年が明けていくぶん経ち、正月ムードもすっかり霧消した。時間が経つのは早い。2020年のことを思い返してみると、ほぼほぼ新型コロナウイルスに振り回されたような1年だったように思う。先日発売された「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」のBlu-rayを見ていると、ずいぶんと昔のことのように思える(この1年はあっという間に過ぎ去ったという感覚があるにもかかわらず)。リアルライブに、満員のナゴヤドーム。あんな風景が戻ってくるには、まだまだ時間がかかりそうだ1。
そのような社会情勢のなかで行われたのが、12月18-20日の「アンダーライブ2020」であった。「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」以来のリアルライブとして日本武道館で開催された一方で、同時に有料での配信も行われたライブであった2。会場は席空けが行われ、観客は手指の消毒とマスクの着用が義務づけられたほか、客席からの発声も控えるようにアナウンスされ、代替としてスティックバルーンが配布された3。
そうした新たな形でなんとか開催にこぎつけた、1年以上ぶりのアンダーライブ。本編は全曲アンダー曲のみで構成されたセットリストにあって、1日目の1曲目は「アンダー」であった。26thシングルアンダーセンターの阪口珠美とともに、北野日奈子が歩み出してくる4。北野にとっては、ちょうど2年ぶりのアンダーライブであった。
本稿では、この「アンダーライブ2020」を入口として、北野日奈子のことについて、彼女をとりまく状況について、そして「アンダー」のことについても、いまこの段階で思うことを書いていくことにしたい(「アンダー」については筆を置くつもりでいる、と1年半ほど前に書いたところだが、やはりというか、また筆をとることになってしまった)。
—
筆者はこれまでにも、北野および「アンダー」についてはたくさん書いてきた。今回の記事については、過去書いてきたことも重ねながら、これまでの歴史について本稿のみである程度完結して読めるように書いているので、以前の記事と重なる部分が大いにある。なので、過去の記事に目を通してから読むことを推奨するわけではないが、今回の記事も過去の記事もそのときどきの感情を織り交ぜながら書いているので、もしとても暇であるならば、あわせて読んでいただけると浮かばれる部分もある。過去に書いてきた記事は、以下の通りである。
<アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて>
(1)「アンダー」前夜(選抜発表から音源解禁まで)
(2)アンダーライブ前夜(卒業発表、体調不良、真夏の全国ツアー)
(3)「アンダーセンター」中元日芽香、空席のシンメトリーポジション(10月14日、大分公演)
(4)「最後のピース」北野日奈子、守り守られた場所で放った光(10月20日、宮崎公演)
(5)Postscript〈1〉:「ひめきい」の“それから”(11月7・8日、東京ドーム公演)
(6)Postscript〈2〉:中元日芽香、ウイニングランを終えて
「アンダー」について、ふたたび(シンクロニシティ・ライブによせて)
北野日奈子の姿に「希望」を見て
「アンダー」について、みたび(アンダーライブ関東シリーズによせて)
「アンダー」について、もう少しだけ(2019年上半期)
もう一度、北野日奈子の姿に「希望」を見て
#日奈子ちゃんお誕生日おめでとう
26thシングル選抜発表
当たり前のことだが、アンダーライブに出演しているということは、アンダーメンバーであるということである。包み隠さずいうと、筆者はここで北野がアンダーメンバーとなることはまったく予期していなかった。26thシングルの選抜発表の模様は11月15日の「乃木坂工事中」#284で放送されたが、いわゆる「今野式」でテンポよく発表されたこともあって、センターに山下美月の名前が呼ばれても、北野の名前が選抜メンバーのなかになかったことにしばし気づかなかったほどであった(あまりにも間抜けな話だと思うが、そのくらい予想外の出来事だったのである)。
北野が選抜メンバーから外れるのは、アンダーセンターを務めた22ndシングル以来。23rdシングルでは初の福神メンバーとして選抜入りし、選抜メンバーの人数が絞られた上に4期生から3人が選抜入りした24thシングルでも選抜に残った。25thシングルでも選抜入りし、配信シングル「Route 246」のメンバーにも選ばれた。選抜に定着した、と筆者は思ってきたし、同じように思っていたファンも多かったのではなかろうか。
なかでも23rdシングルで福神メンバーとなったことは本当に大きなことであったと思うし、筆者もすごく嬉しかった。そこは北野がずっと目指し続けていた場所であった。選抜の壁より、ひょっとすると福神の壁のほうが分厚い。3・4期生は福神メンバーとして初選抜となるケースが多くなっているが5、1・2期生に新たな福神メンバーが誕生したのは、北野の前は19thシングルでの伊藤万理華と井上小百合まで遡る。その前は13thシングルでの衛藤美彩と齋藤飛鳥だ。さらにその前となると9thシングルでの深川麻衣(および松井玲奈)にまでなる6。福神メンバーが増加傾向にあったことや、前作で福神メンバーであった衛藤美彩・西野七瀬・若月佑美の卒業などといった状況があったとはいえ、歴史がひとつ変わった出来事であった。
初めての福神メンバーに選んで頂けて
嬉しい気持ちと感謝の気持ちでいっぱいです!ずっとずっとなりたかった福神メンバーです
目指していた一つの目標です色々なポジションを経験してきて
今回頂けたこの椅子がどれだけ大切で責任があり
ありがたいものなのかよく分かっていますこの椅子を私はどうしていくのか
どうしていきたいのか自分の中でもう決まっています変わらないために変わり続ける
誰かが言っていたこの言葉の意味を
分かってきた今だからこそ
私は変わらないために変わり続けます!
そして福神経験者がアンダーメンバーとなったケースは、過去には中田花奈・星野みなみ・堀未央奈・岩本蓮加・久保史緒里の5例しかない7。ある意味でこれも、ひとつ歴史に刻まれることだったかもしれない。
選抜発表の放送を受けて、北野はすぐさま755に第一声を投稿した。ブログを書き、放送後にアップされる予定だったが、書き直すことにしたのだという。そして選ばれなかった悔しさとファンへの感謝を伝える投稿を連ね、多くのリアクションを集めた。ブログはもう少し時間がかかるかと思っていたが、翌日の夕方にはアップされ、そこには彼女らしいていねいでまっすぐな言葉で思いが綴られていた。
色々と思うことはあるし考えてしまうし
アンダーになったことを発表される今日までずっと
皆さんはどう思うんだろうって考えていたけど
もう前を向いているので
目の前の壁を乗り越える私の背中を押すのではなく
一緒に目の前にある壁を乗り越えて欲しいです。
北野の選抜発表というと、どうしても18thシングルのときのそれを思い出してしまう。あのときの北野も、少し時間がかかったが、ていねいで率直なブログを書いた。そのときも北野は泣いていて、同期が寄り添ってくれたのだという。前を向こうと戦っていて、それだけでは割り切れない思いを吐き出してもいた。3年以上の時間が流れているが、それでもあの夏のことがフラッシュバックしなかったといえば嘘になる。頼もしい言葉を受け取って安心したが、それが120%というわけでもないだろうというのも正直な印象だった。それでも自分にできるのは、彼女のことを信じることしかない。自分の心が折れることは、北野の心が折れること。そう思うよりほかなく、その心のありようは信仰に近かった。
この日のブログは、「今どこにいたってやるべきことって同じだ」と「アンダー」の歌詞を引きながら締めくくられていた。「ALL MV COLLECTION2〜あの時の彼女たち〜」のCMでも引かれた、2番の歌詞。「アンダーメンバー」のイメージが描かれた、ストレートすぎるようにも思えた歌詞。日頃からよく聴く曲だが、このブログを受けて改めて聴き直した。それはあまりにも、北野が北野のことを歌っているように感じた(彼女の歌割りではないけれど)。
北野日奈子の「あの日」
「アンダーライブ2020」は前述のように、本編は全曲アンダー曲で構成されたセットリストであった。1日目と2日目では順序や選曲に変化がつけられつつ、2日間をかけて全30曲が網羅され、3日目では改めてその30曲をすべて披露するノンストップライブの形がとられた。また、1日目と2日目では、ライブ後半につながる部分でVTRが挟まれ、アンダーセンターの阪口と鈴木絢音、そして北野の3人による対談の様子が流された。1日目では直後の「新しい世界」について触れられ、2日目においては同じく直後の「アンダー」について語られる場面があった。この曲がもたらした「葛藤」を北野が語るところで、ライブの映像が差し挟まれる。泣きながら「アンダー」をパフォーマンスする北野の姿が、そこにはあった。
日付などは示されていなかったが、おそらく間違いない。
北野日奈子の「あの日」。2017年8月11日、ゼビオアリーナ仙台。
あの日に至るまでにはいろいろなことがあった。この年の全国ツアーは7月1-2日の明治神宮野球場公演が「期別ライブ」の形で開催されたあと、少し時間が空いてこの8月11日から地方公演が始まった。前述の18thシングルの選抜発表の放送が7月9日(「乃木坂工事中」#112)であり、この時期に前後してシングルの制作が行われていたようである8。「アンダー」のMVについては、世に出たものは過去のアンダーライブの映像をとりあわせたものであり、新撮のシーンはなかったが、実際には静岡県富士市で撮影が行われていたようであり9、18thシングル通常盤のジャケットのメンバーが「アンダー」のフロントメンバーと一致しておらず(樋口日奈がジャケットにいない)、憶測の域を出ないものの、「アンダー」まわりに関してはかなり制作がばたついていたという印象もある10。7月14日にはシングルの収録内容が発表されるという形で曲名が公開され、7月21日の「沈黙の金曜日」で音源が初オンエア。8月2日にはMVが公開されているが、この日にはシングルのリリースに先がけて所収全曲の先行配信がスタートしてもいる。
そのようななかで、8月6日の「らじらー! サンデー」で、中元日芽香が乃木坂46から卒業することを発表する。あわせて、全国ツアーについても全公演休演することも発表された11。少々記憶が曖昧なのだが、「アンダー」が中元と北野のダブルセンターの形であろうことは音源の歌い出しからおおむね予想されていたものの、フォーメーションがMVなどからも明らかにならなかったことから確定した情報はなかなかなく、「シネマズプラス」での能條愛未の連載記事「乃木坂週刊映画」で言及されたことで12、8月5日にようやく確定したような形であったように思う。そうした頃合いでの卒業発表であり、かなりの驚きをもって受け取られていた。中元はこの2017年の年明けあたりからイベントなどへの欠席がみられるようになり、1月28日の公式サイトでの発表をもって、正式に体調不良による活動休止13に入ることになった。その後、2か月弱を経た3月19日の「らじらー! サンデー」にサプライズで登場して以降14活動に復帰していたが、体調面の問題を再び感じたことがきっかけで卒業を決意したという15。アンダーライブ九州シリーズの千秋楽宮崎市民文化ホール公演(10月20日)では、卒業について「誰にも相談せずに、ひとりで決めました」とも明かしており、いくぶん感じとっていたメンバーもいたようであるが、突然の卒業発表だったといってよいと思う。
そして8月9日の18thシングルリリースを経て8月11日に迎えられたのが、全国ツアー地方公演初演、あのゼビオアリーナ仙台公演であった。ライブの終盤、この日に初披露だった「アンダー」へつながる演出として、「乃木坂46がここまで大きくなったのは、選抜とアンダーがあったから」というような趣旨のVTRが流され、そしてひとりで「アンダー」のセンターに立った北野。この日ずっと元気のない様子であったが、この曲のパフォーマンスの際には号泣といってよい状態になってしまっていたという。筆者はこの日会場にいたわけではないので、得られた情報はこのくらいであり16、さまざまな憶測も飛び交うなかで、筆者の観測範囲に限っても、界隈は炎上のような状態になった。いまにして思うと、「アンダー」という楽曲に対して多くのファンが抱いていた複雑な感情が、北野の涙をきっかけにして一気に噴出してしまったような形であったのかな、と思う。相当なフラストレーションが演出のVTRに向かっていたと記憶しており、それを会場で目にした者もそうでない者も相半ばとなってぐちゃぐちゃになっていたように思う。
その記憶があったからこそ、今回のアンダーライブでこの日の映像が出てきたことには驚いた。感想を率直に申し上げると、思った以上に泣いていて、突然映像が差し挟まれたこととあいまってかなりたじろいでしまった。いかなる理由があったにせよ、これでは炎上しても仕方ないな、と3年ごしに思った。しかしそれを単一の原因に帰すようにとらえてしまうのは少々ピュアすぎる思考でもあろう。事態はすごく複雑であった。ここまででもいくぶん振り返ってきたし、選抜発表後のブログにもそれと異なる一端が表れていたようにも思う。とにかく、あのときの北野にはいくぶんかの休息が必要であった。おそらく確かにいえることは、そのくらいだろう17。だから「あの日」というタイミングで、北野にとって何かが転換したということでもないのかもしれない。しかしわれわれに見える世界は、「あの日」を境に大きく変わった。そんな瞬間の映像であった。
3年半の歩みと「アンダー」への思い
北野がVTRでの対談内で語ったところによると、「アンダー」については「もう考えないで」、そのときの思いを表現するようにしたい、というようなことであった。ここに至るまで長かったな、と思う。この曲をあてがわれた、その最前線にいた北野は、誰よりもこの曲について考えてきたといってもいいように思う。
「アンダー」の制作が終えられたと考えられる時期、18thシングルの選抜発表に関するブログを書いた北野は、その受け止めに迷いながらも、つとめて前向きであろうとするような言葉を残している。
18枚目シングルアンダーメンバーは18人です。
18人でうたう「アンダー」という曲を
ひとりひとりが違う思いで違う光で
歌ってパフォーマンスしていいと
私は思います。みんなのこのポジションを与えられた回数も違えば、その1つ1つ18通りの立ち位置に立つ思いも違うし、この歌に対しての捉え方も違うと思います!
私はまだ「アンダー」という曲が
こうゆう思いを伝えたい歌だと思うんだ!と紹介はできないけど
いつかこの歌を自分の中に吸収できたとき
皆さんに伝えたいです!
しかし、後年において北野は当時の心情について、「曲をいただいた時は、もうアンダーはアンダーのお仕事がたくさんあって、それぞれに誇れるものもあるという状況でした。そんな状況だったので、『このタイミングでこの歌詞をどういう気持ちで歌えばいいの?』という戸惑いがありました。」(『BUBKA』2019年3月号 p.19)とも語っている。シングル3枚分、選抜メンバーとしての活動が続いていた状況であったとはいえ、それまでの北野のキャリアはアンダーメンバーとしてのそれのほうが長い。自身が選抜発表で名前を呼ばれなかったことに加え、アンダーメンバーとしてのキャリアが揺らいでしまうことに対するショックと戦ってもいたといえるのではないだろうか。
2017年8月11日に前述のゼビオアリーナ仙台公演があり、13日までの計4公演に北野は出演を続けるが、8月16-18日の大阪城ホール公演は欠席する。8月22-23日の愛知・日本ガイシホール公演には出演するが状態は上向かず、この期間に参加予定であった握手会やスペシャルイベントなどのイベントにも欠席となることが常態化する。少し間をおいた10月8-9日の朱鷺メッセ新潟コンベンションセンター公演は3公演とも欠席。中元と北野を欠いた「アンダー」のセンターポジションは詰められ、曲後のMCでは樋口日奈が、アンダーライブ九州シリーズのステージには絶対に18人で立つ、と繰り返した。九州シリーズまでは1週間を切っており、リハーサルもかなり進んでいただろう。10月14日の大分・佐伯文化会館公演での初演で中元が語ったところによれば、リハーサルを引っ張っていたのは北野だったという。「絶対に18人で」というのは、全員の強い気持ちだったかもしれない。北野からの発信が途絶えるなかで、樋口の言葉は希望であり安心をもたらしたが、しかしどこかに悲壮感のようなものを感じずにはいられなかったというのも、また偽らざるところである。
10月14日の大分・佐伯文化会館18公演で始まったアンダーライブ九州シリーズのステージに、北野の姿はなかった。当日の午前中に発表された欠席発表は恐れていた事態でもあり、やっぱり、という脱力感もあった。樋口は18人によるステージが叶わなかった無念さに触れつつ、「人間には気持ちの限界というものがあると思う」と口にした。しかし中元を筆頭に17人のメンバーがステージを守り抜き、10月18日の福岡国際センター公演3日目の北野の復活につながる。この日と翌日の鹿児島市民文化ホール公演には北野が出演する一方、入れかわるように中元がほぼ出られない状態となってしまったが、千秋楽となる10月20日の宮崎市民文化ホール公演では1曲目からふたりが揃ってステージに立つこととなった。
この九州シリーズでは、夏曲やユニット曲のパートなどは差し挟まれていたものの、オープニングでは歴代シングル表題曲の旋律に乗せて当該シングルで選抜に入ったメンバーが進み出て踊る演出がなされ(18thアンダーメンバーには13thおよび14thシングルの選抜メンバーがおらず、そうした重苦しさも含めて演出されていたと記憶する)、セットリストは「自由の彼方」「嫉妬の権利」「不等号」と強さや情念を感じる曲で始められ、中盤に披露された「アンダー」の前にはメンバーによって歌詞が朗読されるなど、全体としてシリアスな雰囲気で展開された。伊藤かりんによれば、「このシリーズの演出家さんとWセンター(中元日芽香、北野日奈子)の心情が合っていたのかなと思います。東京体育館みたいな明るいテンションだと、当時の2人とは合わなかったから。」(『BUBKA』2019年3月号 p.49)ということである。MCでは、卒業を決めている中元が彼女らしくつとめて明るい声色で最後のメッセージを送ることが多かった一方、北野は「アンダー」についての率直な思いを吐露する場面がみられた。宮崎市民文化ホール公演について、北野は後年、「この曲を歌うのは辛い、というような話をしました。なかなか言葉にしづらかったけど、ファンの方はそれを聞きたいと思うんですよ。ファンの方が耳を澄ましているのもわかりましたし。」(『BUBKA』2019年3月号 p.19)とも語っている19。「アンダーライブがあったから戻ってこられた」とも語った北野は、どこまでも厳しい状況のなかで、客席や自らの感情にどこまでも向き合うことを選んだのである。明るさでいうならば「暗かった」と表現するしかないシリアスな雰囲気のなか、セットリストで本編最後に「僕だけの光」が位置づけられ20、初演のMCでは樋口が「18人全員にそれぞれ違う光があって」と語るなど、「アンダー」の歌詞にも登場する「光」という語が強調される場面があったほか、ステージには白いガーベラの花があしらわれ、その花言葉は「希望」であるという。北野を含む複数のメンバーが、そのことについて触れる場面もあった。逆風に負けないで、「僕だけの光」を、「これから射す光」を手に入れる。空前絶後といっていいかもしれないハードな演出を、メンバーがどう受け取ったかは果たしてわからない。しかしそれは、あくまでステージに立つことを選んだ北野のありさまにどこまでも重なって見えた。
その後、北野は11月7-8日の東京ドーム公演に曲数を絞りながらも出演し(「アンダー」も披露し、これがオリジナルメンバーで披露された最後の機会となった)、11月16日には体調不良による休養がアナウンスされる。それから数か月は専属モデルを務めた『Zipper』の休刊前最終号が発売されたほかはブログをいくつか更新した程度で、その後は復帰の明確な区切りがあったわけではないが、2018年3月24日の「乃木坂46時間TV」にサプライズ登場したほか、歌唱メンバーとして参加しなかった20thシングル(4月25日発売)にも、カップリングの2期生曲「スカウトマン」ではMVの一部に出演。そして4月22日の「生駒里奈卒業コンサート」ではステージにも復帰し、「任せてください! 大好きです」と生駒に今後に向けた決意を含んだメッセージを伝えた。そして7月6-8日の「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」には、アンダーメンバー側のチームで全編に参加21。3日間で会場を変えて計6回披露された「アンダー」は北野の単独センターの形がとられたが、1日目の秩父宮ラグビー場、2日目の明治神宮野球場、3日目の秩父宮ラグビー場では公演のクライマックスで演じられ、ラスサビでは横一列に並んだメンバーが右手を掲げるとともに夜空に花火が打ち上げられた22。特に1日目は、北野の姿がモニターに映し出されるたびに歓声が上がっていた客席だが、「アンダー」のイントロが流れたときにはどよめきを含んだ声が波打った。「あの日」から約11か月。あの曲を守り抜いたから、あの日々を戦い抜いたからこそのこの日のステージであった。
この「6th YEAR BIRTHDAY LIVE」を皮切りにスタートしたこの年の全国ツアーでは、地方公演でもこれをベースとしたセットリストが組まれ、「アンダー」も全公演で演じられた。率直にいうと、筆者はこの頃はまだ体調を心配しながら見ていたところもあったが、北野は引き続きライブ全編に参加し、8月4日の大阪・ヤンマースタジアム長居公演では星野みなみのジコチュープロデュース企画で「2度目のキスから」を披露するなど、再び大きく羽根を広げていくような印象をもたせる期間となった。そして北野は、ツアー千秋楽となった9月2日のひとめぼれスタジアム宮城公演を控えてモバイルメールを発信し、「アンダー」について言及する。前年の自分を現在の自分につながるものとして肯定しつつ、九州シリーズの福岡公演に触れ、客席とともに前向きに曲に臨む気持ちを表現する内容であった23。あくまで筆者の目にした範囲ということであるが、特にこの夏以降の北野は、「アンダー」の終わりでセンターとしてモニターにクローズアップされたときに微笑みを見せるようになる24。「微笑むようにしていた」という表現が、もしかしたらより適切かもしれない。それは彼女なりの、われわれへのメッセージであるようにも思えた。
10月2-5日にZepp Sapporoで行われたアンダーライブ北海道シリーズに、北野は21stアンダーメンバーの一員として参加する(「アンダー」はセットリストに含まれなかった)。直前の9月30日の「乃木坂工事中」#175では22ndシングル選抜発表の模様が放送され、アンダーメンバーの全容もほぼ明らかになっていたが、千秋楽公演のアンコールにおいて、北野がアンダーセンターを任されること、そして武蔵野の森総合スポーツプラザでのアンダーライブの開催が発表された25。北野のアンダーセンターに関しては、ライブへの復帰からのスピード感に少し心配に思うところがなかったとはいえないが、大きなグッドニュースであった。このアンダー曲「日常」は、10月19日の「金つぶ」で音源が初オンエア、11月1日にはMVが公開され、曲の力強さとMVの世界観のシュールさが話題となる。また、22ndシングルでは北野は「キャラバンは眠らない」にも参加したが、「若手メンバーを中心に編成された」26とされる歌唱メンバーのなかで、北野は堀未央奈と並んで最年長の学年であった27。さらに11月9日には、1st写真集の発売がアナウンスされる。11月21日のSHOWROOM配信でタイトルが「空気の色」に決定したことが発表され、12月27日に発売となった28。
12月19-20日に開催されたアンダーライブ関東シリーズでは、北野は冒頭から数多くの楽曲でセンターポジションに入るなど、力強いパフォーマンスで座長を務め上げた。なかでも圧巻であったのはライブ終盤、「アンダー」を披露したのち、北野がダンスに苦手意識があった過去やアンダーライブにかける思いを語ったVTRを挟み、「嫉妬の権利」「制服のマネキン」「インフルエンサー」「ここにいる理由」「日常」という激しめの曲をすべてセンターに立って披露したシーンであった。アリーナクラスの会場であったが、あえてメンバーを映し出すディスプレイが切られるなど、アンダーライブらしい熱量を盛り上げる挑戦的な演出もなされた。そして2日目のアンコールのMCにおいて北野は、「アンダー」について、「急なんですが」と口を開く。「楽曲の『アンダー』に対して、その時にどんな感情で歌ったらいいか分からない、って言ったことがあります。正直、今も何が正解か分からないですが、正解がないところが、すごくいいなと思います。」「私は、あの曲をすごく大切に思っています。これからも大切に歌いたいな、って思っています。」29と、考え抜いた表現で思いを発信した。「アンダーメンバーは自分自身で光を放てるメンバー」という言葉は、九州シリーズの頃から1年以上を経て北野がたどり着いた、あの日々に対するひとつの答えであったようにも感じられた。
このライブのセットリストについて、北野は少しだけ時間をおいて、『BUBKA』2019年3月号のインタビューでこのように明かしている30。
北野 今回、スタッフさんに呼ばれて、セットリスト作りに携わらせてもらったんです。「『左胸の勇気』はどうしてもやりたいです」とか「この曲のセンターは○○さんがいいと思います」とか意見を言わせてもらって。そこで、『アンダー』を入れるか入れないかについての話になって、私は入れたほうがいい、と言いました。
——どうしてですか?
北野 いつまでも自分の中でコンプレックスにするのはよくないからです。ダンスブロックの前に置くことで、『アンダー』がより深いものになって届いてくれたらいいなっていう思いもあって、そこに入れてもらいました。(『BUBKA』2019年3月号 p.18-19)
北野自身の思いによってこのときのセットリストに加えられた「アンダー」は、以降のライブでも印象深く演じられていくことになる。2019年2月21-24日に開催された「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」では全曲披露のセットリストのなかで3日目に演じられたが、多くの曲で卒業メンバーのポジションが3期生を中心として積極的に埋められていたこのときのライブにあって、「アンダー」は所属のオリジナルメンバー12人のみで演じられ31、北野がひとりでセンターに立った。3月19日に開催された「衛藤美彩卒業ソロコンサート」では、オリジナルメンバーでない衛藤自身の選曲によってフルコーラスで披露されるとともに、衛藤からはアンダーメンバー時代の思いがMCで語られる場面もあった。4月14日放送の「乃木坂工事中」#202では23rdシングルの選抜発表の模様が放送され、北野はこのシングル以降25thシングルまで選抜メンバーとして活動することになるが、5月24日の「23rdシングル『Sing Out!』発売記念 アンダーライブ」および10月10-11日の「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」では、そのときのアンダーセンターのメンバーをセンターに置いて、北野不在の状態でも披露されている32。2020年2月21-24日の「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」では、1日目に北野がセンターの形で披露された。
これに続く披露の機会が、今回の「アンダーライブ2020」であった。この曲について考えに考え抜いてきた北野から発せられた「もう考えないで」という言葉は、いくぶん重いように思える。阪口珠美とともにセンターに立つことで改めて形を変えたパフォーマンスにあって、北野の表情は曲の終わりで微笑みを見せていたこれまでの時期よりは少々険しいようにも見え、まなざしの強さを感じさせるものでもあった33。そして年が明けて2021年1月11日のNHK-FM「今日は一日“乃木坂46”三昧」では、北野は自分にとってアンダー曲といえば「アンダー」であると答える。久保史緒里に「アンダー」への思いについて水を向けられると、「そうですね……最初は、それこそ自分のコンプレックスのひとつになってしまった曲ではあったんですけど、それを乗り越え、いまではその曲のセンターをやっていることにすごい誇りを持って、大切に毎回歌っているので、みなさんにとっても大切な1曲になればいいな、と思います」と答えた。曲がもたらしたコンプレックスを「乗り越え」、そのときの思いを表現するようにする。これまでも北野は、そのときどきでつとめて前向きな言葉をつむぐようにしていたような印象もあるものの、「乗り越え」た、という彼女の言葉を、それよりもいっそう強く、信じてみたいと思う。「アンダー」のセンターとして過ごした3年半の時間。北野はきっと、新たなフェーズに入っているのだろう。
「アンダー」という曲が生まれて
筆者は、「アンダー」と九州シリーズ以降に熱が上がったことは否定できないものの、北野日奈子を推していたのはそれより前からのことである。歯を出して笑いながら雑誌を破り、フライパンを曲げる彼女のことをあまり考えこむことなく見ていたし、乃木坂46を本格的に追うようになったのは2016年の夏のことであるから、筆者にとっての北野の第一印象は「裸足でSummer」の選抜メンバーとしての姿である34。休業発表を受けたブログによれば、不調を自覚し始めたのは2016年の冬ごろのことであったという。「サヨナラの意味」で2作連続の選抜入りを果たし、外形的には順調であるようにも見えた時期だ。しかし一方で、本人もブログで言及するくらいに「笑顔が減った」とされる時期でもあった35。数年にわたって懸命に手を伸ばし続けてきた選抜メンバーの立場となって環境が変わり、これと重なる時期に20歳にもなった。あまり色眼鏡で見たくはないが、筆者の個人的な人生経験から考えてみても、確かに心に隙間が生まれてしまってもおかしくない状況であったかもしれない。
どんなに頑張っても
周りのメンバーとの
選抜回数の差は縮まらないし
自分のコンプレックスがどんどん増えていってこんなに小さい光しか出せない自分が
どれだけの人を照らせるのか
明るくできるのか考えて
小さい光ながらも
照らす角度を変えて前に出てみたり
そうやって自分でたくさん挑戦して
光を照らす距離を伸ばしてきました!でも前にもうしろにも右にも左にも
上にも下にも綺麗な強い光があって
私はどうやって前に進んでいったらいいのか
わからなくなりました
そこは確実に彼女が希い、望み、目指した場所であるから、北野にはあくまで選抜にいてほしい。そこに新たな苦闘があったとしても、そのなかにあってさらに歩みを進めてほしい。それは偽らざる気持ちであったが、一方で、選抜メンバー/アンダーメンバーの変動は普通にあることだし、一定の幅であったほうがよいことでもあると感じる36。2017年頃は「選抜常連組」といえるメンバーがかなりの人数で固定されており、順を追って考えると、事実としてそうなった通り、北野が18thシングルで選抜メンバーから外れることはじゅうぶんあるという状況でもあった。アンダーセンターというのも、ありうべき立ち位置であったといえるかもしれない(近しい関係であった中元日芽香や堀未央奈、寺田蘭世らと異なり、自らのセンター曲がないということも、彼女にとってコンプレックスのようになっていた)。しかしそれにしたって(あるいは、だからこそ)、その後の日々のことを考えあわせても、そこにあてがわれた曲が「アンダー」だったということは、あまりにも重すぎるようにも思える。そう思っていたファンも多かったように思うし、そしてそれ以上に、「アンダー」という楽曲に対するアレルギー反応はすさまじかった。
いまは状況がまったく違うとはいわないが、当時の選抜/アンダーをめぐる状況はそうとうナイーブであったと感じる。例えば「嫉妬の権利」や「不等号」の歌詞に関して、「報われない恋の曲」のような言われ方がされると、「報われない」の単語をあげつらってすぐにどこかが炎上していたような状況であった(観測範囲が偏っているかとも思うが、どことなくそういう雰囲気があったことは間違いない)。「アンダー」とあのゼビオアリーナ仙台公演もおそらくその延長線上にある。多くのアンダーメンバーにとって、選抜入りをめざす過程を戦いと呼ぶとするならば、その戦いは長期化してもいた。一方で、北野や中元、新内眞衣が連続で選抜入りし、寺田が初の選抜入りを果たすなど、少し状況が変わる兆しもあったのも確かだ。公演を重ねたアンダーライブは一定以上の評判を得るようになり、北野のいう「もうアンダーはアンダーのお仕事がたくさんあって、それぞれに誇れるものもあるという状況」もあった。「まだ咲いてない花」なんて、あのときにはもうどこにもなかった37。そんなタイミングで「アンダー」という曲が生み出されたことは、ともすると遅きに失したという評価もできた。いくぶん前の時期の「アンダーメンバー」像を、ストレートに描きすぎた、という面はあるように思う。
ただ、最初期の曲である「乃木坂の詩」をはじめ、ストレートな当て書きの曲はほかにも散見されるところである。「君の名は希望」は生駒里奈の姿に着想を得たとされるし、「気づいたら片想い」や「不等号」など、センターメンバーのたたずまいに重なるように書かれていると感じる曲も多く、近年はより輪郭がはっきりして、「Against」「自分のこと」「時々 思い出してください」などメンバーの状況や心情が書きこまれているものや、「三番目の風」「4番目の光」「キャラバンは眠らない」など直接的なワードが含まれたものも少なくない。2017年という時期は、アンダーメンバーの状況は移り変わっていた一方で、アンダーアルバムの発売がアナウンスされ、東京ドーム公演では総体としてのアンダーメンバーがグループに対して果たした役割が強調して紹介されるなど、アンダーメンバーの歴史を意味づけて評価する取り組みがされた時期でもあった。「アンダー」は、ひょっとするといつか生み出されなければならなかった曲であったのかもしれないし、アンダーメンバーの姿が少しずつ変わりゆくなかで、しかし忘れてはならないグループの歩みを書き残したものであったかもしれない。
その歌詞と最前線で対峙することになった北野と中元をはじめ、受け止めに迷ったメンバーは多かった。生み出されなければ生み出されないで、平穏にグループは坂を上り続けたのかもしれない。筆者として、北野の3年半を自分なりに見届けてきて、不可逆なその時間をどこまでも尊重したい気持ちは非常に強い。しかしタイムマシンに乗ってあの夏に戻り、なんらかのよくわからない大きな力を持たされたとして、「アンダー」という曲を最初からなかったことにできるなら、多分筆者はそうすることを選ぶ(最近そういう風に思うようになった)。でも、「アンダー」またはそれに近いテーマの曲が必ず生み出されなければならなかったとするならば、あの夏には機はじゅうぶんに熟していたといえようものだし、そしてその曲はやはり北野日奈子に担ってほしいと思う(こんなことを書くとあの夏のタイムラインを炎上させていた人たちに火をつけて燃やされるかもしれないが)。
もうひとりのセンター、中元日芽香の存在もそこにはある。「みんなから私のことが/もし 見えなくても/心配をしないで/私はみんなが見えてる」。おそらく少なくとも、卒業ということがいくぶんか以上に心にあった状態でこの曲の制作に臨んだ中元。アンダーライブの歴史において、彼女は確実にひとつの「時代」でもある。冒頭のあのフレーズはどうしても、アイドルという場所から去りゆく中元からのメッセージに聴こえるように感じられてならない。どうしてもアンダーメンバーのイメージのみを受けたフレーズだとは思えない。当て書きと言い切るつもりもないが、センターメンバーのたたずまいは曲を引き寄せる。そしてそれを中元とともに歌うことができるのも、中元にかわって歌い継ぐことができるのも、あのとき北野しかいなかったのではないか、と思うのだ。
「ひめきい」を歩むこと
「アンダーライブ2020」の2日目と3日目で演じられた「君は僕と会わない方がよかったのかな」では、北野がセンターを務めた38。11thシングルのアンダー曲で、もともとは中元日芽香にとって初めてのセンター曲。オリジナルのポジションでいうと、北野はその頃まだ3列目にいた39。全体のライブでも2016年頃には客席が中元のサイリウムカラーであるピンクに染まるようになっており40、中元が15thシングルで選抜入りして以降は披露機会は減ったものの、東京ドーム公演で中元本人による最後の披露機会として演じられ、アイドルとしての彼女の最後のメッセージであったともいえる「最後のあいさつ / Her Last Bow」でも用いられるなど、中元日芽香を象徴する曲として取り扱われてきた。中元が欠席した「5th YEAR BIRTHDAY LIVE」で齋藤飛鳥が、卒業後の「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」で久保史緒里がセンターを務めたことがとりわけ語られることもあった。そのなかで、北野がこの曲でセンターに立つのは初めてのことだった。
中元と北野を指して「ひめきい」と称することがあった。同期ではないが同い年であるふたりは、12thシングルアンダー曲「別れ際、もっと好きになる」ではセンターの堀未央奈を挟んでシンメトリーのポジションに立ち、以降シングル3枚にわたってアンダーフロントに並び立つ。13thシングルでは寺田蘭世・中田花奈・堀未央奈とともにユニット曲「大人への近道」をあてがわれたが、これはアンダーメンバーによる初めてのユニット曲であり、このユニットはのちに「サンクエトワール」と名づけられることになる。その後は15th・16thシングルで揃って選抜入りを果たした。中元にとって最後の参加シングルとなった18thシングルではふたりでダブルセンターを務めたというのはさんざん述べてきた通りで、筆者もいつの頃からか、このふたりをワンセットとして見るようになっていった。
中元の卒業からはいくぶん時間が過ぎているが、特に近年において、北野は中元との紐帯を積極的に表現するようになっている。中元不在でサンクエトワールの楽曲を披露したり、寺田とともに中元のソロ曲「自分のこと」を歌唱したりした「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」に際しては755で「どうしても彼女のことを思うと涙が出てきますね」と語り、ブログでは中元と連絡をとりあったエピソードを明かした。2020年6月29日の「乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂」では久保と、7月15日の「猫舌SHOWROOM」では渡辺みり愛とともに、それぞれ「びーむ」を披露する場面もあった。中元の思いを受け継ぎ、「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」では「君は僕と会わない方がよかったのかな」のセンターに立ったほか「大人への近道」にも参加した久保史緒里、本人による披露が一度もなかった「自分のこと」を自ら選曲し、2018年8月5日の大阪・ヤンマースタジアム長居公演のジコチュープロデュース企画で披露した井上小百合、中元の卒業から2年以上を経てグループに加入し、2020年12月6日の「4期生ライブ2020」でソロ曲を披露することとなった際に同じく「自分のこと」を選曲し、中元本人とも連絡をとっていると明かした林瑠奈など、中元のことを大切に伝えていこうとするメンバーは数々いるが、ある意味で対称性をもって、並び立つ存在として誰をあげるかとなると、やはり北野しかいないように思う。
「アンダーライブ2020」での「君は僕と会わない方がよかったのかな」。あっという間にピンクに染まる客席に目をやりながらパフォーマンスを見て、「彼女のことを思い出した」とかそういう次元のことではなく、「そこに中元日芽香がいる」と強く思った(「アンダー」に関しても似た感情があるが、しかし北野が力を尽くして曲を意味づけてきた時間のことが思われる部分も大きく、今回は阪口珠美とともにセンターに立つ形がとられたことは、もうひとつ曲を前に進めたという印象も抱かせた)。「君は僕と会わない方がよかったのかな」は、少し特殊な色彩である曲であるようにも思う。終わってしまった恋のことを思う、「報われない」感情を歌った曲。しかし、スローテンポなその曲は、おおむね柔らかい笑顔でいつも演じられてきた。中元自身のパーソナリティもそこにはあっただろうか。リリース時の彼女は、まだ「ツインテール時代」でもあった41。5年近い時を経てその曲のセンターに立ち、日本武道館のステージでふにゃっと笑った北野の姿に、筆者は確実に中元日芽香を見た。
近年の北野は、積み重ねられてきたグループの歴史とたたずまいを後輩に伝えていくことに使命を見いだしているように思う。『アップトゥボーイ』2019年8月号では「(一期生に教わったことを)三期生、四期生に伝えていけたら」と語り、同2020年2月号でも「後輩たちとも積極的にコミュニケーションを取って、グループとしてまとまるために、やれることをやりたい」という。日刊スポーツ「坂道の火曜日」2020年7月7日号でも「1期生のあり方を一番近くで見てきた後輩として、3期生や4期生に懸け橋として伝えていきたい」とした。「アンダー」を大切に歌っていくことも、中元の姿を伝えていくことも、彼女にとってその使命のなかのひとつなのかもしれない。
変化するグループの一員として
筆者にとってはあまり、未だに直感的でない事実なのだが(それゆえに意識して繰り返し確認するようにしている)、北野は現在の乃木坂46のメンバーのなかではかなりの年長組に属する。2021年1月現在の所属メンバー44人を生年月日順に並べると、北野は上から6番目である42。意味もなく1・2期生に絞ることにしても、16人中の上から5番目となる。キャラクターとして、初期の元気なパブリックイメージから、自分らしさを見失って悩んだ日々があり、近年では再び明るさを前に出して表舞台に立つようになっている印象があり、あまり「年長組」と感じさせない振る舞いも多いということもあるように思う。メンバーとはしゃいでいる姿を見ていると、どこかやっぱりほっとしてしまうようなところがある。
一方で、グループが歴史を積み重ねるなかで、自らの立ち位置が変化してきていることを強く意識して、それを口に出して行動するようになっているというのも先に述べてきた通りだ。ライブなどで与えられる役割にも変化がみられてきているように思う。潮目が変わったと感じるのは、武蔵野の森総合スポーツプラザでのアンダーライブの座長を務め上げたのちの「7th YEAR BIRTHDAY LIVE」(2019年2月21-24日)である。北野は3日目のMCで、加入したばかりの4期生が自己紹介するパートにおいて先輩メンバーとして単独で登場し、進行役を担った43。今回の「アンダーライブ2020」でも、北野は樋口日奈とともにライブ全体のMCの進行役となり(北野の担当は2日目)、3日目終盤のMCで気持ちが高まった渡辺みり愛が涙してしまったときには遠くから駆け寄るなど、メンバーを支える場面が多くみられた。
本人の受け止めはわからないが当然そういう言い方はしないし、ことさらにこのように語ることも適切でないように思うが、ある意味でいちファンのひとりよがりな合理化の一環として、北野はアンダーライブを支えるためにアンダーメンバーに移ったのではないかと思いたくなってしまう44。前回の「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」でいうと、選抜経験が相対的に豊富で45、アンダーライブを負ってきた歴史も長く、年長者で46、センターではなく、MCを担うというのは、中田花奈のポジションであるというアナロジーが成り立つ。北野がいたことで、今回のアンダーライブが相当に安定感のあるものになったことは疑いないように思う。
しかし北野は、選抜発表についても悔しさを表現していたが、今回のアンダーライブへの向き合い方についても、苦しんだ部分があったことを吐露している。
今回のアンダーライブには
何から向き合っていいのかわからなかったのが、最初でした。いつも泣きそうになりながら練習して、こんな気持ちのままやっていたらダメだと思いながら鏡に映る自分の姿をみることができなくて、何がダメなんだろうとか、なにをしたらいいんだろうとか自分の事がわからなくなっていたけど、今の私を見てくれている家族が友達がファンの方が、そのままの私が好きだと言ってくれるから、私は私が好きなみんなを幸せにしたいんだと気づきました。どこにいてもやるべきことは同じだ、わかっていても心が折れる時もあって
でも揺らぐことのない大事なことをいつでも心に留めておけば
また頑張るために立ち上がれるから
この先きっと皆んなそれぞれに色々なことが起きるかもしれないけど、私は誰かのためにみんなのために皆んなと心を通わせたいと思いました。
(北野日奈子公式ブログ 2020年12月22日「一番好きなものを離さないで」)
「どこにいてもやるべきことは同じ」、そう思う気持ちがどんなに強くても、立場が安定しないというのは少なくとも望まれる状況ではない。選抜/アンダーの区分けが固定される部分がどうしても大きいという現実があって、こんなに両者を出入りしているメンバーは、現役では北野くらいであるといってよいように思う47。選抜メンバーとして立ち続けるにも、アンダーメンバーであり続けるにも、メンバーそれぞれが力を尽くしているということは当然に踏まえなければならないが、選抜入りへの強い思いを持ち続けるなかでここまで動きがあることには、独特の厳しさがあるといえるのではないだろうか。
誤解のないように気をつけながら書きたいとは思うが、以前(初期から2016-2017年頃まで)ほどには、「選抜」という制度が苛烈なものとしてとらえられなくなったな、と感じる部分も個人的には大きい。選抜入りした喜びやできなかった悔しさを表現するメンバーは現在でも多いが、選ばれなかったことにくずおれて涙するような場面は少なくとも表には出てこなくなっており、選ばれて涙する場面のほうが近年の「乃木坂工事中」などでは印象的に描かれている。「福神」について触れるメンバーは、もはやそうとう珍しいといってよいと思う(「フロント」という言い方はけっこうあるが)。アンダーライブの枠組みは維持されていく一方、楽曲やライブでは「期別」というくくりでの動きが増えており、いわゆる新4期生の合流という状況はあるものの、4期生は24thシングルでの選抜抜擢の3人(遠藤さくら・賀喜遥香・筒井あやめ)に加え、26thシングルでは清宮レイ・田村真佑の2人がさらに選抜入りする一方、他メンバーはアンダーに合流せず、16人という規模で別働隊のような動きを続けている48。かつては16人が基本とされ、最大でも18人であった選抜メンバーは、16thシングルで19人となって以降は20人前後が常態ともなっている。そして「アンダー」があり、東京ドーム公演とアンダーアルバムがひとつの総括となり、3期生がアンダーライブに合流したあたりの時期が目に見える転換点でもあっただろうか。
私は26枚目シングルの選抜メンバーに
選ばれませんでした。何度やっても何年やっても
慣れることのない選抜発表に今回も変わらず
心臓が大きくなっていました。
名前が呼ばれることがなく終わって
大きくなっている私の心臓も
言葉にならない心の中も全部置いてけぼりで
ただただ、涙が溢れてきて
それをこの空間に悟られないようにするのに必死であぁ私またここで平気なフリをしてしまうのかな。
心の中をぐしゃぐしゃにして乗り越えたフリするのかな。悲しくてたまらないのに、この感情をなかったことにして、なんとなく過ごしていくのかな。色々ぶわぁーっと考えていたら
同期の心が私の心に寄り添ってくれていました。優しくて温かくて我慢してた涙も流すことができて、何年か前のあの時より大人になって強くなった自分の存在に気づけました。
それだけに、約1年半ぶりに選抜メンバーを外れた北野が今回も涙を流していたという事実には、改めて胸をぎゅっとつかまれてしまう。2期生である北野は、「それぞれに誇れるものもあるという状況」ではなかった時代のアンダーメンバーを経験してもいる。いまよりいっそう苛烈であった選抜/アンダーの歴史。北野はそれに翻弄されてきた、ほぼ最後の世代である。8thシングルで唐突に選抜入りして正規メンバーに昇格し、アンダーの3列目に立った時代があり、アンダーフロントで戦った時代があり、選抜メンバーとして駆け抜けた1年間があり、少し休息が必要だった時期を挟んで、アンダーセンターを経てもう一度選抜に戻って、それでなおこの状況である。「自信がなくて不安になったこともあった」という復帰直後の時期を経て「選抜メンバーとして番組に出させてもらうことに自分が違和感を感じることが少なくなりました」といい、「やっとこの心境までたどり着けたかなって思います」(以上、『アップトゥボーイ』2020年2月号 p.39)とも語っていた北野。ここまできたらもう、望んだ位置に立ち続けてもいい時期ではなかったか。そう思ってしまう部分が、なかったといえば嘘になる。時間とともにふるまいは変わってきているとしても、それでも北野は、気持ちを内に秘めて淡々としているタイプではない。だからなおさらだ。
ポジティブな言葉でも
その言葉を自分の中から外に出すだけで
影響力があることを責任があることを
いつでも覚えておかないといけないですね自分の中でのポジティブな言葉は
その誰かにはとっても辛く苦痛な言葉に
なってしまう場合があることも
忘れないでほしいです私は
元気出して!とか 笑顔でいてね!とか
そういう言葉がその当時はすごく自分の心に負荷がかかっていましただけど
それは言わないでよ、だって私元気だし笑ってるよ?ってそういう気持ちを言葉で返すのも
立場や色々なしがらみから言えなかったり
自分の気持ちを正直に話すことは
すごく勇気のいることだから勇気が心に溜まっていないとできないことです
最初からずっとそうだったはずなのだが、最近は特に、もう北野のことは「見届ける」しかないんだな、という感覚がある。こちらが力をもらうばかりで、自分にはどうすることもできない。何度も何度も立ち上がって前に進む彼女のことを、息をのんで見ているしかない。ライブに行くと感じるが、北野の背中は小さい(比喩的な意味ではなく)。メンバーのなかではそこまで小柄なイメージをつけられていないように思うが、引き締まった肢体は華奢といってよいくらいだし、158センチの身長はメンバーのなかでは小さい部類に入る49。あの小さな身体が受け止めてきたものはいかばかりであっただろうかと思う。誰にも見えない場所で小さく震えた日の彼女の力に、自分はどんなに迂遠な形であっても、わずかでもなれていたのだろうか。むしろ追いつめてしまっていたのではないか。答えの出ない問いかけを、やめることができない。
しかし、筆者のそんなくだらない逡巡より、北野はきっとずっと先にいて、力強い言葉を発し続けている。
(前略)……今年2月のバースデーライブで、卒業した先輩のポジションに入ることになった後輩たちが一生懸命リハーサルしたのに、本番前、誰かの声に自信をなくしてしまって。私は支えることしかできないから「自信を持って行っておいで」と送り出したけど、ステージ上で輝く後輩たちを見た時にすごく感動したんです。じゃあ、私は後輩たちに向かい風が吹いた時に背中を支えて、立ってあげられるようにしようと。
「福神に入って乃木坂46を表現したい」という気持ちがずっとあったし、ファンの方も望んでいるだろうけど、私が乃木坂46にいる理由はそうじゃなくて、後輩たちが自分の色を好きに出せるように「私は味方だから」と言ってあげることなのかなと思ったんです。
いまの私は自分の色を見せるんじゃなくて、乃木坂46の軸になりたい。真ん中で軸として踏ん張っても、前からは見えないし、光は当たらないかもしれない。だけど、それがやるべきことなんじゃないかと思うんです。……(後略)(『EX大衆』2020年12月号 p.16)
「自分もいつか卒業を考える日がくるのかなと想像しても、腑に落ちる理由がない」と、「一生乃木坂46にいるんじゃないかと不安になった」という状況に対して自らが気づいた答えとしての発言であった50。「乃木坂46の軸」というのは彼女らしい言葉選びだと感じるが、「自分の色を見せるんじゃなくて」と言い切るのは、相当なことであるように思う。どんなに長く見積もっても乃木坂46のメンバーとしての彼女のキャリアは後半戦にとうに入っており、終盤といっても差し支えないのかもしれない。後輩の頼もしさを感じて、あるいは自らの次の道を見つけて、卒業していくメンバーが相次いでいるなか、北野はグループに残るメンバーとして独特の円熟を見せている。年長組であることが直感的でないなんて言っていると、笑われてしまうかもしれないし、怒られてしまうかもしれない。
あなたがそこにいるならば
「乃木坂46の軸」になる、ということは、並々ならぬ覚悟が必要なことだと感じる。北野自身がいうように、真ん中で踏ん張らなければならないし、前からは見えないし光は当たらないかもしれない。それに加えて、軸はぶれずにそこにあり続けなければならない。本人にとっても想像しづらいことであるというが、自らの卒業というものを改めてあえて遠ざける発言であるようにも思う。畠中清羅の卒業から永島聖羅の卒業まで約1年間メンバーの出入りがなかった時期や51、深川麻衣や橋本奈々未の卒業が大々的にクローズアップされた時期を経て、2017年末の中元日芽香と伊藤万理華の卒業以降は3年間にわたってコンスタントにメンバーの卒業が続いており、卒業というものはグループとしてはかなり身近なものとなってきている。そのような状況のなかでのこの発言には、独特の重みが感じられる。
直近の卒業メンバーは2020年10月28日に卒業した白石麻衣であるが、11月27日には堀未央奈が自身初のソロ曲「冷たい水の中」のMVのなかで卒業を発表しており52、具体的な卒業日などは明かされていないが、26thシングルが最後の参加作品であるとされている状況である。北野にとって堀は同期の同い年であり、「堀北コンビ」と自らでも呼ぶなど、長らく特に近しいメンバーであり続けてきた。「仲悪くはないけど、距離ができた時期があった」(『のぎたび』p.156)ともいうが、その後堀のアンダー時代(12th-13thシングル期)を経て距離はふたたび縮まったという。「大人への近道」にともに参加したのがこの時期であり、ふたりを含むユニット曲は「君に贈る花がない」「ワタボコリ」「ゴルゴンゾーラ」「Am I Loving?」と続く。「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」2日目で「行くあてのない僕たち」をふたりで演じたことも、筆者には特に印象深い。
堀と北野は互いをこう思っている。
「私、未央奈が初めて選抜になった時の映像、いまだに見るんです。鳥肌立ちますよね。先輩たちの中に震えながら入っていって、雨に降られても風に吹かれても耐えてきたのが未央奈なんです。2期生の開拓者になってくれたんです。いつだったか、スタッフさんが『日奈子と未央奈の仲って実際のところどうなの?』って聞いてきたんです。『全世界の人が未央奈を否定しても、私は絶対味方でいます』と答えました」(北野日奈子)
「日奈子と私は性格も反対だし、立場も違います。でも、同い年で、同期で、笑いのツボも一緒。活動に対する考え方も似ています。『ライバルは誰?』と聞かれたら、いつもは『自分』って答えるけど、メンバーの中でだったら、『日奈子です』って答えます。全世界が日奈子の敵になったら? 私が守ります」(堀未央奈)(『BRODY』2019年6月号 p.63)
近いところも違うところもじゅうぶんに知り尽くしていて、お互いを「ライバル」とも認め合う関係(『アップトゥボーイ』2020年2月号 p.39)。北野は「私たち2人がもっともっと成長して、乃木坂46を引っ張っていくような存在に、いつかなりたい」(同前)とも語ったが53、前々から卒業を考えていたという堀の卒業時期が決まったのは2020年の夏頃であったといい、グループ活動に関するスピード感は少々異なっていたのかもしれない。堀の卒業発表からいくぶん時間をかけて、北野はブログにこのように書いている。
同期で同い年で優しくて強い私の1番のライバルの未央奈が卒業発表をしました
ずっと前から聞いていたけど
初めて聞いた時から寂しいとか嫌だとか
そんなこと未央奈に言えなかったな。。そうなんだね、そうか~。って返してたと思う。
私もそうする!とはもちろん言わなかったし
なんとなくずっと未央奈のいない二期生の形を想像して、そこにはぽっかり穴が空いてるのを感じているんだろうなって。
あまり昔の話をもってくるのも悪く感じるが、永島聖羅の卒業を最後まで止めようとしていたという頃から考えると、北野のこのトーンには隔世の感があるし、グループと「卒業」の距離感を改めて感じさせるものでもある。堀の卒業をすでに知ったうえで、自分は「乃木坂46の軸」となる、と発言したのであろうことからは、自らに課したメンバーとしての使命をさらにもう一段階深めたという印象も受ける。
長くグループでの活動を続ける上での宿命のような部分もいくぶんかあるのかもしれないが、いつからか北野は「送り出す側」に立つ場面が多くなった。本稿で書いてきた「ひめきい」の中元日芽香、「堀北コンビ」の堀未央奈。特に慕った衛藤美彩や生駒里奈ももうグループにいない。2018年7月に卒業した相楽伊織を嚆矢として、同期の卒業もみられるようになってきた。また、「ひーこもーこ」の大園桃子や、「心を半分こ」したという久保史緒里は、北野がアンダーに移るとともに選抜の最前列へと駆け上がっていった。北野が「乃木坂46の軸」としてこれからもそこにいるならば、その傾向はこれからもきっと続いていく。彼女の心中を勝手に想像しては、どうしても胸が締めつけられてしまいそうになるが、いつも向かい風のなかを戦ってきた彼女のストーリーの現在地を、ある意味でフラットに見届けていかなければならないとも思う。
不意に訪れる悲しみや不安に対しての
免疫を日頃からつけているというか、、、変ですね。。笑
とはいっても、悲しみや苦しみに慣れることなど
一生できないんだろうな~そうなれた時スーパーヒーローになれるのかなって思うけど
世の中のスーパーヒーローも悲しみや苦しみを感じながらも戦ってますね私も戦わないとな~
これからの北野日奈子
メンバーとして、あるいはひとりのタレントとして、これから北野がどうなっていくのかは正直もうわからないというところがある(これまでだって、わかったといえることはなかったのだが)。変な言い方をすると、「こうなってほしい」というわかりやすいものも思いつかない。アイドル誌で姿を見ることはある程度あるが、個人仕事が特に目立つというメンバーではないように思うし、いわゆる外仕事をすることも近年はほぼないといってよいだろうか。グループに向けるまなざしの強さは、こうした状況を反映しているといってもいいかもしれない。そんな彼女だから、負える役割があるのだと思う。舞台やファッション誌で輝く姿を見たくないといえば嘘になるが、そうしたわかりやすいメルクマールだけで彼女のあり方を把握したくない。ただただ彼女には、彼女の信じる道を行ってほしい。そう願うばかりだ。
私には明るい色も暗い色もどちらも見えます
どちらもそれぞれの色の感情があって
その一つ一つの色と向き合いますなかったことにはできないし
ぜんぶぜんぶ必要な色に違いない私から放たれる色はどれも
私の中にある本当の色ですその1秒1秒で違う色が放たれていたとしても
それがわたしの本当の姿です!
そのようななかでひとつ、彼女個人にとってトピックであったといえるのは、2020年の夏にペットメディア「sippo」に北野のインタビューが掲載されたことであった54。愛犬のチップは北野のひとつの代名詞で、動物愛護や殺処分ゼロの活動について言及することがたびたびあった。ブログで紹介した動物殺処分ゼロ活動支援プロジェクト「ブレーメン」のTシャツを、アンダーライブ九州シリーズの舞台裏で着用していたことが話題になったこともあった。写真集『空気の色』でのインタビューでも、「叶えたい夢」のひとつとして触れている。
それ以外は、犬が大好きなので、殺処分の犬をゼロにする活動に興味があります。施設を作って保健所に収容された犬を引き取りたいと思っています。トリマーの資格をとって、犬を綺麗にしてあげたり、病気にかかってたらちゃんと治るように面倒をみてあげたりして、ゆくゆくは里親を見つけてあげたいです。せっかくアイドルになって、たくさんの人に声を届けられるようになったと思うので、それを活かして1匹でも多くの犬を幸せにしたいと考えています。
(『空気の色』北野日奈子インタビュー)
「sippo」でのインタビューでは、動物愛護センターでのチップとの出会いについて語ったほか、14歳になるチップがクッシング症候群を発症し、併発した糖尿病によって両目を失明してしまったことを明かした。動物介護士の資格を取ろうとしているとも話し、そしてその先にある目標についても口にする。
「もちろん、動物愛護について、ファンのみなさんや世の中の人に話をしていきたい気持ちはあります。でも、いろいろな考えの方も、いろいろな立場の方もいる中で私が発信していくには、言葉選びも難しいですし、乃木坂のメンバーとしての顔もあります。考え込んでしまうことがたくさんあって……」
けれど、入学する高校を決めるときや乃木坂46に加入するときでさえ、誰かの助言やサポートがあったこれまでの人生の中で、唯一、自分一人でできたのが「動物愛護の立場に立とう」という決断だったのだとか。
「たくさんの分かれ道の中から今に至る選択をしてきたけれど、『自分で運命を切りひらいてきた』という実感はあまり持てずにいました。だからこそ、小学生の頃からずっと考えている動物愛護については、何があろうとめげずに、自分でその道を作っていきたいと思えるんです」
そのためにも「強くなりたい」と話す北野さん。
「命の重さはみんな同じで平等だということを伝え続けることで、なにか少しでも変えられることがあるならうれしい。そのためには、資格取得の勉強もそうですが、自分の強みをたくさん作っていきたいんです。私とは違う意見を持つ人からも、『でも、北野日奈子はああいう人間だから、彼女の考えもアリかもね』と認めてもらえるように。資格の取得はその第一歩かな」(sippo「乃木坂46 北野日奈子さん 愛犬「チップ」の発病、そして夢への第一歩」[2020年9月7日公開])
動物の殺処分という問題は、手と目の届く範囲にある動物に手を尽くして愛するということだけでは解決しない、スケールの大きな社会問題である。「いろいろな考えの方も、いろいろな立場の方もいる」のような言い方には従来と少し違ったトーンを感じるが、きっとそれは、深く深く考え続けていることの証左だろう。北野がこれからもそうやって生きていくのだろうと思うと、どこか安心するような気持ちもある。一筋縄ではいかない状況に対して、自分にとって大切なものを揺るぎなく離さないで対峙していく。それは北野日奈子という人の変わらない姿勢だし、彼女が身をもって教えてくれた、生きていく上で重要なことだ。
未来のことはわからない。力を尽くして尽くしても、同じだけの何かが返ってくるとは限らない。でもきっと、北野がこれからもずっとそうやって生きていくのだろうことは、この世界における光であり、希望である。何があっても、何度でも立ち上がる。疲れたら少し休んで、でも前を見つめることはやめない。そうやって生きていたいし、そうやって生きていく北野のことを、ずっと応援していたいと思う。彼女がどこにいたってその思いは変わらないし、どこにいたって彼女は輝く。そして彼女がくれたものは、いつまでも変わらず輝き続ける。いろいろなことがあったし、これからもあるのかもしれないが、そんな未来を信じるよりほかない。
「影は可能性/悩んだ日々もあったけど/この場所を/誇りに思う」
あなたが立つ場所が、あなたの場所。
この星に生まれてよかった。ここは五億の星のなかでただひとつ、白いガーベラの咲く星。
—
- 2020年2月21-24日というタイミングは日本における本格的なコロナ禍の始まりくらいであり、「本当にやるのか? 大丈夫なのか?」という印象もあるなかでの開催であった。2月20日には政府より(「現時点で政府として一律の自粛要請を行うものではありません。」としながらも)「感染の広がり、会場の状況等を踏まえ、開催の必要性を改めて検討していただくようお願いします。」というメッセージが出されているなかでの決行であり、2月26日には「中止、延期又は規模縮小等の対応を要請する」と表現が強められている。この2月26日を境に大規模イベントの開催は社会情勢上不可能となったといってよく、乃木坂46というグループの豪運が思われる(感染者数はまだ抑えられていたものの、「クラスター」という単語が人口に膾炙し始めた頃でもあり、一方でライブ会場での感染対策は消毒液が置かれた程度のもので、マスクの着用率も体感で半分くらいだったであろうか。会場から感染者が出なかったことも含めて、やはり豪運であったといえる。いわゆる「新しい生活様式」が一定程度定着してきた現在から振り返ると、それでよかったのか、と思わないでもないが、ひとりのファンとしては、結果オーライということで終わらせておきたい。「全曲披露」のバースデーライブを全日無事に開催できたことの意味は、グループにとってあまりにも大きい)。
- かつてはBSスカパー!でライブの同時中継がコンスタントに行われていた時期もあったし、近年でいえば2019年3月19日の「衛藤美彩卒業ソロコンサート」や2019年5月24日の「23rdシングル『Sing Out!』発売記念 アンダーライブ」がdTVチャンネルで配信されたり、卒業コンサートを中心に映画館でのライブビューイングが行われたりもしているが、ペイパービュー方式での有料配信が行われたのは2019年2月24日の「7th YEAR BIRTHDAY LIVE Day4 ~西野七瀬卒業コンサート〜」が新体感ライブで配信されて以来二度目のことであり、複数公演が配信されるのは形態を問わず初めてのことであった。一方で、コロナ禍となって以降は、2020年3月7日に予定されていたが中止に追い込まれた「『乃木坂46のオールナイトニッポン』presents 乃木坂46 2期生ライブ」が「幻の2期生ライブ @ SHOWROOM」としてSHOWROOMでの配信ライブとなったことを皮切りに、6月19-21日にABEMAで放送された「乃木坂46時間TV アベマ独占放送『はなれてたって、ぼくらはいっしょ!』」のフィナーレでもスペシャルライブが行われるなど配信形式でのライブが試みられ(この頃はいわゆるソーシャルディスタンスの要請が最も強かった時期であり、パフォーマンス中もメンバーどうしの接触が避けられるなど、コロナ禍においてもこの時期のみの現象であったともいえる異様な様相でのライブであった。この模様はのぎ動画およびABEMAプレミアムで現在も配信されている)、そののちの「NOGIZAKA46 Mai Shiraishi Graduation Concert 〜Always beside you〜」(10月28日、5月5-7日に予定されていた白石麻衣の卒業コンサートの代替)、および「4期生ライブ2020」(12月6日)は、配信のみの形式での有料ライブとして開催されている(このほか、10月4日に開催された「TOKYO IDOL FESTIVALオンライン2020」に4期生が出演している)。
- このほか、アンダーライブでは恒例となるステッカー、およびオリジナルのマスクも配布された(そもそも社会情勢的にマスクの着用は常時求められているような状況であり、マスクをもたずに会場にくる観客はいなかったといってよく、オリジナルのマスクを着用する観客はほぼ見受けられなかったが)。
- 「アンダー」は、中元日芽香の卒業後は北野がひとりでセンターに立つ形を原則とし、北野が不在のアンダーライブではそのときのアンダーセンターが立つ形で披露されてきており、「北野と(中元でない)誰か」をダブルセンターとして演じられたのはこのときが初めてであった。
- 18thシングルで大園桃子・与田祐希が、20thシングルで久保史緒里・山下美月が、21stシングルで岩本蓮加・梅澤美波が、24thシングルで遠藤さくら・賀喜遥香・筒井あやめが、それぞれ福神メンバーとして初選抜。非福神メンバーとして初選抜となったのは、22ndシングルでの伊藤理々杏・佐藤楓、23rdシングルでの阪口珠美、26thシングルでの清宮レイ・田村真佑。1・2期生における「福神メンバーとして初選抜」のケース(1stシングルを除く)は、4thシングルでの秋元真夏、7thシングル(「八福神+1」は全員福神として取り扱う)での堀未央奈(および9thシングルでの松井玲奈)に限られる。
- 北野よりあとにおいては、当時所属の1期生11人が福神メンバーとなった25thシングルでの樋口日奈と和田まあやがいる。
- 北野と同じタイミングで、前作で福神メンバーであった樋口日奈と和田まあやが同じくアンダーメンバーとなっている。なお、「アンダーメンバー」というくくりでなく「選抜メンバーを外れた」という形であれば、当該シングル期間の活動休止という形であった9thシングルでの生田絵梨花、21stシングルでの久保史緒里(22ndシングルにはアンダーメンバーとして参加している)、23rdシングルでの山下美月、24thシングルでの井上小百合と大園桃子がおり、また当時において当該期がアンダーメンバーに合流していなかった19thシングルでの大園桃子・与田祐希、25thシングルでの筒井あやめがいる(卒業および兼任解除にともないグループを離れたケースを除く)。
- 7月5日の「レコメン!」にはレギュラーパーソナリティの堀未央奈が欠席して北野が代打出演しており、この日が「逃げ水」のMV撮影であったと推定される(ロケ地は福島県会津若松市の「会津藩校日新館」である)。新内眞衣は「乃木坂46・新内眞衣のオールナイトニッポン0」(堀の出演する「レコメン!」と同じく水曜深夜放送)出演のためにMV撮影を途中で離脱したとも語っており、このことも傍証ととらえることができる。
- 現地のNPO法人「フィルムコミッション富士」が当時、「アンダー」のMVが撮影されたという旨のブログ記事を公開していた(現在は削除されている)。また、18thシングル(初回仕様限定盤Type-C)の特典映像「撮って出し!神宮ライブメイキング2期生編」では、前述の明治神宮野球場公演の直後とみられる時期に、伊藤純奈・相楽伊織・寺田蘭世が、(おそらく)これ以外で世に出ていない衣装で屋外においてインタビューに答えており、「アンダー」のMV撮影の合間に撮影されたものなのではないかとも思われる(新内が「逃げ水」MV撮影の合間に撮影したと思しきインタビューのカットもある)。
- そこまで関係性を見いだすとやりすぎな気もするが、7月2日の明治神宮野球場公演ではアンダーアルバムのリリースが発表され、リリース時期は「秋」とアナウンスされたが、実際にリリースされたのは翌2018年1月10日であり、予定よりかなり時間を要したようであった。
- 中元は「真夏の全国ツアー2017 FINAL!」として開催された東京ドーム公演(11月7-8日)には出演しているが、このときはこの公演については明言されなかった。一方で、開催が発表されていたアンダーライブ九州シリーズには出演することについては明言された。
- シネマズプラス「乃木坂46 能條愛未 18thシングルカップリング曲「アンダー」への思い」(2017年8月5日)
- 「17thシングル期間のグループ活動及び個人活動を休止」として。
- 中元の活動休止中は秋元真夏が代打でパーソナリティを務めていた。
- 中元自身がアンダーアルバム「僕だけの君〜Under Super Best〜」(初回仕様限定盤)所収の「最後のあいさつ / Her Last Bow」でのインタビューで明かしたところによれば、時期は「神宮のライブより前」であったといい、このライブへの準備期間には、少なくとも近しいメンバーには卒業の意向を伝えていたようである(同作での斎藤ちはるの発言による)。
- 8月13日の公演には立ち会うことができたが、このときの北野は号泣とまではいかなかったものの終始表情を曇らせたままの状態であった(身体の動きはそこそこ平常であったようにも思う)。当該のVTRは初演を最後に演出からカットされたということで、筆者は直接目にしたわけではない。
- 一方で、休息をとることそれ自体が、アイデンティティにかかわる問題ともなってしまいかねないことにも難しさがある。グループで動いているなかで、大きなイベントを経験するかしないかは非常に大きいものであると語られ、それだけにアンダーライブ九州シリーズと東京ドーム公演に出演したことは、かなりギリギリの選択であったようにも思う。その選択はいま思えば正解に近いものであったようでもあるが、それを正解たらしめているのは、ただ結果のみであるというほかない。
- 佐伯文化会館は2020年10月31日をもって閉館した。筆者にとって初めて参加したアンダーライブ地方公演であり、1308人と収容人数の最も小さい会場でもあったため(全国ツアーが始まった時期以降のアンダーライブとしても、2016年4月23日に東北シリーズの公演が行われた秋田市文化会館大ホール[1188人]に次ぐ小ささの会場である。このほか、初期のアンダーライブが行われた六本木ブルーシアター[901人]およびAiiA 2.5 Theater Tokyo[830人]は収容人数がこれらより小さい)、アクセスの難しさや公演の内容ともあいまって思い入れの強い会場であり、少々寂しい思いもある。なお、佐伯文化会館の機能は新設のさいき城山桜ホールに引き継がれたが、大ホールの収容人数は916人であり、より収容人数を絞った形の施設となっている。
- ただし、このインタビューでは聞き手に水を向けられる形でこのように言及しているが、この日の公演に立ちあった筆者としては、北野のMC全体としては中元に関する話のほうが割合としては大きかったとも記憶する。14thシングルの選抜発表後、自分が声をかけても聞こえないくらい泣きじゃくる中元の姿が、「自分自身の姿でもあるように思った」のだといい、それだけ盟友と信じた中元が誰にも相談しないで卒業を決めたことがショックだった旨を口にし(中元がそれを詫びる場面もあった)、「ひめたんには……幸せになってほしいですねえ」とまとめた。また、それから自らの心情について語った場面では「下を向いて太陽の方向がわからなくなっても」と「アンダー」の歌詞を思わせる言葉選びもしていた。ただ、他の公演でも「好んで歌いたくないと思っていた」と吐露していたとも伝えられ(「ツアーを通して好きになった」と口にしたともいうが)、当時の北野の思いの全体的なトーンとしては、「この曲を歌うのは辛い」と理解してよいのだと思われる。
- 「僕だけの光」は15thシングル所収の選抜メンバーによるカップリング曲であり、あくまで筆者の印象でいうならばこの頃はあまり存在感のある楽曲ではなかったが、この九州シリーズでクローズアップされたのち、時間を追うごとに重要性を増しているように思う。2018年の上海でのライブ、2019年の台北でのライブでセットリストに加えられたほか、2019年5月24日の「23rdシングル『Sing Out!』発売記念 アンダーライブ」ではこの日でグループを卒業した伊藤かりんによって、最後の曲としてダブルアンコールで選曲され、桜井玲香の卒業公演となった2019年9月1日の全国ツアー千秋楽では井上小百合がサプライズ登場する演出でアンコールで演じられ、「8th YEAR BIRTHDAY LIVE」では最終日のアンコール、「乃木坂の詩」の直前という位置で演じられている。
- この公演は明治神宮野球場・秩父宮ラグビー場の2会場同時開催の「シンクロニシティ・ライブ」として行われ、20thシングルの選抜メンバーとアンダーメンバーの2チームに分かれて両会場を往還しながら演じられた。北野は20thシングルについては選抜メンバーでもアンダーメンバーでもないがアンダーメンバー側のチームで参加し、2日目のMCでは21stシングルにはアンダーメンバーとして復帰することをファンに伝えた(21stシングルの選抜発表は7月1日放送の「乃木坂工事中」#162ですでに放送されており、3日目のアンコールおよびダブルアンコールでは表題曲「ジコチューで行こう!」とアンダー曲「三角の空き地」が披露されている)。
- この演出もあってか、このときの「アンダー」は最後のフレーズが二度繰り返される形で演じられており、これは他の披露機会ではとられていない形である。「アンダー」は三度目のサビの前半が落ちサビ、後半がラスサビのような構成がとられており、駆け抜けるように終わってしまう印象があるため、ライブでの披露であれば、ということであるが、筆者はこの形が個人的に好きである。
- また、このモバイルメールは福岡公演の静かな客席の様子に触れ、最後まで耳を傾けてくれたら、と発信する内容であったため、「アンダー」においては客席からコールをしないように呼びかけたものとして受け取られた(直接要請するような表現はなく、意図して書いたものだとすれば、絶妙な文章であるという印象もある)。九州シリーズでは初演からコールはなかったと記憶しているが(曲の扱うテーマが重く受け止められた面、それを際立たせる演出があったという面、中元と北野の状況を受けたという面など、さまざまな側面があって醸成された雰囲気であったように思う)、全体のライブではある程度コールがあるという状況であった。「厳しい状況を歌った曲だからこそコールで応援したい」というような意見も耳にしたことがあり、認識の違いに驚いたものだが、九州シリーズの雰囲気を感じていなければ、そのような考えとなることも確かにあり得たかもしれない。北野による発信はモバイルメールのみにとどまったが、コールをやめる呼びかけと受け取られた趣旨が広く拡散され、確かにこの頃以降(筆者はこの公演には立ち会っていないのだが)、「アンダー」でのコールはほとんどあがらなくなったという印象がある。
- ただ、当時はあまり印象に残っていなかったのだが、Blu-rayで改めて確認すると東京ドーム公演のときの表情もいくぶん柔らかいようにも思う。
- 22ndアンダーメンバーについては、厳密にはこの日の公演で能條愛未が卒業を発表し(順序としてはアンダーセンターとアンダーライブの発表が先、能條の卒業発表が後)、22ndシングルには参加しないという形がとられたため、この情報をもって22ndアンダーメンバーは(結果として)確定したということになる(休業のため21stシングルに参加していなかった久保史緒里は、9月2日のひとめぼれスタジアム宮城公演にサプライズ登場していたが、10月1日付のブログで22ndシングルにアンダーメンバーとして参加することを公表している)。
- http://www.nogizaka46.com/news/2018/10/46-22nd-3.php
- 堀(1996年10月15日生まれ)より北野(1996年7月17日生まれ)のほうが生まれ日が早いため、北野は厳密にいっても最年長である。
- 撮影地はスウェーデンのストックホルムとキルナ、撮影日は2018年10月29日-11月3日であった。写真集の発売決定そのものは2017年1月には明らかになっており(版元である幻冬舎社長・見城徹の755による)、休業の期間なども挟んでかなり時間のかかった形であるが、撮影から発売まではかなりのスピード感のあるものとなっているといえるだろうか。
- https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201812210000004.html
- このインタビューの収録日は2019年1月16日である。
- リリース時のオリジナルメンバー18人から、このときまでに川後陽菜、川村真洋、斎藤ちはる、相楽伊織、中元日芽香、能條愛未の6人が卒業している。
- 23rdアンダーセンターは寺田蘭世、24thアンダーセンターは岩本蓮加。なお「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」では、メドレーを織り交ぜながら各日でアンダー曲を全曲披露したセットリストが組まれたが(アンコールまでを使って全曲を披露している。アンダー曲以外の披露は、2日ともでアンコールの最後に演じられた「乃木坂の詩」のみ)、このコンセプトは1年以上の時を経た次のアンダーライブである「アンダーライブ2020」とおおむね重なる(「アンダーライブ2020」は本編が全曲アンダー曲で構成され、1日目と2日目ですべてのアンダー曲が網羅されたのち、3日目では30曲すべてをノンストップで披露する形がとられている。「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」から「アンダーライブ2020」までの期間では、25thシングルではアンダー曲がなかったため、26thシングルアンダー曲「口ほどにもないKISS」しか新規のアンダー曲はない。また、このときのアンコールでは日替わりの表題曲2曲と「乃木坂の詩」が披露され、アフター配信では日替わりのカップリング曲2曲が披露されている)。
2014年にアンダーライブがスタートして以降、2018年までは表題曲がセットリストにおいて重要な位置を占める場面が多かったが(特にそのときどきのアンダーメンバーに対応するシングル表題曲は原則として演じられる傾向にあり、例外は2014年12月12日の「アンダーライブ セカンド・シーズンFINAL! 〜Merry X’mas “イヴ” Show 2014〜」で「何度目の青空か?」が披露されなかったケースと[ただし、その前の「アンダーライブ・セカンドシーズン」では披露されている]、九州シリーズで「逃げ水」で披露されなかったケースと[かわって、すでに発売済であった19thシングルの「いつかできるから今日できる」が披露されている。また「逃げ水」は北海道シリーズのセットリストに入っているが、これは伊藤かりん・能條愛未・樋口日奈によるユニットでの披露であり、そのときのアンダーメンバー全体によってパフォーマンスされたことはない]、近畿・四国シリーズで「いつかできるから今日できる」が披露されなかったケース[前述のように、「いつかできるから今日できる」は九州シリーズで披露されてはいる]のみである)、「23rdシングル『Sing Out!』発売記念 アンダーライブ」ではアンコールも含めて表題曲はまったく披露されておらず、これ以降方向性の転換が図られているようにも思える(ただし「アンダーライブ 4thシーズン」や近畿・四国シリーズでも、表題曲のプレゼンスを下げたセットリストでのライブは試みられている)。特に「アンダーライブ2019 at 幕張メッセ」および「アンダーライブ2020」はアンダー曲重視の色彩が顕著であったということができ、北野の表現を借りるとすれば「アンダーはアンダーのお仕事がたくさんあって、それぞれに誇れるものもあるという状況」にあっても、それ以前の時期から積み重ねられてきたアンダーライブとしての独自性を改めて強調しようとする試みであったようにも思う。 - ライブを終えた翌日には、北野からモバイルメールが発信され、そこでは「心の整理」は難しく、整理しないで今の気持ちを表現することを学んだ、という趣旨のことが語られた。これは「アンダー」に限定して述べられたものでは必ずしもないが、イントロだけで心が締めつけられるような感情がある曲としてあげられてもいた。ライブにあわせてアンダーメンバーのモバイルメールが無料で受信できるキャンペーン中であったため(特に北野本人は意識していないように思えたが)、モバイルメールとしてはけっこう多くの人が目にするところになったメッセージだったのではないだろうか。
- こうして書くとだいぶニワカだな、という気持ちになる。加入当初や8thシングルでの選抜入りを経て、再度の選抜入りを目指し、毎日ブログを更新し、アンダーライブで戦っていた時期の北野のことを筆者は直接知らない。
- いわゆる握手対応に関して、このような言われ方は確かにあったように思う。
- 13thシングルで全員1期生の16人が選抜メンバーとなって以降、14th-17thシングルでは選抜人数が増加の傾向をとるなか、選抜メンバーから外れたのは14thシングルの活動をもって卒業した深川麻衣・16thシングルの活動をもって卒業した橋本奈々未と、17thシングル期間に休業に入った中元日芽香のみであった。続く18thシングルは3期生の大園桃子と与田祐希がダブルセンターに抜擢されたことに選抜人数の減少も重なり、北野に加え、斉藤優里・寺田蘭世・樋口日奈・中田花奈が選抜から外れているが、選抜メンバーからアンダーメンバーへの移動が5人というのは、24thシングルでの6人に次ぐ規模の変動であった。
- ただし注意が必要だと思うのが、そのような言葉選びに引っ張られてしまう面も多分にあろうが、歌詞は決して、「いま」その花が咲いていない、という風には描いていないということである。「今やっと」という言い方ではあったが、すでに開いた花びらがそこにあるという趣旨の歌詞として、少なくともファンは、あの曲が生まれ落ちたからには読み解かなければならなかったはずだ(メンバーを通してしか、われわれは楽曲を受け取ることはできないのだから)。
- 「君は僕と会わない方がよかったのかな」は1日目でも披露されているが、このときは企画のコーナーである「乃木坂 恋のメロディー」のなかの1曲として、阪口珠美、伊藤純奈、伊藤理々杏の3人のみによって演じられている。
- 北野は8thシングルでの選抜入りをもって研究生から正規メンバーに昇格しているが、選抜から外れた9thシングルから11thシングルまでの期間はアンダーの3列目のポジションにいた。12thシングル以降14thシングルまではアンダーフロントである。ほか、アンダーメンバーであった期間のポジションは、18th・22ndシングルではセンター、21stシングルでは2列目、26thシングルでは1列目である(北野が経験したアンダー曲のフォーメーションはすべて3列編成)。
- 現在に至るまで同様の傾向である。同じく中元の単独センター曲である「不等号」ではこの傾向はみられない。一方、ソロ曲「自分のこと」や、ほか中元の存在を思わせるシーンでは同様に客席がピンクに染まることがあることからは、どちらかというと「君は僕と会わない方がよかったのかな」という曲というより、中元本人のイメージを反映した現象であると考えることができる。
- 中元自身は、2015年の夏限りでツインテールは「卒業した」としている。
- 上にくるのは新内眞衣、松村沙友理、秋元真夏、高山一実、吉田綾乃クリスティーで、堀未央奈と生田絵梨花が同学年であるが、北野のほうが生まれ日が早い。
- これは1日目では桜井玲香が、2日目では新内眞衣が担った役割であり、そこに3日目において北野が続くことは、筆者には少し意外な印象があった。このほか、この日のセットリストには「アンダー」「日常」があり、「スカウトマン」ではオリジナルのポジションがなかった北野が相楽伊織のポジションに入るなど、北野をクローズアップして見ることが多い日であった。
- 直前の作品であり、白石麻衣の卒業後における暫定の選抜メンバーであったようにもとれる「Route 246」の歌唱メンバーのうち、26thシングルで選抜メンバーから外れたのは北野のみであった。
- 26thアンダーメンバーのなかで、北野の選抜回数8回は突出しており、これに続くのが4回の樋口日奈で、他のメンバーは2回以下である。
- 24thアンダーメンバーのうち最年長は中田花奈。26thアンダーメンバーでの最年長は吉田綾乃クリスティーで、それに続くのが北野である。
- 北野(8回)に選抜回数が近い現役メンバーは、与田祐希(8回)・大園桃子(7回)・梅澤美波(6回)・山下美月(6回)という3期生の選抜常連組のラインであり、これは北野の立場の難しさを物語る数字であるように感じられる。現役で北野に立ち位置が近いのは、樋口日奈や寺田蘭世あたりであろうか。卒業生でいうと斉藤優里や、アンダーライブ黎明期までの井上小百合や伊藤万理華が印象が近くなる。
- 4thアルバムおよび23rdシングル以降の4枚のシングルすべてにおいて、4期生楽曲があてがわれてもいる。
- 2021年1月27日、26thシングルの発売とともに更新された公式プロフィールによれば、所属メンバー44人の身長の平均値は160.6センチであり、中央値は161センチである。順番でいうと、北野は上から33番目(タイ)となる。公式プロフィールの身長がどの程度実情を反映しているのかはわからない面があるが、最近において更新されたということは、反映すべき(したい)実情は反映していると考えることができる。ただし「国民健康・栄養調査」(厚生労働省)によれば、20-29歳の女性の平均身長は157.5センチ(2019年)であり(調査対象は日本全国からの無作為抽出を基本としており、計算の対象となった20-29歳の女性の人数は140人。多いとはいえない調査人数にも思えるが、少なくともここ10年間の調査においては157ないし158センチ台で推移している)、身長だけをみれば、北野は世間的には特に小柄というわけではないともいえる。
- 『EX大衆』2020年12月号は11月13日発売であり、これは26thシングル選抜発表の放送直前というタイミングであった。このインタビューは、聞き手(ライター・大貫真之介)には選抜発表に関する情報はない状態で収録されていたというが、10月28日の「NOGIZAKA46 Mai Shiraishi Graduation Concert 〜Always beside you〜」を踏まえて行われている(かなりのスピード感で紙面が制作されていることがわかる)。山下美月のブログによれば、選抜発表は9月であったといい、北野は自らがアンダーメンバーとなったことも、一方でこのときの対談相手であった久保が選抜のフロントとなったことも受けたうえで、このような発言をしていたということになる。
- 畠中の活動終了日は2015年4月4日、永島の活動終了日は2016年3月20日。ただし2015年5月14日には、交換留学生という取り扱いであった松井玲奈の兼任が終了している(最後の参加シングルである「命は美しい」は3月18日リリースで、3月26日には兼任解除が発表されている)。この間の時期は新メンバーの加入もなく(3期生の募集開始は2016年7月4日で加入お披露目は9月4日)、所属の2期生は2015年2月22日をもって全員が正規メンバーとなっており、メンバー編成という意味ではかなり安定していた時期であるといえる。
- グループの歴史において、1期生以外にソロ曲があてがわれるのは初めてであった。かつては西野七瀬によるものを中心にコンスタントに書かれていた時期もあったソロ曲であるが、齋藤飛鳥による「硬い殻のように抱きしめたい」(2017年5月24日発売の3rdアルバム「生まれてから初めて見た夢」所収)を最後に、現在は卒業メンバーによるものが6曲続いているという状況である(卒業メンバーによるソロ曲は歴代で計8曲)。「冷たい水の中」のMVは堀の初主演映画「ホットギミック ガールミーツボーイ」を監督した山戸結希が監督し、初センター曲「バレッタ」の発売から7年の記念日である2020年11月27日に公開され、公開時刻である20時15分(午後10時15分)は誕生日である10月15日になぞらえたものである(これは堀本人の希望によるものだったといい、『Platinum FLASH』Vol.14 p.31でその旨が語られている)。直後に更新されたブログで堀は心残りであったものとして、苦手意識の残る歌を楽しく歌って終わりたかった、大好きなダンスをもっとしたかった、(二度目のセンターやソロ曲などの形で)ファンに恩返しをしたかった、の3点をあげているが、MVはコンテンポラリーダンスを中心に構成されているほか(これに加え卒業発表のシーンのほか、堀の過去の活動場面が数カット挿入されている)、音源の部分とは別に改めてサビの歌唱も行っており、心残りとした点も含めて8年近くにわたる活動を総括したような形となった。ハイトーンのサビを喉をしぼりあげるようにして歌う声は確かに抜群に上手いとはいえないようにも思うが、最後の作品に等身大の姿が残ることは喜ばしくも感じられ、むしろ強く心を打つ。
- 『アップトゥボーイ』2020年2月号は2019年12月23日発売。
- 前編:「乃木坂46 北野日奈子さん 私に夢をくれた、愛犬チップとの14年」(2020年8月31日)、後編:「乃木坂46 北野日奈子さん 愛犬「チップ」の発病、そして夢への第一歩」(2020年9月7日)。
コメント