していたように思います。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.66)
アンダーセンターという立ち位置を選抜入りへのステップとみなす向きは長らくあったと思うし、現在に至るまである程度残っているように思う。中元がいうところの「アンダーのセンターを務めた者は、次のシングルでセンター横を経験し、その次のシングルで選抜される」が指しているのは、8th・9thシングルでアンダーセンターを、10thシングルでアンダーセンター横を務め、11thシングルから選抜入りした伊藤万理華と、10thシングルでアンダーセンターを12、11thシングルでアンダーセンター横を務め、12thシングルで選抜入りした井上小百合が主なところであろう13。事実として直前のふたりが選抜メンバーへと動いていた。本人にもファンダムにも予想や期待があった。それは間違いない。
結果として13thシングルでの選抜入りは果たされず、中元の選抜入りはさらに2作後の15thシングルまで待たれることとなる。13thシングルでは中元は堀未央奈とともにダブルセンターを務め、年末には「アンダーライブ at 日本武道館」(2015年12月17-18日)を成功させるなど、本人が「一番、乃木坂に対して熱を持って活動していた」と語る通り、その立ち位置で成し遂げたものは多かった。
歴代最多タイの21人のアンダーメンバー14で臨まれた「アンダーライブ at 日本武道館」。歴代のアンダーライブ経験メンバー15もアンコールの「アンダーライブ歴史メドレー」16に参加するなど、当時までのアンダーライブの集大成的な位置づけのライブともなった。12thシングルアンダーメンバーによる「アンダーライブ 4thシーズン」は10月に開催されており、そこから13thシングルで選抜に移ったメンバーはいなかった17。雑誌などでも“もうひとつの乃木坂”のような形で、アンダーメンバーがひときわクローズアップされていた印象もあるこの時期。その真ん中にいた中元や堀はそこを託されたのだと思うし、いま改めて考えてみると、それまでの経緯をふまえれば18、そうするほかなかったようにも見える。
それでも中元は、「そうは言っても、結局選抜に居なければ意味がない」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.68)と感じていたのだという。時間をかけて積み重ねてきた、外形的なイメージの鎧を脱ぎながらも、なおアイドルとしての戦いの日々を続けていく。13thシングル期間は、中元にとってそのような時間となった。
「あなたに一番近い星」
13thシングル期間のことについては、もうひとつ触れておかなければならないことがある。もちろん、このシングルで楽曲「大人への近道」をあてがわれたユニット、サンクエトワールのことである。メンバーは中元と北野、堀未央奈、寺田蘭世、中田花奈であり、のちに16thシングルでも2曲目となるオリジナル楽曲「君に贈る花がない」を得ている19。サンクエトワールの5人は13thシングル(および12thシングル)では全員アンダーメンバーであり、「初のアンダーメンバーによるユニット」という言い方をされることもあった20。
また、「サンクエトワール」(フランス語で“Cinq étoiles”、「5つの星」の意)というユニット名は、2015年10月4日放送の「らじらー!サンデー」において命名されたものでもある。13thシングルは2015年10月28日の発売で、その商品概要(収録内容:楽曲タイトル、歌唱メンバーなど)がアナウンスされたのは10月2日であり、その直後のタイミングでの出演であった。「らじらー!サンデー」では前週(9月27日)から「アンダーの新ユニットメンバー」が出演とアナウンスされ、メンバーの内訳も明らかにされていた。この期間にはこの5人での稼働も続いており21、かなり期待感を高めるような動きがとられていたということになる。
「らじらー!サンデー」放送内では企画としてリスナーからユニット名が募集され、4017通の応募が寄せられる。そこからメンバーが個々に3つのユニット名候補を選び、その中から5人による投票で決めていくという形がとられた。15個の候補22のなかから、最初の投票では「メルキュール」「flor flor(フローレフローレ)」「サンクエトワール」「カシオペア」が残り、二度目の投票の形となる。ここから「flor flor」と「サンクエトワール」で割れた結果、これらの両方を最初の候補として選んだ中田花奈の裁定で「サンクエトワール」に決定する、という流れであった。二度目の投票で「サンクエトワール」を選んだのは中元と北野であった。その後、「大人への近道」は番組終盤で解禁される流れであったが、途中で速報のニュースがカットインしてしまい23、2週後の次回放送にて改めてオンエアされることとなった。
そんなアクシデントもありつつではあったが、番組内でも大々的に扱われてスタートしたユニットであるサンクエトワールは、「らじらー!サンデー」にとっても特別な存在となっていく。2015年11月29日の放送回には再び5人揃って出演し、再びリスナーからの募集でキャッチフレーズが決められることになる。3337通の応募から「あなたに一番近い星」と「雨でもできる天体観測」の二択まで絞られたのち、このときは北野の裁定でキャッチフレーズが決まる。「あなたに一番近い星、乃木坂46 サンクエトワールです!」。ユニット名との合わせ技で、キャッチフレーズとして出色の出来なのはもちろんであるが、それが番組リスナーとともに決められたものであることは、ファンとの長く続く紐帯を形づくることともなった。
「大人への近道」と「君に贈る花がない」はともに長らく番組では存在感のある楽曲であり続け、中元の最終出演回(2017年11月19日)では「大人への近道」がオンエアされ、その後もユニットメンバーの出演回を中心にオンエアされる機会は多かった。そして、最後のひとりとなった北野の最終出演回(2022年4月24日)では、最後のオンエア楽曲として「君に贈る花がない」が選ばれている。
そしてまた、そのサンクエトワールについてさらに特筆すべき点は、ユニット単独でのイベントが行われたことであろう。この年の年末に「ALL MV COLLECTION〜あの時の彼女たち〜」(2015年12月23日発売)がリリースされたことを記念する位置づけで、12月24日にはMEGA WEB トヨタ シティショウケース24、12月25日にはラゾーナ川崎プラザにおいて「フリーライブ&サイン会」を開催している。「アンダーライブ at 日本武道館」の直後、グループとして初の「NHK紅白歌合戦」への出演の直前、しかもクリスマスというタイミングでもあり25、メンバーたちの間でも長らく語り草となるイベントとなった。
このほかにも、2015年11月1日放送の「乃木坂工事中」#28と(ユニット曲によるスタジオライブは珍しい)、2016年2月11日放送の「乃木坂46紅白SP!拡大版」(NHK BSプレミアム)ではスタジオライブが披露されており、そのいずれでも「サンクエトワール」というユニット名もクレジットされていた。「乃木坂46紅白SP!拡大版」は「乃木坂46 SHOW!」(「AKB48 SHOW!」の別冊番組)の関連番組の位置づけであり、「乃木坂46 SHOW!」のスタジオライブと同様、フルサイズでの披露であった。
絶望の選抜発表
日本武道館でのアンダーライブをダブルセンターの一角として引っ張り、成功に導いた中元。アンダーフロントとしてその中元を支え、その日本武道館公演の1日目(2015年12月17日)には、「Zipper」専属モデルへの就任も発表されていた北野。サンクエトワールでの活動はグループ全体にも新たな展開をもたらした。このように見ていくと、やはりこのときすでに、選抜入りに向けて機は熟していたように思える。前稿[2]では中元のことにも触れつつ、北野の歩みを追っていく形ですでにポジションの経緯は振り返っており、内容として重なる部分は大きいが、ここでも改めて振り返ることにしたい。年が明けて2016年。この年には特に、中元と北野のグループのなかでの動きが重なりあっていく。
年始まもなく収録があったとみられる14thシングルの選抜発表の模様は、2016年1月31日の「乃木坂工事中」#41で放送される。選抜メンバーは17人で、前作の16人に堀未央奈を加えた形。深川麻衣の“卒業センター”という、グループとしては新たな形をとりつつではあったが、選抜メンバー総体としては歴代でも最も変動が小さいといえる状況であった。
それまでのシングルでも選抜発表のたびに悔しさに耐えてきたといえる中元と北野であったが、このタイミングで再び選抜入りがかなわなかったことについては、相当に堪えたようであった。絶望、と称してしまってもよいかもしれない。
握手会はMAXの部数を与えられて完売させました。11thから13thまで、アンダーのフロントを任されてからは、顔のコンディションをキープしていたつもりです。グラビアに関してもファンや周りの人たちから評判がよかったので、少し、いや正直まあまあ自信を持っていました。ライブも番組収録も、仕事で手を抜いたことはありませんでした。
つまり、私にできることをすべてやった上で、選抜に入れなかったのです。これ以上何をしろというのでしょう。大掛かりな整形をして別人になるか、言葉の通り生まれ変わるかしないと、もう無理なのでしょうか。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.70-71)
出してきた成果を踏まえて、選抜入りを強く意識していたのは中元だけではない。「これまではずっと濁していて、言ってこなかったんですけど、来年は選抜に入ることはもちろん、福神に入りたいと思っています。」(『UPDATE girls』Vol.002[2015年11月27日発売]p.39)と言い切るなど、自らの思いを表に出すようにもなっていた北野にとっても、かなり厳しい選抜発表となった。
——北野さん、14枚目の選抜に入れなかった悔しさはありましたか?
悔しさもあるんですけど、発表された直後は「これ以上は上に行けないんだ…」と感じてしまって。登れない壁を突きつけられてしまったというか。13枚目でサンクエトワールを結成したり、武道館の景色を見たり、いままでできなかったことをたくさん経験して未来が明るく見えていたんです。サンエトで踊ってる時も楽しくてしょうがなくて、飛んでるような気分で(笑)。「私、華やかなのかな」と思ってしまうくらい希望に満ちていたんです。だけど、結局は何も変わってなかったんだなって。——自分の中でやれることはやったという気持ちはあるんですよね。
手応えはありました。ファンの方に熱い言葉をかけてもらう機会も増えたし、握手会に来てくれる方も増えて自信もついてきたけど、現実を突きつけられて。——選抜発表から放送されるまでのブログのタイトルがだいぶネガティブでしたね。
ファンの方に申し訳ない気持ちもあるけど、どうにもできないから悩んでたんです。(『EX大衆』2016年4月号 p.20)
北野 やりたいこともたくさんあるし、目指しているところもあるのに、こんなにも悩むなら土俵から降りたほうがいいんじゃないか、って思い詰めました。自分の中で衝撃だったのが14枚目で。未央奈だけ選抜に入って、それ以外は何も変わらなかったことが衝撃で。
——こんなにも選抜の壁は厚いのかと。
北野 サンエト(サンクエトワール)とかで自分なりに結果を残せたと思っていたんですけど、でも「ここまで」って線を引かれたような、行列に並んでいたメロンパンが目の前で売り切れてしまったような気分で。これ以上先は私たちじゃないんだな……って。
(『BUBKA』2016年9月号 p.21)
3作ぶりに「乃木坂工事中」のスタジオで行われる形式であった選抜発表。その収録中からそのショックはあからさまに大きく、中元は「顔が作れませんでした」「正解の顔ができなかった。あんなの本当に初めてだったな。あえて説明するなら『全ての表情筋が麻痺した』感じかなあ」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.68,69)と振り返る。そして収録を終えてからも、やり場のない思いが弾けてしまっていたようだ。
ですがこれを書くにあたって思い出しておきたいと、当時をよく憶えているメンバーに連絡して聞いてみました。
『言い方酷くなるけど、簡単に言うと、大泣きして激怒してたよ』
だそうです。お、憶えてない! そんな私を彼女は追いかけてくれて、そばにいてくれて。
5分ほどして楽屋に帰ってくるメンバーたちの気配に気づき、私はみんなの前では平気なフリをしていたそうです。それが見ていて辛かった、と彼女は言っていました。
ひめはいつもそうだったよ! とのこと。随分と心配をかけてしまったね。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.69-70)
このときのことは、アンダーライブ九州シリーズの千秋楽、宮崎市民文化ホール公演のMCでも、北野によって振り返られていた。中元は「自分が声をかけても聞こえないくらい泣きじゃくっていた」状況で、それを見ていた北野は、その姿が「自分自身の姿に重なった」、というような語りであったと記憶している26。
そのポジションを本人たちがどのように受け止めるかは、マネジメントの側も一定以上には気をもんでいたようで、選抜発表の数日後に、「スタッフさんがふたりでご飯に行く機会を設けてくれました」と中元は振り返っている。そのスタッフとは「グループ発足当初から私たちを導いてくれた、お父さんのような方」であったといい(以上、中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.71)、同書の他の部分の記述もふまえると、これはおそらく乃木坂46運営委員会委員長・今野義雄のことであろう。
何でもない話もしながら、やはりタイミング的には選抜発表を受けての話がメインになります。未だ結果を受け入れることができず、でもどうしたら良いかわからない。そんな私を心配してくださっていたようでした。おそらく選抜発表をする前から、結果を知ったらひめたんは絶望するだろうと気にかけてくださっていたのでしょう。
ひめたんは十分頑張った。その言葉は純粋に嬉しかったです。私のこと、ちゃんと見てくれていたんだ。その上で、一歩踏み込んだ話をしていただきました。これまで活動してきて初めて、「選抜に入れなかった理由」「14thでひめたんが担う役割」を教えてもらいました。アンダーに“選ばれる”ことにも理由があると初めて知りました。
だからといって「そうでしたか。オッケーです! 引き続き頑張ります!」とは言えませんでした。私はアンダーに必要とされる存在になりたいのではない。結局は選抜に入れる絶対的な存在でなかった。それだけのことだと解釈するしかありませんでした。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.71-72)
また、これとほぼ重なる時期に、今野はリアルサウンドにおいてインタビューを受けている。その記事では、リリースされたばかりの「ALL MV COLLECTION〜あの時の彼女たち〜」をフックとしつつ、グループ全体のことが語られており、そのなかで、選抜/アンダーの現況やアンダーメンバーが背負う新たな役割についても言及されている。グループの舵取りの構想として、このようなことが中元にも伝えられたのではないかと推測される。
――また一方で、選抜常連メンバーが盤石であるだけに、アンダーがライブで存在感を増しても選抜にはなかなか入れないという苦しさが続いているのでは……。
今野:こればっかりは、僕らも同じ思いだったりするので(笑)。どうしたらいいんだろう?っていう。アンダーはすごい結果も出しているけど、それをもって選抜と大幅に入れ替えます、と簡単にできる話じゃないですし。
――では結果を出してきたアンダーは、次に何を背負っていくのでしょうか。
今野:実はいま、乃木坂46の問題点ってなんだろうといえば、東京に比重が高いことです。完全に首都圏アイドルなんですよね。首都圏においてはものすごく強いけれど、地方ではまだまだ知られてないし、存在感がそんなに伝わってない。ここをどうやって開拓していくかがグループ全体のテーマなのですが、ここをアンダーに背負ってもらうことになると思います。ステージを見てもらって、ファンを獲得するというミッションをアンダーに託す。ただ、これまでやっていたのと同じような魂のぶつかり合いを、そのまま持って行って成功するかというのもまた違うと思うんですね。新しいテーマを考えて、何か変えていかなければいけない。
(リアルサウンド「乃木坂46運営・今野義雄氏が語る、グループの“安定”と“課題” 『2016年は激動の年になる』」[2016年1月30日公開])
中元本人も振り返るように、モチベーションを保つのに苦労しながらではあったかもしれないが、中元がセンターに立ち、北野と寺田蘭世がその脇を固めるという形のフォーメーションがとられた14thアンダーメンバーは、永島聖羅の卒業コンサートとしての愛知・名古屋国際会議場公演(2016年3月19-20日)、そして東北6県での東北シリーズ(4月19-24日)という形で、「アンダーライブ全国ツアー」という新たな展開に踏み出していく。3期生の募集も告知されていたという時期にあって27、特に東北シリーズは、まだ空席が目立つ会場もあったといい、まさにグループが新たな場所に進んでいく端緒となった。しかし、単なる“地方開拓”を狙うのみでなく、全体をひとつのストーリーで貫いて構成されたセットリストは、ライブパフォーマンスの面でも新たな地平を切り拓いた。
真夏の打ち上げ花火
中元は1996年4月13日生まれ、北野は1996年7月17日生まれ。ともに20歳で迎えることになった「真夏の全国ツアー2016」28。この年の“夏曲”のシングルとなった15thシングル「裸足でSummer」で、ふたりは選抜入りを果たすことになる29。
「今度こそ」の思いが幾度も裏切られるようなことが続いていたのちの出来事であり、14thシングル期間にもアンダーメンバーとして多くの役割を果たしていたとはいえ、その思いもやや薄れていたようなタイミングだったかもしれない。選抜メンバーは16人と、最少人数での編成であった。いくぶんの驚きがあり、もはや逆に唐突感のある選抜入りであったともいえるかもしれない。特に1人目として名前を呼ばれた中元は、「16人、って言われた時点で、ああ、残念でした……って思っていたので」ともスタジオで語っていたが、かなりの驚きがあったようだ。
——7枚目以来の選抜入り、おめでとうございます。発表時はいきなり名前が呼ばれて動揺したとか。
開始30秒くらいで名前を呼ばれたので、すぐには実感が沸かなかった(原文ママ)んです。だけど、MV撮影やライブのリハを通して、やっぱり今までとは違うなと感じることも増えてきたし、握手会をはじめとしていろんな方にお祝いしてもらって、ようやく実感が湧いてきました。「16人選抜」と言われた時点で今回は入れないと思ったんですよね。それに、14thシングルまでは期待していた時もあったんですけど、ことごとく心をへし折られてきたので(笑)、過度な期待をするのはやめようと思ったんです。だから、今回の選抜に入れたことに驚きもありました。ポジションにかかわらず活動に対して前向きに考えている期間だったので、いいタイミングで選抜に入れていただいたのかなと思ってます。(『Top Yell』2016年9月号 p.59)
北野の名前は、ややあって3列目の最後(6人目)で呼ばれることになる。16人という人数のなかで2人が新選抜というのも想像しがたいような状況であり、北野も北野で予想外の出来事だったようである。
——15枚目シングルの選抜発表の瞬間はどんな心境でしたか
中元 今回の選抜は16人ですって言われた時点で、前と変わらないんだろうなって思ってました。そしたら、開始30秒くらいで呼ばれて、びっくりしました。
北野 選抜を目指してる仲間の中でも、ひめたんは一番思いが強かったメンバーだと思う。こだわりがあって、1つ1つの仕事に対して一生懸命やっていた。
中元 いつも自分の目の前で選抜のラインが引かれるような気分を味わっていました。きいちゃんもそうだと思いますけど。
北野 私は3列目の最後に呼ばれたんですけど、ひめたんが呼ばれた時点で「よかった、1人変わった」という思いがあって、もう私が入るとは思いませんでした。そしたら名前を呼ばれて、戸惑いました。「はい、おめでとう」ってMCの日村(勇紀=バナナマン)さんの声を聞いて、立ち上がらなきゃと気付いて。1回しか呼ばれたことがないから、どっち歩いてひな壇から降りればいいかわからなかった(笑い)。(『AKB48Group新聞 2016年6月号Special 乃木坂46新聞』12面)
戸惑いながらも同じタイミングで久しぶりの選抜入りを遂げた中元と北野は、自らが選抜入りしたことだけでなく、ふたりで選抜入りしたことにも意味を見出すようになっていく。3列目の両サイドに与えられたシンメトリーのポジションには実際にそのような意味があったのだと思うし、本人たちがそれを最もよくわかっていた、ともいえるだろう。
——まずは15thシングル選抜発表の時の話をお伺いしたいです。最初に中元さんの名前が呼ばれた時、北野さんはどう感じました?
北野 ひめたんが選抜入りに一番こだわっていたことは隣にいてずっと伝わっていたし、入るんじゃないかと期待されていた14枚目で選抜を逃して泣き崩れていたことも知っていて。私自身、ひめたんが選抜に入らなかったことで「この先もずっと変わらないんだ」と思ってしまったんです。だから、すべてが報われたわけじゃないと思うけど、ひめたんの選抜入りは素直にうれしかったです。ひめたんが「変化を起こしたい」と思ってやってきたことが実ったんだって。——一方、北野さんの名前が呼ばれた時、中元さんは?
中元 心強いなと思いました。14枚目ですごく落ちこんだとき、一番近くで励ましてくれたのがきいちゃんだったんです。
北野 フフフフフ。
中元 アンダーメンバーの状況だったりライブのことだったり、一番話していたのはきいちゃんだったので、15枚目も同じフィールドで活動できることはうれしかったです。端っこの2人を見て「誰だろう?」と思ってググったら、以前は2人ともアンダーだったんだと知ってもらえたらいいなって。センターの飛鳥ちゃんを含めて視覚的な新しさを出したいです。(『EX大衆』2016年8月号 p.79)
——アンダーの子たちに希望をもってもらうためにも、アンダーメンバーから選抜に上がることは大切だよね。
「最近の選抜メンバーは、あまり変わらない感じがあっただけに、今回、私と北野が入れたことが一つの突破口になったらいい。まだまだアンダーでもいけるわって、メンバーにもファンのみなさんにも思っていただけたら嬉しいです」(『CD&DLでーた』2016年7→8月号 付録ポスターブック、中元)
この夏、中元と北野は新選抜としてセットで稼働する機会が多く、新センターの齋藤飛鳥をあわせた3人を、北野はそのフォーメーションの位置関係込みで「夏の大三角形」と呼んだ30。飛鳥は選抜とアンダーの間を行き来していた時期の記憶もまだ色濃いころで31、MV撮影について「後ろを見るとひめたんと日奈子がいたので安心できました」(『EX大衆』2016年8月号 p.81)と語るなど、もともと距離の近いメンバーであったふたりに支えられながらの活動ともなったようである。
——中元さんと北野さんと一緒に選抜で活動できることを実感したのは、発表が終わって少し落ち着いた後ですかね。
飛鳥 そうですね。選抜発表されてすぐは自分のことで精一杯で混乱していたというか、自分がセンターに立つことに対してネガティブな気持ちしかなかったんです。周りのことを考えることができなかった。でも、落ち着いた時に改めてメンバーを確認で来たんです。「仲良しの2人と活動できてよかったね」と言ってくださるファンの方も多かったし、2人とは「一緒に選抜入りしたいね」と話していたので、形になったことがうれしかったです。(『EX大衆』2016年8月号 p.80)
「真夏の全国ツアー2016」では、飛鳥はシングルのセンターとして“座長”を務め、公演ごとに話す機会が設けられたばかりでなく、キャプテン・桜井玲香が活動休止にともない地方公演を休演したことなどもあり、気持ちの上で背負うものも大きかったようである。7月下旬からコンスタントに重ねられた公演は、桜井の復帰とともに最終地・明治神宮野球場にたどりつき、神宮での公演は「4th YEAR BIRTHDAY LIVE」として全曲披露のもとで行われた。台風の接近にともない開催すら危ぶまれ、本降りの雨が降る時間帯もあったなかでの決行であったが、無事に全曲が演じ切られ、クライマックスで飛鳥の涙とともに打ち上げられた花火はグループのハイライトシーンを形づくった。
その“真夏”を、選抜メンバーとして駆け抜けた中元と北野。驚きと喜びの選抜発表から、放送日でいえば約3ヶ月。その日々の自分たちのことを、翌年のふたりは「打ち上げ花火」と振り返ってもいた。目に見える目標のひとつに到達し、後輩を迎えたグループのなかで32、さらに次のステップへ。そんなふうに見えた季節であった。
そこで終わりではないから
選抜に入ることは、目標であってもゴールではない。ほかならぬふたりが長らく戦い続けたように、選抜メンバーの顔ぶれの多くがほぼ固定されていたような時期。選抜メンバーとなって活動し始めると、必然的に周囲にいるメンバーは“選抜常連組”となる。このとき選抜回数でふたりに最も近かったのは堀未央奈の7回、次いで衛藤美彩と齋藤飛鳥の8回であった。
北野 選抜発表が終わった後は「(立ち位置が)シンメだね。やったね」って話しました(笑い)。
中元 そして「頑張って、ここに居続けようね」って。
北野 私たちは連続で選抜に入ったことがないし、モニターに選抜回数が出た時、2人だけ「2回」と出て…。
中元 絶望、だよね(笑い)。でも、その中に食い込めたことは誇りだし、アンダーにもいい影響が与えられたらと思いますし。「こいつら、すぐ(アンダーに)戻って来たな」って思われないようにしたい。
北野 これで次のシングルでまたアンダーになったら、それこそ今度は4年越しになりそう…(苦笑い)。ちょっとはたかれたら、すぐに消えちゃうような存在だから、何とかしてここにいたい。……(後略)(『AKB48Group新聞 2016年6月号Special 乃木坂46新聞』12面)
——夏の全国ツアーでも、この曲が一つのポイントになりそうだよね。
北野「みんなで盛り上がれると良いなって思います。それに「裸足でSummer」に関しては、他の選抜メンバーが15回とか13回とか選ばれている中で、日奈子とひめたんだけ2回なんですよ(笑)。圧倒的に経験が違うので、テレビの中で魅せる力をどうつけるかは、たぶん私たちにとって課題になると思うんです。……(後略)(『CD&DLでーた』2016年7→8月号 付録ポスターブック)
また、中元が7thシングルで、北野が8thシングルで初選抜となった頃は、1期生を中心とする選抜未経験のメンバーが順繰りに3列目で選抜入りしていたような状況でもあったし、それ以降のフォーメーションの経緯を見ても、“選抜常連組”でないメンバーが連続で選抜入りすることには、さらに高いハードルがあったといっていい。
「8枚目の時は、与えられた椅子だったと思うんですよ。それに対して今回の選抜は、ちゃんと自分でつかみ取ったって思えるので、最初の時より嬉しいです。でも、その反面、既に次のシングルが心配にもなっているんですよ。これでまた落ちたら、今度は3年入れないかもって(笑)。そういう意味では、選抜の常連メンバーになったら、毎回もっと嬉しい気持ちを味わえるはず。だから今は、それを味わいたい気持ちが大きいです」
(『CD&DLでーた』2016年7→8月号 付録ポスターブック、北野)
結果として、その“連続での選抜入り”を、中元も北野も果たすことになる。次の16thシングルの選抜発表の模様が放送されたのは、2016年10月16日の「乃木坂工事中」#76においてであった。15thシングルの16人に、14th→15thで選抜を外れた伊藤万理華と井上小百合、そして12thシングル以来2回目の選抜入りとなる新内眞衣を加えたフォーメーション。総計19人のフォーメーションは、表題曲選抜としては当時過去最大の人数であり、20人前後で推移するようになっている現在のそれにつながるものでもあった。
一方で、自分なりにいくら結果を残しても選抜入りが叶わない、という時期を過ごしたのちの、選抜メンバーとしての15thシングルでの活動は、新たな場所でのチャレンジという側面もあり、本人たちにとっては必ずしも納得のいくものではなかったようでもある。
——15枚目の選抜に入ってツアーも経験したいま、何を感じてますか?
う〜ん……選抜に入ってからの自分に不甲斐なさしか感じてなくて。——悲観するようなことないと思いますよ。
すごく選抜に入りたくて、実際に入ったらすごくうれしくて、選抜としてここまでやってきたことで後悔が残るようなこともないんですけど……何も残すことができてないじゃないかって思ってしまったんです。(『OVERTURE』No.008[2016年9月17日発売] p.47、北野)
あるいは結局、選抜入りのラインを一度踏み越えたというだけで、フォーメーション自体に大きな地殻変動が起きたというわけでもない。16thシングルは橋本奈々未の卒業シングルとなったが、その次の卒業メンバーは中元(および伊藤万理華)である33。「メンバーの卒業があれば椅子が空く」のようなとらえ方は、少なくとも当人たちはしていなかっただろうが、その点においてもさらに、その先には高く分厚い壁があるように感じられただろう。ポジションに対する強いこだわりを持ち、それを表現してきた彼女たち。ファンもその姿を応援してきた。そのこだわりを再びその先へと向けるならば、そこから続くのはさらに険しい道である。
私に用意された席は、選抜三列目の一番端(引用者註:中元は16thシングルでも「選抜三列目の一番端」であったが、これは15thシングルのフォーメーションについて綴られたもの)でした。選抜の景色がよく見えました。これが選抜か。そしてある日、気づいてしまいました。
「これ以上、前の席はもう空かない」
いつしか選抜に入ることに躍起になっていました。選抜に入ってこんなことをしたいというのではなく、ただ選抜に入りたかった。
アンダーだった時は選抜を目指していて、悔しい気持ちを持ちながら、でも確かに日々の活動に充実感がありました。
アンダーメンバーの中心人物の一人に私はなっていました。
“底上げ”という言葉が使われていましたが、アンダーが盛り上がることで乃木坂全体がより盛り上がる。
今まで私に期待されてきた役割が、選抜発表を、乃木坂を盛り上げることだったとしたら。「私の仕事は終わった」
選抜入りというゴールに向かって努力する日々。アンダーの中心人物として必要とされる日々。それらを失った私は、次にどこを目指せば良いかわからなくなってしまいました。
(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.79-80)
16thシングルでは、サンクエトワールとして2曲目となる楽曲「君に贈る花がない」が制作されている。グループのなかでのポジションとしては、半歩程度かもしれないが、さらに前に進んだといってもいい状況でもあった34。「Merry Xmas Show 2016〜選抜単独公演〜」(2016年12月6・8日)では、前年にはアンダーライブでも立っていた日本武道館のステージに、史上初の試みである「選抜単独公演」の一員として立ち、12月8日の2公演目では、「1人1曲プロデュース」のコーナーで、オリジナルメンバーの伊藤万理華・井上小百合との“温泉トリオ”で「行くあてのない僕たち」を披露するなどのハイライトシーンを演出してもいる。これからももっと、いろいろな形で輝く姿を見られる。そんな期待感をもたせるような場面もあった。
それでも、どうすればたどり着くのか知らされていないゴールに向かって走り続け、心身ともにエネルギーを出し尽くした結果、「次にどこを目指せば良いかわからなくなってしまいました」。中元が綴ったように、「選抜発表を盛り上げて」「グループを“底上げ”すること」を役割として担った結果がその状況だったとするならば、それはあまりにも罪深い構造だったと思う。
年末ごろにはすでに相当な不調に陥っていたという中元。北野も含めた5人で出席した乃木神社での成人式(2017年1月7日)あたりを境に握手会などでの欠席が重なり、異変がファンの間でも広く知られるようになっていく35。そして1月28日36、「体調不良のため17thシングル期間のグループ活動及び個人活動を休止することになりました。」と公式サイトでアナウンスされ、正式に活動休止に入ることになる。後年明かしたところによると、このときの診断は「適応障害」であったとのことである。
20歳、仕事は完全に追い風でした。選抜にやっと選ばれ続けている今が、これまでで一番大事な時期であることはよくわかっていました。
すでに来年分の握手券も販売している。CMの契約も続いている。レギュラー番組もある。私なんかの都合で、いろいろな大人が動くことになる。メンバーにも迷惑をかけることになる。やっとの思いで摑み取った選抜の席。戻ってきたらもうなくなっているだろう。身体をボロボロにして、進学の道を断って、友人と遊ぶことも諦めて、ようやく手に入れたポジション。何ものにも代えがたい宝物でした。
失うものの大きさはわかっていました。それでも、もう限界でした。
このままでは活動は続けられない。一旦距離を置こう。
年が明けてから、17thシングル「インフルエンサー」期間を休業することになりました。この時は適応障害と診断されました。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.93-94)
体調不良を理由として休業し、シングルを不参加としたのは、このときの中元がグループとして初めてであった。
「さようならを言うため」
中元の活動休止が発表されたのは、「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」の準備が着々と進んでいたと思われるタイミングである(バースデーライブが2月に“全曲披露”だった時期は、年明けくらいからメンバーが絶え間なくリハーサルをしているのが、ある意味風物詩のようでもあった)。活動休止にともない、中元はライブにも休演となる。バースデーライブは曲数も多い。本稿でも振り返ってきたように、中元は自身が“主役”となる楽曲をいくつか持ってもいた。
メンバーにはすごく助けられました
今もよく助けられています。BDLのリハ動画を観て、
いろんな変更に付き合わせてしまって
申し訳ないなぁと思いながら嫌な顔しないで対応してくれるみんなに
改めて尊敬の日々です。(中元日芽香公式ブログ 2017年1月28日「ご報告」)
DAY1で披露された「君は僕と会わない方がよかったのかな」では、オリジナルメンバーではない齋藤飛鳥がセンターに入る。DAY2では中元自身もVTRで登場したのちに「嫉妬の権利」と「不等号」が披露され、前者では中元とともにダブルセンターの一角であり、後者ではオリジナルメンバーではない堀未央奈がセンターに立った(堀の「不等号」はこのときが史上唯一ではないだろうか)。そしてDAY3ではサンクエトワールの「大人への近道」と「君に贈る花がない」がともに披露される。ともに中元を欠いたメンバー4人の形での披露であり、「君に贈る花がない」のアウトロでは、寺田蘭世の左手に黒マーカーで書かれた「ひめたん大好き♥」の文字がモニターに大映しになった。
——サンクエトワールの『君に贈る花がない』では、寺田さんの手のひらに「ひめたん大好き」と書かれていて感動を呼びました。『乃木坂46の「の」』のトークを聞いたら、寺田さんの独断でやったということですが。
寺田 そうです。本番中、勝手にやりました(笑)。しかも、(堀)未央奈と北野は表に出てる時に。サンクエトワールとしての1曲目『大人への近道』で、サイリウムをひめたんのカラーであるピンク色にしている人が多くて。ファンの方たちのためにも、ひめたんのためにも、何かしたいなと思ったんです。あいうえお順だから着替え部屋が(中田)花奈さんの隣なので声をかけて。花奈さんは「いまからやって大丈夫なのかな」という感じだったけど、付き合ってもらってスタッフさんに話して、ギリギリ1曲前にOKがでたので書こうと決めました。私の利き手である左手に書いたのは、歌っている時はマイクで隠れるというのもあるし、「花奈さんが書いた」という意味もこめました。
——最後にカメラが左手を抜いて、しかも、その時は一瞬だけだったけど、またしっかり映したのがよかったです。
寺田 急すぎたけど、対応してくださいました。
——寺田さんのハートが強いなとも思いました。
寺田 後から中元さんにも「勝手にすみません」と連絡しました。その時の写真も送って。中元さんからは「本当にあんたは……。結婚しよう」って返信があって。
——プロポーズですか(笑)。
寺田 「それは大丈夫です」と返しました(笑)。本人が喜んでくれてよかったなと思います。(『Top Yell』2017年5月号 p.13)
中元は活動休止のアナウンスから2ヶ月も経たないうちの、3月19日の「らじらー!サンデー」にサプライズ出演する形で復帰し、4月より正式に活動を再開する。「17thシングル期間」の活動休止ということであったが、欠席となった16thシングルの握手会の振り替えに対応するという形で、シングル期間の途中から握手会を含めた活動に再合流している。ただし本人としては、体調が回復したからというより、「あまり長く休むと、かえって戻れなくなるような気がしました」と、「『残っている仕事をこなすのと、さようならを言うため』の復帰」という意識であったのだという。
1月頭に休んで、3月半ばには戻ったのかしら。「また頑張っていくぞ」よりも、「残っている仕事をこなすのと、さようならを言うため」の復帰でした。
あまり長く休むと、かえって戻れなくなるような気がしました。これ以上休んだところで快方に向かうとは思えないのに、期間を延ばすと期待させてしまうし、早い話が乃木坂から解放されたかった。
もしかしたら完全回復して続けられるかもしれないという考えも少しだけありましたが、まあ無理だろう、の気持ちが大きかったです。インタビューや誰かに聞かれた時は「これから気楽にやっていきます」と言いましたが、そりゃ「先は長くないです。辞めるつもりです」とは言えないでしょう。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.104-105)
「らじらー!サンデー」には再びレギュラー出演を続け、復帰を祝う趣旨で雑誌に登場する機会も複数あった。17thシングルの個別握手会が続いている期間にリリースされた3rdアルバム「生まれてから初めて見た夢」(2017年5月24日発売)では、3期生を含めた全員での楽曲「設定温度」に加わっただけではなく、“温泉トリオ”でのユニット曲「ごめんね、スムージー」をあてがわれ、個別握手券の販売も再開した。アルバムリリースを祝うSHOWROOM配信37では、5月26日の回に生田絵梨花とともに出演。テンションが上がりっぱなしの生田を優しくいなす中元の姿に、「やっぱりひめたんがいなくちゃな」と思ったファンも多かったのではないだろうか。
ライブへの復帰の場となった「真夏の全国ツアー2017」明治神宮野球場公演(2017年7月1-2日)。“期別ライブ”の構成で行われたこの公演において、1期生のブロックではメンバーひとりずつが名前をアナウンスされて登場する形がとられ、中元はひときわ大きな声援で迎えられる。1日目には、この日休演であった生田絵梨花にかわって「ダンケシェーン」のセンターにも立った。また、前稿[2]でも少し触れたところだが、結果としてパフォーマンスはかなわなかったものの、この間には「インフルエンサー」の振り入れにもトライしていたという38。
しかしもう、この“神宮”のときにはすでに、中元はグループからの卒業を決め、近しいメンバーには伝えていたとのことだった39。2017年8月6日、「らじらー!サンデー」の放送内で、中元はグループからの卒業を発表する。放送内ではその理由として体調面の不安をあげ、翌日午前に更新されたブログでは、“芸能界引退”を明言した。
私、中元日芽香は
乃木坂46を卒業することにしました。具体的な日付等の詳細は
追って発表する形になりますが
19thシングル以降は参加しないと
思って頂ければなと。大きな理由は体調面での不安です。
なので卒業して、芸能界も引退して、
暫くはゆっくり静養するつもりでいます。私も正直、仕事バカたったので
体調不良で休む人の気持ちがわからずに
「なんで?」って思う内の一人でした。万人にわかって欲しいとは言えませんが、
私のような人が増えないといいなと。(中元日芽香公式ブログ 2017年8月7日「お知らせ」)
この間には18thシングルの選抜発表の模様が放送されていたが(「乃木坂工事中」#112、2017年7月9日放送)、これを受けて中元は「私はただ、乃木坂の一戦士として、燃え尽きるまで闘うのみ。」(中元日芽香公式ブログ 2017年7月12日)と綴り、明治神宮野球場公演のなかで発表されたアンダーアルバムやアンダーライブ九州シリーズへの展望や、のちに解禁されたアンダー曲「アンダー」について語る場面も散見されており、このタイミングでの卒業発表は(「選抜」へのトーンの変化などから、いくぶん感じとっていたファンもいたのかもしれないが)相当に衝撃的な出来事であった。
18th選抜の話。いままでのような「悔しい」という気持ちはなく、客観的に「いまの自分にはこのポジションがふさわしいんだ」と思いました。ただガムシャラなだけじゃなく、まわりが見えるようになったんです。『アンダー』は私たちのことを歌っているようなストレートな歌詞で、アンダーに選ばれたことの意味を持たせてくれるような曲なんです。
(『Top Yell』2017年9月号 p.63、連載「中元日芽香の挑戦」内ミニコーナー「ひめたんのひとり言」)
支えあうこと
「真夏の全国ツアー2017」は、8月11日の宮城・ゼビオアリーナ仙台公演を皮切りに地方公演がスタート。中元は卒業発表とともに全公演休演を発表していた。この地方公演は「生まれてから初めて見た夢」所収のユニット曲・ソロ曲が日替わりで披露されていく機会ともなったが、中元は結局、「ごめんね、スムージー」を一度も披露しないままとなってしまった(このときは、伊藤万理華と井上小百合がふたりだけで披露)。
前稿[6]でも詳細に書いてきたところだが、このゼビオアリーナ仙台公演から、北野の不調が明るみになり始める。北野が不調を自覚するようになったのは2016年の冬ごろだったといい、これは先ほどまで振り返ってきたように、中元がかなり厳しい状態に陥っていった時期と重なる。くすぶり続けながら、少しずつ大きくなっていったものが、このタイミングで爆発してしまった。そんなふうにも見えてくる。
自分の調子が良くないかなと思い始めたのは、去年の冬ごろからで
一生懸命活動をしていくうちに
この違和感も解消されると思ってましたが
逆にあまり状態が良くなくなってきたので
お休みを決断しました。夢や希望や勇気を与えられるアイドルとしてこういった決断は
あってはならないことだと思いますが
このままでは自分も周りの方も苦しいと思うので、療養に専念させて頂きます。完治、完全復活ということが難しいものなのかもしれませんが、
今よりも状態が良くなったら
すぐに戻ります。(北野日奈子公式ブログ 2017年11月16日)
きいちゃんのこと好きだから
こんな私では頼りないかもだけど
少しでも力になりたいと思うのです2人とも属性が似てるから
足りないとこ補い合っても
まだ足りなかったりするんだろうけど似た者同士だからわかることも
あったりして。(中元日芽香公式ブログ 2017年8月21日)
独特の切なさがあったあの夏。グループには3期生という新たな風が吹き、表題曲のセンターには大園桃子と与田祐希が抜擢されていた。ゼビオアリーナ仙台での1公演目では与田の1st写真集の発売がサプライズ発表されてもいる。中元と北野がダブルセンターで引っ張るはずの九州シリーズも10月に予定され、19thシングルの発売もすでに控えながら、グループは地方公演を経て、ひとつの目標であった東京ドーム公演へと突き進んでいくタイミングであった。
グループがかつてないほど暑い“真夏”を過ごしていたなか、線香花火が落ちるくらいにあっという間に、ふたりの姿はステージから消えてしまった。
ひめちゃんがブログで
去年の私が打ち上げ花火なら
今年の私は線香花火だって言っていてなんか、その例え方が
しっくりくるのと同時に
とても切なくて寂しいなって思いました!私は去年が打ち上げ花火として
ちゃんと打ち上がったのかもわからないし
今年の自分がどんな花火なのかも
わからないです(北野日奈子公式ブログ 2017年7月27日「今が途切れないように」)
10月8-9日に開催された朱鷺メッセ新潟コンベンションセンター公演も含めると、約2ヶ月にも及んだ地方公演の期間40。愛知・日本ガイシホール公演後は北野もほぼすべての活動をストップさせ、休養に努める形ともなっていた。そこから間もなく、10月14日からスタートした「アンダーライブ全国ツアー2017〜九州シリーズ〜」。アンダー曲「アンダー」のオリジナルメンバーである、18thアンダーメンバー18人で立つはずだった初演、大分・佐伯文化会館のステージに、北野の姿はなかった。
“センター”としてひとりでステージに立っていた中元。筆者はこの公演に立ち会ったのだが、あえていうならば、彼女は“気丈に振る舞っている”ように見えた。トークのコーナーではステージから退く場面もあったものの、全体としてはMCを引っ張りつつ、北野についても「リハーサルを引っ張ってくれていた」と触れ、自分が卒業という形で離れていこうとしているグループについては、メンバーの頼もしさに言及しつつ「心配しないでください」と言い切った。福岡国際センター公演では、MC中に客席から不規則な声があがる場面があり、それに苦言を呈したこともあったと聞く。決して余裕はなくても、弱さはできる限り見せない。彼女らしい姿だったな、と思う。
大分・佐伯文化会館での2公演、福岡国際センターでの2公演を北野は休演の形となり、「アンダー」終盤のペアダンスをひとりで演じる41など、その不在を守った中元。福岡国際センター公演の3日目(10月18日)と鹿児島市民文化ホール公演(10月19日)では中元が本編では2曲のみの出演42となってしまうが、これと入れかわるように北野がステージに戻る。久しぶりのステージ、その場所は、彼女にとっても、どうしても守り抜かなければならない場所だった。
初披露から2ヶ月以上の時間を経て、ダブルセンターが初めてステージに並び立った、福岡国際センター公演3日目の「アンダー」。歌詞の朗読43が行われたのち、“影の中”でふたりが並び立つところから始まったイントロでは、中元が北野のほうへ歩み寄ってハグをして、北野がそれに応えて中元の背中を何度もポンポンとたたいた。やわらかな笑顔をたたえて始まった18人での初パフォーマンス。しかし「新しい/幕が上がるよ」と2サビを歌い上げたあたりから、中元は涙をこらえられなくなってくる。ラスサビでは、センターで踊りながらも歌唱ができなくなり、左手に持ったマイクを下ろしてしまう。あえていうならばそれは、彼女がステージ上で「ひめたん」ではない姿を見せた、数少ない機会のひとつであった。
千秋楽の宮崎市民文化ホール公演(10月20日)は、ふたりがライブ冒頭から並び立った最初で最後の公演となった。限界ともいえる状況のなか、その場所に中元を連れてきたのは北野だったという。
——ものすごい緊張感が張り詰めていましたよね。なんなら言わなくてもいいよっていう。
北野 でも、初センターだったから伝えないといけないと思ったんです。それに、他のメンバーの気持ちもあるじゃないですか。九州シリーズを守ってきたのは私たちだっていう。そんな気持ちに私とひめは応えないといけないですよね。だから、ひめも限界だったのはわかっていたけど、「もうちょっと出ようよ」と私から話して、出番を増やしてもらったんです。ひめにとって最後のライブっていうのもあったし。そういうこともあって、一番心に残っているのは九州シリーズですね。(『BUBKA』2019年3月号 p.19)
北野は「他のメンバーの気持ち」にも触れ、「そんな気持ちに私とひめは応えないといけない」と語った。九州シリーズはふたりだけのステージではないし、ふたりがステージに戻ってくるまで、その場所を守ったのは16人のアンダーメンバーである。支え合い、支えられてたどり着いた宮崎市民文化ホール。傷だらけで手に入れたその光が、確かにそこで輝いていた。
アンダーライブ九州シリーズ
千秋楽を終えることができました。私は福岡三日目、鹿児島、宮崎の
三公演をみんなのおかげで出演することができました。メンバーやスタッフさんに理解をしてもらいながら、たくさん支えてもらいました。
本当に感謝しています。
ありがとうございました。
それから、ひめちゃんお疲れ様でした。
思いの丈はひめちゃんに伝えたし
これからも大切な存在です。戦友から心友に。
本当にメンバーの温かさと優しさに
たくさん触れた期間でした。メンバーのことが大事だし大好きです。
ひとりひとりに感謝を伝えたいから
それはまたタイミングがあるときに
伝えられたらいいな!みんなお疲れ様でした!
(北野日奈子公式ブログ 2017年10月22日)
アンダーライブ九州シリーズ
終わりました!「アンダー」という曲に
皆んな真正面からぶつかって闘って
リハから本番までハードでした。参戦してくださった皆さんの感想も
楽しかった!だけではないと思います。福岡3日目、鹿児島では
2曲しかステージに立てず。
ひめたんを観に来て下さった方
申し訳ありませんでした。今回のアンダーライブも
自分の中で色々と葛藤があって、最終的にステージに立てたのは
少しでもひめたんの体調を考慮して
調整を重ねて下さったスタッフの皆様、広い心で待っていてくれた
メンバーのみんな、そして期待して下さった
ファンの皆様のお陰です。本当にありがとうございました。
最後の最後まで迷惑を掛けてしまいましたが
全員揃ってステージに立てた事、
幸せに思います。(中元日芽香公式ブログ 2017年10月23日)
「ひめたん」の「最後のあいさつ」
九州シリーズから息つく間もなく、11月7-8日に「真夏の全国ツアー2017 FINAL!」としてグループ初の東京ドーム公演が開催される。中元と北野も出演を果たすが、ライブ冒頭にはその姿はなく、中盤のアンダーブロックからの出演となった。アンダーブロックでは、最初に19thシングルアンダーメンバーが、それに続いて歴代のアンダーライブ出演メンバーがひとりずつ呼び込まれて登場し、「ここにいる理由」「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」「君は僕と会わない方がよかったのかな」「生まれたままで」を披露。そして18thシングルアンダーメンバーによる「アンダー」、19thシングルアンダーメンバーによる「My rule」が披露される、という流れであった。
北野の出演はこのブロックの「アンダー」までと本編最後の「いつかできるから今日できる」、そしてアンコールという形であったが、中元の出演曲数はさらに絞られ、「君は僕と会わない方がよかったのかな」と「アンダー」、そしてアンコールでも後半の「設定温度」と「乃木坂の詩」、そして2日目ダブルアンコールの「きっかけ」のみ、という形であった44。それでも中元は卒業直前、北野も正式に休業に入る直前というタイミングで、グループにとっての記念碑ともいえる東京ドーム公演のステージに立てたということには、大きすぎるほどの意味があった。
東京ドーム2days。
みんなの夢が叶ったことが嬉しいし
その瞬間を共有できたことが嬉しい。君は僕と会わない方が良かったのかな
アンダー
設定温度
乃木坂の詩
きっかけどれも大切な曲です。
ドームで歌えて本当に良かった。46人で歌うのは神宮が最後だろうと
勝手に思っていました。
7/2に私の夏は終わったと。でももう一度みんなで歌えて良かった。
色んな人に迷惑を掛けてしまいましたが
出演できて良かったです!今まで言ったことなかったですが
君僕での一面のピンク色、
本当に綺麗でした。背中を押された気がします。
絶景でした。目に焼き付けましたよ。
ずっと愛され続ける楽曲になってほしい、、人に愛されて成り立つお仕事、アイドル。
素敵だなと思いました。アンダーの歌詞へのアンサーとして
誰になんと言われようと
「私の人生はここにあったな」と。(中元日芽香公式ブログ 2017年11月10日)
この東京ドーム公演が中元にとって最後のライブであったことになるが、直前の11月4日には最後の握手会(京都パルスプラザでの18th個別握手会、振り替え対応のみ)に臨んでもいた。卒業に際して経験する数々の“最後”。ラストメッセージのような形で発信される言葉も多くなる。「さようならを言うため」に活動に復帰したともいう中元。しかし、この時期の握手会において、ファンとこんなやりとりがあったのだという45。
最後の方の握手会はさようならを言うためにやっていました。もし芸能界に復帰することがあるなら……とか。街で見かけたら……とか。そんなみなさんの希望をズバズバと斬って斬って斬り捨てまくっていました。
そんな握手会の最中、一人のファンの方からこんなことを言われたのです。
「さようならと言われるのは悲しいから、またねと言ってほしい」さようならは、私の「もう追いかけないで」という一方的な思いでした。ファンを突き放したいのではないのです。アイドルのひめたんに、私はもう会いたくなかった。疲れてしまった。でもそれってすごく自分勝手な考えで。……(中略)……
思い出の中で「彼女が最後に残した言葉」はきっと綺麗なものであってほしい。そこに中元日芽香の私情は要らない。それよりも最後までアイドルを全うすべきだ。だからひめたんはこう言うようになりました。またどこかで。
(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.113-114)
九州シリーズ千秋楽のアンコールにおいて、確かに中元は「どうか私を引きとめないでください」と、きっぱりと口にしていた46。中元の言い方を借りるならば、卒業を決断して行動に移したのは「中元日芽香」で、「追いかけないで」「引きとめないで」という言葉も、おおむね「中元日芽香」としての語りであったが、ファンから見えていたのは「ひめたん」であった、というようなことになるだろうか。「ファンは中元を理解していなかった」と言いたいのでは決してない。「中元日芽香」と「ひめたん」の間を隔てるものは、アイドルとファンの間を隔てているものにほかならない。
ひめたんとして過ごす時間は、とてもポップで愉快なものでした。
現場で見る景色は基本的に、私ではなくひめたんの目で見たもの。歌うのも踊るのもひめたん。話すのも基本的にはひめたん。ただし不意に“私”が顔を覗かせることがある。中元日芽香とはそんなアイドルでした。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.30-31)
アイドルを卒業するからには、そしてそれを発表し、その日に向かっていくからには、もう「中元日芽香」として発信を行っても、「ひめたん」として発信を行っても、どちらでもよかったと思う。しかし結果として、中元は最後まで「ひめたん」として卒業していくことを選んだ。
東京ドーム公演では、2日目のダブルアンコールの最後に、伊藤万理華とともに卒業に際した挨拶をする機会が設けられた。そして最後に、万理華とともに客席に向けて一礼をした中元は、ステージを去る間際に「ばいばい、またね」と、マイクに乗せずに口にした47。
「みなさん本当にありがとうございます。
『君の名は希望』の歌詞のなかにある、『未来はいつだって/新たなときめきと出会いの場』っていうフレーズが私すごく大好きで。万理華と、そしてこれからの乃木坂ちゃんの未来が、ときめきにあふれた素敵なものになると、私は信じています。
これからも乃木坂のこと、よろしくお願いします。6年間お世話になりました。ありがとうございました。」(2017年11月8日「真夏の全国ツアー2017 FINAL!」2日目ダブルアンコール 中元日芽香挨拶)
ライブ直後には「乃木坂工事中」(2017年11月19日放送、#131)で放送された、バナナマンとの最後のやりとりがあり、最後にはバナナマンの両名と「びーむ」で記念撮影を行っている。また、同様に「AKB48 SHOW!」(2017年12月2日、#170)で放送されたコメントもこのときに収録されているが、中元はカメラに向かって「ひめたんびーむ」を放ち、そのコメントを締めている。また、東京ドーム公演を控えた10月29日の「らじらー!サンデー」48で解禁された、RADIO FISH feat.中元日芽香(乃木坂46)名義のコラボ楽曲「LAST NUMBER」は、東京ドーム公演にあわせる形で11月8日に配信シングルとしてリリースされたが、そのなかでも「さようなら」「ありがとう」とともに、「またあえる」と歌われている49。
「らじらー!サンデー」には2017年11月19日の放送回が最終出演となった。井上小百合がゲストメンバーとして迎えられ、中元の両親も立ち会うなか、放送初期の2015年4月19日に生田絵梨花がピアノを演奏して中元が歌唱した「君の名は希望」や、サンクエトワールの「大人への近道」、「君は僕と会わない方がよかったのかな」がオンエアされるなど、思い出が振り返られるような構成のなか、レギュラーMCの井上への引継ぎも行われた。そして最後には、「いつまでも『らじらー!』リスナーでいてください」「乃木坂ファンでいてください」「オリラジファンでいてください」とともに、「中元日芽香のファンでいてください」のメッセージが送られ、放送が終えられている。
この翌日となる11月20日には、中元はアンダーアルバム「僕だけの君〜Under Super Best〜」に特典映像として収録されたドキュメンタリー「最後のあいさつ / Her Last Bow」の撮影で、「君は僕と会わない方がよかったのかな」のMVを撮影した長野県上田市を訪れている。ロケ地を巡ったのち、ダンスシーンが撮影された千曲川橋梁を臨む河川敷でインタビューに答えた中元は、「中元日芽香にとって乃木坂46とは」と問われ、「すべてでした」「居場所でしたね」と答える。同作の最後では「6年間、本当にお世話になりました。アイドルでいられて、幸せでしたよ?」として、「本当に、ありがとうございました。またね」と「最後のあいさつ」が投げかけられた。そして、カメラに向けて「びーむ」を放ち、向こうへ振り返る姿で終えられた。
中元の最終活動日は明確でなく、ファンの前に立つ活動としては2017年11月23日に行われた「乃木恋」の「彼氏イベント」50が最後であったが、翌日の11月24日には向井葉月と渡辺みり愛のSHOWROOM配信に飛び入り参加し51、「ひめたんびーむ」を放っている。その後、12月6日には約2年にわたって連載記事「中元日芽香の挑戦」に登場してきた『Top Yell』に、連載の締めくくりとしてロングインタビューが掲載される。12月15日には事前収録で「バナナムーンGOLD」にサプライズ出演し、12月22日には最後のブログを更新した。
親愛なるメンバーひとりひとりに
この言葉を贈ります。
声を大にして言いたい。あなたは乃木坂に必要な存在だよ。
ここに至るまでに誰か一人でも欠けていれば
今の乃木坂はなかった。本当にありがとう。スタッフの皆様、ファンの皆様。
今までお世話になりました。
本当にありがとうございました。またどこかで。
中元 日芽香
(中元日芽香公式ブログ 2017年12月22日)
「またどこかで。」と、決めたことを最後まで徹底しているところが、まさしく「ひめたん」だな、と、いま振り返ってみて思う。それは「最後のあいさつ」の件だけではなく、ここまで振り返ってみて、ずっとである。ツインテールを辞めるなど、ある程度スタンスの変遷はあったものの、「アイドル」としての核はずっと、おそらく一貫していた。
——乃木坂46に入る前と後で、自分の中のアイドルの定義みたいなのは変わったわけですよね。
中元 そうですね。キレイなところだけじゃなくて、不器用なところを見せることもエンタテインメントなんだろうな、とは思うようになりました。ただ、理想としては、「できないけど、私なりに頑張りました。てへ」よりも、なるべくキレイな形を見せたいという気持ちは変わらなくて。考え方は変わったけど、「理想」を問われると変わらないんです。(『Top Yell』2018年1月号 p.18)
活動休止に入るにあたっても、それを受けてロングインタビューを受けるなど、(そうした設定そのものに問われるべき部分はあるし、近年ではあり得ない現象であるとも思うのだが)仕事を全うすること、そのことでアイドルたる自分が成立しているというスタンスは強烈に現れていた。本人は「『先は長くないです。辞めるつもりです』とは言えないでしょう。」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.105)ともいうが、当該のインタビューを読み返していると、内心とだいぶ逆向きのことが、いわば「ひめたん」の台詞として語られているようにも思えてくる。
——17thシングル期間を活動休止するとのことですが、体調のことなのでしかたないと思いつつ、正直、「このタイミングで休養してしまうんだ」と感じてしまいました。乃木坂46の中で存在感が増して、明治のCMだって公開されたばかりで。1年前では考えられなかった状況だと思うんですよ。
中元 振り返ってみると大事じゃない時期なんてないなと思ったんです。いまは初めて2連続選抜メンバーになって、握手会に来てくださる方が増えて「次は福神だね」「いつかセンターを見てみたい」と言っていただいて。おやすみが決まった後の握手会では「ごめんね」と心の中で何度もつぶやきました。でも、1年前はどうだったかというと、アンダーセンターで選抜に上がれるかもしれないという時期だし、2年前に休んだら戻りたくても気持ちが追いつけなかったかもしれない。
——活動を続けるために休養するということでいいですか?
中元 もちろんそうです。ここで無理しても、遅かれ早かれ「もうダメだ」という時がくるんだろうなって。
——あの……戻ってくるんですよね?
中元 戻ってきます(笑)。(『Top Yell』2017年3月号 p.56)
——ファンの方は中元さんの復活を待ってて大丈夫なんですよね?
中元 はい。無理だとは分かってるけど、新しい子や他のアイドルに寄り道せず待っててくれると……信じてます(笑)。
——連載も休止明けは続けて大丈夫ですか?
中元 むしろ呼んでほしいです。全然無茶振りしてください!(『Top Yell』2017年3月号 p.57)
アイドルとしてなされた当時の発言と、卒業後に綴られた著書の内容をつきあわせて答え合わせをするような、だいぶ趣味の悪い記事になってしまっているが、そこにある「中元日芽香」と「ひめたん」の間の隔たりについても、中元は自ら説明を加えているので、それを引用してひと区切りとすることにしたい。
それから、映像(引用者註:「乃木坂46のドキュメンタリー映像」とされており、おそらく「最後のあいさつ / Her Last Bow」のことを指していると思われる)の中で彼女は「アイドルでいることができて幸せだった」と言っていました。ひめたんはいつ如何なる時も、目の前の人たちに愛されるような振る舞いをしました。ひめたんは表に出ている時だけでなく、メンバーやスタッフさんといる時もアイドルとして関わりを持つことを望みました。ひめたんはどうも怖いもの知らずのようで、番組で共演するタレントさんに臆することなく接していました。ひめたんはハングリー精神を持っていて、度胸があって、ガッツがありました。熱いヤツでした。
私はお仕事自体もそうですが、きっとひめたんを側から見ているのが楽しかったのだと思います。
私には行動や感情のリミッターを振り切ることが難しくて、なかなかできません。無自覚に制御してしまう造りになっています。でも彼女を纏うと途端に視界が開けるような気がします。ひめたんの言動は潔い。感情の張りが常に大きく振れて忙しいです。そうか、これだ。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.121-122)
とにかく夢中で、全力で駆け抜けていたというアイドル人生。そこからの卒業は、「ひめたん」からの卒業、ということも意味していたといえるかもしれない。
“4年半”の日々
中元がグループを離れる一方、北野は2017年11月16日の発表をもって正式に休業に入ることになる。休業発表の日のブログにも「活動をお休み中でもブログを更新できるときはしたいと思います」(北野日奈子公式ブログ 2017年11月16日)と綴られていたが、中元がメンバーとしておおむねすべての仕事を終えたタイミングと思われる11月27日、彼女のことを中心とする長いブログを書いている。複雑な感情を前向きな言葉に落とし込んでメッセージとして贈っているような、そんな印象をもつ文章であった。
改めてひめちゃんお疲れ様!
言いたいことも聞きたいことも
たくさんあるけれど、
その大半は今のこの時よりも
昔のことで、未来に歩き出している
ひめちゃんにも私にももう関係ないことなのかなと思うので忘れます!ひめと出会ってから今日まで
本当にいろいろなことがあって
乃木坂の中元日芽香は私はほんの少しの
4年しか知らないし
仲が深まったこの2年間のことしか
わかってあげられないけど
この2年の時間の中でも十分に伝わるように
ひめちゃんは暖かくて優しくて
可愛くて賢くておっちょこちょいな部分と
皆んなの前で私の大好きな可愛い笑顔を見せている裏に
本当に苦しくて辛いこともたくさんあったと思います。そんなひめちゃんを見るたびに
なんとかしなくちゃって
どうにかしなくちゃって思ってました!ひめの存在を感じることで
ひめのことを思うことで
今のこの現状を変えたいって
そういう気持ちが私は選抜にいきたい
もっと前で歌って踊りたいって気持ちに
反映されていたんだと思います。それは自分のためでもあるし
応援してくださるファンの方のためでもあるけど、同じフィールドの中でも1番近くで走っているひめたんの存在を感じることで
少ない可能性の中にも一生懸命光を探して
走ってこれたんだと思います!そんな大事な大切な戦友の卒業をむかえ
今、感じていることは
卒業おめでとう。寂しいよ。でも、私もきっと頑張るから私たちのあの時の楽しい気持ちも嬉しい気持ちも、それから悔しくて辛い気持ちも全部これからの糧にしていきます!これからのひめちゃんの未来も
ときめきに溢れた素敵で幸せな
ものになりますように!仲良くしてくれてありがとう!
これからもよろしくね!
(北野日奈子公式ブログ 2017年11月27日「新しいニット」)
「乃木坂の中元日芽香は私はほんの少しの4年しか知らない」「仲が深まったこの2年間のことしかわかってあげられない」と北野はいう。しかし、ふたりで味わってきた「楽しい気持ちも嬉しい気持ちも、それから悔しくて辛い気持ちも全部これからの糧にして」未来へ進んでいく。前稿[6]などでも振り返ってきたように、休業に入ったばかりのこの頃はまだ体調的には厳しく、心身の状態が思うようにいかないことで、年末年始にかけてはむしろ悪いほうに追い込まれていったような部分もあったのではないかと伺える。それでも未来への決意を綴ったブログだった。ここから卒業まで約4年半、「乃木坂46の中元日芽香」と過ごしてきた以上の時間を、北野は乃木坂46のメンバーとして時間を重ねていくことになる。
その“4年半”には、単に経過した時間という以上の意味がある。「体調不良を理由として休業してシングルを不参加としたのは中元が初めて」と書いたが52、北野は20thシングルに不参加の形となり、これに続く形となっている53。本稿でも振り返ってきたように、中元は活動に復帰しつつも数ヶ月(シングルでいえば1作)で体調不良を理由にグループを卒業しており、北野は休業から復帰して活動のペースを元通りに戻した最初のメンバーであった、ということができる。北野は「休業をするのもすごく勇気が必要でした。出遅れたらもう選抜に二度と戻れないんじゃないかと思っていたから。ボーダーライン上で必死にしがみついていたのに、そのラインから手を放すことはすごく怖かったです。」(『希望の方角』北野日奈子インタビュー)と振り返っているが、そうしたプレッシャーも含めて体調面の問題に打ち勝ったといえると思う。少しひいき目が入っているように思われるかもしれないが、そうした北野の姿や歩みがグループの舵取りに影響を与えた面も大きかったと筆者は感じている54。もしかしたら中元にも、そうした道があったかもしれない。誰しも脳裏をよぎってしまうようなそんな考えにも北野は正面から向き合い、中元との確かな紐帯をもち、ともに積み重ねて手に入れてきたものを内に持つ自分自身がグループで走り続けることによって、その一部を実現しようとしたのだと思う。
その“4年半”の終わり、卒業日に更新したブログで、北野はこのように綴っている。
最後に、
彼女のブログを読んだので、最後のブログで少しだけ返信を。彼女が私の心に残してくれた強くて儚い線香花火の灯りが消えないように大事に、いつも私の心には彼女がいました。
居場所が同じところじゃなくなっても、彼女の日常が私の隣じゃなくなっても、当たり前に一緒に頑張っている気持ちでした。
ずっと隣にいて欲しかった、一緒に頑張りたかったと勝手な思いを持ちながら彼女の分も!と走ってきました。
だからこそ、ここまで辿り着けたんだなって思います。
卒業コンサートが終わってから、二人で話したんだけどね。
心のどこかに落としてしまった何かを、形が分からなくて見つけられなかったものを、二人できちんと見つけ自分の中の大切なところに置くことができました。
ありがとう、一緒に過ごした少し苦くて、でも何にも変えられない日々が私を強くしてくれたよ。
私たちずっと頑張ってきたよね、偉かったよ!
ゆっくり温泉旅行にでも行って、思い出話に花を咲かせようね。!(北野日奈子公式ブログ 2022年4月30日「乃木坂46」、3行目以降の改行は引用者による)
「いつも私の心には彼女がいました」「当たり前に一緒に頑張っている気持ちでした」という、あまりにもストレートな表現。この間の北野は、中元のことを語り、あるいはステージの上で表現する場面は多かったように思うが、そのような思いをここまでストレートに口にすることはなかった。
「大変なこともあったでしょう。頑張ったね」と言ってもらうこともありますが、あまり頑張ったような感覚はないのですよね。
犬にジャーキーを見せたら、喜んで追いかけてくるじゃないですか。あんな感じです。険しい道のりだということにあまり気づかず、ジャーキー欲しさにずっと走り続けてきました。「夢中だった」という表現がしっくりくるような気がします。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.123-124)
乃木坂46での6年間について、「あまり頑張ったような感覚はない」という中元。そんな彼女に「私たちずっと頑張ってきたよね、偉かったよ!」と、その“頑張り”を表現し、彼女なりの温度感でねぎらうことができるのは、北野だからこそであっただろう、と思う。
ここからは北野が、その「当たり前に一緒に頑張っている気持ち」で走り続けた日々について、いくつかの切り口から振り返っていくことにする。
再び走り出す
北野は休業期間を経て、「真夏の全国ツアー2018」および21stシングルの期間より本格的に活動を再開する。ツアーでは、その始まりに設定された明治神宮野球場・秩父宮ラグビー場で開催された「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2018年7月6-8日)を含む全公演で「アンダー」が披露され、そのセンターには北野がひとりで立つ形となったことや、「アンダーライブ全国ツアー2018〜北海道シリーズ〜」(2018年10月2-5日)には1年ぶりとなるアンダーライブに参加し、千秋楽公演では次作でアンダーセンターを務めることが発表されたこと、武蔵野の森総合スポーツプラザで開催された「アンダーライブ全国ツアー2018〜関東シリーズ〜」では座長を務め上げたことなど、その歩みは前稿までで書いてきた通りである。
特に秋ごろまでは、まだ体調面での不安も大きく残っていたようで、北野はこの時期に1st写真集『空気の色』の撮影のためにスウェーデンを訪れているが55、「ロケ出発前に成田空港で、『10時間以上のフライトで体調が悪くなって撮影できなくなる気がする、そもそも怖くて飛行機に乗れないかも……』と、焦っていたんです。」(『空気の色』北野日奈子インタビュー)という状況であったという。しかし、その撮影を楽しく終えられたことで、気持ちが上向いていったという部分もあったようである。
このロケに行く前は、「楽しい」とか「嬉しい」のように感情が動くことが少なくなっていました。でも、スウェーデンの風景や圧倒的な大自然を前にして、感情や言葉が溢れてくる感覚を取り戻せた気がしました。自分の世界から思い切って飛び出してみて、「自分にも誰にもこの悩みはどうしようもできない」と思っていたのに、「この悩みには解決方法があるかもしれない」と思うようになりました。
(『空気の色』北野日奈子インタビュー)
休業発表から丸一年となる2018年11月16日、北野はブログを更新する。タイトルは「31536000」で、これは365日を秒に換算したときの数字である。舞台「じょしらく」の演出を務めた川尻恵太から教わったという「人は過去を変えることはできないけど、過去の持つ意味を変えることができる」という言葉が紹介されたが、これは『空気の色』のインタビューにも見出しとして用いられた。体調に関しては「完治することがないことではありますが」とも言及したが、前向きな気持ちが表れたブログであったように思う。
みなさまこんばんは!
北野日奈子です!ちょうど1年前
休業することを皆さんに伝えましたいまここで少し振り返ってみると
ちゃんと意味のある毎日だったなと
感じます!じょしらくでお世話になった演出家の
川尻さんからこの間、
「人は過去を変えることはできないけど、過去の持つ意味を変えることができる」と教えてもらって
私にいま必要なことはたくさんあるけど
その中でもこの言葉の意味は
とても重要であって、今だけじゃなく
今後生きていく未来にかけてずっと必要な事だなって思いました!(北野日奈子公式ブログ 2018年11月16日「31536000」)
また、ほぼ同時期の2018年11月20日56には、中元は公式サイトを開設し、心理カウンセラー&メンタルトレーナーとして、カウンセリングサロン「モニカと私」での活動をスタートさせた。また、この間には早稲田大学人間科学部eスクールにも入学しているが、出願に際しては「乃木坂を卒業する前の夏の終わり」に、高校3年生のときの担任とも相談していたという(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.173)。最後のブログでは「私の進みたい方向性は一応プランはあります。」(中元日芽香公式ブログ 2017年12月22日)とも綴られていたが、それを実現させた、ということにもなるだろうか。
――2018年4月に早稲田大学人間科学部eスクールに入学されました。早稲田に入ろうと思ったのはなぜですか?
もともと大学に行きたいと思っていましたが、私は器用ではないので、アイドルの仕事との両立は難しいと思い、諦めていました。乃木坂46卒業を機に臨床心理学の勉強がしたいと考えるようになって、最初は心理学部がある大学を探していたのですが、その中で見つけたのが早稲田大学人間科学部の健康福祉科学科でした。ここなら臨床心理学の勉強もできるし、包括的に人間に関する学びができると思い、受験しました。1次選考と2次選考の間に東京ドーム公演もあったので、入学試験のときはちょっと大変でした(笑)。
(早稲田ウィークリー「元乃木坂・中元日芽香、アイドル挫折を乗り越えてたどり着いた大学での学び」[2019年11月26日])
また「モニカ」は、休業期間中に飼い始めたという愛犬の名前でもある。近年でも「中元日芽香の『な』」57などでたびたび話題にあがる存在であるが、ともに暮らす家族であるとともに、すでに7歳となっており、重ねた時間を客観的に意識させられる部分もあるようだ。
彼女の休業期間を語る上で、新たに飼い始めた子犬の存在は欠かせない。望日香(もにか)と名付けられたこの子犬が中元復帰の大きな手助けとなったのみならず、彼女の家族との絆をさらに深めた重要な存在となったのだから。
「うん、私は望日香ちゃんにすごく救われたなと思っています。私はいいカッコしたがりなので(笑)、今までは外に出たらずっとスイッチオン状態。で、独り暮らしなのでオフ状態で帰宅しても話す人は特にいないし、テレビっ子じゃないからテレビもあんまり観ないので、誰とも喋らずに過ごしてきたんですけど、望日香ちゃんが来てからは家にいると肩の力が抜けて。良いお話し相手になってくれるし遊んでくれるしで、本当によく喋るようになったし、よく笑うようにもなりました。
きっと彼女がいなかったら、ずっと独りで家で考え事をしていたと思うので、もしかしたら復帰もちょっと遅くなっていたかもしれない。早く復帰できたのは望日香ちゃんのおかげもあると思いますよ。
今、私は母や妹とは一緒に住んでいなくて。父は広島にいて、姉も別の場所にいるので、うちは家族がみんなバラバラに住んでるんです。でも、家族LINEに望日香ちゃんの写真をポンと貼ると、みんながワーッと集まってくる。だから、望日香ちゃんがうちの家族をまたひとつにしてくれたというところもあるので、すごく感謝します(笑)。
もう完全に溺愛状態。親バカ…じゃなくて、姉バカですね(笑)」
(『別冊カドカワ 総力特集 乃木坂46』vol.4[2017年7月3日発売]p.129)
明けて2019年、北野は23rdシングルで、2列目のポジションで選抜に復帰する58。シングルは5月29日に発売となり、7月にスタートした「真夏の全国ツアー2019」を、北野は福神メンバーとして迎えることになった59。加えてこのツアーのセットリストには、ダンストラックとともに「日常」が加えられて全公演で披露され、披露時の青一色のサイリウムカラーが定着していく端緒となるなど、北野自身の活躍も目立ち、転機となるツアーともなる。“あの夏”から2年、ふたりはそれぞれの場所で確かに歩みを進め、その様子が公に見てとれるようにもなっていた。
中元はグループ卒業後、乃木坂46やそれを思わせるものからは距離を置いていたとのことだが、初代キャプテン・桜井玲香の卒業公演となったこのツアーの千秋楽を観に訪れていたという。不安はやはりあったというが「まず、直視できている自分に安心」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.185)したといい、変化を続けながら前へ進むグループの現在地や、卒業していく桜井の晴れやかな姿に心を動かされたという。終演後は楽屋挨拶にも訪れて記念撮影をして、現役メンバーや卒業生と懐かしく話をする機会も得られたようだ。
いつかファンの人たちに「(卒業していく)私を引き止めないでください」と言ったことがありました。決意は固いですよ、もう何を言われても気持ちは変わりませんよ、の意思表示でした。そんな悲しいこと言わなくてもいいのに。わざわざ言いたかったのだと思います。
時間はかかっていい。乃木坂を心から好きと言える自分になりたい。
好きだった乃木坂を見て、嫌悪感を抱きたくない。
自分の過去をちゃんと消化したい。成仏させてあげたい。卒業してから一年半が経ち、少しずつそんな気持ちが芽生えました。
(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.176)
君に贈る花
2020年2月21-24日に開催された「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」は、“全曲披露”で行われた現状最後のバースデーライブとなっており、このとき以来現在に至るまで披露されていない楽曲もある。あるいは前年の「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」以来1年ぶりの披露となる楽曲も多く、サンクエトワールの2曲、「大人への近道」と「君に贈る花がない」もそこに含まれた。
リリース順の披露の形はとられなかったこのときのバースデーライブにおいて、この2曲はDAY3となる2月23日に披露されている。メンバーはオリジナルメンバーのみで、堀未央奈・寺田蘭世・中田花奈と北野の4人。「大人への近道」は序盤の9曲目での披露で、「君に贈る花がない」は終盤の39曲目での披露であった。「君に贈る花がない」では、メインステージのモニターでサンドアート風の演出がなされ、そこで描かれていた“花”は、ガーベラであったように見えた。
この日のライブを終えた23時ごろ、北野はぽつりとつぶやくように、755に投稿する。
君に贈る花がない
に弱いです
(2020年2月23日深夜 北野日奈子755)
今でもみなみちゃんと3人でよく会うのに、会えなくなったわけではないのに
どうしても彼女のことを思うと
涙が出てきますね(2020年2月23日深夜 北野日奈子755)
「君に贈る花がない」は16thシングルに収録されたもので、このとき堀と北野、そして中元は選抜メンバー、次のシングルでは寺田と中田も選抜入りしていたというタイミングであり、サンクエトワールが発足した当初の「アンダーメンバーによるユニット」というコンセプトはなくなっていたといえる。それでも2曲目があてがわれたことにはいろいろな事情や考えがあったことだろうが、メンバーそれぞれも「2曲目」を熱望していたというのは確かであり、直前の時期のライブであった「4th YEAR BIRTHDAY LIVE」ではその旨がMCで表明されてもいた。
北野「私はですね……個人的になんですけど、このシングルで、この13枚目のシングルでサンクエトワールというアンダーメンバー5人だけでユニットをつくらせてもらって。それもMVつきでね。物語調になっていて、そのMVが初めて演技をするっていう並の経験だったので、すごい難しかったんですけど、でもすごいね、楽しくて。なんか……ねえ? ちょっと、サンクエトワール……もう1回やりたいなあ、っていう。ねえ! ひめたん!」
中元「サンエトでもう1曲、やりたいなあ〜?」
北野「花奈さんは? 花奈さん!」
中田「えー、じゃあ、みなさんはサンエトのこと、好きですか〜?」
(観客レスポンス)
北野「ねー、蘭世?」
寺田「はい、寺田も激しく同意でございます」(2016年8月30日「4th YEAR BIRTHDAY LIVE」DAY3 中盤MC ※堀は不在)
そうしたなかで制作された「君に贈る花がない」であったが、この頃にはすでに中元は不調の状況が始まっており、レコーディングでは苦しい状況に直面してしまっていたのだという60。
新曲のレコーディングで少し早いテンポ、というか早口の楽曲がありました。音の数に比べて詞がギュッと詰まっている、という表現で合っているかな。
うまく舌が回らず、「中元、そこ言えてないよ〜」という指摘を受けて。
いつもなら「ごめんなさ〜い、もう一回やらせてくださ〜い!」となるところなのですが、この時は涙をこらえることができませんでした。
怒られているわけでも、責められているわけでもないのに。泣くところじゃない、泣くところじゃない。奥歯をグッと噛み締めて、わずかな力で抵抗してみます。
でもダメでした。静かに泣いてしまいました。レコーディングスタジオのマイクは性能が良いので、スタッフさんに生々しい泣き声を聞かせてしまいました。
他のメンバーもいたので、みんなが録って帰ってから最後に録り直してもらいました。この時期の私は涙腺がバカになっていて、制御が利きませんでした。意思に反して、少しの衝撃ですぐに涙が出てしまう状態でした。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』 p.87-88)
シングルは発売され、全国握手会での披露はあったものの、前述の通り「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」に中元は欠席となり、中元を除いた4人での、大きなライブでの初めての披露となった。そして結局この後も、中元はこの楽曲を披露する機会を得ないまま、グループを卒業することになる。「大人への近道」がサンクエトワールにとって青春時代のような記憶であったとするならば、「君に贈る花がない」は少し色彩が異なるように思う。「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」での「ひめたん大好き♥」の記憶とともに、中元の不在が、そこにはずっと横たわっていた。もう伝えることはできない、永遠に伝えてはならない恋愛感情を、“花”にたとえた歌詞。もう手に入れられないものを「その花は僕たちが出会う前に摘まれてた」と描くその歌は、やがていつの間にか、彼女の存在を逆説的に浮かび上がらせるものとなっていく。
多くのユニット曲と同様に、「君に贈る花がない」もライブでの披露機会が限られる状況が続いていくが、そのなかにあって、「真夏の全国ツアー2018」ひとめぼれスタジアム宮城公演1日目(2018年9月1日)のジコチュープロデュース企画で、鈴木絢音のプロデュースで披露されたことがあった。このときは鈴木と3期生4人(岩本蓮加、阪口珠美、中村麗乃、吉田綾乃クリスティー)による披露であった。
この次の披露機会が、「アンダーライブ全国ツアー2018〜関東シリーズ〜」(2018年12月19-20日)であった。このときアンダーセンターとして座長を務めていた北野は、セットリスト作りにもかかわっていたといい、ここでこの曲が披露されたことにも、彼女の思いが反映されていたものと想像できる。このライブに参加していたオリジナルメンバー3人(北野、寺田蘭世、中田花奈)による披露であり、披露後のMCでは、「ひめたんが卒業したいま、サンエトをね、どんどんこう……伝えていくのって私たち4人しかできないので」とも語られていた。中元との思い出のユニットでもある、「サンクエトワールを伝えていく」こと。それからも北野は、そうした思いをもって活動を続けていくことになる。
「『君に贈る花がない』を披露させていただきました。
もともと、サンクエトワールというアンダーメンバーのなかで結成されたユニットだったんですが、卒業したひめたんと、未央奈と花奈さんと私と蘭世の5人のユニットでやって、本当に5人ともサンクエトワールをすごく大事にしているし、曲もすごく大事にしているので、今回ここで3人で披露するのってどうなんだろうと思ったんですけど、ひめたんが卒業したいま、サンエトをね、どんどんこう……伝えていくのって私たち4人しかできないので、アンダーライブで披露できて、きっとね、初めて聴いた方とかもいると思うんですけど、すごく3人で感情がわいた、とてもいい……いい感じだったんじゃないかなって。」(2018年12月20日「アンダーライブ全国ツアー2018〜関東シリーズ〜」DAY2 ユニットブロック後MC、北野)
とはいえ、その思いを形にして披露できる機会は必ずしも多くなく、“全曲披露”の「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」(DAY2、2019年2月22日)61、そして本項冒頭にも書いた「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」と、年1回のペースでの披露となっていく。この次の披露機会も、「9th YEAR BIRTHDAY LIVE〜2期生ライブ〜」(2021年3月28日)62と、さらに1年以上が経過したのちのこととなった。
しかしこの間にも、新型コロナ禍の「自粛期間」であった2020年4月13日には755で「ここにきてまた 君に贈る花がない が心に染みる イントロから素晴らしい」と発信したり、2020年10月11日の「乃木坂の『の』」(#393)では北野自らの選曲としてオンエアしたりと(北野による選曲では恒例のようになっていた、「2番から」のオンエアであった)、北野は折に触れてこの楽曲について言及し続けていた。
そして2021年の暮れ、ベストアルバム「Time flies」発売に際した企画「#乃木坂ダンスプレイリスト」においても、北野は「君に贈る花がない」を選曲し、オリジナルの衣装を着用して披露した(12月5日公開)。このときすでにサンクエトワールのメンバーは北野を除いて全員グループを離れており63、“サンクエトワール最後の星”ともいわれる状況であった。北野にとっても卒業発表直前といえる時期であり、動画公開に際したコメントでは「皆で涙を流しながら踊った日を思い出します」「これからもずっと大切に歌われていくといいなぁ」とした。同日に公開された「#わたしの乃木坂ベスト」のプレイリストのなかでも北野はこの曲を選曲し、2022年3月24日に開催された卒業コンサートでもセットリストに加えて最後に披露する。ずっと大切にしたかったし、どうしても最後までもっていきたかった曲。北野はそれを確かに実践したといえるだろう。
自分のことが好きじゃなかった
「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」において、「大人への近道」「君に贈る花がない」が披露されたDAY3に続き、最終日となるDAY4(2020年2月24日)では、序盤に「卒業ソングメドレー」のブロックが設けられた。賀喜遥香のソロ歌唱による「強がる蕾」はこのライブのハイライトシーンとして特に記憶されているほか、橋本奈々未の「ないものねだり」を白石麻衣と松村沙友理が、衛藤美彩の「もし君がいなければ」を伊藤純奈と久保史緒里が歌唱するというエモーショナルな人選も歓声を呼んだ。そしてもう1曲、中元日芽香の「自分のこと」は、北野日奈子と寺田蘭世によって披露されている。髪をハーフツインに結んで歌唱に臨んだふたりの姿を64、客席はペンライトをピンク一色にして見守った。
収録されたアンダーアルバム「僕だけの君〜Under Super Best〜」は当初の予定よりしばらく遅れた2018年1月10日に発売されており65、こうした経緯もあって中元の“卒業ソロ曲”として制作されたものだが66、卒業後のリリースであり67、かつMVも制作されていなかったため、中元による音源以外の歌唱は一切世に出ることはなかった。しかし(だからこそ、ともいえるだろうか)、「自分のこと」は、中元への思い入れが強いメンバーによって歌唱される機会が複数あり、結果として“卒業ソロ曲”のなかでも多くの場面で披露された楽曲となっている。
最初の披露機会は「真夏の全国ツアー2018」大阪・ヤンマースタジアム長居公演2日目(2018年8月5日)であり、井上小百合のジコチュープロデュース企画として、彼女によってソロ歌唱されている。着用されたピンク色のドレス風の衣装68も中元のたたずまいを思い起こさせるようなものであった69。井上は中元からMCを引きついだ「らじらー!サンデー」(2018年8月12日)において、「この曲(「自分のこと」)は、ひめたんが卒業した後に出た曲だったので、この機会に表に出してあげたいなって」「彼女の分も頑張ってねってよく言われるんですけど、今の彼女も頑張ってる。私が頑張るのは何か違うなって。一緒にいた時間に感謝して私も頑張りたい」70と語った。
「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」での披露があったのちも、奇しくもその日に乃木坂46のメンバーとして初めてステージに立った林瑠奈71が、2020年12月6日に無観客・配信ライブの形で行われた「4期生ライブ2020」において、「自分のこと」を披露している。16人の4期生が1曲ずつに参加したユニットコーナーにおいて、林は唯一ソロ曲を歌唱した形であったが、これは「ソロ曲を歌う」ことが先に決定し、その後で林自身が「自分のこと」を選曲した、という順序であったという。
ユニットコーナーで、わたしはソロで歌わせていただきました。
「自分のこと」
何度も何度も、再び歩き出す活力をいただいた大切な曲。
ソロをやらさせていただくことをお聞きしたとき、真っ先にこの曲を選曲しました。
緊張と、身体が抱えることのできないくらいの思いが交差して交差して、歌っていたあの瞬間の記憶がありません。感情のスクランブル交差点です。
たぶん色んなことを考えて、思い出して泣いてしまいそうになっていました。嘘です、汗ですよ。
でもコールアンドレスポンスのコーナーになって、みんなが良かったよと沢山励ましてくれたのは覚えています。ライブが終わった後、中元日芽香さんが4期生ライブを見てくださっていたことをお聞きしました。
メッセージもいただきました。
もっともっと頑張ろうと思えました。サイリウムカラー。
ピンク×ピンクにさせていただいていることの重み。全神経で感じているこの大切な重みを、これからも背負わせていただきたい。
中元さんの大切にされている曲を、色を
自分なりの力で大切にパフォーマンスさせていただきました。
本当にありがとうございました。(新4期生公式ブログ 2020年12月10日「自分のことが好きじゃなかった 林瑠奈」)
林のグループ在籍期間は中元とまったく重なっていないし、加入後に面識が生まれていたということもなさそうでもある。サイリウムカラーをピンク×ピンクとしたことについては、きっかけの部分に中元の存在があったという語られ方はされていないように思うが(参考:新4期生公式ブログ 2020年10月1日「お疲れさまです!サイリウムカラーが決まった林瑠奈です。」)、もともとかなりの乃木坂ファンであったという林であるから、その意味や重みもずっと理解していたことだろう。中元がライブを見ていたということも、林にメッセージを送ったということも、乃木坂46という大きな河がずっと流れ続けていることを感じるエピソードである。さらに林は、2年近くが経過したのちの「30thSGアンダーライブ」大阪・オリックス劇場公演2日目(2022年10月4日)でも「自分のこと」を披露している。過去の名曲を演じるというコンセプトの「PLAYBACK FACTORY」コーナーでの披露であり、「この2年の成長を見てもらいたい」と考えて選曲したという72。
ピンク×ピンクのサイリウムは、ある意味「ひめたん」のイメージ通りでもあり、覚えやすくもあり、1色であるから揃いやすくもある。中元にとって最後のライブとなった東京ドーム公演の際の風景も鮮明に記憶されているが、それ以前もそれ以降も、中元の存在を感じさせる場面、具体的にいえば「君は僕と会わない方がよかったのかな」と「自分のこと」の披露時には、客席がピンク色一色に染められてきた。
「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」の際にも北野はその風景に直面し、感情を強く揺さぶられたようである。最後まで歌いきってはいたが、時折感情がこみ上げてくるような様子も見受けられた。
「自分のこと」
たくさん練習して
本番直前の練習では
蘭世と目を合わせてニコニコしながら歌って
今までで1番いいって褒められたのに
やっぱりピンク色のサイリウムが目の前に広がると泣いてしまいますねステージにでる直前に涙を拭いて
笑顔でやろうと思ってたけど
自分の喉がギュッと締まってるのを感じて
泣くの我慢してるんだと気づくと
また少し過去に引きづらてしまうというか。。彼女の歌であり
私のことを歌っているようで
それが私と彼女とで重なる部分が多すぎて
また思いが溢れてしまいます別に何も後に引くような後悔はないのに
どうしてもどうしてもってあの頃の思いに
引きづられてしまうのが
自分が思ってるより自分は弱くて泣き虫なんだって今の自分の大きさに気づきます。(北野日奈子公式ブログ 2020年2月27日「Confront」)
グループ在籍時の中元とともに走り続けた思い出、彼女がこの楽曲に込めて歌ったもの。そうした「中元のことを歌う」という側面ばかりではなく、「彼女の歌であり 私のことを歌っているようで それが私と彼女とで重なる部分が多すぎて また思いが溢れてしまいます」とも北野は綴った。体調不良で動けなくなった日々があり、立ち止まって休んだ時間があって、改めて立ち上がって歩き続け、たどり着いたこの日。そんな日々も含めて「過去の全ては ここまで続く一本道」だとするならば、それは希望の温もりでもあり、運命の冷たさでもあっただろう。
今、自分のことは好きですか?
「好きです。自分のことを嫌いだったことはないです。自分を生んだ親のことや、励ましてくれる周りの人たちがいるんだから、自分で自分のことを嫌いになるのは違うかなと思っていて。でも、休業中(※’17年から’18年にかけて体調不良で一時活動休止)は自分のことが嫌いでしたね……。どうして自分だけこうなんだとか、そういう自分がイヤだとかって、自分を追い詰めてしまっていて。その後、乃木坂に戻った時、メンバーのみんなが優しくしてくれたんですけど、自分のことを嫌いになっていたから、そんなすぐには自分を好きになれなくて……」。(『B.L.T.』2019年11月号 p.32、北野)
この日を境に、北野は中元のことにたびたび触れるようになった、という印象がある。先に引いた、「君に贈る花がない」について755で触れていた日は、中元の誕生日である。直後には、誕生日を祝う連絡をしたと思しき内容の発信もなされていた。
みなみちゃんと一緒にメールをしました
とってもだいすきで尊敬している先輩ですどうしてこんなにも乃木坂というグループは素晴らしいのでしょう
先輩も後輩も同期も卒業生もみんなみんなだいすき(2020年4月13日夜 北野日奈子755)
2020年6月29日の「乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂」や、2020年7月15日の渡辺みり愛との「猫舌SHOWROOM」では、それぞれふたりでカメラに向かって「びーむ」を披露する場面もあった。この時期は、引き続き乃木坂46で活動を続ける北野のなかに、「乃木坂46・中元日芽香」の存在が確かにずっと息づいているんだな、と感じることが多かった時期だったかもしれない。
こうして歌い継がれてきた日々を経て、制作からすでに3年以上が経過していたころだろうか73、中元もこの曲を改めて振り返ることができるようになったのだという。
卒業前最後のアンダーアルバムカップリング曲として与えていただいたソロ曲「自分のこと」がようやく聴けるようになりました。疲弊しきっている中でレコーディングした曲で、完成当時は痛々しくて聞けませんでした。歌っている張本人が聴けないような曲をリリースして、皆さんに「聴いてね!」だなんておこがましいことをしたわけですが、ようやくこの曲と対峙できました。
まあ笑っちゃうくらいに声は出てないし、声がひっくり返りそうだし、滑舌悪いし。人生で一番歌が上手だった中学二年生の私が聴いたら呆れるでしょう。
必死で歌っていました。今カラオケに行っても同じ歌声を再現するのはできないな。あえてエフェクトを入れたりせず、歌声を大切に編曲してくださったのでしょうか。
かつての“ひめたん”を装いきれなくなった、中元日芽香の姿が目に浮かびました。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.192-193)
同書では、「その詞は、いろいろな方に当てはまるようで、『今の自分にすごく刺さるんです』と言われることがあります。当時の私の心境を思い出して、目の前の相手にに寄り添うことができます。」と、その歌詞についてはやや客観的に綴られている。あくまで筆者個人の感想を述べるなら、初めて聴いたときは「ずいぶんメンバーの内心(らしきもの)を描くんだな」と感じた覚えがある。グループにとって“卒業ソロ曲”は、深川麻衣の「強がる蕾」と橋本奈々未の「ないものねだり」に続く3曲目。その後書かれてきた10曲の詞74を順繰りに思い出していくと、「“卒業ソロ曲”とはそういうものだ」のような印象になってくるし、むしろメンバーを描き出す解像感の高さに驚いたりもするが(並の作詞家であれば、もっと全部が同じような歌詞になりそうなものだ)、当時はそこまでには思っていなかった気がする。
しかし、他者が描くからこそ描かれるものがあるし、それは歌詞が“正解”のようなものから自由になり、物語としての解釈を許すことにもつながる。「いろいろな方に当てはまる」というのも、そうした面があってだろう。中元に心を寄せてきた者たちによって、中元の姿を思い出すためにと聴かれ、伝えるためにと歌い継がれてきたその曲は、しかし聴いた者に、歌った者に、どこかしらで“当てはまって”いく。そして現在の中元自身も、一本道に続く時間を歩き続けてきた先で、他者が描いたからこそ閉じ込められた過去の“自分のこと”を、楽曲を通して慈しむことにもつながったのではないだろうか。「ありがとう、わたし」、と。
「君は僕と会わない方がよかったのかな」
2017年11月7-8日の2日間、東京ドームをピンク色に染めた「君は僕と会わない方がよかったのかな」。前述したように、それは歴代のアンダーライブ経験メンバーを加えたアンダーブロックに位置づけられ、このブロックに登場した全メンバーによって演じられた75。全員で回転するセンターステージに座って歌唱したのも、どこか思い出を笑顔で振り返っているように見えるエモーショナルな演出であったし、その目線の先に広がっていたのは夕暮れの色ではなく、中元のサイリウムカラーであったということになる。
東京ドームに立つことができたこと、東京ドームでこの曲を演じることができたこと、そしてそこに多くのメンバーが参加していたことは、どれも中元にとって、グループ時代を締めくくる温かい思い出になっているようである。
——ドームで乃木坂の歴史としてアンダーがしっかり刻まれたのがよかったですよね。
中元 うれしいですよね。スタッフさんの強い気持ちで、今までのアンダーライブメンバー勢ぞろいでやることになったんです。自分がメンバーじゃない曲の振り付けを覚えるのは大変だったと思うけど、心よくやってくれて。なかでも、みさ先輩(衛藤美彩)は「『君僕』がすごい好きで、カラオケでよく歌うんだよね。ステージで歌えるのがうれしい」と言ってくれて、私もうれしくなりました。
——中元さん自身も『君僕』は好きなんですよね。
中元 好きですよぉ(笑顔)。エヘヘ。歌い継いでほしいけど、これから『君僕』はどうなるんだろう。親心みたいな感覚がありますね。
——センター曲は我が子のようだと。
中元 はい。愛しいですね。
——『君僕』に衛藤さんもそうだし、(齋藤)飛鳥さんも、(伊藤)万理華さんもいるのがグッときました。
中元 みさ先輩と飛鳥と万理華、(井上)さゆにゃんと一緒にライブをやってる時代もあって、今のアンダーメンバーとの思い出もたくさんあるので、ステージ上の誰を見ても当時の記憶が甦ってきました。……(後略)(『Top Yell』2018年1月号 p.17)
「君は僕と会わない方がよかったのかな」を歌いました。11thアンダー曲。私が初めてセンターを務めた曲です。
ひめたんのサイリウムをカラーであるピンク色が、ドーム一面に広がっていました。
私のことをさほど知らない方も、空気を読んでそうしてくれたのはわかっています。それでも。少し自惚れていいのかな。
ひめたんは、愛されていたのだな、と思いました。……(中略)……東京ドームでの一面のピンク。
あれはひめたんの、中元日芽香の存在を肯定してくれているものだったと受け取っても良いのでしょうか。今まで見たライブの景色の中で一番綺麗でした。六年間の努力が報われた瞬間でした。(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』 p.110-111)
ライブとしてはこのときが最後になったが、ドキュメンタリー「最後のあいさつ / Her Last Bow」のなかでも用いられ、ここでもピンク色のサイリウムに染まった客席に向けて、無人の会場76でひとりで歌うという形で中元が歌唱する姿が作品におさめられている。ピンクの豪華なドレスに、髪型はツインテールの。音声は全編CD音源であったが、“ひめたんが歌う姿”が収められた、本当に最後の作品となった。
グループを離れる中元が「歌い継いでほしいけど、これから『君僕』はどうなるんだろう。親心みたいな感覚がありますね」と気にかけていた、「君は僕と会わない方がよかったのかな」のその後だが、どうしても披露機会が限られていくなか、引き続き中元のイメージが強烈に残り、少なくともしばらくの間は、「北野が背負っていた」のような印象はあまりない。直後の披露機会は1年以上後の「アンダーライブ全国ツアー2018〜関東シリーズ〜」(2018年12月19-20日)で、北野の思いもふまえた選曲であるとも推測されるが、ユニットコーナー内での披露であり、センターといえるポジションに立っていたのは中田花奈であった。
「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」DAY4(2019年2月24日)での披露の際には久保史緒里が涙を流しながらセンターに立ち、北野はオリジナルの3列目のポジションでパフォーマンス。アンダー曲全曲披露のセットリストであった「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」(2019年10月10-11日)に北野は不在で、このときはメンバーが横一列に立って歌唱する形で、アコースティックアレンジで届けられた。「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」DAY3(2020年2月23日)では、「君に贈る花がない」の直前に披露されたこともあってか、北野は参加していなかった77。なお、これらすべての機会において、客席のサイリウムはピンク色とされる形が定着している。
しかし、2020年の春ごろ以降、北野が中元について言及する場面が増えていった時期を経て、「アンダーライブ2020」(2020年12月18-20日)の2日目と3日目では78、北野がセンターに立つ形で披露されている。このときもアンダー曲全曲披露のセットリストであり、26thアンダーメンバーの顔ぶれを考えると北野がセンターを務めるのはいくぶん自然でもあったが79、いずれにせよこれは初めての出来事であった。3日目の公演では、北野は髪型をハーフツインにしてもいた。
この次にライブで披露された機会が、またしても1年以上が経過したのちの、「北野日奈子卒業コンサート」(2022年3月24日)であったということになる。前稿[8]でも公演全体をふまえて振り返ったところであるが、アンコールで登場して感謝のスピーチをし、“卒業ソロ曲”である「忘れないといいな」を披露したのちに、参加メンバー全員と披露するという形で選曲されたのが「君は僕と会わない方がよかったのかな」だった。
中元の卒業から4年以上の時を経て、彼女の卒業コンサートが行われていたら、絶対にそのクライマックスにおいて演じられていたであろうその曲を、「当たり前に一緒に頑張っている気持ち」でずっといた北野が、アンコールの2曲目、ラストの「乃木坂の詩」の前という位置で披露したのである。この日も北野は髪をハーフツインに結んでいた。ライブ本編では、中元とともに傷だらけで立った九州でのアンダーライブを再現し、当時のアレンジで「僕だけの光」を演じてもみせた。そして、どこまでも愛情にあふれ、執念さえにじみ出るようなそのセットリストを、北野は涙をほぼ見せることなく笑顔で演じ切った。
普段はグループのことに言及することはない中元も、直後にブログでメッセージを送るに至っている。
数年越しの回収。
鮮やかで、眩しくて、ちょっとジェラシーもありつつ、何より愛に溢れていました。これはあくまで妄想ですよ。
ひとりごとですけれども。私が忘れ物したまま途中下車した分もしっかり回収して、彼女が終着駅まで持っていってくれたような気がしました。
退いてからも心の片隅で引っかかるものがあって、何だろうと思っていましたがきっと未練だったのでしょうね。でもやっと自然に手放せた気がします。最大限のリスペクトを込めて。
本当にお疲れ様でした。(中元日芽香公式ブログ 2022年3月26日「決めた、前を向く春にする!」)
中元が残していたもの、自分でも見失うくらい奥底にずっと引っかかっていた未練を、北野は最後にほどいたのである。選抜発表を受けて泣き崩れる姿を見たときも、グループをまさに離れようとしていたときも、あるいは「自分のこと」を歌唱したときも。何度も「彼女の姿は私の姿だ」と感じながら、それからも走り続けてきた北野の姿。それを今度は中元が自分に重ねて、本当の“卒業”の日を迎えられた。そんなふうに思える。
「私の大切な友達が、『乃木坂46にずっと片思いをしていた』と言っていたことがありました。その言葉を借りて、私も言いたいことがあります。好きな気持ちが募るばかりで、大好きで、大好きで、大切で仕方なくて。自分はどうしたらそんな大好きなものの一部になれるか、ずっと考えて、考えて、考えて、過ごしていました。
思いが募るばかりで、その思いが届かなくて、希望に敗れて、大好きな気持ちが分からなくなってしまう日もありましたが、こうやって最後の時まで、どうしたってすごく大好きなんだなと、このグループのことが本当に大切で、大好きでたまらないんだなと思います。」(2022年3月24日「北野日奈子卒業コンサート」北野アンコールスピーチ)
いつからだろうか、キャリアの後半期の北野は、乃木坂46への愛情を日に日に強く表現するようになっていった。それはきっと、中元がうまく伝えそびれたぶんも含めた、ふたり分の愛だったのだ、と思った。
“最終地点”の先へ
本稿冒頭ではあえて触れなかったことなのだが、中元と北野には、もうひとつ共通点といえる部分があった。それは、グループ在籍中に「アイドルが自分にとっての芸能界のゴール地点である」という趣旨の発言をしていた、ということだ。グループのなかでの目標を語ることはもちろん頻繁にあったし、「こんなことをやってみたい」「地元での仕事をしたい」「個人仕事に呼ばれたい」という語りはあったが、芸能界での“その先”を追求するようなことは口にしていなかった。
中元は、「ツインテール卒業」以降の時期から特に、こうした発言が端々にみられるようになった印象がある。インタビューでもいくつか目にしたし、「らじらー!サンデー」のなかでも同趣旨の発言をしていた記憶がある(オリエンタルラジオ・藤森慎吾に、少し気を使ったような返答をされていたような気もする)。
モデル、お芝居、バラエティ、メンバーそれぞれやりたいことがはっきりしているし、将来進みたい道も見えていると思うんですけど、私にはそういうものがないんですね。歌もダンスも自信がないし。強いて言えばラジオかな。もともとラジオが大好きだったから、それをお仕事でできるのはすごく幸せ。グラビアで写真を撮られるのも好きなんですけど、それは乃木坂46にいるからかなとも思ってしまう。
結局私、アイドルが一番好きなんですよね。乃木坂46は私にとって通過点ではないんです。(『日経エンタテインメント! アイドルSpecial2017』[2016年12月31日発売]p.43)
北野は、加入当初は「将来の夢は女優」80という趣旨の発言も時折みられたが、いつしかそうしたトーンは弱められ、グループのなかでの目標や果たしたい役割についての語りに置き換わっていった。比較的近年ではグループを卒業したあとの未来のことを語るのは、動物愛護の文脈くらいであっただろうか81。すでに卒業を決めていたという時期に、「ここがこの世界の最終地点」と明言していたこともあった。
「私、“期待”っていう言葉があまり好きじゃないんですね。期待って、待つっていうことだからどこか他人任せなところがある。だから私は、期待するならむしろ、希望したい」
望む、ということは自分がすること。能動的ですもんね。
「納得するまで自分に望んで、頑張って欲しい。希望を忘れないで欲しい。そういう風に今のアンダーメンバーに伝えたつもりだし、これからもいろんな場所で、タイミングで伝えていきたい。今の乃木坂46には卒業した後に女優だったりモデルだったり、別の活動を始めるメンバーもいます。でも私はアイドルになりたくて乃木坂46のオーディションを受けました。私にとって、ここがこの世界の最終地点なんです。その割には、他のメンバーより遠回りしている気がするんですけどね(笑)」(『アップトゥボーイ』2021年9月号 p.43)
しかしもちろん、乃木坂46を卒業したあとにも人生は続く。「一応プランはあります」(中元日芽香公式ブログ 2017年12月22日)としていた中元と、「ノープランで卒業したんですよね(笑)」82とも語る北野は対照的でもあるが、結果的にふたりとも、われわれにもある程度その姿が見えるような形で、“最終地点”の先を歩いている、という点では共通である。北野はモデルの仕事に演技の仕事、SNSでの発信やファンイベントなど、タレント業をマルチに展開しているし、中元は心理カウンセラーというセカンドキャリアを選びつつも、著書発売のタイミング以降は時折メディアで姿を見られるようになり、そのなかで『an・an』などでは、心身の健康について考えて発信する活動も行っている。あるいは文化放送・Podcast QRで配信されているラジオ番組「中元日芽香の『な』」は、グループ時代の延長線上にある活動であるといえるだろう。
いつか旅立つことが宿命とされる、グループアイドルという場所。先にも引いたように、中元は「『夢中だった』という表現がしっくりくるような気がします」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.124)というし、北野も「頭には乃木坂46のことしかありませんでした」と語る。
美彩先輩の話を聞いて、自分の未来を見据えた時に、ここだっていうタイミングが見えるから人はアイドルを卒業するんだろうなって思いました。でも、私は違う。私は選抜を目指して、日々の活動を頑張ることを最優先していました。頭には乃木坂46のことしかありませんでした。
(中田)花奈さんが卒業する時も、「アイドルとしてやれることはすべてやったし、もう何も思い残すことはないよ」と話してくれました。それでも私はまだ「私は違う」と思っていました。乃木坂46のことが大好きだからなんでしょうね。ここにいれば楽しいですから。(『BUBKA』2022年3月号 p.18)
永遠ではないなら、目の前の活動に一生懸命取り組むこととは別に、“その先”をたえずイメージしておいたほうが合理的ではあるだろう。グループのなかでの役割やポジションに悩み苦しんだ時期のことを考えると、そうしなかったこと(ファンに対しては、少なくともそのように語らなかったこと)がふたりを追い込んでいた面もあったかもしれない。それでも、思い出の範疇をこえて、いまも「乃木坂46」が、新たな道を歩む彼女たちのなかで生きていることは喜ばしいことだと思うし、苦しい時期にも心を寄せてきたファンとしては、救われる部分もある。
乃木坂46の北野日奈子です
私はこの先もずっと続いて行くであろうこの道とは違う、新しい道へ進むことに決めました。
優しくて温かいこの場所を離れることを決めたのは去年の今頃です。
いつかはこの場所から旅立つ準備をしなくてはならない。乃木坂46が大好きだから、みんなが大切で大好きな気持ちだけが私がここにいた大きな理由でした。
好きなままの昔も今もここを去る理由なんてどこにもありませんでした。
私の『いつか』はいつ来るのだろうと卒業をしていったメンバーを送りながら、頭の中にあるはずの『いつか』をいつも探していました。自分の靴の紐を何度も結び直し冷静になっては涙で前が見えなくなったり、普段通りが普通が分からなくなり朝が来るのが怖い時もあったけれど、
どんな私でも受け止めてくれた大好きなみんながいるこの場所。
そんな自分にとって特別な場所から、自分の意思で去ることを決めました。私は乃木坂46を卒業します。
(北野日奈子公式ブログ 2022年1月31日「希望の方角」)
そこは「いつか旅立つ場所」で、グループで過ごす日々は、あるときからその「いつか」を探す旅路になる。何十人もの卒業を見届けてきたいま、そうした世界観から抜け出すことはもはやできない。しかしもうひとつ、実感として得られたのは、卒業した先の彼女らも、当然ながら引き続き彼女らひとりひとりの人生を生きていて、一本道の轍の先を進んでいくということだ。懐かしいあの頃と同じように、あの子が笑顔で過ごしてくれることを変わらず願うならば、そう願う自分はあの子と同じ世界に存在する。それはきっと、ずっと変わらない。
「来世でもみんなで乃木坂46をやろうね!」
最終活動日となった2022年4月30日。総計5万8000人が見届けたという最後のSHOWROOMに先立ち、北野は最後のブログを更新する。タイトルは「乃木坂46」。卒業コンサートのアンコール、本当の“最後の1曲”として「乃木坂の詩」を選曲したことも思い出させる83、あまりにもまっすぐなタイトルであった。
グループで過ごした最終盤の日々を「乃木坂終活」と表現し、「一生懸命、色々な出来事にバイバイして笑顔で終わる事ができること幸せ者だと思います。」「こんな最後を迎えられるとは思ってもいませんでした。やり残したことや欲しかったもの、この先も後ろ髪を引かれる思いを残しながら、この場所とお別れするのだと思っていました。」とまとめた上で、かかわりをもってきたすべての人に対する感謝の言葉が綴られる。卒業コンサートのステージでひとりで記念撮影をしたと思しき写真が差し挟まれ、そこにいた彼女は「アンダー」の衣装を身にまとっていた。
そして「自分の思いを書けたらと思います」として、メッセージが綴られていく。まず最初に2期生、そして1期生、3期生、4期生、5期生と続けられ、スタッフ、ファン、チップを含む家族へのメッセージが連ねられた。そして「最後に」と記されたのが、先にも引いた、「彼女」への「返信」であった。
最後に、
彼女のブログを読んだので、最後のブログで少しだけ返信を。彼女が私の心に残してくれた強くて儚い線香花火の灯りが消えないように大事に、いつも私の心には彼女がいました。
居場所が同じところじゃなくなっても、彼女の日常が私の隣じゃなくなっても、当たり前に一緒に頑張っている気持ちでした。
ずっと隣にいて欲しかった、一緒に頑張りたかったと勝手な思いを持ちながら彼女の分も!と走ってきました。
だからこそ、ここまで辿り着けたんだなって思います。
卒業コンサートが終わってから、二人で話したんだけどね。
心のどこかに落としてしまった何かを、形が分からなくて見つけられなかったものを、二人できちんと見つけ自分の中の大切なところに置くことができました。
ありがとう、一緒に過ごした少し苦くて、でも何にも変えられない日々が私を強くしてくれたよ。
私たちずっと頑張ってきたよね、偉かったよ!
ゆっくり温泉旅行にでも行って、思い出話に花を咲かせようね。!(北野日奈子公式ブログ 2022年4月30日「乃木坂46」、3行目以降の改行は引用者による)
「当たり前に一緒に頑張っている気持ち」で、「彼女の分も!と走ってきました」。そして、「だからこそ、ここまで辿り着けたんだなと思います」。最後のひとりに贈られたメッセージは、確実に彼女の“乃木坂人生”の完結編であった。
そして最後のあいさつで、ブログは締められる。「来世でもみんなで乃木坂46をやろうね!」。あなたこそが乃木坂46だと思わせる、最後の一文であった。
乃木坂になって、乃木坂を知り
もっともっと頑張りたいと思った。
焦る気持ちと、ついていこうとする自分から
心だけが離れてしまった時に、もう諦めようとしたけれど、みんながいたから戻ってこられました。東京も乃木坂も知らない私が走り出したあの日から、いくつもの眩しい経験をさせてもらい、快速列車とはいかなかったけれど9年間かけて、各駅停車でしか味わえない景色を見ることができました。
辿り着けた乃木坂という場所。
こんな景色とこんな気持ちが待っていてくれたんだ。魂を燃やした9年間でした。感謝が溢れ、心が幸せな気持ちで満ちています。9年間本当にありがとうございました
これからもよろしくね!ありがとう乃木坂46。
ありがとうメンバーのみんな!来世もみんなで乃木坂46をやろうね!
(北野日奈子公式ブログ 2022年4月30日「乃木坂46」)
これ以上を語るのは野暮だと思うが、もう少し付け加えたい。「来世」という言葉選びで、たまたま思い出したインタビューがあった。5年半ほど前の中元のインタビューである。たまたまリアルタイムで手に取っていた筆者は、まだ彼女のことを「ひめたんびーむの子」くらいに認識していたはずで、だからこそ記憶の片隅で印象に残っていた。
——二十歳になって変化したことってあります?
中元 支払いが増えました(笑)。
——ハハハ! 税金や年金ですね。
中元 そうそう(笑)。あと、番組とかの表記で「中元日芽香(20)」っていうのを見ると、あらためてちょっとビビリますね。青春が終わったんだな……って。でも、良いこともたくさんあって。年齢での縛りから解放されて、仕事の幅が広がったら良いなとも思いますし、それにスタッフさんやメンバーやファンの方々にたくさんお祝いしてもらって、この道を選んで良かったなってあらためて実感しました。
——ということは、生まれ変わったとしても乃木坂46に……。
中元 いや、来世ではもうこの業界には戻ってきません(笑)。今世だけで十分!
——「ひめたん」は今世限定のものですか(笑)。
中元 もちろん乃木坂46に入って充実した人生にはなりましたし、後悔はしていないですよ。でも、メンバーのブログを見ていると「高校時代の友達とご飯に行きました」とか書いているコがいて、今でも青春時代の友達を大事にしているんです。私は15歳からこの活動をしていて、「クラスメイトとは一線を置いた方がいいのではないか?」みたいな考えを持っていたので、そういう友達がいないんですよ。だから、いまになってみると「学校生活にもっと積極的に参加しても良かったかな」って思ったりもします。
——青春のすべてを乃木坂46に捧げたからこその、寂しさや葛藤もあるということですね。
中元 たとえば「学生時代の1番の思い出は何ですか?」って聞かれた時に、私はパッと出てこないんですよ。それがちょっと悔しいし、そういう感覚も大事だったんだろうなって、いまになって思いますね。みんなが当たり前に見てきた景色を、私は自ら遠ざけて生きてきたので……。
——学校生活を100%満喫しながらアイドル活動も全力でやることは難しいことだと思いますから、仕方ないことかもしれませんね。
中元 「ああ、もっと学校も楽しんでおけば良かったな」みたいに思う時もあるので、来世になってまで……とは正直思っちゃいます(笑)。
——でも、自分の選んだ人生に忠実に、一途に生きてきた中元さんにしか見えない景色や味わえない感動もあったはずです。それこそ文化祭や修学旅行では絶対に経験できないことも経験されたと思いますし。
中元 そうですね。それは間違いないと思いますし、貴重な経験をさせてもらっていることに感謝して、これからも頑張っていきたいです!(『BUBKA』2016年12月号 p.33)
「ひめたん」として生きるのは「今世だけで十分!」。中元自身も少し茶化して語っていたような言葉であるし、「アイドルって大変なんだなあ」と、そんなふうにちょっと笑って読み終えるくらいのものだったかもしれない。しかしその後の日々を考えると、中元のその思いはあまり変わらなかっただろうとも思う。
でも北野は「来世でもみんなで乃木坂46をやる」のだ。北野より先に卒業したメンバーにも、あとに卒業したメンバーにも、ひとりひとり声をかけて。そしてそのときがきたら、北野はきっと中元の手も引いてそこに連れて行ってくれる。北野は彼女のことがわかっているから、しばし考えて、中元に声をかけるのは、また最後になるかもしれない。でも、必ず彼女を連れていく。そして中元もきっと、仕方ないなあ、なんて言いながら走っていくはずだ。
──さて、北野さんは乃木坂46で約9年間活動してきました。今までの道のりを振り返ってみて、感想は?
北野 乃木坂46に入る以前は人間関係で悩んだり、決して順風満帆な学生生活は送っていなくて。「こんな世の中、嫌だな」と思っていた14、15歳くらいのときに乃木坂46と出会ったんです。そして乃木坂46に入ったことで自分の生きる世界線を変えることができて、たくさんの大事な人と出会えました。私の人格はこの9年間で出来上がったと思うし、きっと今後もこの人格で生きていくだろうから、ここまで育ててもらえて本当にありがたいなと思います。逆にもしここに来なければ苦しむことも減っていたかもしれないけれど、それを経験したことで私の中で誰かを思いやる気持ちも育まれたと思うので。だから、ちょっと気が早いですけど、来世もここで皆さんと出会いたいなって思っています(笑)。
(ENTAME next「乃木坂46 北野日奈子、グループへの想いと後輩に託すメッセージ『来世もここで皆さんと出会いたい』」[2022年2月8日])
あるいは、北野はわれわれにも「来世もここで皆さんと出会いたい」と言ってくれている。またここで「ひめたん」と出会ったときは、きっとあの曲を聴けたらと思う。「最後のあいさつ」として中元ひとりで演じたあの曲を、ハーフツインに髪を結んだ北野が最後にステージに連れて行ったあの曲を。
そのときは、ピンク色のサイリウムを振って伝えたい。「あなたに会えてよかった」と。
——ご自身も話されましたが、北野さんは選抜とアンダーを行き来する目まぐるしいアイドル人生だったと思います。もう一度乃木坂46に戻ったら、どういうアイドル人生を歩みたいですか?
たぶん、いちばん選抜とアンダーを行ったり来たりしたんじゃないかな。でもいま考えると火付け役だったんじゃないかと思うんです。けっこう怒られたりすることも多かったんですけど、あとから聞いたら「怒っても泣いたりへこたれたり、いなくなったりしないから」って(笑)。それでも諦めなかったのは乃木坂が好きだからです。卒業コンサートが終わって、「ありがとう」って泣いてくれたメンバーもいたり、今野さんから「お前こそが乃木坂だ」って言ってもらえて、本当にここまで1ミリも手を抜かずに活動してきてよかったなと思いました。なので、たぶんもう1回戻っても同じアイドル人生を歩むんだろうな。そしてひめたん(中元日芽香)と泣きながら過ごして、ひめたんのぶんの思いも背負いながら卒業すると思います。(『FLASHスペシャルグラビアBEST』2022年初秋号[2022年8月29日発売]p.24)
思った以上に長大な記事となってしまった。北野に関してはこれをもって卒業までを書き切ったことになるが、卒業後の活動や出来事についてもいくらか書いておきたいと考えており、それは次回に続く、という形とさせていただく。中元のことをここまで書くことになるとは当初は予想しておらず、改めて情報収集した部分も多かったためやや苦しんだが、彼女についても自分なりに書き切ったという思いで終えることができた。
例によって引用も多く、特に『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』については、グループに語られた部分を中心に、しつこいくらい繰り返し引いてくる形となってしまった。グループでの経緯や思いが綴られる部分もある程度の部分を占めるが、全体としては心理カウンセラーとしての思いや考え方などについて綴られた本でもあるので、未読の方はぜひ手に取って、通して読んでいただければと思う。
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- 中元には姉と妹が、北野には兄と妹がいる。
- 2014年7月13日「乃木坂って、どこ?」#142の学力テストでは、秋元真夏、中田花奈、橋本奈々未に続き、メンバー内で4位であった。
- 「じょしらく」は、11thシングルの福神メンバーを除いたメンバーからオーディションを行うという形でキャストが選ばれた舞台であった。
- 「毎日更新」を行っていたのは、2015年11月6日から2016年12月7日まで。
- 「乃木坂って、ここ!」はWeb配信の番組(無料のオンデマンド形式)であり、リアルタイムのファンではない筆者も当該の回は視聴した記憶がうっすらとある。いつでも見られるからと思っていたら予告なく配信が終了してしまい、中身についてはあまり覚えていない。
- 中元はこの時期のことを、後年においても「毎日がこれまで以上にキラキラして見えました。目に見えて生き生きしていたと思います。」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.51)としている。
- 「乃木坂って、どこ?」でいえば、卒業の際にもバナナマンがいじった回である「ひめたんの隠しミートボール」の回が2013年12月15日放送の#114である。
- 11thシングルの発売日は約1ヶ月後の2015年3月18日であり、1月18日放送の「乃木坂って、どこ?」#168においてすでに選抜発表の模様が放送されていた。「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」のアンコールでは、表題曲「命は美しい」が初披露されている。
- 中元がMCを担当していた時期の「らじらー!サンデー」は、奇数週に乃木坂46・偶数週SKE48が出演する週替わりの体制であり、そのなかで21時台からの出演という、2023年現在(2018年度以降)とは出演時間などが異なる形であった。そのなかで、乃木坂46の出演週では中元ひとりがMCとして固定され、毎週ひとりのメンバーをゲストとして迎える形が原則であった。
- 参考:日刊スポーツ「乃木坂の中元日芽香『この夏がラスト』ツインテール」(2015年8月5日)。
- 13thシングルの選抜発表の模様が放送されたのは、2015年8月30日放送の「乃木坂工事中」#19において。番組冒頭で、発表そのものは「8月某日」のことであったと表示されていた。「真夏の全国ツアー2015」千秋楽公演前夜の放送であり、千秋楽公演のアンコールでは表題曲「今、話したい誰かがいる」が初披露されている。
- 10thシングルの体制で1stアルバム「透明な色」も制作されており、井上はアルバム所収のアンダー曲「自由の彼方」でもセンターを務めている(「自由の彼方」には研究生メンバーも参加している)。
- このほか、7thアンダーセンター→8thアンダーセンター横、というポジションを経て、9thシングルで3作ぶりに選抜に復帰した星野みなみも同様の動きである(ただし、7thシングルはアンダーライブのスタート前)。万理華・井上よりあとの時期でも、堀未央奈(12thアンダーセンター→13thアンダーダブルセンター)・樋口日奈(15thアンダーセンター→16thアンダーセンター横)が「センターの二作後に選抜入り」に該当する。また、16thアンダーセンターの寺田蘭世、20thアンダーセンターの鈴木絢音は直後のシングルで初選抜を経験している。これより後にも、22ndアンダーセンターの北野、24thアンダーセンターの岩本蓮加、29thアンダーセンターの佐藤楓、32ndアンダーダブルセンターの伊藤理々杏は、直後のシングルで選抜入りしている。
- 20thシングルアンダーメンバーも同数。
- 伊藤万理華、井上小百合、齋藤飛鳥、星野みなみ、衛藤美彩。ライブ内では「歴代のアンダーメンバー」と称されたが、アンダーメンバーの経験はあるもののアンダーライブに出演したことのない深川麻衣と若月佑美はここに含まれていない。
- のぎ動画のセットリスト表記より。万理華がセンターの「ここにいる理由」、井上がセンターの「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」、飛鳥がセンターの「扇風機」、星野がセンターの「初恋の人を今でも」、衛藤がセンターの「ガールズルール」がメドレーで披露された。
- 12thシングル選抜メンバーであった斉藤優里・新内眞衣、学業のため12thシングルに参加していなかった山崎怜奈が合流し、単純に3人増の形であった。
- 例えば、日本武道館公演の直前に中元や堀をアンダーメンバーから外すことも、万理華や井上を再度アンダーメンバーに加えて日本武道館公演にあたるのも、やっぱり違うだろうと思う、というようなことである。
- サンクエトワールのほかに同一メンバーによるユニット曲で2曲以上をあてがわれているのは、生駒里奈・生田絵梨花・星野みなみ(“生生星”/「ここじゃないどこか」「満月が消えた」)、齋藤飛鳥・星野みなみ・堀未央奈(「なぞの落書き」「Threefold choice」)、伊藤万理華・井上小百合・斉藤優里・桜井玲香・中田花奈・西野七瀬・若月佑美(「他の星から」「僕が行かなきゃ誰が行くんだ?」「隙間」)、生田絵梨花・松村沙友理(「からあげ姉妹」/「無表情」「曖昧」および「1・2・3」[「からあげ姉妹(生田絵梨花・松村沙友理 from 乃木坂46)」名義で配信リリースされたカバー曲])、松村沙友理・伊藤かりん・佐々木琴子・寺田蘭世(「さゆりんご軍団」/「白米様」「さゆりんご募集中」[乃木坂46名義でのリリース作品のみ、中田花奈はオリジナルメンバーとしては歌唱していない])、秋元真夏・桜井玲香・中田花奈・若月佑美(「女子校カルテット」/「口約束」「人生を考えたくなる」「告白の順番」)の6例(楽曲の歌唱メンバーの集合のうち、「(当該期間の)選抜メンバー」「(当該期間の)アンダーメンバー」「特定の期のメンバー」「ソロ」を除いたものを「ユニット」と定義し、乃木坂46名義でのリリース作品の楽曲のみをカウントすることとした)。このうち、複数のMVが制作されているユニットは、(前述のルールを厳密に適用し、からあげ姉妹の「1・2・3」を除けば)「大人への近道」「君に贈る花がない」でともに制作されているサンクエトワールのみである(MVが制作されている楽曲には下線を付した)。
- 厳密には、3rdシングル所収の「海流の島よ」は歌唱メンバー(安藤美雲・川後陽菜・齋藤飛鳥・中元日芽香・畠中清羅・樋口日奈・和田まあや)が当時全員アンダーメンバーであったほか、11thシングル所収の「ボーダー」は、「3rd YEAR BIRTHDAY LIVE」で正規メンバーに昇格した6人による楽曲であり、このライブ内(昇格発表より前)では「研究生による楽曲が11thシングルに収録決定」としてアナウンスされていたが、11thシングルでは6人全員がアンダーメンバーの位置づけであった。中田花奈はサンクエトワール5人で受けたインタビューで「アンダーメンバーで構成されたユニットは、3rdシングルのカップリング『海流の島よ』以来なんですよ」(『UTB+』2015年11月号[Vol.28]p.112)と紹介している。また、中元は「私はアンダーライブ・アンダーユニット・色んなスターティングメンバーとして活動してきました。」(中元日芽香公式ブログ 2017年7月3日)としている。
- 2015年9月17日にすでに発売されていた『乃木坂46×週刊プレイボーイ2015』では5人でグラビア企画に出演しており、10月9日発売の『UTB+』、10月20日発売の『ミラクルジャンプ』、10月29日発売の『週刊ヤングジャンプ』にも5人で登場していた。『ミラクルジャンプ』および『週刊ヤングジャンプ』には、「乃木坂46のアンダーメンバー」として出演しており、「アンダーライブ at 日本武道館」に向けたPRという向きもあった。
- 候補となったものをすべて列挙すると、「withU」「スウィート&プライド」「To the dream」(以上、堀のセレクト)、「cocorit」「ネクスプラウド」「ふるはうす」(寺田)、「UnKnown」「カシオペア」「awake」(北野)、「サンクエトワール」「you know」「flor flor(フローレフローレ)」(中田)、「Innocence」「メルキュール」「どうせ一度きり」(中元)。
- 翌日に大筋合意に至ったTPP交渉関連のニュースであった。
- 同会場は台場地区(東京都江東区青海)に位置していたが、パレットタウンの閉業にともなって2021年12月31日をもって閉館している。
- 開催発表は「Merry X’mas Show 2015」1日目(12月21日)内においてなされた。
- 確たる根拠は何もないのだが、先に引用したなかで中元があげた「当時をよく憶えているメンバー」は、おそらく北野のことだろう、という、ファンとしての直感がある。グループのなかでの立ち位置的にメンバーはかなり絞られるし、九州シリーズで振り返られた内容とも重なる。中元のことを「ひめ」と呼ぶ点や、プライベートでも連絡をとったり会ったりを続けているという点も、そう思うに至る材料となる。また執筆当時、北野は現役メンバーでもあった。どうでもよい筆者の想像なのだが、脚注にとどめつつ書き留めておくことにしたい。
- 3期生のオーディションが開催されることは、「乃木坂46 4th Anniversary 乃木坂46時間TV」(2016年2月20-22日、最初の「乃木坂46時間TV」)のなかで告知され、3月26日-4月2日の日程で全国7都市でオーディションセミナーが開催されている。
- 厳密には、2016年6月15-16日に開催された深川麻衣卒業コンサートも「真夏の全国ツアー2016」に含まれる扱いであったが、本格的なツアーの始まりは、7月22-23日の大阪城ホール公演である。
- 15thシングルの選抜発表の模様は、2016年6月5日放送の「乃木坂工事中」#57で放送されている。スタジオ発表の形式であった。
- 『AKB48Group新聞 2016年6月号Special 乃木坂46新聞』12面では、北野がデネブ、飛鳥がアルタイル、中元がベガと描かれているが(北野の『私はデネブ(はくちょう座)っぽいなって。3つの中で一番、うるさい感じでギラギラしているんですよ。ひめたんは織姫(ベガ)っぽい。飛鳥は年下なのに落ち着いているから、彦星(アルタイル)。』という説明にもとづく)、『EX大衆』2016年8月号 p.81では、北野は「一番うるさい私が一番光る星のアルタイルだとして、3人で夏の大三角形(デネブ、ベガ、アルタイル)かなって。」としており、北野の語りか、もしくはインタビューの聞き手のどちらかに混乱があったということになる。地球からの見え方でいえばベガが最も明るいが、実際には地球から最も遠くにあるデネブが最も明るく光っているということらしく、これだけだと確定しがたいが、前後の説明が詳しいことも考え合わせると、前者の説明のほうがしっくりきやすい。
- 飛鳥が最後にアンダーだったのは10thシングルで、13thシングル以降は卒業まで一貫して福神メンバーとして活動した(2列目であったのは13th・14th・16thのみで、17th以降は31stまですべて1列目)。飛鳥は初センターに臨むにあたって「私、選抜とアンダーを同じ回数経験してるんですよ」(『EX大衆』2016年8月号 p.80)とも語っている(14thシングルまでで、選抜7回・アンダー7回)。なお、「アンダーを経験したのちに表題曲のセンターに立った」のは、飛鳥を除くと14thシングルでの深川麻衣(1st・2ndでアンダー)と32ndシングルでの久保史緒里(22ndでアンダー)のみであり、かなり例外的な事象であるといえる。
- 3期生オーディションの最終審査・合格発表は2016年9月4日(当初はグループ結成5周年記念日となる2016年8月21日の予定であったが、結果としてこの日には事前に告知されていた「ファイナル審査」ではなく「4次審査」が行われ、最終審査までの間に「SHOWROOM部門」の期間が1週間とられている)。同日、直後に行われたLINE LIVE「乃木坂46 第3期生 決定スペシャル」にて12人のメンバーが初披露されている。
- 中元と万理華の卒業のタイミングについてはいろいろなとらえ方がある。ここでの記述は、比較的近年の資料でとられている「中元・万理華とも2017年12月31日が卒業日」という書き方によった(詳細は本ブログの記事「乃木坂46・歴代卒業メンバーや卒業公演などに関するメモ(随時更新)」に記しているので、参考にされたい)。ただし、卒業発表は中元のほうが先である。
- ユニット曲やソロ曲は当時“選抜メンバーの一部にあてがわれるもの”という向きが強く、だからこそアンダーメンバーによるユニットとしてスタートしたサンクエトワールや、当時アンダーメンバーの2期生を巻き込む形で結成された「さゆりんご軍団」や「真夏さんリスペクト軍団」には新規性があった。このシングルでアンダーであったサンクエトワールの残る2名、寺田蘭世と中田花奈も次の17thシングルで選抜入りを果たしているし、15thシングルでは前作から選抜を外れる形となった伊藤万理華と井上小百合によるユニット曲「行くあてのない僕たち」が制作されており(シングルの特典映像として30分のショートムービーも制作されている)、この頃のユニット曲には“ポジション”を補完する役割があったと確かにいえるように思う。
- 1月14日の全国握手会(京都パルスプラザ)を途中より欠席、1月15日(京都パルスプラザ)と1月22日(幕張メッセ)が欠席となっている。1月15日放送の「らじらー!サンデー」にも欠席となった。
- 翌日放送の「乃木坂工事中」#90では17thシングルの選抜発表が放送されており、その直前のタイミングでのアナウンスであった。
- 「乃木坂46 3rdアルバムリリースを皆でお祝いしようスペシャル!」と銘打たれ、発売日である5月24日から7日連続で、メンバーが日替わりで登場する形で配信が行われた。
- 「神宮球場で毎年夏の終わりにライブを行っていました。このライブのために、メンバー全員で踊る新しい楽曲の振り付けを、個別でレッスンしていただいていたのですが、結局覚えられなかった。最近加入したばかりでダンス経験のない三期生だって泣きながら頑張って覚えたというのに。その楽曲は私だけ不参加にしてもらいました。」(中元日芽香『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』p.106)、「17thシングルの表題曲『インフルエンサー』を聴くと、一人だけ覚えられずに泣き崩れたあのレッスンルームを思い出して、動揺してしまうのではないか。」(同p.175-176)
- 中元自身がアンダーアルバム「僕だけの君〜Under Super Best〜」(初回仕様限定盤)所収の「最後のあいさつ / Her Last Bow」でのインタビューで、「神宮のライブより前」に卒業を決めたと語っている。また、同作のなかで斎藤ちはるが、そのライブの準備期間に中元から卒業の意向を聞いた旨を明かしてもいる。
- この間の宮城・ゼビオアリーナ仙台公演は8月11-13日、大阪城ホール公演は8月16-18日、愛知・日本ガイシホール公演は8月22-23日に行われており、朱鷺メッセ新潟コンベンションセンター公演までは1ヶ月以上空いた形ではあった。
- オリジナルの振り付けにはラスサビ前の間奏でペアになって回る部分があり、このとき中元はこの部分を、北野がそこにいるかのような動きで振りを変更することなく演じていた。この部分は「真夏の全国ツアー2017」地方公演では花道を歩み出す形になっており振りがなく、「乃木坂工事中」#117(2017年8月14日)のスタジオライブでは当該部分はカットされていたが、このシングルの全国握手会で唯一北野が出演した2017年8月27日のポートメッセなごやでのミニライブでは、中元に加えて伊藤純奈も欠席(けがのため)だったこともあってか、そのような形はとられていなかった。「ペアダンスをひとりで演じる」というのは、この4公演で中元が行ったのみの特別な現象であったといえる。
- ライブ中盤の「アンダー」と、それに続く「ここにいる理由」。
- 中元が「誰かに聞かれた/「あなたの人生はどこにあるの?」/当たっていない/スポットライト」、北野が「時々 思った/「私の夢なんて叶うのかな」/眩しすぎるわ/メインキャスト」。
- 中元はアンダーブロックで名前を呼び込まれたあと、「ここにいる理由」は始まるタイミングで一度ステージからはけている。厳密にいえば「あの日 僕は咄嗟に嘘をついた」の終盤でフォーメーションに合流した上で、「君は僕と会わない方がよかったのかな」のパフォーマンスに臨んでいる。
- 最後の握手会でのやりとりであるとは明言されていない。中元は卒業発表後、2017年9月18日(パシフィコ横浜)・9月24日(同)・9月30日(ポートメッセなごや)・10月24日(パシフィコ横浜)・11月4日(京都パルスプラザ)の個別握手会(いずれも18th個別握手会で振替対応のみ)に参加している。後述する趣旨をふまえると、九州シリーズを終えたのちの10月24日か、もしくは11月4日の出来事なのではないかと思う。
- このほかにも「推しメンを応援できる時間は有限」という趣旨のメッセージもあり、グループの未来を意識した発言である一方、自らのアイドル活動が終わることを改めて印象づけるものでもあった。
- これは、『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』 p.112で中元本人も綴っているエピソードである。
- このときの放送は日本シリーズ中継の延長により、22時43分から23時までの短い放送時間であった。ゲストメンバーとしては生駒里奈が迎えられている。
- ただし、この部分は中元の歌唱パートではあるが、中元が作詞にかかわっているわけではおそらくない(作詞者のクレジットは「RADIO FISH」である)。
- 「セルフ卒業式」と銘打ったもので、斉藤由貴「卒業」やHysteric Blue「春〜spring〜」の歌唱、生田絵梨花・斎藤ちはるからのビデオメッセージ、会場全体での卒業生呼びかけや「旅立ちの日に」の合唱などの内容であったという。
- 「放送中に通りがかったのでつい」(中元日芽香公式ブログ 2017年12月12日)とのことであった。
- やや迂遠な表現になっているのは、不参加となったシングルは生じていないが、「真夏の全国ツアー2014」を一部欠席した橋本奈々未や、「真夏の全国ツアー2016」を一部欠席した桜井玲香などの例があるためである。
- ただし、中元は「17thシングル期間の活動休止」という形のアナウンスであったが、北野は「活動を当面の間休止」という形のアナウンスであり、シングルの期間で区切っての休業ではなかった(ただし、北野が休業に入ったのは19thシングル発売[2019年10月11日]の約1ヶ月後というタイミングであり、グループとしての次のリリース作品はアンダーアルバム「僕だけの君〜Under Super Best〜」で、20thシングルの発売告知は2018年2月22日であり、シングルの期間で区切る形が成立しがたいタイミングではあった)。他の例を参照すると、2018年6月30日に休業のアナウンスがあった久保史緒里は、「ツアーの全公演を欠席、および21stシングルへの不参加」という形で、「その他の活動については体調を考慮しながら続行」という留保つきであった(この期間も、専属モデルを務める『Seventeen』には引き続いて登場していた)。2019年4月13日に休業のアナウンスがあった山下美月(公式サイトのニュースでの告知の形はとられず、本人のブログのみによるアナウンスであった)も、「23rdシングルの活動を休止」および「23rdシングル以外の活動には少しずつ参加」とのことであった(当時はドラマ「電影少女 -VIDEO GIRL MAI 2019-」の撮影などによる繁忙の状況による部分が大きいと受け取られていたように思うが、のちにドキュメンタリー「僕たちは居場所を探して」[2021年2月21日配信]や、「おしゃれクリップ」[2021年11月28日放送]では、体調面の問題が大きかったものと語られており、特に前者では「文字通り倒れた」と表現されていた)。24thシングルに不参加の形であった大園桃子は、2019年6月24日にツアーへの欠席が発表され(結果として、最後の会場である明治神宮野球場公演には出演)、これに続いて7月19日に24thシングルの活動を休止する旨のアナウンスがなされる形であった。2022年7月10日に休養のアナウンスがあった早川聖来(30thシングル不参加)、2022年9月17日に体調不良による一部グループ活動休止のアナウンスがあった清宮レイ(31stシングル不参加)、2023年3月31日に体調不良による活動休止のアナウンスがあった岡本姫奈(32ndシングルには参加しているが「32ndSGアンダーライブ」には欠席、33rdシングル不参加)、2023年6月10日に活動休止のアナウンスがあった林瑠奈(33rdシングル不参加、「学業に専念」との表現であった)については、あらかじめ期間を区切らない形での休業であった。2023年10月31日に活動休止のアナウンスがあった金川紗耶についても、34thシングルへの不参加とあわせての告知ではあったが、休業の期間は区切られず「当面の間」とされている。
- 「選抜に二度と戻れない」という状況を結果としてつくらなかった(休業を選択したことによる“罰則”のようなものの不存在)ことももちろんだが、「人間は体調が悪くなることがあるが、休養をとれば回復につなげられる可能性が高い(ため、そうした決断も選択肢としてありうる)」という(ある意味で当たり前の)世界観を導入した側面もあったように思う。いまもそうした向きが存在しないとはいえないが、「活動休止」という望まれないイレギュラーな状況に対して、根拠のない勘繰りや“犯人探し”をするような声がファンダムを飛び交う状況は、当時かなり苛烈であったような印象をもつ。北野も2017年12月1日付けのブログで、「誰かのついた私に関しての嘘や噂話」を「真正面から否定したい」、という趣旨の発信を行っている。ケースが積み重なってきたことによる“慣れ”のような部分もあるかもしれないが、その端緒には、北野が当時の状況を真正面から乗りこえていったこともあったことは確かだ。
- 日程としては、2018年10月29日から11月3日であった(『空気の色』巻末「北野日奈子のスウェーデンロケ日記」より)。
- 上述のように中元の「らじらー!サンデー」への最終出演が2017年11月19日であり、これをもって表に出る活動はほぼ終了した形となっており、ここから丸一年後のタイミングであったことにもなる。なお、中元と重なるタイミングでグループを卒業し、同じく乃木坂46合同会社に引き続き所属して活動している伊藤万理華も、最終活動日から丸一年後となる2018年12月23日に公式サイトを開設している。
- 2021年6月15日に文化放送で特番として放送され、2021年10月4日からは毎週配信(収録は月1回の4-5本録りのようである)のPodcast番組としてスタートしている。
- 選抜発表の模様が放送されたのは、2019年4月14日の「乃木坂工事中」#202において。
- ツアー2会場目となる福岡・ヤフオク!ドーム公演(2019年7月20-21日)に先立つタイミングで24thシングルの選抜発表の模様が放送され(7月15日の「乃木坂工事中」#215)、このシングルでは北野は3列目で選抜入りする形であった。表題曲「夜明けまで強がらなくてもいい」は、ツアー3会場目となる京セラドーム大阪公演(8月14日。2日目は台風接近のため中止)のアンコールで初披露され、最終地である明治神宮野球場公演(8月30日-9月1日)でも各公演のアンコールで披露されている。
- 楽曲名が明言されているわけではなく、中元は16thシングルでは他に「サヨナラの意味」と「孤独な青空」にも参加しているが、楽曲の特徴をふまえて「君に贈る花がない」についてのエピソードなのではないか、と推定した上で引いている、ということにご留意いただきたい。
- このときのバースデーライブは卒業メンバーのポジションを、3期生を中心とするメンバーで積極的に埋める形で披露された曲が多く、同日に披露された「大人への近道」は久保史緒里を加えた5人での披露であったが、「君に贈る花がない」はオリジナルメンバー4人での披露であった。
- このときは、オリジナルメンバーである堀、北野、寺田を中心に置きつつ、出演メンバー全員による披露の形であった。
- 厳密にいえば、2021年12月12日卒業の寺田蘭世は、公開日時点でまだグループに所属している。ただし、寺田は「Time flies」には参加していない。
- ライブにおいて中元のことを思い起こさせる場面では、近しいメンバーがハーフツインで臨んでいるのを見ることが多かった印象がある。ツインテールだとやや過剰で、印象が少し違ってしまうということもあるかもしれないし、あるいは中元にとって最後のライブとなった東京ドーム公演の際の髪型がハーフツインであったからかもしれない。
- 「真夏の全国ツアー2017」明治神宮野球場公演2日目(2017年7月2日)で発売がサプライズ発表された際には、発売時期は「今秋」とされていた。その後特に音沙汰がないまま時間が過ぎ、秋といわれる時期になっていったが、「アンダーライブ全国ツアー2017〜九州シリーズ〜」福岡国際センター公演3日目(10月18日、北野が出演した1公演目である)において発売日が2018年1月10日と改めて告知された。
- 中元は「18枚目のアンダーはアルバム発売もあって大事なチーム」(『Top Yell』2017年11月号 p.62)と語っていたこともあり、当初は18thアンダーメンバーの体制で制作されることが予定されていたことが伺える。結果として19thアンダーメンバーの体制で制作され、「自分のこと」以外の新曲3曲(「誰よりそばにいたい」「その女」「自惚れビーチ」)は19thアンダーメンバーを歌唱メンバーとする楽曲である。アルバムのキャンペーン活動も大々的に行われたが、これも当然19thアンダーメンバーによって展開された。
- 商品概要が発表されて存在が明らかにされたのが2017年12月7日、「らじらー!サンデー」での音源初オンエアは12月17日で、いずれも中元がほぼすべての活動を終了したあとのタイミングである(ただしブログの更新はまだ行っていた時期であり、12月12日には中元本人が初オンエアについて告知もしている)。
- 「2017 FNS歌謡祭 第1夜」(2017年12月6日)で「逃げ水」を披露した際の歌唱衣装として制作されたものであり、「スペシャル衣装8」として2018年3月度の生写真でも着用されている。中元のイメージも感じさせるが本人は着用したことがなく、「自分のこと」が制作された近傍の時期につくられた衣装ということにもなり、奇縁を感じさせる。
- これはさらに、「アンダーライブ全国ツアー2018〜関東シリーズ〜」(2018年12月19-20日)における「君に贈る花がない」の披露時にも着用されている。
- https://twitter.com/nhk_radirer/status/1028626011808624640
- 林を含む、「坂道合同新規メンバー募集オーディション」および坂道研修生としての活動を経て2020年2月16日にグループに配属された、いわゆる“新4期生”5人は、配属直後に開催された「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」においてはDAY4のみの参加であり、パフォーマンスには参加せず、挨拶と自己紹介のみを行った。
- 林瑠奈公式ブログ 2022年11月5日「届け」。なお、このブログ内では当初は「命の真実 ミュージカル『林檎売りとカメムシ』」を披露する予定であったとも語られているが、新型コロナウイルス感染で欠席となってしまった中村麗乃を「お姫様役」とした演出であったといい、急遽変更を迫られた結果の選曲でもあったようである。
- 『ありがとう、わたし 乃木坂46を卒業して、心理カウンセラーになるまで』は、2021年6月22日発売である。同書は中元がグループ在籍当時から書きためていた文章をもとにしながら書かれたものだと説明されているが、以下に引用するのは、終盤のページに「後日談」と題して綴られたものの一部である。
- 西野七瀬の「つづく」、衛藤美彩の「もし君がいなければ」、桜井玲香の「時々 思い出してください」、堀未央奈の「冷たい水の中」、松村沙友理の「さ〜ゆ〜Ready?」、高山一実の「私の色」、生田絵梨花の「歳月の轍」、新内眞衣の「あなたからの卒業」、北野日奈子の「忘れないといいな」、齋藤飛鳥の「これから」。本人が作詞している白石麻衣の「じゃあね。」は除いている。
- 中元日芽香、伊藤かりん、井上小百合、川後陽菜、川村真洋、北野日奈子、斎藤ちはる、斉藤優里、新内眞衣、中田花奈、能條愛未、樋口日奈、和田まあや(以上オリジナルメンバー13人、当時の歌唱メンバー14人から永島聖羅のみグループ卒業)、伊藤万理華、衛藤美彩、齋藤飛鳥、相楽伊織、星野みなみ、堀未央奈(以上当時の選抜メンバー6人)、伊藤純奈、佐々木琴子、鈴木絢音、寺田蘭世、山崎怜奈、渡辺みり愛(以上当時研究生であった6人)の計25人。アンダーメンバーが歴代最多だったのは13th・20thシングルでの21人であったことを考え合わせると、歴代最多人数での披露だったのではないだろうか。このブロックでは中元がこの曲と「アンダー」にしか出演しておらず、「アンダー」は18thアンダーメンバーのみでの披露であったため、「このブロックに登場した全メンバー」で披露されたのは、「君は僕と会わない方がよかったのかな」だけであった、ということになる。
- 撮影地は上田女子短期大学北野講堂である(参考1・参考2:「北野記念講堂」の表記がみられるが、大学公式では「北野講堂」としており、建物の表示も「北野講堂」である)。作中では上田市を訪れて「君は僕と会わない方がよかったのかな」のMVロケ地をめぐっていたのが「11月20日」とテロップが付されていたが、これも同日に撮影されたのだろうか。
- 歌唱メンバーは、センターを樋口日奈として、新内眞衣、和田まあや、伊藤純奈、鈴木絢音、山崎怜奈、渡辺みり愛である。これはいうなれば、「現役のオリジナルメンバー+当時の研究生から、サンクエトワールと重なる3人を除いたメンバー」である(当時の「アンダーライブ サード・シーズン」には、すでに研究生も合流していた[ただし、「君は僕と会わない方がよかったのかな」のパフォーマンスには参加していない]。また、このくくりには井上小百合と佐々木琴子も該当するが、この日は不在であった)。
- 1日目は「乃木坂 恋のメロディー」の企画のなかの1曲として、阪口珠美、伊藤純奈、山崎怜奈の3人で披露された。
- 楽曲のオリジナルメンバーのうち、このライブに参加していたのは、北野と樋口、和田のみである。
- 「将来は前田敦子さんみたいな、女優さんになりたいな!」(北野日奈子公式ブログ 2014年3月12日「春のミント」)、「もっと演技がうまくなって、いつか女優さんになりたい。もうひとつの夢は、動物関係のお仕事につくことです。」(『Audition』2015年9月号 p.85)など。
- 「たくさんの分かれ道の中から今に至る選択をしてきたけれど、『自分で運命を切りひらいてきた』という実感はあまり持てずにいました。だからこそ、小学生の頃からずっと考えている動物愛護については、何があろうとめげずに、自分でその道を作っていきたいと思えるんです」(sippo「乃木坂46 北野日奈子さん 愛犬「チップ」の発病、そして夢への第一歩」[2020年9月7日])
- 日刊SPA!「元乃木坂46・北野日奈子がノープランでグループを卒業した理由『公表してないのですが…』」(2023年3月18日)
- 卒業の区切りのライブでは「乃木坂の詩」は演じられにくい傾向にあり、複数公演がある場合は最終日には披露がなかったり、1公演のみの場合は披露が省かれたりすることも多い。披露された場合でもその後にダブルアンコールがあったり、無観客・配信ライブの時期はアフター配信があったりと、「ライブでの最後の披露楽曲が『乃木坂の詩』」というのはきわめて珍しい。筆者が調べた限りだと、永島聖羅の卒業以降でこれに該当するのは佐々木琴子と、北野よりあとに卒業した樋口日奈と和田まあや(この両名はともに「樋口日奈卒業セレモニー」が最後のライブである)のみである(参考:「乃木坂46・歴代卒業メンバーや卒業公演などに関するメモ(随時更新)」)。
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