アンダーライブ全国ツアー 九州シリーズによせて(3)

(3)「アンダーセンター」中元日芽香、空席のシンメトリーポジション
 (10月14日、大分公演)

「アンダー 今やっと 叶った夢の花びらが
 美しいのは ポジションじゃない」

 

開演2時間前、「欠席のお知らせ」

 ついに始まったアンダーライブ全国ツアー九州シリーズ、その初日となる10月14日の大分公演。
 北野日奈子の欠席が発表されたのは当日午前のことだった。

 発表のタイミングでは筆者はちょうど機上の人で、公式サイトでその報を知ったのは、空港で佐伯市行きのバスの到着を待っていたときであった。
 誤解を恐れずに言えば、やっぱりな、というのが第一印象であった。恐れていた事態が起こってしまった、と言い換えてもいい。同じく直前の「真夏の全国ツアー」新潟公演を欠席していたという点では中元日芽香も同じであったが、中元は「らじらー!」などで、アンダーライブのリハーサルに取り組んでいる旨を発信し続けていた。一方で北野からは何も発信がないまま、周囲のメンバーからのコメントだけが何度も発せられていた。
 なんだかんだで元気な姿の「きいちゃん」が見られることを、期待していなかったわけではない。だから落胆がなかったといえば、それは嘘になる。北野の体調も、あるいは中元の体調も、ファンには本当のところはわからない。ただひとつすでに確かなのは、そのスタートから支えてきた中元日芽香にとって、今回の九州シリーズが最後のアンダーライブになること。そして「ひめきい」がWセンターとして立つステージも、今回が最後となる公算が大きいことであった。
 無理はしてほしくない。でも筆者はとにかく、たとえどんなステージでもいい、Wセンターとして輝く「ひめきい」を見たかったのである。

 感情の整理がつかないまま乗ったバスの車中。
 リリースから2ヶ月以上の間、好んで繰り返し聴いてきた「アンダー」が、よくわからなくなった。
 歌詞やその曲としての位置づけにどのような意味があったとしても、それがメンバーにとってどうやっても受け入れられないものであるならば、好きであることは難しい。

 

「センター」中元と、空席のシンメトリーポジション

 しかし、しょげている場合ではない。「ひめたん」久しぶりのアンダーライブ、久しぶりのステージである。パフォーマンスもセットリストも楽しみで仕方なく、また乃木坂46のライブとは思えないステージと客席の距離に、単純にテンションが上がってもいた。
 定刻の13時に幕の上がったステージ。
 その中心に立つ中元日芽香は、確実に我々の知る「アイドル・ひめたん」だった。

 自由の彼方、嫉妬の権利、不等号。
 中元日芽香が中心となって矢継ぎ早に繰り出されたアンダー曲の数々は、間違いなく乃木坂46の歴史であった。あるいは「ブランコ」で、オリジナルでは存在しない最後列のポジションに入るところも感慨深かった。
 ガールズルール、太陽ノック、裸足でSummer。
 明るい夏曲のパート。ステージの中心で、あるいは客席の中に立ち、明るく歌い踊る姿が目に焼き付いている。欠席がわかっている仙台公演のときに買った推しメンタオルをたまらず振ったら、勘違いでなければ(勘違いでもいいけど)レスがもらえた。最初で最後かもしれないと思った。

 しかし、ただただ安心して楽しんでいたばかりでもない。
 MCの回しはさすがだったが、企画のコーナーではステージから退いて姿を見せることはなく、体調ないしは準備の厳しさをうかがわせる場面もいくつかあった。
 そんな中、ライブ中盤で披露されたのが「アンダー」であった。

 パートの始まりとなる歌詞の朗読では、北野のところに樋口が入っていた。
 ペアになってターンする振りのところでは、中元だけがひとりでターンをしていた。

 センターポジションの存在を前提とするならば、Wセンターは特殊な形である。
 Wセンターがふたり立っているべきところにひとりで立っていても、左右対称が崩れないぶん不在が際立つことは少ない。
 しかしあまりにもいびつなその「アンダー」を見て、あるいはそのステージを支える17人のメンバーを見て、ここは18人のメンバーが作ってきたステージなんだな、とはっきりと感じる部分があった。
 中元は「きいちゃんがリハーサルをずっと引っ張ってくれた」と言い、樋口は「18人でこのステージに立ちたかったけど、人間には気持ちの限界というものがあると思う」と言う。
 北野日奈子という最後のピースを残したまま、この日の初演は完成をみたのである。

 

「美しいのはポジションじゃない」

 この日、中元日芽香にとっては初披露となった「アンダー」を見て、筆者の中で少し、この曲の歌詞が胸に落ちたところがある。

「アンダー 今やっと 叶った夢の花びらが
 美しいのは ポジションじゃない」

 美しいのはポジションじゃない。では、「美しい」のは何なのか、と考える。
 あくまで、美しいのは花びらであって。そこに花が咲いたとして、それは咲いた場所が目立つ、美しい場所であるから美しいのではない。

 選抜に入れば美しいのか、センターに立てば美しいのか。そうでなければ美しくないのか。我々が魅せられたのは、「アンダーセンターの中元日芽香」だったのか。それとも「選抜メンバーとしての中元日芽香」だったのか。
 いずれも違うと、筆者は思う。
 確かに、選抜入りを目指して戦い、アンダーライブを引っぱる中元の姿勢も、念願だった選抜入りを果たして音楽番組で輝く中元の活躍も、どちらも美しかっただろう。
 しかしそれは、そこにいるのが他でもない彼女であるからであって、そのポジションが本質ではないのである。

 今回「アンダー」のセンターにいた中元日芽香は、18thシングルのアンダーメンバー、アンダーセンターではあったものの、すでに卒業を決めて19thシングルには参加しておらず、「選抜メンバー入りを目指す」という立場になくなったという意味では、「選抜メンバーでもアンダーメンバーでもない」存在であった。
 そこにいるのは「アイドル・中元日芽香」ただひとりであって、それ以上でも以下でもなかった。
 こうした特殊な立場で、彼女がステージに立ってくれたことによって、「美しいのはポジションじゃない」ということの本当の意味が、いくぶん理解できたと思える。

 

中元日芽香、全力の「ウイニングラン」

 近い目標や指標として、選抜入りやポジションの前進をとらえることはもちろんあるし、必要なことでもある。事実として中元日芽香は、アンダーメンバーという場所で誰よりも選抜入りを目指して戦い、アンダーライブの中心で歌い踊り、乃木坂46という場所で青春を燃やし尽くし、みずからの力で最終的に選抜の壁を破った。

「私は本当に仕事が好きでした。
 青春を全て投じるだけの価値が
 このグループにはありました。」

 かねてより「アイドルになることが芸能界でのゴール」と語り、事実卒業とともに芸能界を引退する彼女にとって、今はもう、たぶんラストスパートではなく、ウイニングランなのである。
 誰よりもファンの声が聞こえている中元自身が「もう無理だ」と決断したからこその卒業。それでも、あるいはだからこそ、最後までアイドルとしてステージに立つ。
 全力で、不器用で、決死のウイニングランなのである。

「卒業したら私はメンバーのことをそばで支えることはできなくなってしまうけど、それはここにいる皆さんに託したいと思います。」

 この日のMCでそう語った中元日芽香は、ステージに立つ限り、誰よりも、誰にとっても全力のアイドルである。
 大分公演、初演のステージ。確かにそこには大輪に叶った夢の花びらがあった。

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