「アンダー」について、みたび(アンダーライブ関東シリーズによせて)

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アンダーライブ、「座長」として

 2018年12月19日・20日、乃木坂46・アンダーライブ関東シリーズが武蔵野の森総合スポーツプラザで開催された。北野日奈子は22ndシングルアンダー曲「日常」のセンターとして、このアンダーライブで座長を務めた。
 本稿では今回のアンダーライブを振り返りつつ、「アンダー」について、もう少し書いてみようと思う。

 今さら述べるまでもないことだが、北野がアンダーセンターを務めるのは初めてのことではない。18thシングルのアンダー曲であった「アンダー」でも中元日芽香とともにWセンターを務めたが、折からの体調不良によりアンダーライブの座長を務め上げることはできなかった。1年以上の時を経て、リベンジのアンダーライブであったと称することもできるように思う。
 正直、10月5日のアンダーライブ北海道シリーズ千秋楽でアンダーセンター就任が発表されたときは、体調面を考えるとまだ少し早いのではないかという印象もあった。復活を焦ってほしくないし、急がせるようなことはあってはならないとも思っていた。

 しかし北野は見事なパフォーマンスで、アンダーライブの座長を全うして見せた。
 特に圧巻だったのはライブ終盤、「アンダー」からソロダンスを挟み、「嫉妬の権利」「制服のマネキン」「インフルエンサー」「ここにいる理由」「日常」と激しめの曲をすべてセンターで踊りきったシーンである。ソロダンス前に流されたVTRでも本人が語っていた通り、北野はもともとダンスが得意なメンバーではない。その北野がセンターポジションで見せた力いっぱいのパフォーマンスには胸が熱くなった。

 

セットリストに入った「アンダー」

 前稿「『アンダー』について、ふたたび(シンクロニシティ・ライブによせて)」と同じようなことを書いてしまうことになるが、この公演で「アンダー」がセットリストに入れられたことは、筆者にとって意外な出来事であった。
 確かに座長である北野のセンター曲ではある。「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」を皮切りに、「真夏の全国ツアー2018」でも全公演で演じられてきた。しかし、北海道シリーズではセットリストに入れられなかったことからもわかるように、アンダーライブのアンセムにするような曲とはなっていない(なるべきだとも思わない)。

 ではどうしてここで「アンダー」なのか。2日目公演のMCで、北野はその疑問に答えるかのように、「急なんですが」と口を開いた。
 この曲について「どんな感情で歌えばいいか判らない」と言ったことがあるし、今も正解がどこにあるのかわかっていない。しかし、正解がないところがすごくいいと思う。この曲を大切に思っているし、これからも大切に歌いたいと思う――
 他でもない。北野自身にとって思い入れのある曲であるからこそ、セットリストに入れられたのである。

 答え合わせをするわけではないが、北野は「BUBKA」3月号の単独インタビューで、「アンダー」についてセットリストに入れるか入れないか、という話が出たことと、そこで自身が「入れたほうがいい」と言ったことを明かしている。「いつまでも自分の中でコンプレックスにするのはよくないから」と。

 

「アンダー」の受け止め方

 「アンダー」は、メンバーの中で受け止め方が分かれてきた曲である。
 Wセンターに据えられた中元日芽香と北野日奈子は、受け止め方に苦しんだメンバーの代表であろう。九州シリーズのMCで、中元は「自分の6年間を否定されたような気持ちになったこともあった」と(過去形で)吐露し、北野は「好んで歌いたくないと思っていた(が、ツアーを通して好きになった)」と語った。他にも、中田花奈にも似たようなエピソードがあったという記憶がある(が、詳細を思い出せない)。
 一方で、伊藤かりんは一貫して「この曲をポジティブにとらえている」と語っている。川村真洋が「そんなに暗い気持ちで歌いたくなかったので、たまに少し微笑むようにしていた」とインタビューで答えていたことも、筆者にとっては印象深い。伊藤純奈にもこうしたニュアンスの発言があったような記憶がある(が、こちらも詳細を思い出せない)。
 また、北野の「BUBKA」3月号での「いつまでも自分の中でコンプレックスにするのはよくない」という発言からは、九州シリーズでのMCでは「ツアーを通して好きになった」とも語ったものの、今回の関東シリーズに至ってもなお「コンプレックス」が残る部分があったということを読み取ることもできる。「正解がない」という自身の言葉の通り、北野のなかでもこの曲に対する評価や感情は変遷がみられるともいえる。

 一方で、ファンの評価は厳しいものが多かったと言わざるを得ない。「真夏の全国ツアー2017」の演出(と、北野の涙のパフォーマンス)が炎上状態を招いたことはいまでも記憶に残っているし、個人的なつながりのあるファンの発言やインターネット上の観測範囲においても、辛辣な評価が並べられることが多かったようにも思う。あえて悪しざまにいえば「中元と北野の心を折った曲」と評価している人も多いのではないだろうか。
 だが、筆者はこの曲がどうしても好きだった。好きという言い方が正しくなくても、ここまで惹きつけられた曲は他にない。確かに「美しいのはポジションじゃない」とまで踏み込んだことにはさすがに当初少し戸惑ったものの、ストレートな歌詞も美麗なメロディも好きだった。
 それゆえに「アンダー」という曲を、なんとか肯定しようと試みて書いたのが、前稿の「アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて」だったようにも思う。しかし、それは孤独で苦しい戦いだった。前稿でも書いたところだが、メンバーが受け入れられるものでなければ好きであることは難しい、と感じて気持ちが遠ざかりそうになったこともあった。九州シリーズのMCでのメンバーからの前向きな発言を受けて胸のつかえがとれたとも書いたが、メンバーの本心がどこにあったとしても、ステージに立てばあのような発言になるだろうという後ろ向きな気持ちも心のどこかからは捨てきれなかった。

 

想い抜くことの重み

 そんな葛藤を続けるなか、「真夏の全国ツアー2018」千秋楽を控えて発信されたのが、北野からの1通のモバイルメールだった。モバイルメールの性質上、そのまま引用するようなことは避けるが、「アンダー」について想うたびに、この曲に重みや気持ちとストーリーが増していく、というような内容が含まれていた。
 これは「正解がないところがすごくいい」という、関東シリーズのMCでの発言につながる。「BUBKA」3月号でも、「『アンダー』についてよく考えることがあるが、どれだけ考えても正解が出ない」「正解も不正解もないんじゃないかと思うようになった」「そこが『アンダー』のいいところなのかなって」と語っている。戸惑いから始まり、いくら考えても答えは出ず、しかし考えれば考えるほど曲の重みが増していく。北野がそう表現した「アンダー」のありようは、筆者自身の葛藤にも重なってくるように思えた。

 だから筆者はいま、北野自身の言葉である「正解がないところがすごくいい」という言葉を信頼して、改めて「アンダー」に臨んでいこうと考えている。たぶん筆者自身は、前述のような葛藤こそあれ、「アンダー」を肯定しようと心の中で戦い続けることになると思う。たどり着くべき正解も終わりもない孤独な戦いになるはずだ。ただしそれは、「アンダー」を受け入れることのできないという意見と戦うということではない。「正解がない」のだから、そうした意見も否定することはできないのだと思う。
 ただし、曲をそれぞれのあり方で受け止めて、ステージに立つメンバーのことだけは、ファンとして肯定していなければならないとも思う。自ら葛藤することも、メンバーの葛藤に目が行くこともあるが、メンバーが見せてくれる風景を第一に大切にしたい。改めて、そう思う。

 

これからの「アンダー」

 一方で、これも何かあるたびに考えることだが、「アンダー」は当面披露される機会はないのではないかとも思う。今月に控える「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」ではセンターに北野を置いて改めて披露されるかもしれないが、それ以降、北野の選抜復帰も期待されるなかで、「アンダー」がどうなっていくのかは不透明であるといえるだろう。今回の関東シリーズでの披露についても、座長である北野の選択に任された部分があったのである。
 北野のいない「アンダー」は、もはやなかなか想像しづらい。選抜メンバーとして「アンダー」を歌うこともまた違うだろう。他にセンターを立てるとしてもなかなかに重すぎるかもしれない。中元・北野が両方欠席したときのようなセンターのいないフォーメーションも考えられるが、そこまでして披露するほどの曲であろうか。

 だからこれからの「アンダー」がどのようになっていくかは、わからない。この曲が好きな筆者としては、たまにライブで披露してくれればいいなとも思うし、封印のような形になるのは寂しい。でも、そうなるかもしれない。そうなってもならなくても、さらなる時間の経過とともに、ストーリーが重くなっていく曲だと思う。
 ファンとしては見守ることしかできないが、しかししっかりと見守り続けていきたいと思う。それがこの曲と向き合うということになるのだろうから。

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