2018年3月31日をもって、ろってぃーこと川村真洋が乃木坂46を卒業した。
川村真洋は筆者が生まれて初めて推したアイドルでもあって、何かひとつ、自分の中で区切りになる瞬間でもあるような思いでいる。
ファンとしての自分の時間を区切ってしまうつもりはいまのところまだないけれど、時間の流れを明確に意識するようになったのは確かだ。
人に言えないきっかけ
アイドルにはほぼ興味をもってこなかった僕が坂道シリーズを追うようになったきっかけがろってぃーである。
日曜の深夜にのんびりザッピングをしていたら、別れたばかりの元恋人に似た女の子が画面に映っていた。それがろってぃーであり、乃木坂工事中であり、僕と坂道シリーズの出会いだった。2015年の暮れのことであったはずである。
そこから日曜深夜は楽しみにテレビの前に居るようになり(スタジオメンバーとして登場することは少なかったけど)、そしてその後枠のけやかけがきっかけで、「デビュー前からメジャーグループを応援できたら楽しいかも」という理由で欅坂46を追うようになり、少し遅れて乃木坂46も追うようになった、という順序である。
誰かメンバーを推すようになるきっかけは人それぞれだと思う。しかしその中でも僕は割と愚かなきっかけをもつファンだったかもしれない。
川村推しとして過ごした2年間は割と苦難が多かった。顔が割とタイプで、関西弁がかわいくて、力の抜けたキャラクターも好感で、それでいてパフォーマンスに秀でているところも、知れば知るほど好きだった。好きになればなるほど、時間の経過とともに薄れていくはずの元恋人のことを思い出してしまうという悪循環である(いまとなっては笑い話にまで昇華できているけれど)。
そんな個人的な問題を抜きにしても、筆者が推しているあいだにろってぃーが脚光を浴びる機会はほぼなかった。選抜に入ったことは一度もなく、ソロでカラオケ番組に出たことと、「ろってぃーのギタヒロ!」の連載があったことくらいだっただろうか。筆者が唯一行った15th全握の頃はろってぃーコールの全盛期で、なにやら多少批判もあったように記憶している。
16thアンダー曲「ブランコ」のフロントメンバーは好きだった。少しハードな曲調なところ、寺田蘭世をセンターに据え、フロントが樋口、中田、川村、能條。「意図が見えるフロント」などと絶賛していた覚えがある。その頃のろってぃーの外ハネの髪がまた好きだった。当時出演した「ラーメンWalkerTV2」の「カネキッチンヌードル」にも、便利な場所ではなかったはずなのに、すぐに行った。
あのときのこと
触れずに終わるわけにはいかない。ろってぃーが文春砲とやらを浴びたのはそんな時期だった。
まず述べておくと、この件について僕は悪感情はほとんどない。AKB48が世に広めた「恋愛禁止」という言い方もあるように、一応は恋人などはいないことを前提とした商売ではあるのだと思う。このこと自体の是非を問うつもりもなくて、ただ久しぶりにろってぃーがファン界隈で話題をさらったのがこの件だったというのが少し悲しかった。
仕方ないという言い方もおかしいが、選抜入り2回のメンバーが「アンダーライブを引っ張ってくれ」と言われて(「日経エンタテインメント! アイドルSpecial」2017でのインタビューより)、通常のアイドルとしてのモチベーションを保つのも難しいだろうよ、という印象をもっていたことを覚えている。それはまあ失礼な勘ぐりではあるけれども、同じインタビューで「休みの日はカラオケに行って歌の練習をしている」と語った通りの足どりがその文春で報じられたことは好感ですらあって、ろってぃーの応援を続ける自分を疑ったことはなかった。もっと言えば、あの写真かわいく撮れてたよな、くらいに思っていた。マスクもせずに写真を撮られてしまうゆるーい感じがイメージ通りだった。
(文春の記事については当時少し目を通しただけで、あまりまじめに読んだわけでもなければ、別にこの文章を書くにあたって確認したりといったこともないので、事実誤認があるかもしれない。)
こうしたゴシップが話題になったときの対処のパターンはいくつかあって、正式に認めて謝って「正史」の一部にしてしまうパターンや、その逆に正式に否定するパターン、だんまりのまま終わってしまうパターン、または少し曖昧な形でブログなどで触れて終わりにするパターンなど、さまざまである。そこまで気にしてはいなかったものの、あえて当時気になっていたことを挙げるとすれば、どういうパターンで事態が進んでいくんだろう、ということくらいだった。
結果としてはほぼだんまりのままで、755のコメントに本人が少し反応してしまったことがあったくらいだったと記憶している。そのままの状態で迎えた事件直後のライブの場は橋本奈々未卒業コンサートを含むバースデーライブで、ろってぃーがステージに登場すると客席には何かいつもと違う雰囲気が波打って少し居心地が悪い思いも正直あった。しかしほかでもないろってぃー自身が、完全にいつも通りの表情でステージに立っていたことはこれ以上ない救いであって、そのほかには何も要らなかった。
それでもどこまでも推しだった
よくない話を長々と続けてしまったので、軌道修正したい。
乃木坂46が雑誌の専属モデルを続々と増やし、「きれいなお姉さん集団」のようなイメージを定着させていくなかで、しかしそこから少し外れた場所にいるメンバーが独自で立場を獲得していることが、グループの強みでもあると筆者は感じてきた。歌に、ダンスに、ギターに、と、ひたすらパフォーマンスで評価と実績を積み重ねてきた川村真洋は、その典型例のひとりであっただろうと思う。
先にも述べたように、彼女は確かに、言ってしまえば人気メンバーというわけでもなかった。ファン目線を抜きにすれば、「国民的アイドルグループの無名メンバー」としてアイドルとしての芸能生活を終え、次のステージに進むことになる。こう書いてしまえば身もふたもない。しかしグループの強みを確実に形成してきた彼女自身に、「元乃木坂46」の肩書きが少しでも、あるいはできるだけ、プラスに働いてほしいとただただ願っている。乃木坂にいた6年半が、回り道だったと思ってほしくないし、現実としてそのように作用してほしくもない。
1stシングルでは選抜メンバーで、「乃木坂の詩」ではフロント扱いのポジション(生駒里奈の隣)に入ってきた時代も長かった。改めてそう考えてみると、アンダー時代が長かったことは少し寂しくも思える。「乃木坂らしさ」のようなものをグループとして体当たりで模索していくなかで、ポジションとしては後景に退いてしまったという評価になるのかもしれない。
しかしそこにはアンダーライブがあった。「アンダーライブを引っ張ってくれ」と言われた、というエピソードを否定的に紹介してしまったが、全体のライブだけではなくたくさんのステージを踏めたことは、彼女にとって幸せなことだったのだろうとも思う。全体のライブではあり得ない規模の小さな会場で、彼女のパフォーマンスをしっかりと見られた(レスももらえた!)ことは、筆者自身も幸せだった。
ステージに立っていた彼女のこと思い出そうとすると、シリアスな曲も多かったはずだろうに、なぜか目尻の下がったあの笑顔で楽しそうに歌い踊る姿ばかりが浮かんでくる。歌って踊ることが本当に好きなんだなあ、と思いながら見ていた記憶もある。
筆者が思い入れの強い楽曲である「アンダー」について、「私はそんなに暗い気持ちで歌いたくなかったので、たまに少し微笑むようにしました」(「日経エンタテインメント! アイドルSpecial」2018春でのインタビューより)と語っていたことも印象深かった。「逆境から生まれたコンテンツ」の側面をもつステージで、パフォーマンスを追求する延長線上にあって笑顔になれるのは、何よりの才能であったのかもしれない、とも思う(これもまた、ある意味で「乃木坂らしさ」から外れてしまうのかもしれないけど)。
これからも彼女がたくさんのステージを踏み、たくさんの歌をうたって、それがたくさんの人に届くことを願うほかない。
ろってぃーと乃木坂の“これから”
個別握手会での卒業セレモニーはあったものの、まさに卒業当日であった3月31日の全国握手会(大阪)が、乃木坂メンバーとしての最後の場となった。卒業コンサートは開催されなかったものの、最後までパフォーマンスの場があったというのも、ろってぃーらしい形だったとも感じている。
そうかと思えば755が翌日になって更新され、クローズ日がアナウンスされているブログも、次の情報発信の場の紹介を含めて更新されるのだという。卒業とは何なのか、と思わなくもなかったが、橋本奈々未と中元日芽香の「卒業・芸能界引退」の印象に引っ張られてしまっているだけかもしれない。
卒業コンサートの決まっている生駒里奈をはじめ、これからもメンバーの卒業は続いていくだろう。芸能界を引退するメンバーもいたっていいけれど、やっぱりこれからも表に出て活動してくれたほうが寂しくないし、その際には母校のようなものとして、乃木坂46が存在してほしいとも思う。
その変化はもしかしたら、46時間TVにもしれっと登場した伊藤万理華、卒業センターを断って2列目に立った生駒里奈、そして川村真洋の「95年組」が、もたらしていくのかもしれない。
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短く済ませるつもりが、例によって筆が乗りすぎてしまった。
最後に、先にも引いた「日経エンタテインメント! アイドルSpecial」2017での川村真洋のキャッチコピーを紹介して、本稿を終えることにしたい。
「アンダーライブをけん引してソロシンガーを目指す」
次のステージは明確である。いつまでもろってぃーはろってぃーらしく生きていってほしいし、それを素直に応援できるファンでありたいと思っている。
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ろってぃー。
お疲れ様でした、ありがとう。
あなたのおかげで、知らなかった世界をたくさん知ることができました。
応援の形は変わるかもしれないけれど、僕はこれからもずっとあなたのファンです。
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